第四章 第五話 シルヴィーネルの苦悩


 氷竜シルヴィーネルは北の大国【トォン】に暮らしていた。トォン国は寒冷な気候の土地で、一年の半分が雪に閉ざされる。


 そんなトォン国の首都・アレンディックから更に北──ウォンス大山脈には氷竜が群れを作り暮らしている。シルヴィーネルもそこで暮らしていたのだ。


 トォン国の民は狩りと工業を主産業として暮らしている。農作物は短い夏では収穫が少ない。暮らしの足しにする為、夏の間に山で掘り起こした稀少金属や鉱石を高価な装飾品に加工し輸出しているのである。


 狩猟民族だけあり勇敢だが思慮深い、そんな国民性のトォン国。山脈に住むドラゴンに対しては信仰に近い敬意を持って接し、決して敵対することは無かった。ドラゴン達もそれを理解している為、威嚇などもせず適切な住み分けが行われていたのである。


 そんな大山脈で長い平穏を過ごした氷竜達。しかし、ある日変化が訪れた。


 【天空竜・エルモース】


 慈母竜とも呼ばれる全てのドラゴンにとっての母なる存在。そんな竜が大山脈に来訪したのだ。


『おお……慈母竜よ!御会い出来ることこの上無き幸せに御座います。この様な枯れた地ですが、どうかごゆるりと』


 その来訪には氷竜の中でも最長寿の者が長として対応した。エルモースは螺鈿の様な輝きの白き鱗を揺らし小さく首肯く。


『感謝致します。しかし、申し訳ありませんが私は用向きが残っておりますので……。実はあなた方に折り入ってお願いがあり参った次第です』

『慈母竜の願いとあらば何なりと。して、如何様なご用命でしょう……?』

『はい。あなた方の中の誰かに【卵】の親をお任せしようと思います』


 その言葉で氷竜達は響動めいた。ドラゴンにとって卵を託されることは名誉なことなのだ。


 ドラゴン種同士は交配をしない。ドラゴンはその総数の上限が決まっていて、寿命を迎えた者は慈母竜が魂の回収に降り立ち天空にある【竜の巣】に連れ帰るのである。そうしてドラゴンは次の転生に備えるのだ。

 その新たな命たる『転生の卵』を託されることは重大な責務。果たさねばならない至上の使命であると共に、誇るべき栄光なのである。


『わかりました。我等全員で万全をもって……』

『いいえ。卵は代々、一体で育て上げなければなりません。その者を選ぶ為に私は訪れました』


 慈母竜は視線を向け氷竜達を探る様に見回す。実はこの時、シルヴィーネルは他の竜の陰に隠れていた。まだ若いシルヴィーネルにしてみれは、そんな面倒な役割は御免被りたいというのが本音だった。



 シルヴィーネルは竜としては変わり者だった。他のドラゴンと違い人間に強い興味を持ち、山に来る人間に対し度々観察を行っていたのである。あまつさえ、人に変化し麓の村里を見学して歩いたりもした程だ。

 勿論、ドラゴンとしての誇りは持ち合わせているので過度な接触は避け、仲間にも気付かれない程の頻度ではあったのだが……。


 しかし、そんな行為を繰り返す内にシルヴィーネルはもっと人を知りたくなった。そして人を知る為にとにかく観察を繰り返し、やがて人の文化にまで興味の幅が拡大したのである。

 歴史、音楽、文学、美術……その求めるものの果し無さは、ドラゴンの長い寿命でも尽きることは無いだろう情報量だった。


 だからシルヴィーネルは思っていた。好奇心を埋める為に旅に出ようと……。その矢先の慈母竜来訪は寝耳に水なのである。


『そこの貴女。顔を見せて頂けませんか?』


 その柔らかな声が指した一角にシルヴィーネルは隠れていた。ドキリとしたが、まだ自分ではないと希望を持ち更に身を隠す。しかし、慈母竜はあっさりとシルヴィーネルを見つけ側に歩み寄った。


『あ、アタシですか?』

『そうです』

『………』

『………』

『……あ、あの』

『貴女に決めました。この【卵】を宜しくお願いします。えぇと……お名前は?』

『シルヴィーネルです。こ、光栄です、慈母竜……』


 満足げなエルモースと対照的にシルヴィーネルは固まっていた。周りからは称賛や羨望の声が聞こえるが、シルヴィーネルにはただの騒音でしかなかった。


 そんなことなど露知らず、エルモースは布型の神具で自らの首から下げていた卵を慎重に引き渡す。シルヴィーネルはショックで震えていたのだが、感動していると勘違いした長と仲間達はとても喜んでいた。


 それからシルヴィーネルの苦労が始まった……。


 慈母竜は先ず、トシューラ国に住まう地竜の長の元に向かうよう助言した。

 ドラゴンの卵は丈夫ではあるが、環境に適しないと稀に誕生しない場合がある。最も適した育成を学ぶには、長寿で博識と知られる地竜の長に聞くことが確実なのだ。


 シルヴィーネルは慈母竜が育成の知識を教えてくれると思っていたのだが、聞く間もなく去ってしまった。諦めて指示通り地竜の巣を目指すことにしたのである。


 地竜はトシューラ国の南部の岩場に住まう為、シルヴィーネルはトォン国からかなりの長距離を飛ばねばならなかった……。


『ふむ……これはこれは珍しいな。天空竜の卵とは……次期の慈母竜か、若しくは覇竜王かも知れん。随分な重責だな、若いの』


 シルヴィーネルは眩暈がした……卵が孵らなければ世界に影響が出る程の重責。さぞ逃げ出したかったことだろう。


 【覇竜王】というのは天地全てを司る竜の王である。その存在は神に次ぐ力を宿し、万物に干渉し世界に均衡を齎す存在。慈母竜と同等かそれ以上に高貴な存在なのだ。その地位は現在、空席──。


『そ……それで、この卵は何処で暮らすべきでしょうか?』

『ふむ……そうだのぅ。より力が高まる【聖域】が良かろうな。ただ、今は魔王の台頭で聖域が減ってきておる。早めに場所を見つけて確保することだ』


 次々に持ち上がる問題にシルヴィーネルは泣きたかった。というより泣いていた。地竜の長は見兼ねて親身に話を聞き、育成の知識も伝授してくれた。


 ともかく卵の為にも早く聖域を探さねばならない。しかし……それから方々を飛び回り聖域を探したのだが、その数が減っている現実がまたシルヴィーネルを追い詰めた。


 ようやく見つけた聖域には魔術師が暮らしていたり、聖獣が存在したりと暮らすには適さなかったのである。


 そうして飛び回るうちに数年が経過──。


 主に精神的な疲労により小さな街の近くで休息していたそんな時、森から聖域の気配を感じたシルヴィーネル。期待を込めて散策を行うと、洞穴や水場、食糧も豊富。先住者も無く、思いがけぬ発見となる。


 それは、シルヴィーネルにとって間違いなく幸運だった。


 それからしばらくは平穏に過ごしたシルヴィーネル。卵は聖域の最も澄んだ場所に安置してある。温暖な地は力を万全には使えないが、シルヴィーネルは暖かい日射しも好きだった……。


 しかし、そこで失念していた事態が起こる。近くの街の人間が森に現れたのだ。咄嗟に威嚇してしまったがシルヴィーネルは自分が余所者という負い目がある。

 他のドラゴンならばそんな遠慮などせず森を完全な支配下に置くのだが、シルヴィーネルは人に興味を持ってしまったが故に躊躇し不可侵の結界を張ることを避けていた。


 それでも人は威嚇で近付かないと期待していた。事実、シルヴィーネルを確認した人間達はその後姿を現さなかった。


 だがある日……人間は再びやって来た。武装をした複数の人間とシルヴィーネルは、とうとう戦う事になった……。






「つまり……やりたくもない子守りを押し付けられて、それでも散々卵の為に動き回り、ようやく見つけた安寧の場所で人間とのやり取りに混乱、失敗して大暴れした、という訳ですね?」


 フェルミナが話を纏めると非常に残念な出来事に聞こえる。被害者のフリオまでもが生暖かい表情を浮かべざるを得ない……。


『うっ!間違ってはいないだけに恥ずかしいわ……』


 シルヴィーネルは器用に自分の顔を手で覆っている。気のせいか顔周辺の鱗が赤く見えた。そこには既に威厳など跡形もない。


「しかも人間の領域だから遠慮って、これまた中途半端な……多分、ここでもロクに休めなかったんじゃないか?」

『……うん。ずっと気になって落ち着かなくて……』

「だからレグルス君の言葉程度で混乱したのか……良く考えればそんな混乱起こさないのにな?」

『わ、私も余裕がなかったのよ!悪いとは思ってるわ』


 気持ちも理由も分かるが、却ってそれが最悪に近い結果を起こしているのだ。まさに『はた迷惑』と言えよう。

 その点で言えば、ライが交渉役に居たことはシルヴィーネルにとっての幸運だった。


「それにしても天空竜の卵か……。ねぇ、フリオさん?何か俺ばっかりぶっ飛んだ話に巻き込まれてる気がするんですが……」

「気にすんな、ライ……。その半分には俺も巻き込まれてる。まあ、原因はお前だがな」

「クッ……魔王め!フリオさんまで巻き込むとは、どこまでも卑劣な!」

「……誤魔化すな、『トラブル大魔王』」

「よし!じゃあ交渉を始めますか!」

「………」


 どこまでも惚けるライはフリオの目を敢えて見ない。巻き込んだ負い目など忘れるに限る、まさに勇者の鑑である。


「シルヴィが人間と敵対しないドラゴンということは理解した。で、提案だけど森の不可侵じゃなく警護も提案しようかと思うんだけど?」

『アタシは既に人間を傷つけた。そこまでは申し訳無いわよ……』

「今更何言ってんの?シルヴィは俺達にと━━━━━━っっても大きな借りがあるんだから遠慮するだけ損だぞ? どうせ俺は後でキッチリ返して貰うんだし」

『くっ……わ、分かったわよ。申し出は受けるわ』


 振り返ってフリオを見たライは鬼の首でも取った様な顔だった……。イラっとしながらも溜め息を吐いて諦めるフリオ。実に大人である。


「という訳で、フリオさんにはノルグー卿に説明をお願いします」

「わかった。森への不可侵と周辺警備の為の増員だな?ついでだ、何か要求はあるか?」

『いいえ……ただ確約が欲しいわ。出来れば魔法による誓約が欲しいんだけど……』


 フリオは代表で来ているがそこまでの権限はない。一度戻り相談の必要がある。しかし……。


「それだと俺がストラトに遅れます。だから代理で俺が契約しますよ」

「だけどお前……それは流石に『馬鹿じゃねぇか?』と俺は思ってるんだがな……。そこまで自分から首突っ込んでどうすんだよ?馬鹿なの?馬鹿だろ?いや……この馬鹿者めが!」

「ぐっ……よ、四度も言いますか。……。でも、やっぱり普通はそう思いますよねぇ……でも乗り掛かった舟、というか知っちゃった以上放置するのも嫌なんですよ」

「ったく……わかったよ。ノルグー卿には必ず約束を通す。俺の騎士道に懸けてな」


 ティム曰く『捲き込まれ型』のライ。確かに大半は巻き込まれているが、結局それを良しとしているのはライなのだ。中々に損な性格であると自分でも思っているらしい。


 それにしても運が良い筈なのにトラブルに巻き込まれるのは、最早天運と言えなくもない……。


「ってな訳で、シルヴィ!俺と契約だ。天空竜の卵が孵り巣立つまでノルグーの騎士がお前達に害を為さないこと、害からお前達を守る協力をすること、それらが破られた時は俺の命を奪え。逆にシルヴィは敵意無き人間を襲わないと誓うこと。破られればお前の自由は永遠にノルグーに縛られる。良いか?」

『わかったわ……では契約を』


 シルヴィーネルは腕を伸ばし爪をライに向けた。ライはその爪に左の掌を押し当てる。大きな魔法陣が互いの間に展開され、古い魔法言語を綴り契約が結ばれた。


【シルヴィーネルとライ、ここに契約す】


『契約成立よ……ありがとう』

「まあ良いよ。それよりフリオさん、俺の命預けましたからね?」


 ライは掌に刻まれた契約印を確認しながらフリオに笑いかけた。相変わらず無謀な勇者ライ。フリオは流石に心配になったらしく、せめて少しだけ懲らしめたい気分になった……。


「ほう……なら、ライの命は俺次第か。クックック!どうしてやろうか?」

「あ、あの~……フ、フリオさん?」

「………」

「フ、フリオさん!ちょっと!」


 ライがフリオの視線に目を合わせようとするとフリオの視線が逸れる。まるで小魚が逃げるが如く、視界に入った途端“スィーッ”と逸れるのだ。以前、ライが商人バーユにやったことがそのまま自分に降り掛かっている訳だが、勿論フリオはバーユの件など知らない。ただの偶然である。


「うわぁぁっ!フリオさん!」

「………」

「こっち向い……あぁっ!逃げないで!」

「………」

「そんな!白眼まで!」


 ギャアギャアと騒いでいるライと意地でも目を合わせないフリオ……。シルヴィーネルは流石に不安になってきた。


(こんな奴らを信じて大丈夫なのかな……?)


 そんな不安も虚しく二人のやり取りはしばらく続いた。落ち着いたのはあまりに必死なライにフリオが笑い転げた後である……。


「と、ともかく契約したんだから信じてくれよ、シルヴィ」

『………。えっ?何?』

「くっ……ま、まあ良いさ。それと、卵を見せて貰って良いか?」

『……ライにだけなら構わないわよ』


 シルヴィーネルが寝蔵にしている洞穴の奥に進むと、古びた祭壇があった。そこはフェルミナの魂である杖を封じていた場所に良く似た造りだとライは気付く。壁や祭壇にもあの湖底と同様の象形文字が彫り込まれていた。


「これは……何が書いてあるのか分かるか、シルヴィ?」

『いいえ。でも、かなり古いものみたいね。以前見た天魔争乱時代の文字に似てる気がするけど、内容までは……でも、悪いものじゃないことは確かよ?ここは凄く澄んだ空気なの』

「へぇ~。……そう言えばシルヴィ、『大聖霊』って知ってるか?」

『大聖霊?聞いたことはあるわよ?確か……勇者の時代に忽然と姿を消した世界の根源の力を持つ者『大聖霊』。悪いけど、それ位しか分からないわね。私はまだ百年も生きていないから……』

「そっか……まあ仕方ないな」


 祭壇の中央に視線を移すと、草を重ねた上に螺鈿の様な輝きを放つ卵が安置されている。ライはシルヴィーネルに許可を貰いゆっくりと近付くと、卵に優しく触れた。


「シルヴィはお前の為に必死だったんだぜ?元気で生まれてこいよな」

『………』


 そしてライは唐突にその場で鎧を脱ぎ始める。シルヴィーネルは静かに問い掛ける。そこに不安な様子は窺えない。


『何をするの?』

「これをお前らに貸してやるよ。戦闘中に見たろ?あらゆる攻撃から守ってくれる鎧だ。同じ竜の鱗だし相性は良いだろ?」


 マントを卵の下に敷き、卵の上から鎧を被せる。ライの意思で被せたのだから効果は続く筈である。


「大きさは自動で調整されるから卵が孵っても着られる筈だ。但し、貸すだけだからね?巣立つときは回収してよ?」

『フフ……分かってるわよ』

「それじゃ、後は騎士団に説明しとくから安心して良いよ。困った時はフリオさん……外にいる騎士団長を頼ってくれ。俺は別の用があるからしばらく会えないだろうし」

『わかったわ』

「それと、出来れば卵を愛してやれよ?何だろうとコイツの親はシルヴィだけなんだからさ。じゃないと可哀想だ」

『うん……色々ありがとう、ライ』

「うむ!またな。【シルヴィちゃん】」

『ちょっと!』


 振り返り洞穴の出口へと向かうライ。出口から射し込む光の中に滲む後ろ姿……シルヴィーネルにはそれがとても凛々しく見えた。

 しかし、正面から見るとその顔は苦悶に満ちた酸っぱい表情をしている。それだけでフェルミナとフリオは、大体の事情を悟った……。


 『ああ……やっちまったんだな』と……。



 とうとう鎧まで手離したライは内心不安で一杯。堂々と歩いているのに非常に力強さを感じない不思議さ。フリオは肩を竦め首を振るしかなかった。


「やっぱり馬鹿だな、お前……」


 そうは言ってもそのお人好し振りが気に入ってもいるフリオ。肩を叩き慰めながら歩いている。フェルミナはフリオの反対側でライの手を優しく握っていた……。


 ライの後ろ姿は、まるで『失恋し慰められている男』の様にも『お小遣いを落として泣いている子供が励まされている』様にも見えたという。



 こうして勇者ライは見事、弱体化を果たしたのである……。


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