疾風勁草の章

第六章 第一話 人狼


 王都での国王退位劇から数え二日後の昼少し前……。一人馬を駆るライはエノフラハに近い街・ドレファーに到着した。


 王領内の街であるドレファーは物流や交通の便が安定している分、商いが盛んで人も多い。また、仮にも王の直轄地なので騎士団の駐屯地はやや大きめである。


 そのドレファー駐屯地詰所。既にキエロフより連絡を受けフラハ領への立ち入り準備を始めている騎士達。彼らに挨拶するべく立ち寄ったライだが、何やら騒がしいことに気付く。


「あの~……スミマセンが、ドレファーの騎士隊長さんはどちらに?」

「ん?ああ。それならあの髭の人だよ」


 詰所の事務方らしき人物に確認し教えられた髭の騎士に近寄ると、何やら困惑した表情が滲み出ていた……。


「何かあったんですか?」

「ん?何だね、君は?」

「ああ、スミマセン……私は勇者ライと申します。キエロフ大臣から連絡があった筈なんですが……」

「おお!貴公が勇者ライ殿か!うむ、話は聞いている。私はドレファー騎士隊長のアブレッドと申す」


 カイゼル髭の立派な騎士隊長アブレッドは破顔した。髭の印象とは違い気さくな人物の様だ。


「随分と渋い顔をしてましたが、何かお困りのことでも?」

「ん?ああ、お恥ずかしい。顔に出ていたか……実は問題が発生しているのだが、どうしたものかと悩んでいた所でな」

「問題……と言うのは……?」


 アブレッドの話では、エノフラハの人攫いから逃げて来た子供達を保護したとのことだった。エノフラハまで大人の足でも一日以上掛かる距離……途中に休憩施設や木こり小屋があるとはいえ、良く逃げ延びたものだと感心するしかない。


 しかし、アブレッドの困惑の原因は子供達では無いのだという。子供達を保護しドレファーまで連れて来た人物が悩みの種だとライは聞かされた。


「それが……獣人族らしいのだ。彼らはあまり人間を良く思っていない筈だが、どうも子供達の為に傷を負ってまで助けてくれたらしくてな……。子供を救って貰った以上、無下には出来ぬ恩人。しかし、獣人をこのまま置いているとやがて街からの不安の声も上がるだろう」

「成る程。世間じゃ獣人達は魔王に加担しているって噂ですからねぇ」

「うむ。だから何とか穏便に解決出来ぬかと思ってな……」


 種族を超えて礼儀を保つのは難しい。こと獣人族に関しては、その高い戦闘力が並の人間には脅威そのものなのだ。どうしても恐れが先に出てしまうのは仕方ない話と言える。それでも丁重に対応した辺り、アブレッドは中々出来た人物であることが窺える。


 事情はともかく、ライはその人物に興味が湧いた。


「アブレッドさん。その方に会えますか?」

「うむ。結構な深傷だから今は医務室で休んでいる。会いに行ってみると良い」


 騎士宿舎の隣に小さな建物があり、その入り口を騎士二名が警護していた。獣人に対しての警戒なのか、それとも住民達から守っているのかは判らない。


 そんな建物内にライとアブレッドが入ると、いきなり物が飛んで来たことに面食らう。どうやら人攫いから助けられた子供達の仕業の様だ。


「こら!止めんか!」

「うるさい!兄ちゃんを苛めるな!」

「そうだ!そうだ!」

「お兄ちゃんに何かしたら許さないぞ!」


 一向に攻撃の手を止める気配がない子供達。初めは微笑ましく見ていた勇者さん。クッションや包帯をぶつけられても笑顔を崩さなかったが、花瓶やハサミが飛んできた辺りで笑顔が固まった。


「……ねがぁ?…」


 囁くような低い声と妙な威圧感に子供達は動きを止めた。視線の先のライは目を光らせ極めて怪しい笑みを浮かべている。


「悪り子はいねがぁぁぁぁ~っ!?」


 髪に隠れて見えないが絶対にまともな目付きではない……そう感じさせるおぞましさが子供達を襲う。


「ひぃ!」

「な、なんだお前は!」

「こ、怖いよぉ……」


 口から煙を出している幻覚まで見えた子供達……そう、これは子供を叱る際に使われるロイ直伝・十の必殺技の一つ『嗤う赤鬼』である。滑らかに動く指先、怪しい笑顔、そしてカタカタと気持ち悪い素早く奇妙な動き。それを見た子供達の顔は引き攣っていた……。


 それからは一方的な蹂躙が始まった。素早い動きで子供の一人を捕らえ脇をくすぐり、足の裏をくすぐり、首をくすぐる。笑い地獄に落ちた子供を解放すると、また一人子供が捕獲される。一人、また一人と絶叫とも笑いとも付かない声が響き渡った。


 ものの数分もせず、五人いた子供達は全員がビクンビクンとしながら啜り笑いでグッタリとしていた。


「全員正座!」


 子供達はライの声に少し抵抗を示したが、再び『赤鬼』が降臨の兆しを見せた途端に機敏に並んで正座を完了させる。


「良いか、お前ら?助けてくれた騎士さんに刃物や花瓶を投げたら駄目だろ!」

「だって……」

「だって、じゃない!見ろ、あれを!!」


 ライの指し示した先にはアブレッドがズブ濡れで立っている。花瓶の水をモロに被ったらしく、髭の上に花が咲く様に乗っていた。


「この人はお前達の為に色々してくれてるんだぞ?それを髭に花を咲かすような面白……ゲフン!失礼なことをするとは!」

「ライ殿……今、面白と言わなかっ」

「ちゃんと謝りなさい!」


 ライはアブレッドに顔を向けず話を続ける。振り向いたら負け……間違いなく笑いを我慢出来ないだろう。振り向かないこと、それが若さなのだ!


「……ごめんなさい」

「……ごめんなさい、オジチャン」

「……ごめんなさい、オジチャン」

「ごめんなさい、髭のオジチャン」

「ごめんなさい、花のお髭のオジチャン」

「ブプーッ!」


 最後の言葉でライはとうとう我慢出来ず吹き出した。アブレッドはワナワナと奮えていたが、溜め息を吐き努めて冷静に応える。実に出来た大人である。


「う、うむ。先程の様な行為は誰かが怪我をすることもある。気を付ける様にな。ライ殿……私は着替えて参る故、申し訳ないが……」

「はい、大丈夫です。ほら、お前らも花のオジチャンのお手伝いな?」

「でも……お兄ちゃん。ワンワンお兄ちゃん苛めない?」

「お兄ちゃん、これでも一応勇者なんだぞ?そんなことするもんか」


 勇者というその言葉で安心したのか子供達は警戒を緩める。ライが笑顔で促すとアブレッドと共に部屋を後にした。


「さて。やかましくして申し訳ありませんでした。起きてますよね……?」


 ベットの近くの椅子に座り反応を見る。横たわっているのはライと同年代ほどの銀髪の青年……。獣人の姿ではないので事前に聞いていなければ完全に人にしか見えない。


 青年はスッと瞼を開くと 、視線だけをライに向けた。


「ああ。流石にあれだけ賑やかだとな」

「アハハハ~……スミマセンでした。……ちょっと話を聞きたいのですが、大丈夫ですか?」

「構わない。ただ怪我で上手く身体が動かない。済まないが、このままの体勢で良いか?」


 アブレッドの言うようにかなりの深傷らしく、包帯があちこちに巻かれている。それを確認したライは自らの腰の水筒を取り出すと軽く振り残量を調べる。

 どうやら【回復の湖水】はあと一口分……つまりこれで最後である。しかし、信頼される為にも礼を尽くす必要がある。ライは躊躇わず水筒を青年に差し出した。


「これは回復薬です。信用出来ないなら無理には勧めませんが……」


 青年はライの目をじっと見る。ライも目を逸らさなかった。後ろめたいことなど無いのだから当然ではあるが、信頼を得るには必要な行為だった。


「……いや、ありがたく貰うよ」


 そうして【回復の湖水】を飲み干し傷を癒した青年は、その効果に少し驚いた後ゆっくりと身体を起しライと向き合う。


「……凄いなコレは。深傷まで殆ど癒えた」

「それは良かった。俺の名前はライと言います」

「俺の名前はオーウェル。敬語は不要だ」

「わかった。じゃあ俺もライで良いよ」


 首肯くオーウェルを確認し、ライは道具袋から干し肉とリンゴを取り出す。あの深傷ならロクな食事を摂れていないだろうと判断したのだ。


「ありがとう。助かった」


 オーウェルはそれを貪る様に食べた。落ち着くまで少し待ってから二人の話は始まった。


「オーウェルは何で子供達を?」

「偶然だ。俺の村から子供達がかどわかされ、痕跡を追ったらエノフラハに着いた。そこであの子達を見付けたんだが……見捨てる訳にはいかなかったからな」

「じゃあ、オーウェルの村の子供達はまだ……」

「ああ。ライのお陰で傷も癒えた。これから俺はエノフラハに向かう」


 ベットから起き出したオーウェルは身体の包帯を無造作に外す。改めて見るとオーウェルはライより一回り身体が大きい。頭一つ程背は高く、体も随分と筋肉の付いたガッシリしたものだ。

 部屋を物色したオーウェルは服が見付からないらしく、諦めてシーツを羽織った。


「待ってくれ、オーウェル。話があるんだ」

「怪我が治った以上済まないが時間が惜しい。行かせて貰う」

「子供達を救いに行くなら俺も行く。だから話を聞けって」


 既に扉の前まで移動していたオーウェルは振り返りライを見た。先程の回復薬の恩もある以上、無視は出来ない。


「……何故お前まで?」

「俺は元々、エノフラハの調査に来たんだよ。人攫いなんて聞いたら放置は出来ないだろ?それに……」

「それに……何だ?」

「一人より二人のが色々出来るだろ?」

「…………」


 丁度その時、アブレッドが着替えを終え戻ってきた。一緒だった子供達はすっかり懐いている。


「おお……あれだけの傷だったのにもう動けるのか?」

「いや……彼に良い回復薬を貰った。……。アンタには色々世話になった。ありがとう」

「いや、それはお互い様だろう」

「ワンワンのお兄ちゃん、もう大丈夫なの?」

「ああ。心配掛けたな」


 表情はあまり変わらないが子供達を優しく撫でるオーウェル。その姿を見てアブレッドは頷いている。しかし、今はほのぼのしている場合ではないと話を進めるライ。


「アブレッドさん、少し話があるんですが……」

「……わかった。お前達。食堂でオバチャンがオヤツを用意しているから食べておいで」


 子供達を医務室から追い出し、三人は椅子とベッドに腰掛け話を始める。


「で、話とは何だね?」

「俺は予定通りエノフラハに向かいます。で……彼、オーウェルに一緒に来て貰います。アブレッドさん達は王都からの増援と合流し次第、エノフラハの【レダ】という方に連絡をお願いします」

「それは構わぬが……本当に二人で大丈夫なのか?」

「偵察には二人のが都合が良いでしょう。それで……オーウェルの馬を借りたいんですが……。あと服も簡素な物で良いので用意して貰えますか?」


 最寄りの街とはいえドレファーからエノフラハまで馬で四、五時間は掛かる。その距離を徒歩で行くのは体力的にも時間的にも効率が悪い。


「わかった。すぐに用意しよう」

「ありがとうございます。今後の連絡対応は改めてレダさんにお願いしておきます。下手すると大捕物になりそうですので」

「うむ。心得た」


 要請を受け迅速に動くアブレッド。ライの要望に不満を出さないのはアブレッドの人間性もあるのだろうが、キエロフの言い含めが大きいとライは感じている。


「これで体力温存しながら早く着けるだろ?」

「……お前には獣人族を助ける義理は無いだろう?何故そこまで親身になるんだ?」

「それを言ったらオーウェルだってそうだろ?何で人族の子供達を助けたんだ?」

「……理屈じゃない。俺の気まぐれだ」


 顔を逸らすオーウェル。子供達の為にかなりの深傷まで負っている以上『気まぐれ』は本心では無いと分かるが、照れ隠しと理解し放置した。


「じゃあ、俺もそれで良いや」

「……なんだ、その投げ遣りな言い草は」

「ハハハ……。正直、俺には獣人だ人族だなんて興味無いんだよ」

「……?」

「ん~……説明するとまた難しいんだけど……簡単に言えば『敵意には敵意を、善意には善意を』とでも言えば良いかな?悪意を振り撒く奴ってのは隠しても割と分かるもんでさ。だから人でも獣人でも魔物でもドラゴンでも大聖霊でも、悪意や害が無いないなら区別する気にならない」


 あっけらかんとしているライを見てオーウェルはしばらく沈黙していたが、突然吹き出し笑い始めた。


「アッハッハッハ!……お前みたいなヤツは初めてだ」

「そう?まあ最低でも子供達を救出するまでは相棒だから頼んだぜ、オーウェル」

「わかった」


 オーウェルは肩の力が抜けた気がした。獣人はあまり人と関わろうとしない。どう在っても種族の壁は存在し意識に差が発生する。それはオーウェル自身でも少なからず持っている感情である。


 そして獣人族は人族に比べれば少数で、現実的には獣人族は僻地での生活を余儀無くされているのだ。子供達を探しに来たオーウェルにとって殆どの地は頼れる者が無い敵地に等しい。


 アブレッドは確かに礼を尽くしてくれたが、そこには体面的な意味が多いのだ。しかし……目の前の赤髪の男は、恐らく本心から『種族間の対立』には興味が無いだろうことが読み取れた。オーウェルはその獣人としての『能力』で相手の反応を察知することが得意であり、ライの言葉に嘘が無いことを読み取ったのである。


 そしてこれは、オーウェルにとって幸いであった。ライはそれなりの実力は持っていることも感じる。かつアブレッドの反応からかなりの発言力もあることも理解した。事を為すには心強い増援であり素直に感謝するべきと判断したのだ。



 そして……二人はエノフラハに向かい馬を駆る。オーウェルはアブレッドの用意した服とマントをしっかり纏っていた。

 因みに体力の温存が必要なので、今回は纏装を利用した移動方法は使わない。


「エノフラハには日暮れ前に着くと思う。で、街には協力者がいるから情報を手に入れてから潜入。それでいいか、オーウェル?」

「ああ。少し待てば夜だろうから潜入には都合が良いだろう」

「それにしてもオーウェル。随分と子供達に好かれてたな……扱いも上手かったし下の兄弟でもいるのか?」


 ドレファーを出る際、子供達はオーウェルから離れようとしなかった。ようやく説得してドレファーから出立する際も、子供達はいつまでも手を振っていた程だ。


「妹がいる。拐われた中には俺の妹も含まれているんだ……」

「……そうか。じゃあ急がないとな。そうそう、俺にも妹がいるんだ。俺より強いけどね……」

「俺も妹には勝てないさ。兄とはそういうものだろ?」


 オーウェルは精神的なものと勘違いした様だが、ライの場合妹は世界最強格である。しかし改めて説明しても虚しいだけなので素直に肯定した。オーウェルは微妙なライの気持ちを感じとったが、理由が分からないので敢えて触れなかった。


 その後も二人は互いのことを話しながら馬を駆る。やや日が沈み出した頃、ようやく視界に街を捉えることが出来た。ライにとっては久々のエノフラハである。



 旅の一段落として取ったこの行動は更なる苦難の始まり……この時のライはそのことをまだ知らない。




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