第六章 第七話 破壊者
意識の暗闇から声がする……。
以前も聞いたことのあるその声……朧気だった記憶の声は、今はハッキリとライに語り掛けていた。
(……壊せ!壊せ!!)
(……何を壊すんだ?)
(壊せ!世界の全てを!)
(嫌だ。俺には大切なものがある。大切な人達がいる)
(ならば……その身体を寄越せ!)
(断る!俺の身体は俺のものだ!)
(このままでは、どのみちお前は朽ちる。助けてやる対価だ。寄越せ!)
(うるさいよ!お前、誰だ!!)
途端に意識の暗闇の中に男の姿が浮かび上がる。
ライより鮮明な赤髪を背中まで伸ばした男。顔は髪で隠れ表情までは分からない。
(我が名はバベル!貰うぞ!貴様の身体!!!)
その言葉がライの脳内に響き渡った瞬間、ベリドの魔法陣が一瞬で消し飛んだ。
術式の要たる札は破れモラミルトの粒子化も止まる。ライの中に流れ込んだ粒子も弾き出されモラミルトの元に戻っていった。
「なっ!何事だ!?」
突然のことに慌てふためくニビラル。ベリドはライに視線を向けて驚愕した。
「そんな……馬鹿な!!」
ライが片腕を振ると神具【魂縛の金鎖】に亀裂が入りあっさりと引き千切られた。更にその猛烈な力の奔流により、触れてもいないモラミルトの鎖までもが砕け散る。
「神具が砕けるなど起こり得る筈がありません!有り得ない!」
「ええい!ベリドよ!何とかせんか!!」
「くっ!仕方ありませんね……どうせ実験は失敗です。こうなれば全て消し去りましょう!」
部屋中に仕掛けてあった魔石を暴走させ大量の魔力を生み出し、自らの魔法に変換して放つベリド。
重力魔法・《黒蝕牢》
重力魔法による閉鎖空間を発生させ全てを重力圧縮により崩壊させる魔法。それは最上位魔法の更に上にある【神格魔法】と呼ばれる魔法である。
本来ならばベリドの異常性が際立つ魔法なのだが、それを上回る異常な存在によって魔法の威力は霞んでしまっていた……。
ライが手刀で軽く空を切ると、ベリドの形成した重力空間を切り裂き魔法は霧散……更にその余波でベリドは腕を二の腕で断たれ絶叫する。
「ウギャァァァアッ!!!」
あまりのことに固まるニビラル。ベリドは腕を押え蹲ったまま、ライに問い掛けた。
「グゥ……あ!貴方は何者ですか?その力……今の世に有り得ない力です!!」
問い掛けに視線を向けたライは無表情だったが、徐々に変化を始める。
そして浮かび上がるその表情は憤怒──そう呼ぶのが相応しい険しい顔だった……。
もはや別人にも見えるライ。同じく別人の様な声で一言だけベリドに答えた。
「破壊者!」
次の瞬間、ライ──【破壊者】は姿を消した。ベリドは悪寒を感じ身を翻すが間に合わない。
「ゴブゥァ!!!」
背後から脇腹に蹴りが食い込み有り得ない速度で壁に激突……。同時に壁は盛大な赤い血の模様を描き出す。
ニビラルは腰を抜かして屈み込んでいた。先程までの仏頂面は消え、ただただ青い顔で震えるしかない。
その睨め上げた先には、つい今し方まで実験動物としてしか見ていなかった若者が憤怒に満ちた顔で佇んでいる。
ニビラル当人は至って無力な男……壁に激突して動かないベリドに救いの眼差しを向ける。が、あまりに無惨な姿を確認しニビラルの顔は絶望の表情へと変化した。
そんなことなど意に介さない【破壊者】。ニビラルの頭を鷲掴みにすると、尋常ならざる膂力で勢い良く放り投げた。飛ばされ地面を滑ったその先には、自由になったモラミルトが大口を開けて待ち構えていた。
「ヒッ!たた、た、助け……」
その言葉が終わる前にニビラルの視界は暗い洞穴に飲み込まれることとなる。残された下半身は痙攣しゆっくりと崩れ落ちた。
辺りを見回せば立っているのは【破壊者】と化したライとモラミルトのみ。しばしの沈黙の後、モラミルトは雄叫びを上げ猛然と【破壊者】に襲い掛かった。
対して【破壊者】はそれを変わらぬ憤怒の表情で迎え撃つ。その力はあまりにも圧倒的。モラミルトは瞬く間に【破壊者】に蹂躙されるだけの状態に陥った。
ベリドが『不死』を明言するだけあってモラミルトは破壊された端から超速再生をしているが、【破壊者】の拳による破壊の勢いがそれを上回りモラミルトは徐々に削られ小さくなって行く。周囲のエネルギーを吸収することで再生を続けられる筈が、いつの間にか球体の結界に閉じ込められ外部からのエネルギーの吸収も阻害されていた。
「グオォォォォォン!!」
哀しげな鳴き声を上げながら触手や尻尾で抵抗するが、その全てが引き千切られ、毟り取られ、消滅させられる。口から魔力の塊や火球を放ち抵抗しても、軽々と弾き返されて回復の時間稼ぎにすらならない。
【破壊者】たるライの使っているのは纏装の最上位【覇王纏衣】の更に上の力である。魔纏装と命纏装を同時に使う最高技能【覇王纏衣】に『拒絶』の効果を付与しているのだ。モラミルトは所々が粉砕ではなく存在を拒絶され消滅させられている為、自らの力で再生を試みても回復しないのである。直に限界が来るだろう。
しかし【破壊者】はその限界が来る前にモラミルトの再生能力の要である臓器を見抜くと、抉り出して完全に消滅させた。本来ならばそれすらも再生される臓器なのだが、【破壊者】の『拒絶』により消滅した部分は再生されない。これによりモラミルトは再生能力の要を失うことになった。
あまりに圧倒的な【破壊者】──。ベリドご自慢の魔獣はなす統べなく蹂躙されている。
そしてとうとうモラミルトを完全に仕止めようと手刀を振りかざした【破壊者】だったのだが……そこで唐突に動きを止めた。
その隙にモラミルトは【破壊者】に体当たりを敢行し弾き飛ばす。その身体には傷一つないのだが壁に激突した【破壊者】は動かない。
【破壊者】が動きを止めた理由。それは内なる意思の抵抗である。まだ消えていない意識は少しづつ主導権を取り戻し始めていた。
「や……めろ……」
(破壊する!全てを!世界を!)
「う……るさ……い!俺の……中から……出ていけ!」
(破壊……する……)
「俺は……ライだ!とっとと俺の中から出ていけ!!」
その叫びと共にライの身体から熱波が広がると【破壊者バベル】の意識が掻き消えた。同時にその尋常ならざる力も消滅し、ライは疲労のあまり崩れ落ちる。
「ハァ……ハァ。グッ、か、身体が……」
竜鱗装甲の《身体強化》を過剰に重ねて使った際と同様の激痛が全身に広がる。しかし意識は維持出来ていることにライは自分でも安心した……。
その時───。
「フ…フフ……ハハハハハ!全く……予想外……ですよ。まさか……モラミルトまでも打ち倒す…とは……」
微かに部屋に響く声にライは視線を向ける。離れた位置で壁に
「
「……知らない」
「へっ?」
「……だから知らないよ。いきなり何かに身体を乗っ取られたんだ。こっちが聞きたい位だ」
既に黒い仮面は砕け、痩せた黒髪の優男が顔を晒している。男は実に間の抜けた顔で呆けていた。
ベリドは直ぐに我に返ると、片手で顔を覆い子供の様に笑い出した。
「アッハ……ハッハッハハ!ゴフッ……ゴボッ!そう……ですか……。全く……とんだ人物を……連れて来てしまいましたね。貴方の……言った通りに……なった」
「何か言ったっけ?」
「意地でも失敗……させてやる、と。しかし、貴方が気に入りまし……たよ。実に興味深い」
「俺はアンタが赦せない。でも、命が尽きそうな人間を鞭打つ気もない」
「?……それはどうも。しかし……私はこの程度では……死にませんよ?モラミルトの研究過程で私自身も生命力を……引き上げてありますから」
その言葉でライは咄嗟に身構えたが、ベリドは戦う意思は無いらしく残った側の手をヒラヒラとさせ苦笑いを浮かべる。
「本来ならば……この程度直ぐに回復して戦えますが、今の……私は本当に瀕死です。少しでも生命維持に力を回すので精一杯なので……ね。貴方……いえ、貴方に憑いて……いた【破壊者】の力は明らかに異常でしてね……。何せ……私の受けた傷が全く……回復しません。それに……あの神具を破壊するなど最早『概念の領域』ですよ。そんな者の精神支配から……貴方は良く脱することが出来ましたね……」
「さてね……。俺は運だけは良のさ」
心当たりはあった。恐らくフェルミナとの契約による繋がりが意識の消失を食い止めたのだろう。だが、それを教えてやる義理はない。
「……それよりアンタは、まだこんなことを続ける気か?」
「言ったで……しょう?私は私の望みを叶えると……。例え他人を犠牲にしようと、ね。まあ……協力者であるニビラルは死んでしまいましたし……私の存在も知られてしまった。この国からは姿を消すことにしますよ」
「……逃がすと思ってるのか?言ったよな?赦せないって」
例え他国でもこれ以上の犠牲を見過ごす訳にはいかない。それにベリドの研究はいずれ世界に仇為す可能性が高い。即ち、ライの親しき者達への危機に繋がるのだ。それはライが最も恐れることである。
実力差を考えれば不用意に攻撃するべきでは無いが、ベリドのダメージが深刻な今こそ好機なのもまた事実。それほどに格上の相手……次に対峙した場合、今のライではやはり勝てる相手とは思えない。
まだ自分が動けることを確認し意を決して踏み出そうとした瞬間……雷鳴の様な咆哮が部屋を揺るがした。
完全に失念していた存在、【魔獣モラミルト】。その身体はあまりに無惨な姿だが、それでも動けることが驚愕に値する。
「フフフ……残念でしたね。エネルギー吸収による不死性は無くなったとはいえ……細胞増殖の力は十分な様です。しかし……代わりに空腹になるでしょうから外に出て餌を探し始めますよ?どうします?私と戦うのか、モラミルトを止めるのか……」
「くっ……!」
ベリドとモラミルトを交互に見やり判断を迷うライ。どちらを放置してもロクな結果にはならない。かと言って同時に相手をするのは不可能だ。片方だけであっても全快のライですら倒すことは命懸けになっただろう。
そんなライの苦悩など無関係とばかりに火炎を吐くモラミルト。辛うじて避けるが炎はしつこく追撃を繰り返す。しばらく逃げ回ったライは寧ろこれを利用する為ベリドに近寄った。
しかし……少しばかり手間を掛けすぎた様だ。
「フフ。モラミルトのお陰で時間が稼げました……。私はこのまま逃げることにします。機会があればまたお会いしましょう」
「ちょっ……待てっ!?」
一瞬の隙を突いて【転移魔法】を発動したベリドは、血の跡だけを残し姿を消した……。
「クソッ!あんの野郎っ~!!」
怒りを抑さえられず壁を叩くが今はそれどころではない。手負いの魔獣モラミルトは地上の気配を察知しているらしく、頭上に視線を向けている。
ライには地上がどんな状況か判別出来ないが、モラミルトが地上に出た場合に発掘屋組合が対応出来るとは到底思えない。
(やることは二つ……時間稼ぎとアレの弱体化。ノルグーからの援軍が間に合えば、あとは何とかしてくれると信じるしかない)
疲労で震える足を叩くが簡単には止まらない。【バベル】に酷使された身体は限界に悲鳴を上げていた。しかし……それでもやらねばならない。
無理矢理に【魔纏装】を展開し武器になりそうな物を探す。誰の物かわからないが金属製の杖を見付け纏装で包んだ。
改めて観察したモラミルトは既に原型を留めていない。翼、尾、触手は全て消滅している。身体も所々開いた穴も塞がっていない。弱体化しているのは確実だが、それでも警戒するには十分な威圧感を漂わせていた。
「おい!お前に知能があって言葉が分かるなら俺の言葉に従ってくれ!助けてやれるかもしれない!」
上に向けていた視線の先をライへと変更しじっとしているモラミルト。言葉を理解しているかどうかは判らないが、これもライなりのケジメである。
「お前も酷い目に遭わされた被害者みたいなものだろ?人を襲わないと約束するなら助けたいんだ!大人しくしてくれないか?」
観察するように動きを止めたモラミルトはやがて目を閉じる。言葉が通じる……そう期待したその時、張り裂けんばかりの咆哮が場を包んだ。モラミルトの口からは再び火炎が放たれる。
「やっぱり駄目か!」
思考を切り替え魔纏装に雷属性を付与し高速で回避。モラミルトの背中に飛び乗り、先程見付けた杖を深々と突き刺した。
そのまま雷撃魔法を発動し力の限り杖を押し込む。
「ガオォォォォ!!!」
感電により動きを止めたモラミルトだが致命傷には程遠い。ライは纏装を風属性に切り替え、動きを止める為に足元への集中斬撃に終始した。
だが……攻撃を受けた端から傷は再生を始める。深傷にも限らず瞬く間に回復する為、足止めにもならない。
「これで不死じゃなくなったとか冗談にしか思えないんだが……」
効果のありそうな場所をひたすら攻撃し続けてるが高い効果は得られない様だった。まさに労力の無駄。これではモラミルトが地上に出てしまった際、今の人員のみで対処が出来るとは思えなかった。
しかし、ライは諦めない……。
(シウト国は弱くない!)
力尽きる寸前のライ一人では無理だが、皆が力を合わせれば必ず止められる筈だ。但し、それまでに出る犠牲を極力避けたい。弱体化する方法を模索していると足元に散らばる輝きに目が止まる。
「これは……」
そこにあったのは金色に光る金属。ベリドが神具と呼んでいた【魂縛の金鎖】の破片だった。『破壊者バベル』により砕かれてはいたが、それが逆に都合が良かった。
(これをアイツに打ち込めば力を封じられるか?魔導具と同じなら魔法式は壊れてるから無理だけど、鎖には魔石も魔法式も見当たらなかった。もしかして材質そのものに効果があるんじゃ……ともかく、先ずは試すしかない!)
細かく砕けた鎖を拾い集めている間、モラミルトは再び頭上に視線を移していた。しばらく伏せ気味だった身体を起こし、同時に口から眩い光を放つ。強力な光線が天井の石壁を貫き崩し、夜空の月が顔を覗かせた。
「マズい!」
ライは魔纏装による高速でモラミルトの眼前に移動し、そのまま金の破片を力一杯投げ付ける。深々と眼球に突き刺さった破片の痛みに暴れ回るモラミルト。その傷が回復しないことを確認し、今度は【破壊者バベル】の開けた傷に次々と鎖の欠片を撃ち込んでいった。
苦痛で暴れまわる巨体は壁を壊し、更に天井の瓦礫は崩れ今し方開いた『出口』も広がってゆく。
あらかた鎖の欠片を撃ち込んだライは最初にモラミルトの背中に打ち込んだ杖まで移動。
と、同時に有りったけの魔力を凝縮した風属性纏装の拳で杖を打ち抜いた。不慣れな纏装とはいえ全てを込めたライの全力全開。それにより杖はモラミルトの背中から腹部まで貫通し大穴を生み出した。
ライはそこで力が限界に達し暴れるモラミルトにより地下の壁に叩きつけられてしまった。地上に逃れようとするモラミルト……だが、回復しないその傷を確認しライは満足げに笑う。
「ハハ……賭けには勝てたかな……?やっぱり運だけは良いよな、俺……」
運が良い筈なのにトラブルに巻き込まれる矛盾に気付かないのは残念さ故か……。
ともかく、今ならばオーウェルが回復してさえいれば比較的楽に倒せるだろう。後は騎士団との連携を期待するしかない。
実際にはそれ以上の戦力がエノフラハに存在しているのだが、そんなこととは夢にも思わぬライは瓦礫の地下室で意識を閉じた……。
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