幕間⑥ 勇者修行


 レグルスは虚ろな意識の世界で考えた。何故自分が……?と。


 そもそも自分はノルグーの騎士。それも聖騎士の適性を持つ貴重な存在。そんな自分が何故エルフトにいるのだろう、と本気で疑門に思っていた。


 そんな疑念をがぐるぐると巡っていると、身体に伝わるヒヤリとした感触で唐突に意識を引き戻された。目を覚ますと、仮面を着けたメイド姿の女性がバケツを片手に自分を見下ろしていることを認識する。レグルスは、そこでようやく自分が気絶し横たわっていたのだと理解した……。



 ノルグー卿からの特命で特別訓練を行うことになったレグルス。エルフトまで単身出向することになり、マリアンヌという怪しい女性からの猛特訓を受け気絶していたのである。


「レグルス様。休憩時間は終わりました。訓練を再開致します」

「マ、マリアンヌさん……。せ、せめて回復させて下さい。思った様に身体が動かないんです」

「それも訓練の内です。疲労の中で工夫をするのは生き残る為の基礎ですので」


 見た目は既にボロボロのレグルス。半ば諦め気味に木刀を構えマリアンヌに打ち込んだ。しかし木刀は掠りもせず、それどころかマリアンヌにあっさり叩き落とされてしまった。


「………。レグルス様。真剣に取り組んで頂きませんと訓練になりませんよ?」

「真剣にやってるつもりなんですが……」

「貴方からは強くなりたいという気持ちを感じません。騎士であるならば強くなりたいのが通常ではないのですか?」

「それは……」


 ノルグーの新人騎士レグルスは名家・ノウム家の出身である。王家の勇者血筋の末裔であるノウム家は代々ノルグー騎士として経験を得て、同時に功績を上げ国に貢献することを家訓としていた。


 だが、レグルスは昔からやや軟弱であった。国民の為に心を砕く優しさを持つ反面、自ら困難に立ち向かう芯の強さが足りないのである。

 故にシルヴィーネルとの交渉の際も『誰かがやってくれる』と緊張感の足りない思考を持ち、場を考えない発言を漏らすという失態を演じることになった。それは当人も自覚している。


「ライ様が貴方を指名したのは相応しいだけの才を有していると判断したのでしょう。ですが、貴方自身はまるで被害者の様な面持ち……ライ様には申し訳ありませんが、訓練を打ち切りますか?」

「そ……それは……その……」


 レグルスはシルヴィーネルの件で負い目がある。しかしノルグー騎士団の和気藹々とした訓練と違い完全な実戦向けの訓練は、軟弱なレグルスにはどうしても苦痛だった……。


 それでもライの時と違い急ぐ必要もないので、かなり加減されている事実をレグルスは知らない。


「も、もう少し優しく訓練してくれると……一日中訓練というは……」


 マリアンヌは考え込んだ。人それぞれのペースがあるのは確かであるが、根本的問題としてやる気を引き出さなくてはならない。ここは指導者の腕の見せどころである。


「わかりました。では訓練後の要望を述べてください。食事、物、技術、金銭、人物紹介……その他、出来る範疇で応えます」

「え……?……な、何でも良いんですか?」

「はい。但し犯罪、若しくはそれに準ずる行為には加担致しません。加えて地位権力等の要望には応えられません。あくまで出来る範囲内でお願いします」


 そうは言っても殆どの要望に応えられるマリアンヌ。勿論、レグルスはそんなことなど知る由もない。

 レグルスは訓練をして貰っている側なのだが、マリアンヌは『餌を目の前に下げる』作戦に出たのだ。


「それはその日毎ですか?訓練過程の修了ごと?それとも最後にですか?」

「それはご自身で選んで下さい。ただ、まとめ方に合わせて御褒美を大きくすることになります。期間が短ければ資金的にも時間的にも出来ることが限られますから」

「そうですか……そうですね……」


 先程までと違い真剣に御褒美に悩むレグルス。訓練もこのくらい真面目にやって貰いたいと考えるマリアンヌは仮面の下で溜息を吐いている。


「マリアンヌさん。【クローダー】って知ってますか?」

「『おとぎ話』のクローダーですか?それならば存じていますが……」


 【クローダー】というのは童話やおとぎ話などで昔から語られる精霊の様な存在で、宝石の様な甲羅を持つ亀として描写される。

 非常に気まぐれで一つどころに留まらず、出会うことが出来れば過去のことなら何でも一つ教えてくれると言われている。しかし、実際に目撃された話は無く空想の産物と思われている存在だ。


「クローダーは本当にいます。私の祖父が一度だけ出逢ったそうですから」

「それは驚くべきことです。しかし……クローダーを見付けろ、ということであれば不可能に近いかと思いますが?」

「そうではなくてですね……お願いしたいのは祖父がクローダーに質問した内容の方なんですよ」


 レグルスの話では、祖父・シェルタンは若かりし頃に旅先で空を漂う不思議な亀を捕まえたのだという。手持ちの食料を与えると夢中になって食べていた亀は、食べ終わると顔をシェルタンに向けじっとしていたのだそうだ。

 その時シェルタンの心の中に目の前の存在が【クローダー】だという確信が湧き、同時に追い求めていたものの映像が頭を過ると【クローダー】の甲羅に所在から入手方法までが映し出されたのだという。そしてクローダーはいつの間にか姿を消していたそうだ。


「祖父はその話を皆に話したんですが相手にして貰えなかったそうです。僕はその話を聞いて育ちました」

「要はその探し物を見付ければ宜しいのですか?しかし、何故貴方のお祖父様は自ら入手しなかったのか疑問ですが……」


 方法まで知っていながら入手していないのは明らかに疑わしい。与太話でないのなら理由があるということなのだろう。


「環境が過酷で近付けなかった、と聞いてます。それに場所は他国領なので、ノウム家の跡取りとしては勝手に動けなかったらしいので……」

「成る程……わかりました。ではそこに向かい『ソレ』を入手すれば良ろしいのですね?それは一体なんですか?」

「【スピリア】です」

「!?」


 流石のマリアンヌもこれには驚いた。【スピリア】は幻の飛行船である。


「スピリア……移動用飛空神具ではないですか!本当なのですか?」

「はい。祖父の言葉が真実なら、ですが……。そして僕は祖父を信じています。かつての伝説の勇者が神より賜りし飛行船、それが僕の望むものです」

「素ん晴らすぅぃぃぃぃいっ!!!」


 突如響き渡る称賛の大声。二人が声の元に視線を向けると、訓練している近くの木から顔を半分だけ出している長身の眼鏡男の姿が……。


 世紀の変態……もとい天才魔導研究者・ラジックである。


「ラ、ラジックさん。何時から……」

「ん?最初から全部、包み隠さず聞いてたよ?」


 神出鬼没のラジック。話は聞かせて貰った!とばかりにレグルスに近付き両肩をガッシリ掴む。


「さあ!【スピリア】の話、もっと詳しく!」

「ちょっと、ラジックさん!近い!近くて恐い!」

「さあ、遠慮しないで!君と僕の仲じゃないか!」


 確かにご厄介にはなっているがそれ程親しい間柄ではない、と突っ込みを入れる間も無くグイグイと迫る変態ラジック。小娘の如く絶叫を上げるレグルスは涙を浮かべている。


 その時……。


「ブベッ!」

「いい加減になさって下さい、ラジック様。話が進みません」


 マリアンヌの手刀がラジックの頭に炸裂。加減しているとはいえその充分な衝撃にレグルスは顔をしかめた。しかし……ラジックは打たれ強い。頭を擦りながらマリアンヌに弁解を始めた。


「だ、だって、【スピリア】だよ?空飛ぶ神具だよ?知りたいじゃないか……」

「まずはレグルス様のお話が先です。少しで良いのでお待ちください」

「し、しかし……」


 マリアンヌが持っていた木刀を軽々へし折ると、迫力に圧倒されたラジックは近くにある切り株に腰掛けた。それは、とても背筋が伸びた綺麗な姿勢だった……。


「お待たせしました。それで、レグルス様の願いはその一つということで宜しいのですね?」

「はい。それで良いです」

「しかし……【スピリア】の話が本当だったとしましても必ず入手出来るとは限りませんよ?」

「はい。それは理解してます。手に入る・入らないは問題じゃなく、ただ僕が確めたい。それだけの我が儘なんです」


 マリアンヌはしばらく思案する。それで訓練に身が入るのなら良いのではないか、と。本当はライの捜索に行きたいと考えていたのだが、生存を確信している以上優先すべきは主からの指命。


「わかりました。ご確認申し上げたいのですが、レグルス様は【スピリア】を私に回収して来て欲しいのですか?それとも私と回収に向かいたいのですか?」

「後者です。強くなれたとしても多分僕一人では辿り着けないでしょう」

「承りました。では訓練完了後、共にスピリアの回収に向かうことに致します。それで……場所はどちらに?」

「北のトォン国領土を更に北に向かった【凍海】に小さな島があります。そこが入り口だと」


 それまで大人しくしていたラジック……立ち上がると素早く二人の前に近付き目を輝かせる。


「勿論、僕も行くよ?良いよね?」

「構いませんが、それまでに依頼を全て終えることが出来ますか?」

「う~ん…………微妙?」

「終わった場合のみご同行をお願い致します。物事には優先順位があることをお忘れ無く」


 マリアンヌはラジックの首根っこを掴み研究室まで連れて行くと代わりの木刀を手に訓練の場に戻った。


「ご要望の件はあくまで訓練が完了した場合のみの約束となります。早く終了すればそれだけ望みが早く果たせます。また、各段階修了での休養を入れても構いません」

「わかりました。宜しくお願いします!」


 先程と違いレグルスの目に力が宿っているのを感じるマリアンヌは、早速訓練を再開した。意気込みだけで急な成長は見込めないだろうが、強い意志を育めればそれこそが成長の糧となるのだ。


 それからはボロ雑巾になりながらも確実に成長して行くレグルス。二年以内で訓練中級編を修了するのがマリアンヌの計画だ。順調に行けば一年半程で【スピリア】探索に向かうことが出来るだろう。


 そんなマリアンヌの元には、噂を聞き付けた更なる訓練志願者が集うことになるのだが……それはまた後のお話し。


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