幕間⑤ 天使と竜



 時は『魔導式赤竜鱗装甲纏鎧』をライが手放し幾日か過ぎた頃まで遡る。



 氷竜シルヴィーネルはライのお陰で久々の休息を満喫していた……。


 と言ってもただ眠るだけであるのだが、しかしその安眠が実に久々かつ重要なのだ。


 ディコンズの森の中には約束通り境界線として柵が打ち込まれた。シルヴィーネルはそこに改めて防御結界を展開したので、当然人間達はそれを越えて来ることは無い。そして更に柵の外はノルグーの騎士達が警備を行ってくれている。


 ノルグー卿レオンは経緯を報告されたその場で【氷竜シルヴィーネルの警護】を書面で約定化し、そのまま騎士達を派遣したのだ。


「はぁ~……。久々に日向ぼっこ出来る。卵もあの鎧のお陰で安全みたいだし、有り難いわ~」


 うつ伏せで竜の手足を伸ばせるだけ伸ばし、それどころか尻尾と羽根も目一杯に広げる様はまるで『圧し潰されたドラゴン』である。人目も無いので周囲を気にせず、ただのんびりとその時間を満喫するシルヴィーネル。


 しかしその時、感知の網に掛かった存在があった。シルヴィーネルは素早く身体を起こすと視線を空に向ける。邪悪な気配ではなく敵意も感じない。寧ろ神聖な気配……。


 但し、空から現れたそれは間違いなく人ではないとシルヴィーネルは察知した。


(申し訳ありませんが結界の中に入れて頂けませんでしょうか?あなたとお話しがしたいのです)


 高く澄んだ女性の声がシルヴィーネルの頭に響く。相手が邪悪ではないからと言って『敵』でないとは言い切れない……用心を怠らないシルヴィーネルは相手の素性を確認した。


(結界内に入れるのは貴公が誰か判ってからだ。まず素性を述べられよ。その上で危害を加えぬと誓うのであれば結界の内部に入る事を許そう)

(失礼しました。私は神聖国家エクレトルに所属する御使いの一人、アリシアと申します。以後、お見知り置きを……勿論、危害を加えないと約束致します)

(神聖機構の……。分かった、結界内へ)


 竜達にも周知されていることだが、神聖国家は神の代行者・大天使長ティアモントの管理する国である。つまりは世界の管理者……その大天使長は竜の王『覇竜王』と同格存在である。配下である御使いは竜にとっても親しい存在と言えよう。


 アリシアは純白の羽根をはためかせシルヴィーネルの側に降りると、深々と頭を下げた。エクレトル上位管理者の法衣を纏っているが、厳格な立場の衣装と違い非常に親しみやすく柔かな笑顔を浮かべていた。


「突然の来訪、申し訳ありません。あなたにお聞きしたいことがあって参りました」


 アリシアはシルヴィーネルを見上げている。天使に疲労があるのかは分からないが人間ならばかなりの苦になるだろう体勢。それを悟ったシルヴィーネルは自らの姿を人に変化させた。


 白い肌に空色の長い髪、そして金の瞳の少女の姿へと変化したシルヴィーネルは、鱗を変化させた簡単な衣装を着けている。竜としてはまだ若いシルヴィーネル……人ならば小娘と言われる若さであるので年相応の姿だろう。

 アリシアの視線よりやや低いが今度は問題無い程度の身長差。互いに微笑み合った後、取り敢えず二人は近くの倒木に座った。


「私はシルヴィーネルと申します。それでどの様なご用件ですか、アリシア様?」

「どうか畏まらずに普段通り気楽になさって下さい。私のことはアリシアと呼び捨てで構いません」

「じゃあ私のことはシルヴィで良いわよ。貴女も遠慮しないでね。それで……聞きたいことって何?」

「はい。実は赤い鎧の件で確認したいことがありまして……」


 アリシアが左手首の腕輪に触れると、小さな半透明の球体が浮かび上がる。中には『魔導式赤竜鱗装甲纏鎧』が投影されていた。


「この鎧をご存知ですか?」

「ええ。今はある人物から借り受けてるけど……問題なの?」

「いえ……借り受けは問題ありません。お聞きしたいのは持主のことです」

「え?……ライのこと?」

「はい。ライ、という方はどの様な人物なのかをお聞きしたいのです」


 アリシアの意図は分からない。しかし害になることは無いだろうと理解したシルヴィーネルは、事の経緯を大まかに説明した。



「成る程……討伐や排除ではなく【話し合い】に来たんですね?」

「そうよ。最初から最後まで全く殺気が無かったわ。だからこそ信用して契約したんだけどね」

「契約ですか?」

「ええ。ノルグーの者が私達を傷付けようとした場合、代表のライが命を断たれる。逆に悪意が無いノルグーの民を殺した場合、私は一生ノルグーの所有物になる。そんな契約」


 アリシアはしばらく黙り込むと、素朴な疑問を述べる。


「それだとライという方に全く利が無いのでは?」

「フフフ。そうね……それは私も聞いたんだけど、笑ってたわよ?性分だ、って」

「性分、ですか?」

「ええ。友好を結んだ、または友好を結べそうな相手が困ってるなら、まず助けたいんだって。損な性分よね」


 アリシアは目をキラキラさせていた。ライの場合は考えなしの蛮勇なのだが、アリシアには深い博愛に感じた様だ。


「実に興味深いですね。因みにライさんはお強かったですか?」

「う~ん……。あの鎧のお陰で随分底上げされてたけど、多分私の方がずっと強いと思う。それを理解していながら殺気を出さなかったのは素直に凄いと思うわよ?結局、鎧を置いて行ったから今後大変なんじゃないかな……」

「そんな苦労も省みずに……やはり興味深い人物ですね。他に気になったことはありませんでしたか?」


 シルヴィーネルはライとのやり取りの中で気になったことを思い出していた。それはほんの僅かなものだったが……。


「ライからは僅かに竜の気配がしたの。鎧が竜鱗だからかも知れないけど」

「竜の気配……?」


 アリシアは再び腕輪を操作するとライの情報が表示される。生年月日を確認し、別の情報と見比べている。


「もしかして『地孵り』かも……」

「あっ!……それ、忘れてた……ライは何処生まれなの?」

「シウト国王都・ストラトです」


 竜は同族交配で子孫を残せぬ為、その最大数は常に一定。寿命を迎える竜の元へは『慈母竜』が現れ、その魂を天にある竜の巣と呼ばれる空間に回収する。そして再び卵となり生誕の時を待つのだという。


 【地孵り】とは、その過程を得ず竜から人への転生を指す言葉である。


 この世界に於いて、稀に慈母竜が竜の魂を回収出来ない事態が起こる。長い争乱や竜の身体を狙った突発的な死、慈母竜が魂の回収出来ない場所での死など理由は様々だが、その際に竜の魂は人間の母体に宿り生誕の時を待つのである。

 そうして生まれた人間は、僅かだが竜の特性を引き継ぐ存在となる。


 かつて大規模な戦争【荒神来訪】で多くの竜が死んだ。その後、特殊な力を持つ人間が一時的に増えた事例がある。英雄の時代などと呼ばれているが、それにより戦争が増え世界が乱れたことは天使や竜しか知らないことだ。


「ストラトの近くの森には幸運竜が居たわよ。私も一度だけ会ったことがあるわ。確か二十年くらい前に死んだって聞いたけど……」

「では、ほぼ間違いないですね……それはどんな方でしたか?」

「常に人間の老人の姿をしてた変わり者だったわ。人間からも物知り爺さんとして親しまれてたみたいよ?本人も『今度生まれたら人間になりたい』みたいなこと言ってたし……」

「どうやら地孵りは確信犯みたいですね。しかし、納得はいきました」

「納得……?」


 アリシアはシルヴィーネルに竜鱗魔導装甲が存在する理由を説明をした。そもそもの来訪は魔導装甲の所在確認であって、ライの人物確認はアリシアの個人的興味が強い。


「特殊魔導装甲と呼ばれる鎧は、竜から譲り受けた鱗を神聖機構の技術で加工したものです。その鎧は元々勇者育成の為に創られたもので、ある条件を最も満たした者の手に渡るよう魔法で加護が与えられています」

「ある条件?」

「はい。鎧は全部で四つ。それぞれに【力】【魔力】【魅力】【運】の適性の高い勇者に届く仕様になっていました」

「ということは【運】の鎧なのね、アレは?」

「はい。幸運竜の地孵りなら申し分無く持主になるでしょう」


 それからシルヴィーネルはアリシアを伴い洞穴に入って行く。奥の祭壇の様な場所には洞窟の亀裂から光が差し込み、鮮やかに赤の鎧を浮かび上がらせていた。


「この洞穴は古い文明の名残りなんですね……まだ未確認の場所があったのは貴重な情報です」

「古い文明って危険なものじゃないんでしょ?」

「はい。構成を見た限り寧ろ安全な場所です。この祭壇は謂わば龍脈の力を集める為のもの。卵が孵れば強い竜が生まれると思いますよ?」


 そう言ってアリシアが鎧の中を覗くと、螺鈿の様な光沢を持つ白い卵を確認。と同時に驚きの声が上がる。


「あら……。こ、これって……【天空竜】の卵じゃないですか!!」

「うん。そうみたいだけど……」

「も、申し訳ありません。まさかそんな凄い卵とは知らなかったものですから……大丈夫なのですか?エクレトルからも警護を……ああっ!その前にシウト王に入国許可をお願いしないと!」

「うん……取り敢えず落ち着いてね、アリシア」


 先程までおっとりと話していたアリシアがあまりに慌てるので、シルヴィーネルは苦笑いするしかなかった。


「取り敢えず鎧のお陰で卵は安心だから。アリシア……竜の卵を竜鱗の鎧が守るなんて凄い廻り合わせだと思わない?しかもそれが『覇竜王の卵』よ?」

「そう……ですね。まるで申し合わせたみたいです」

「慈母竜が私に卵を任せた理由がそれだったのかな、って今では思うの。人に興味を持たない竜だと鎧なんて貸して貰えなかっただろうし、この場所を安心して使えなかった筈よね?それにアリシアにも会えなかったでしょ?」


 ライのいない場所で起こる廻り合わせ。それは種族を越えて拡がって行く。知らぬ間に天使にまで繋りが出来ていることは後にライ自身も驚くことになるのだが、それはまだ先の話。


「この廻り合わせも幸運の内ですね。とにかく事情は理解しました。この鎧も…………あら?シルヴィさん。卵の様子が……」


 アリシアに呼ばれ近寄るシルヴィーネル。すると……卵が微かに揺れている事に気付いた。それは孵化の前兆だった……。


「も、もしかして、生まれる?どどどどどうしよう、アリシア!」

「わ、私も子供を産んだことはありませんから、どうしたら良いのか……。と、取り敢えず『産湯』ですかね?」

「ひ、人じゃないから産湯は要らないんじゃ……」

「じ、じゃあ母乳を……シルヴィさん、出ますか?」

「ぼ、母乳?アリシアのが大きいから出るんじゃないの?」

「で、出ませんよ!仮にもお母さんなんですからシルヴィさん出ませんか?」

「わ、分かんないわよ、そんなの」


 因みに竜に母乳は必要ないのだが、大混乱中の二人はそれどころではない。


 静かな森の洞穴から賑やかな声が響き渡り、周囲で警戒をする騎士が首を傾げていることを当人達は知らない。その間も卵は更にひび割れ続け、遂に新たな命が産声を上げた。


 それに気付いた二人は我に返り急いで鎧の中を再確認。確かな覇竜王の証──螺鈿のごとき光沢を持つ白き鱗。しかし、竜の子はまるで人形の様な愛らしさだった。


「……カワイイですね」

「うん。カワイイわね……」

「名前はどうするんですか?」

「あ……考えてなかった。こんなに早く生まれるとは思わなかったから……けど私が付けても良いのかな?」

「そこは権利があると思いますよ?」


 しばらく子竜を見つめ様子を眺めていると、鎧を鼻先でつつき始めた。そこでシルヴィーネルにはふと思い浮かんだ名前があった。


「ライ……」

「ライですか?それは流石に紛らわしいのでは?」

「ち、違うの。借りた鎧の中で生まれたから名前を貰おうと思って」

「成る程……なら言葉を足すのはどうですか?ライ○○とか○○ライ」


 シルヴィーネルはその提案を採用し命名されたのは……。


「ライゼルト、ってどうかしら?」

「ライゼルト……確かゼルトは先代覇竜王の名前でしたね」

「うん。だから繋げてみたの。悪くないでしょ?」


 その言葉を理解した訳ではないだろうが、子竜は鎧の中で小さく鳴いた。


「よし。じゃあ、あなたの名前はライゼルトよ。強い子に育ってね……アリシアも手伝ってくれる?」

「私はエクレトルの者ですからシウト国に申請しないと……」

「大丈夫よ。あなた一人ならどうこう言わないと思うわよ?私も元々トォン国から来たんだし。この際だから旅人が立ち寄った、みたいな感じで許して貰っちゃいましょう」


 無茶苦茶な理論で話を進めるシルヴィーネル。しかしアリシアは納得した様にその提案に乗った。


 空を完全に警備する技術は未だエクレトルしか持ち得ない。まして天使の隠密飛行を止める術は神聖国以外には存在しないだろう。


 それにシウト国は今、内政が荒れていると聞く。寛容なノルグー卿ならともかく、政治利用されるのも避けたいシルヴィーネル。ただの竜ではなく【覇竜王】の存在を知られることが得策かは判断が付かなかった。


「わかりました。ではお手伝いさせて頂きます。でもその前に一度、神聖国に戻り報告させて下さい。色々と準備もしたいですから」

「ありがとう……。本当は私一人でやらなきゃダメなのかも知れないけど、ライゼルトには竜ということに拘った成長をして欲しくないの。何処かの誰かさんみたいにね?」

「フフフ。まるで我が子が旦那様のようになって欲しい奥様みたいですね」

「な、何を言ってるの!アリシア?私は別に……!」

「でも、竜と人は子を成せますよね?」


 竜は同族交配はしない。しかし、非常に稀に人と契り人との間に子を成す者もいる。そうして生まれた子は竜ではないが、殆どが高い能力を持っていた。つまり人と竜は伴侶になれるのだ。


「そ、それを言ったら天使もでしょ?」

「私、ライさんをじかには知りませんので……それとも盗っちゃっても良いんですか?」


 からかう様な視線をシルヴィーネルに向けるアリシア。シルヴィーネルは顔を赤くしながら誤魔化している。


「そ、そうじゃなくてライゼルトの話でしょ!とにかくお願いね?」

「わかりました。ウフフ」

「あ~っ!もうっ!!」


 天使が竜をからかうという非常に珍しい光景。覇竜王ライゼルトは鎧から顔を出してそれを見ていた。


 そして大きなアクビを一つ……鎧の中に戻ったライゼルトはやがてウトウトと眠り始める。


 賑やかな女性達の声に包まれ見る夢は、きっとライゼルトにとって幸せな未来を映していることだろう。




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