第四章 第四話 ドラゴンとの交渉


 今、自分が眠っていると判る感覚……ライはそれを体感していた。


 夢を見ている訳ではないが意識が闇に包まれていて、その中を心地よく泳いでいる様な不思議な感覚──。


 自分が意識しているからこそ自我を理解出来る、そんな中をライの意識は彷徨っていた。


(あれ?俺は何を……?)


 その問いに当然返事はない。飽くまでそこは意識の内でしかない。


(確か……氷竜と揉めて……ああ、思い出した)


 【好きにしろ】


 確かに氷竜は最後にそう言った。事実上の降伏宣言……安堵して気を抜いた途端、鎧の使い過ぎの反動でそのまま眠ってしまったのである。


 思えばあのドラゴンは手を抜いていたとしか思えない。始めから最上位魔法を使えば全滅も容易ではなかっただろうか?騎士団を襲った一撃も、フリオが防御魔法を展開するまで溜めがあった気がする。


(アイツ、手を抜いていたな?それとも躊躇していたのか?)


 特に引っ掛かったのは氷竜の悲鳴にも似た叫び。


『アタシが卵を守らなきゃならないんだ』


(何で『アタシが』なんだ?普通『アタシの』だろ?)


 些細なことかも知れないが、ライはどうしても気になった。それこそが氷竜が森に移り住んだ理由の気がしていた。


(まあいいや、後でアイツに聞けば。それより……)


 自分の意識の中から出られない。今更ながらそのことに気付く。かなりの異常事態なのだが不思議と焦りは感じなかった。


 そんな状態でしばらく思索していたその時、何か光るものが『意識のみで形のないライ』の側に近付いて来た……。


(なんだこれ?)


 ライの意識に向かい合う光はそのまま停止して動かない。

 手も足も認識出来ないライはその光に『意識』で触れようとした。


 その刹那……光は眩さを増しライの意識諸共、世界を白一色に染め上げた。





 【世界を………】





 何かが聞こえた気がした。しかし、ライの意識は急速に覚醒に向かってゆく。


「……ん!…イ……さ……」

「ライ……!…かり……ろ!」


 声が近付くにつれて身体の感覚が戻ってくる。疲労が蓄積しているらしく妙に重さを感じた。


「ライさん!起きて下さい!」

「ライ、しっかりしろ!おい!!」


 目の前で叫ぶ声──意識は完全に覚醒した。


 ライが目を開けるとフェルミナが涙目で覗き込んでいるのが分かった。どうもライの上に乗っているらしい。

 そんなフェルミナの頭を撫でながら視線を移すと、フリオの姿も確認。更にその背後には、空色の鱗と金の瞳が見える。


 周辺は森。ライは直ぐ様現状を把握した……。


「大丈夫だよ、フェルミナ。眠ってただけだから。フリオさんも心配掛けました」

「ったく……毎度お前には驚かされるぜ。まさかドラゴンを降伏させるとは思わなかった」


 ライは苦笑いで身体を起こそうとしたが、フェルミナはライから降りようとしない。


「フェルミナさん?起きたいんですが……」

「………」

「……し、心配かけてスミマセンでした。だから、ね?」

「………」


 心配させたせいでヘソを曲げたフェルミナさん。ライは経緯を早く説明をしたいので手っ取り早く最終手段に出た。


 父から伝授された十の必殺技の一つ、《コチョコチョ行進曲》である。


「それ、コーチョ~コチョコチョコ~チョコチョ?」

「ちょっ……ライさん!や、やめ……アハハ!」

「ほーらほら、早く退かないと更にこうだ!コチョッコチョ~チョココチョ」

「やっ、ハハハ!ごめっ……アハハ!ごめんなさい!アアッ」


 リズムに乗って的確に擽りポイントを責めるライ。音を上げたフェルミナが逃げた隙にライは素早く起き上がる。勝者の顔は実に誇らしげであった。

 そしてその脇には、息を切らして蹲るフェルミナが苦しげに笑っている……。


「……何をやってんだ、お前ら……」

「アハ……ハハハ……」


 呆れているフリオの冷たい視線に気付き慌てるライ。笑って誤魔化そうとする様は、まさに勇者界の小物たる堂々さだ。


 笑いから回復し落ち着いたフェルミナは、改めてライを回復魔法で癒す。実は鎧……魔導装甲も自分も魔力が尽きていて即座に自力回復は出来なかったのだ。『回復の湖水』は修行の時にかなり使ってしまい残り少ないので、出来れば節約したかった。


 フリオはライが眠りに落ちた僅かな時間で戻って来たらしいが、回復出来る手段は持っていなかった。


(そう言えば変わった夢を見ていた様な……思い出せないけど。ま、いいか)


 気を取り直して経緯の説明を始めようとしたライは、その前に氷竜へと視線を向け突然自己紹介を始める。


「オッス!俺の名前はライ!お前は?」


 氷竜は、ライのあまりの気軽さに面食らっている。少し前まで必死に戦っていたフリオも同様だ。


(……我が名はシルヴィーネルだ)


「よし!じゃあシルヴィね。それで……」


(ちょ、ちょっと待て!少し気安いぞ、貴様!)


 まるで御近所の知り合いを愛称で呼ぶような、そんなライの気軽さに戸惑うシルヴィーネル。抗議の声を上げると邪な笑顔の勇者が出現した。


「え~?だってシルヴィ、戦いの最中『アタシが』って言ってたじゃん。チミ、女だろ?今更『キサマ!』とか声色変えて凄まれてもさぁ……」


(うっ!)


「それに、一方的な勘違いで被害が出てるんだから気不味いだろ?だから気を使って仲良くしようとしたのに……ハァ……帰ろっかな……」


 そう言いながら立ち去る素振りを見せたライをシルヴィーネルは慌てて引き止める。


(ま、待て!それでは我の面目が立たぬ!)


 ライはフリオに目配せして更に悪い顔で笑った。明らかに呆れているフリオ……。


「あっれぇ?シルヴィちゃん、まだ『我』とか言うんだ。折角仲良くしようとしてるのに壁を作るんだね……俺、後世まで語り継ぐことにするよ。氷竜だけに冷たかったドラゴンの話を……な?フェルミナ?」

「はい……『シルヴィちゃんは冷たい』。きっと歴史書に載りますね」


 ライと一緒に居た為か演技力が上がってきたフェルミナ。すっかりライに毒されている様だ。


 対してシルヴィーネルはワナワナと震えている。名指しで歴史に残るには実に不名誉な内容だろう。


(わ、わかった!わか……)


「まだそんな声出すの~?」


 威厳を保つ為に声色を変え思念を送っていたシルヴィーネル。とうとうライの生暖かい目に堪えきれず素の感情を見せた。


『わかったわよ!これで良いのね?』

「うん。カワイイ声してるじゃん、シルヴィちゃん?」

『わかったから【ちゃん】は止めて!恥ずかしい!』


 やり取りを聞いていたフリオは、とうとう我慢できずに笑い出した。戦って死に掛けたのが馬鹿馬鹿しく感じたのだろう。少なくともシルヴィーネルへの怒りや恐れはかなり収まった様だった。

 勿論、ライの行動はそれを狙ってのものなどではない。


「さて、じゃあ交渉諸々する前に聞きたいことがある」

『何?』

先刻さっき、本気で戦ってないよな?手加減したのか?」

『………そうよ』


 この言葉にフリオは驚きを隠せない。手加減されてあの結果は騎士団長として納得が出来ないのだろう。


「じゃあ何か?俺達は手加減で死に掛けたのかよ……?」

「落ちついて下さい、フリオさん。逆です。手加減されたんで死なずに済んだ。そうだろ、シルヴィ?」

『ええ……人が死ねば人間達は目の色を変えるから』


 まだ納得出来ていないフリオを宥め、ライは判断の根拠を伝える。


「騎士団を薙ぎ倒した尻尾。アレ、フリオさんが防御魔法張るまで待ってたんですよ」

「!……う、嘘だろ?」

「本当ですよ~。それに戦闘中、騎士団に向けては即死率の高い氷柱魔法を一発も射っていない。確信に変わったのは騎士団が撤退した後の最上位魔法です。殺す気なら最初にあれをやれば瞬殺でしたから」


 視線を森に向けたライに釣られ、フリオは周囲へと視線を向ける。その先には樹々が凍結し砕けた残骸が見えた。


「………」

「不幸中の幸いだったんですよ?多分シルヴィは上位種でしょうから。シルヴィ以外ならディコンズの人々諸共、本当に死んでいたかも知れない」

「しかし……お前は倒したじゃないか」


 自分はまだライより強い筈だ。そしてそれはライも自覚している。鎧が優れていてもそこまで差が生まれるものかとフリオは疑うしかない。


 しかし、ライはあっさりと結論を告げた。


「倒したんじゃなく、シルヴィが引いただけですよ。多分、この鎧はフリオさんの予想より遥かに強力です。それでもシルヴィが本気なら確実に負けていました。結局、俺の攻撃は怪我一つ与えていませんし……」

「じゃあ何故……」

「何時かは分かりませんが頭が冷えたみたいですね。最初は本当にカッとなったみたいですけど……それに、本当は人間に協力して欲しかったんじゃないかな。一人で何か抱えるのは誰だって辛いですからね……」


 再びシルヴィーネルに視線を向けると、空色の竜は不満げに顔を背けた。


『……アンタは最後まで一度もアタシに殺気を向けなかった。だから信用出来るかも知れないと思ったのよ。それに……』


 シルヴィーネルの視線の先にはフェルミナがいる。無視出来ない相手……しかも人間の小娘の姿にも関わらず、その存在感は感じたことのない深淵を覗かせているのだ。


 実は、ライが格上のシルヴィーネルを相手に余裕を持っていたのもフェルミナがいたからである。その超常たる力ならシルヴィーネルを止めるなど容易い筈なのだ。

 それでもフェルミナの負担を増やすことは躊躇われたし、もしフェルミナが怒ればシルヴィーネル側にも被害が出ないとも限らない。そういった事情で、出来ればライ自身の力で互いの蟠りがない形にしたかったのだ。


「実は鎧をフリオさんに貸与することも考えたんですが、それだと氷竜……シルヴィ殺しちゃいそうだったんで止めたんです。その位無茶苦茶な鎧なんですよ、コレは……。本来の目的は飽くまで交渉でしょ?」


 強力な魔法剣を使えるフリオは、当然肉体も鍛えている。もしかすると易々と『身体強化の重ねがけ』を反動なく使えた可能性があるのだ。

 だがその場合でも、鎧に不慣れなフリオでは加減の出来ない恐れもあった。 


 それに鎧を脱いだ場合、ライはお荷物になる可能性がかなり高い。どちらかと言えばそれが嫌で鎧を貸与しなかったのが本音である……。


「ということで倒したんじゃなく、ようやく交渉のスタートラインです。ここからは慎重に決めないと駄目なんですけどね~?そこで……」


 ライは『幻影の剣』をフェルミナに手渡し、シルヴィーネルの前で胡座をかいた。


「卵について聞かせてくれるか?」

『……わかったわ』


 フリオとフェルミナもその場に座り、シルヴィーネルも待機体制に移行する。池の畔で暖かい日射しを受けながら、シルヴィーネルは全ての経緯をゆっくりと語り始めた……。



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