第六章 第六話 生贄


 暗闇の中、水の滴る音がする……。


 感覚が曖昧でどれ程時間が過ぎたのか判断出来ない……そんな中で意識を覚醒させたライは、とりあえず自分の置かれた状況把握に努めた。


 まだボヤけた視界で見回した場所は目を刺激する様な明かりは無い。代わりにかび臭さや湿度の高さを感じる。


 時折頬を撫でる風は、まるでへばり付く血の様だった……。


 いや……風に乗って流れてくるのは血の臭いそのもの。その臭いに刺激され、ライの脳裏に気を失う前の凄惨な光景が鮮明に甦る。


 血、臓物、悪臭……フォニック傭兵の命の残滓。途端にライは猛烈な吐き気に襲われた。



「うっぷ……ゴハッ!ぐっ……」

「おや?お目覚めですか?」


 そんなライに気付き声を掛ける者……反応したライはその発信元に目線を向ける。少しづつ焦点が定まると、目前には赤いローブの仮面の人物が立っていた……。


 ベリド──ライが手も足も出なかった相手……その側にはフラハ卿ニビラルもいる。


「身体は治しておきました。魔力もです。万全でないから失敗した、などと目も当てられませんからね」


 吐き気は最悪だったが、確かに体調自体は悪くない……しかし身体は思うように動かなかった。

 ライは纏装を使おうとしたのだが反応が無い。どうやら手足に絡まる魔導具らしき金の鎖が原因の様だ。


 装備は全て外され簡素な服のみで縛りつけられている状態は、少なからずライの心に不安を生み出す。


 再度辺りを見回し場所を確認すると立方体の空間が全て石壁で構築された部屋だった。良く見れば壁には魔石が埋め込まれていることも分かる。


「ここは……何処だ?」

「フラハ卿屋敷の地下ですよ。貴方が爆発させた通路の最奥の部屋です」

「………。どうして俺を殺さない?」

「貴方は素材なのですよ。私はある実験をしていましてね?その実験台になって貰いたいのです」

「実験だって?何の……」

「不老不死だ」


 ベリドの代わりに答えたのはニビラルだった。相変わらずの不機嫌な顔付きでライの元に歩み寄る。


「不老不死?そんな欲の為に子供達を犠牲にしたのか!」

「フン……別に子供だけではない。老若男女、あらゆる人間……いや、人だけでなく動物、魔物と全ての存在で試したのだ」

「……一体何人殺した!何人犠牲にしたんだ、テメェ!?」

「煩い小童だ。人など腐るほどいるのだ。何人死のうがまた増える。貴様にとっても赤の他人だろうが」

「ウルセェよ、この下衆野郎がっ……!」


 怒るライを興味無さげに見ているニビラルは、手を伸ばし突然ライの髪を力を込めて掴み上げる。


「崇高な研究を理解出来ん羽虫如きが騒ぐな!全く……トシューラ国の協力を得て研究が進んだというのにキエロフめが余計な真似をしおって……。折角の便利な実験場を変えねばならんではないか」

「……やはりトシューラ国とも繋がってたんだな。だが、もう終わりだよ。街は騎士団が包囲している」

「フン……街には実験体を五十程放ってやった。今頃はさぞ賑やかなことだろう。失敗作とはいえ並の兵では太刀打ち出来ると思えんからな」

「くっ……!」


 ライは歯軋りするしかなかった。発掘屋組合の実力は分からないが、訓練されたシウト兵の様に連携は取れないだろう。ましてや闇夜の市街……無力な住民にも少なからずの犠牲が出るのは間違いない。


 ノルグー騎士団も向かって来ていると聞いているが、間に合うとは到底思えなかった。


「……くそっ!」

「心配する必要はないぞ?もし実験が成功すればお前は超越存在だ。生き死にとは別世界の住人になれば人間などに心を痛めることもあるまい。失敗すればそんなことを考えることも出来んしな?クックック……」


 ニビラルは不機嫌な顔付きを崩し醜い笑みを浮かべた。せめてもの抵抗としてライが唾を吐きかけると、再び不機嫌な顔付きに戻ったニビラルは怒りに任せ拳を叩き付ける。何度も殴られたライの顔は徐々に歪んでいった。


「ニビラル殿……その辺にしておいて下さい。治療が面倒です」

「ちっ!忌々しい……此奴はそれ程貴重なのか、ベリドよ?」

「ええ。少し調べましたが実に面白いですよ?何せ何も解りませんでした」

「……どういうことだ?」

「解析魔法で調べても分からないのです。能力が高いのか低いのかも全く。何かが邪魔している様ですが、それすらわからない」


 嬉しそうなベリドに対してニビラルは怪訝な表情を見せる。ベリドの魔法はドラゴンすら調べることの出来る優れた力であることをニビラルは知っている。何も分からない等ということはかつて無いことだった……。


「フン……ならば試すのみ、だな。ベリド。用意せよ」

「はい。直ぐに」


 ニビラルは部屋の隅にある椅子に座り目を閉じると、それからは微動だにしない。

 ベリドは治療の為ライに回復魔法を使用。上位の回復魔法を操ることからその実力の程が窺える。それにあの動き……。


 通路での粉塵爆発の際、間違いなく前方にいたベリド達はいつの間にか螺旋階段の中にいた。階段の前にいたライをすり抜けなければあの位置に立つこと自体不可能なのだ。考えられる可能性は一つ。あれは失われたと言われている【転移魔法】ではないのだろうか?

 しかもあの速さ……魔法詠唱は一体どうなっていたのか?今のライには理解出来ないことだらけである。やはりベリドは異常な存在だ。


「アンタ……何でニビラルなんかに従ってるんだ?」

「?別に従ってはいませんが……?私は研究が出来れば良いのですよ。ニビラル殿とは協力関係です。私が研究を行い、必要なものはニビラル殿が用意する。合理的でしょう?」

「結局、アンタも下衆のクチか……」

「私は私の望みを果す。それだけですよ。例え犠牲がどれ程出ようとも関係ありません。人は皆、自らの望みの為なら他人を踏み潰す……違いますか?私だけが特別ではない筈ですよ?」

「………」


 睨むことしか出来ないライ。その顔を真っ直ぐに見ている仮面の人物は、悪びれもせず肩を竦めている。


「恨むならどうぞご自由に。私には痛くも痒くもありませんので。貴方が弱かった、それだけの話ですからねぇ」

「ハッ……いつかアンタも同じこと言われるぜ?弱いのが悪いってな?」

「その時はその時ですよ。とにかく私は研究が出来れば良いのです。さあ……無駄話はこれくらいで良いでしょう。貴方が失敗した場合、次は成人の獣人族で試すことになります。それを止めたいのであれば是非、研究の成功を私に見せて下さい。フフフ……期待していますよ?」


 ベリドが部屋の壁にある装置を操作すると、奥の壁が開き巨大な檻が部屋の中央付近に移動する。その中には見たこともない魔物が眠っている。


「これは……」

「私が生み出した魔獣で名を『モラミルト』と言います。魔物と魔獣の合成、改良を繰返しました。扱いが厄介なので眠らせていますがね」

「こんなものをどうするつもりだ……」

「貴方の細胞と融合させるのですよ。モラミルトは空気中に漂うあらゆるエネルギーを吸収することで身体を構築しています。謂わば不老不死。それを人と融合すれば不死だけでなく【力】も得ることが可能でしょう。但し、融合しても人の意志が残らなければ意味がない」


 ベリドは更に装置を操作し檻を取り外す。巨体の魔獣モラミルトは眠っているにも関わらず怖気すら感じる威圧感だった。首や足にはライを縛るのと同様の金の鎖が掛けられているのが見える……。


 外見は翼の生えた獅子の様だが、首の付根から蕀の様な触手が幾本も伸びている。外皮は所々鱗の様な皮膚で被われ、背骨から尻尾まで同様の硬質な鱗が一筋連なっていた。頭部の獅子は眉間から鋭い刃の様な角が突き出ている……。


「問題は融合の決め手でしてね。人の中に融合をさせる術を生み出しましたが、片方の意識のみを残すには術式が不完全なのですよ。そして不思議なことに、意識が完全統合されないと何故か肉体も変化を始め異形化する。貴方に期待するのは意識を残すことです。成功すれば人の姿のままでいられる筈ですから頑張って下さい」

「そんなもん人の姿してるだけの化け物じゃないか。意地でも思い通りになってやらねぇよ!」

「そう!その意志の強さ!人を殺し精神苦痛で嘔吐しても戦いを止めず、更には仲間を逃がし私と対峙しても諦めない、その『しぶとさ』を期待していますよ!それでは幸運を!」


 最後の装置を作動させると部屋の壁中に古い象形文字が浮かび上がる。壁の魔石も反応し、ライとモラミルトの間に巨大な魔法陣が展開された。ベリドはその魔法陣の中央に札を配置し術の構築に専念する。


 札から稲妻に似た赤い光が迸りライとモラミルトを包む。眠っていたモラミルトはその苦痛で目を覚まし雄叫びを上げるが、金の鎖で封じられている為に身動き出来ない。ライも同様に激痛で悲鳴を上げた。


「ギィャアアアァァァァァ~ッ!!!」

「抵抗しても苦しいだけですよ?身体の力を抜いて下さい」

「ガァッ!ハハハ!い、イヤだ……ね!絶…対に……失敗……させてやる!……グアァ!」

「やれやれ……何時まで抵抗出来ますかねぇ」


 軽口を叩くライだが、常に身体に流れる激痛に意識が刈り取られそうになるのを耐えるので精一杯だった。それでも意識を保っていたのは約束があったからだろう。

 レイチェルとの再会、フリオとの祝杯、マリアンヌとの修行、シルヴィーネルとの契約、オーウェルの村への訪問、そしてフェルミナの元への帰還……全て大事な約束だ。


 だが……ライの限界は時間の問題。確かに抵抗は出来ているが精神力というより生きる為の欲で抵抗している様なもの。ライも必死だった……。


 やがてモラミルトの身体が赤く光る粒子に変化し魔法陣に配置した札に少しづつ吸収され始める。更にその札からライの身体に赤い光が流れ込むと、あまりの激痛に激しく痙攣を起こした。


「ようやくか……成功すれば我が念願は直ぐそこだ。しかし、あの激痛は勘弁願いたいものだな」

「これが成功すれば魔術としての式が確立し完成します。あとは痛覚を切る式を組み込むだけですから大丈夫ですよ。今回は何が失敗に繋がるか判っていないので痛覚切断はしていませんけどね。しかし、良く堪えています」


 苦痛に歪むライを見ても何の感情も湧かない様子のベリドとニビラル。まるで羽虫を見るが如きである。


「それはともかく、此奴が融合に成功した場合、我々に逆らうのではないか?そうなると厄介だぞ?」

「ご心配なく。あの少年とモラミルトに使っている鎖は神具です。魔人すら封じる神具【魂縛の金蛇】の前では力を振るうことは出来ないでしょう。結果が判り次第術を逆に発動し再び二つに分ける。その際に命を落とすかも知れませんが、モラミルトは既に複製が可能ですので問題ありません」

「ならば構わんな。早く結果が知りたいものだ。そうすればトシューラ国に拠点を移して……遂に私も不死身に……」


 その時、抵抗し続けたライの動きが止まった。糸が切れたようにガックリと力を抜き鎖に吊るされた形になっている。

 微動だにしなくなったライを訝しげに見ているニビラル。ベリドは自らの予測を伝えた。


「あれは意識下での融合が始まったのでしょう。これが上手くいけば成功です」


 この時……ライの手足に絡む【神具】が限界に悲鳴を上げていたことにベリドは気付かなかった。

 それは、ほんの小さな亀裂……本来破壊不可能な神具だと過信していたのかも知れない。



 そして……。それがベリドとニビラルにとっての誤算の始まりだった。



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