第二部 第一章 第七話 奈落からの帰還


 ライが暗闇に落ちた日から二週程が過ぎようとしていた。


 【必ず戻る】


 パーシンはその言葉を疑ってはいない。しかし、脱出の準備が整ってもライが戻らないのでは蜂起自体の成功率が落ちる。何より何時までも待たせては皆に不安が広がってしまうだろう。そうなる前にライに戻って貰いたいのが本音だった。


(まさか怪我してる訳じゃねぇよな?頼むぜ、ライ)


 ライが落ちた暗闇を除き混み、パーシンは心から友の無事を祈る。


「何か見えるのか?」

「いや……だけど俺のダチが戻るの待ってんのさ」

「へぇ……ソイツ、どんな奴なんだ?」

「一言で言えば『変なヤツ』だな。小悪党の代わりに落ちるなんて頭おかしいとしか思えないよ」

「そうか……頭おかしいのか。それはこんな風に?はいドーン!!」


 前屈みで覗き込んでいたパーシンは後ろから押し出される。突然のことで完全に頭が真っ白になりながら体勢を崩すも、奈落に落ちる次の瞬間には腕を掴まれ崖の上に引き戻された。


「な!何しやが……」


 我に返ったパーシンは悪ふざけの主に食って掛かった。しかし……そこにはくだんの友の姿が……。


「ラ、ライ!お前……!」

「アハハハ、驚いたか!」

「くっ……やっぱり頭おかしいぜ、お前!こっちはこんなに心配して……」


 うっすらと涙を浮かべたパーシンの肩を優しく叩き、ライは改めて謝罪した。


「心配かけて悪かった。何とか戻ってゴブォ!」


 言葉の途中で『パーシン、怒りの鉄拳』が炸裂。頬を殴り飛ばされたライは派手に転がり岩壁に激突した。


「フン!先刻さっきの分も合わせて、これでチャラにしてやる!」


 涙を拭いながらパーシンは悪びれもせずにそう告げた。心配が一周回って怒りに変わったのだろう。

 岩壁から何事も無いように立ち上がったライは、それが分かるからこそ怒りなどしない。しっかり鼻血が出ているのは故意に無防備で受けたからである。


「酷ぇな、パーシン。こっちはようやく登ってきたってのに……」

「うるせぇ!それはともかく、何で背後から来んだよ……ここで待ってた意味無ぇじゃねぇか……」

「いや……登った先が結構ズレててさ?登り切ったらお前の後姿が見えたんでつい……ビックリした?ビックリした?や~い、ビビってやんの~!」


(くっ!……もう一回殴りたい!)


 久々の再会とは思えぬやり取りにフローラは笑いを堪えて震えていた。割と笑い上戸なタイプの様だ。


 そんなフローラの頭にはメトラペトラが乗っている。パーシンはそれに気付き首を傾げる。


「なぁ、ライ……猫なんていたっけ?」

「ああ……あれは崖の底で見付けた『熱に浮かされたおニャンコちゃん師匠』だ」

「誰じゃ、それは~っ!!!」


 メトラペトラは一足飛びでライに詰め寄り身体を目一杯伸ばした両後ろ足による飛び蹴り『必殺・ネコキック』を見舞った。パーシンに殴られた数倍の速度でふっ飛び壁に激突するライ……しかし、今回は纏装を瞬時に展開していたので怪我などは一切見当たらない。


「嫌だなぁ、師匠……冗談ですよ?冗談!」

「……ったく!緊張感の無いヤツめ!」

「御免よぉ~……おニャ~ンコちゃ~ん」


 メトラペトラが“シャーッ”と毛を逆立てた辺りでパーシンが口を開くが、かなり動揺したご様子……。


「ネネネネ、ネコが喋った!ライ!魔物……いや、魔獣なんて連れて来たのか!」

「失礼な奴じゃの……ワシを下等な魔物や魔獣なんぞと一緒にするとは」

「じ、じゃあ一体何なんだ……」

「おニャンコちゃん」

「お主は黙っとれ!話が進まんわ!!」


 賑やかな再会。その中でフローラだけが涙目で肩を揺らしていたという……。





「……成る程な。で、大聖霊?と契約して連れて来たと」

「そういうことだ。ところでパーシン……準備は進んでいるのか?」

「ああ。もう何時でもやれるぜ?実はお前待ちだったんだ」

「ソイツは悪かったな。ところで三兄弟とか逸材とかどうなった?」


 ライが奈落の底に落ちるきっかけとなった小悪党のダグレック。そしてダグレックに騙されライを襲った三兄弟。蜂起するには多少なり気に掛かる存在である。


「三兄弟なら手伝ってくれるとさ。小悪党はあの後随分としょげてたぜ?何せ【魔族】と毛嫌いしてた娘に命を救われた訳だからな?」

「まさか邪魔はしないだろうな……」

「ああ、それは無いだろうよ。普通なら一生こんなトコに居るより逃げられる可能性を選ぶだろ?」

「確かに」


 とにかく蜂起する準備は整ったのだ。しかし、そこにメトラペトラから改めて待てが掛かる。


「蜂起は良いがその後どうするつもりじゃ?脱出先は決まっておるのかぇ?」

「大体は……だけど、そこも賭け要素が大きいんだ。何せ労働者の数が多過ぎる」

「そういや労働者って全体で何人位居るんだ?」

「ざっと千人足らずってとこだ。全員となりゃ大仕事になるぜ?」


 採掘場は監獄の役割も兼ねている。予想より人の数が多いということは移動には都合が悪い。


「う~ん……そもそも、この採掘場ってどこにあるんだ?」

「そういや言ってなかったな……。ここは親大陸の西南西にあるトシューラ国とアステ国の沿岸沿いの国境、それを更に船で南西に一日向かった先にある小さな島だ。かなり外海になるが一応、トシューラ国の領土になる」

「海上の島かよ……。となると千人逃がすのに船が必要だぞ?」

「だよなぁ……。ここの運搬船奪っても二百十……いや二百五十人が限界だから脱出人数を絞るつもりだけどな。既に人員は選出してはいるんだが……」


 一部のみの脱出。パーシンの話では船を扱える者以外は女子供優先ということになっている。そして逃げた先でトシューラ国の非人道行為を伝え圧力を掛けるという計画なのだそうだ。


 しかし、そうなると脱出者の中に自分が入っていることは納得出来ないライ。そもそもトシューラ国がその程度で行動を改める訳がないのは、この採掘場を見れば明らかである。要は体の良い選別でしかないのだ。


「あ!メトラ師匠のその鈴に千人入りませんか?」

「無理じゃな。中の異空間は人の精神が堪えられるとは思えぬ……生き物は入れるなとオズ・エンの鳥公にも言われとるしの」

「そうですか……残念」


 やはり船での脱出しか手はない。そう判断したライは自分を外すよう提言する。一人ならどうとでもなる……そんなことを本気で考えているのだ。


「俺は残るぞ?その分の人を乗せりゃ良いだろ」

「脱出の際には魔導具で本国に連絡されてる筈だ。軍艦相手には戦える奴が必要なんだよ!」

「遠距離戦なら三兄弟がいるだろうが。その分ここで派手に暴れてやるから置いていけよ。上手く行きゃあ魔導具でシウト国に連絡出来るし」

「俺はお前と行きたいんだよ!!」


 二人は譲らない。互いに思うところはあるし言い分も理解出来る。しかし譲れない。

 そこでメトラペトラが首を振りつつ口を開く。未だ人間などに興味は出ない。しかし、ライの行動を見届けたい気持ちはある。メトラペトラは確かにライを気に入っているのだ。


「やれやれ……。小僧……パーシンと言ったな?そもそも、どこに逃げるつもりじゃった?間近の大陸はトシューラ国とアステ国じゃぞ?」

「死の大地側を迂回してトォンへ向かうつもりだよ。次に近い陸地は子大陸……ディルナーチ大陸だけど、鎖国状態で入国出来ない。シウト国までは遠過ぎる」

「死の大地付近の海を迂回するのかぇ……【海王】はまだ生きておろう?たとえ運良くそこまで行けても、その巣で確実に沈められるぞよ?」


 【海王】は海に住まう巨大な魔物である。悠に数百年は生きているだろう高い知性を誇るそれは、海中なら最強と言って良い存在だ。当然、人間が太刀打ち出来る相手ではない。


「だからこそ軍艦を避けられるんだろ?それとも死の大地の魔族国…カジーム国に千人も受け入れが出来るのか?たとえ出来たとしても【魔族】の誤解は必ずわだかまりを生む。どのみち手詰まりなら確率の高いトォン国に向かうしか無いじゃないか!」


 実のところ巧手が無い脱出。隙無き包囲網がトシューラ国の掌の上で踊っている感じすらしているパーシンは、王族に対しての反発で意固地になっているのかも知れない。


「まぁ落ち着け、小僧。本来なら人がどうなろうと知ったことではないのだが、弟子が不満では師匠失格だからのぅ……全員まとめて救う方法を考えてやるわ」

「ネコに何が出来る?まさか千人も転移させられる訳じゃ……」

「転移出来るとしたらどうじゃ?」


 この言葉にパーシンは言葉が出なかった。転移魔法など物語でしか聞いたことが無いのだ。それに千人もの転移ともなると大規模な魔力を用意しなければならない。


「まぁ、まだ約束は出来んがの……そこでじゃ。小娘……フローラと言ったかぇ?お主、持っとるな?」

「?……大聖霊さまの仰っている物はもしかして……」

「持っているのか、と聞いとるのじゃ。答えよ」


 複雑な表情のフローラ。少しモジモジしている。そしてメトラペトラに耳打ちすると返事を待った。


「……お主の羞恥など知らん。早う出せ」


 容赦ない大聖霊のお達し。フローラは顔を赤くしながら遠く離れた岩陰に走って行き隠れてしまった。


「メトラ師匠……何の話?」

「脱出の目星が付いたという話じゃよ。良いから待っとれ」


 大人しく待つこと暫しばし。フローラはやはり赤い顔で戻ってきた。その手には小さな奇妙な石が握られていた。二種類の石はまるで蛇の様に絡み合っている不思議な形状。何故か少し濡れている。


「やはり持っとったな」

「勝手に持ち出したものですが……でも今は使えませんよ?」

「わかっとるよ。それはこちらでなんとかする。どのみち此処では不安定で使えんからの?」


 説明の無い状況に不満なライ。パーシンも訳が分からないといった表情である。


「メトラ師匠……結局何なんですか、ソレは?」

「神具の一つじゃよ。正確にはオズ・エンの造った『空間転移陣』なんじゃがな。昔、カジーム国の長が天界に行く為に使用していた物じゃ。娘から鳥公の気配がしてたものでな?もしやと思ったが大当りじゃったのぅ」

「どうしてそんなものを……それに良く監視に取られなかったね、フローラ」


 ライの視線に堪え切れなくなったフローラは手で顔を覆っている。意味が分からずメトラペトラを見ると、意地の悪い言い回しで説明を始めた。


「女の子の身体は不思議で一杯じゃからの。隠す場所もあるのじゃよ」

「ま、まさか!女の子には異次元ポケットが!知らなかった……」

「ち、違いますぅ!変な想像しないで下さい~!!大聖霊様!誤解を生みそうな言い方止めてくださいぃ!」

「ニャ~ン?」

「もうっ!」


 惚けるおニャンコ。観念して説明を始めたフローラは既に茹でダコの様に真っ赤である。


「それはその……捕まった時に咄嗟に飲み込みまして……。此処に来てから一度吐き出したんですが奪われる可能性もあって再び飲み込んでいたんです」

「成る程……濡れてたのは吐き出したから魔法で洗ったのね……」


 フローラが子供達……ベリーズとナッツを追って国を出る際、その両親が囚われていたのを見付けた時点で『神具・空間転移陣』で帰還するつもりだったそうだ。フローラは長の家に保管されていたものを勝手に持ち出したらしい。


「なぁ、フローラ?何で捕まった時に使わなかったんだ?ソレがあれば逃げられたんじゃ……」

「転移には時間が掛かるので襲われた時咄嗟に飲み込むことしか出来ませんでした……。眠らされた後ここで目覚めて脱出の機会を探っていたのですが、神具の魔力が散ってしまって……。それに、ここの人達は優しかったんです。自分達だけ逃げるのが後ろめたくて……」


 仮に脱出して世界に知らせるにも、【魔族】という立場では誰も信じて貰えないのだから仕方無い……。

 それにしてもレフ族というのは損な性分らしい。フリオが居たなら『まるで何処かの痴れ者の様だ』と間違いなく思ったことだろう。


「しかし、メトラ師匠……千人分は魔力が足りないんじゃ……」

「魔力の心配は要らん。が、如何せんここは場所が悪い。こんな場所で転移するには、ワシに掛けてあった封印の様に準備を整えねばならんからのぅ。それじゃ数年は掛かるぞよ?ならば地上に出た方が早い」

「どっちみち蜂起は必要ってことか……じゃあ島の占領が目標ということで良いよな、パーシン?」

「わかった……それで良い」



 強制労働所からの脱出に向け事態は着実に進んで行く。


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