第三章 第五話 嫉妬


 訓練三日目は結局、その日はそれ以上先の段階に進めなかった。



 素手による戦闘は剣と違い全くの素人であるライ……当然動きがかなりぎこちない。体捌きも含め間合の不慣れと攻撃手法の乏しさで、マリアンヌが手加減しているにも関かわらず全く通じなかったのである。


 見兼ねたマリアンヌは本当に基本技をライに一から仕込むことに……。その為にかなりの時間を割かれ日暮になってしまい訓練終了……。

 しかし、その丁寧な指導がライの才覚を大きく引き出しその後の旅に影響を与えたことになるとは当人達も知らない。



「ふぅい~……極楽極楽ぅ~……」


 訓練後、ラジック邸風呂場にて寛ぐライ。湯槽に浸かり目を閉じて脱力している最中である。

 先程までマリアンヌの料理に舌鼓を打ち今度は熱めの風呂にて疲れを癒す……これぞ極楽だとライは沁々しみじみ感じていた。


 そんな極楽風呂で夢見心地のライは、今日の訓練を思い返していた。


 順調と思っていた矢先の『無手による戦闘の不慣れ』発覚……まさか、一から教わることになるとは考えもしなかったのだ……。


(ヤバイなぁ……期日までに訓練終わらないかな?ん~……じゃあ、どうしよっかなぁ。日数を目一杯ギリギリまでここで訓練して……)


 今後の予定を考えながらイメージトレーニングを繰り返していたライ……しかし、風呂場に予想外の強敵が出現!


「ライさん、ご一緒して良いですか?」

「うおぅ!フェルミナ!ちょっ!どうしたの!」


 フェルミナ乱入!ライは慌てて目を逸らす。美少女の一糸纏わぬ姿はやはり目の毒だ。


「どうしたんだよ、フェルミナ!」

「ご迷惑ですか?」

「いや!ご迷惑じゃないけど!ご迷惑じゃないけども!寧ろ嬉し……いや、そうじゃなくてだね?その……男には生理現象というヤツがあってだね?」

「生殖行為ですか?わたしは全然構いませんが……?」

「わたしが全然構うんですぅ~!」


 慌てるライを見てシュンとするフェルミナ。ライは何やら暗いその表情に気付いた。


「……どうしたんだ、フェルミナ?」


 湯槽から手を伸ばしフェルミナの頭を撫でるライ。フェルミナはその手を取り両手で包み自らの頬に当てた。その目は少し潤んでいた……。


「昼間……ライさんが……」

「ん。俺が……何かしちゃったか?」

「いえ……その、余所余所しかったので……私が何かしてしまったのかと」


 思い返してみれば訓練中の休憩で少し冷たかったかも知れない。


 魔法を瞬く間に覚えたフェルミナ。そもそもフェルミナの存在は規格外なのだ。そんなことも忘れライはフェルミナの才覚に勝手にショックを受けていた。それを悟られたのだろう。


「取り敢えず湯槽に入って。風邪……あれ?フェルミナは風邪ひくの?」

「わかりません。この状態自体初めてなので何とも……」

「じゃあ、念の為。それと恥ずかしいから背中向けてね?」


 冷静なフリをしているが、ライは心の中で股間に潜む獣神と戦っている。脳内では幾度も『鎮まりたまえ~!』と連呼していた……。


「嫉妬したんだよ……フェルミナに」

「嫉妬?」

「うん……俺は才能自体怪しいからさ?魔法をあっさり覚えたフェルミナが凄く羨ましかったんだ。大聖霊様に失礼な話だよな」

「そんなことはありません。ライさんは凄いです。私を助けてくれた御主人様なんですから!」


 振り向こうとするフェルミナの肩を押さえつける。あまり今の顔を見られたくないのだ。それに獣神も既に限界を超えて暴れそうなのである。


「あれは鎧があったからだよ……。その鎧も運で手に入れて、フェルミナを見つけたのも運良くだった。俺の力じゃないよ」

「でも助けてくれたのはライさんです。私にはそれが全てなんです。だから……」


 ライはフェルミナの頭を撫でる。沫や消滅寸前だったフェルミナからすればライは救世主だったのだろう。それを今更変えることは出来ない。


「ゴメンな、こんな話……人間てのは厄介だろ?」

「でも、温かいし優しい。私は人間、好きですよ?」

「こんな情けないのに?」

「はい」

「………。ハァ……じゃあ俺も嫉妬なんかしてる場合じゃないよな。フェルミナを守れるくらい強くならなくちゃ」

「はい!」


 ザバッ!と音を立て振り返るフェルミナ。完全に油断していたライの中で今、再び獣神が暴れ出す。このままではマズイ!


「フ、フェルミナさん……のぼせそうだから俺はとにかく湯槽から出ようと思うんだ?」

「?じゃあ私も……」

「いや、フェルミナは風邪ひかないように良く温まること」

「う~……わかりました」


 機嫌を損ねない様にもう一度優しく頭を撫で、ライは『くの字』のまま爪先の小走りで風呂場から出ていった……。



 その日の夜もラジック邸に宿泊となる。フェルミナが寝床に潜り込んできたが、既に荒ぶる獣神は深き眠りに封印している。フェルミナが不安がらない様に優しく包み眠ることが出来た。


 ライの視線はふと光が差し込んでいる窓へ……。そこには空に浮かぶ見事な月が輝いていた。

 全て完璧なマリアンヌの手際に感謝しながら、ライの意識は月光に溶けるかの如く深い眠りに落ちていくのだった……。




 そして──訓練四日目。


 翌日は早朝から訓練を始めた。フェルミナに強くなると宣った手前、自らに気合いを入れ直したのだ。


「驚きました。昨日より随分と無駄のない動きになっています。一体何故ですか?」


 マリアンヌはライの動きが改善されたことを素直に肝心しているようだ。もっとも、声に抑揚が無いので雰囲気で感じる取るしかないのだが……。


「イメージトレーニング、というヤツです。教えて貰った動きの違和感や使いどころを意識して、昨日の訓練に重ねて見たんですよ。で、今朝方少し早く起きて色々試してみたんですが……思ったより上手くいきました」

「成る程。素晴らしいです」

「マリアンヌ先生のお陰ですよ。ゆっくり休めたから集中する余裕が出来たんです。本当にありがとうございます」


 相変わらずフルフルと奮えているマリアンヌ。ライは既にマリアンヌを尊敬に値する『人』として見ている。マリアンヌにもそれが判るらしく、実に親身に指導してくれた。


 その日はひたすら素手の格闘を繰り返し一日を費やした。早ければ数日内にはティムが到着するが、エルフトを離れる前にせめて初級編は卒業したい。訓練に充てる日数を増やそうかと考えていたライは、そのことをラジックに相談しに向かった。


 そしてそれは、ラジックから大歓迎される結果となった……。


「いやぁ……実はあれからずっと解析に掛けているんだけど、まだ終わらないんだよ。この鎧、やっぱり完全な別格だよ」

「それは知ってますが……」

「甘い!そんなレベルじゃないんだ!完全に過剰な機能なんだよ……一部、解析出来たことを教えようか?」


 ラジックは魔法式の書かれた紙を取り目を通しながら説明を始めた。


「まず鎧の素材である竜の鱗。これ自体に複数の魔術が掛かっている。でも持主の判別や追跡・解析は大した術ではない。問題は残りの機能だ。一つ、自己修復。二つ、環境適合。三つ、竜体化。結論から言えば、鎧は『生きている』」

「生きている……それじゃまるで……」


 頭を過ったのはマリアンヌのことだった。自らの不具合を調整し、外見を進化させ、機械でありながら人に近付こうとする者。フェルミナの超越たる力の顕現──。


「この鎧には意志がある。人格的なものは流石に無い様だけどね。私の編み出した解析魔法でもまだ三分の二しか解明していないんだ。多分だけど、これは世界に於ける法則に絡む魔法かもしれない。実はこちらから貸与延長をお願いしようと思ってたんだよ」

「それで、解析出来そうなんですか?」

「う~ん……正直難しいかも知れないけどね?でも諦めるつもりはないさ」


 ラジックはまるで子どもの様に笑った。一瞬尊敬しかけたライだったが、相手は変態であることを思い出してそんな思いは冷めてしまったが……。


「そう言えば、マリアンヌさんは凄く優秀なんですよ……それなのに何で突き返されたんです?」

「?……そういえば王都に納品した後様子を見に行った時は兵士が軒並みボコボコだったけど………キミは平気なんだね?」

「そんなことになってたんですか……。良く捕まりませんでしたね、ラジックさん?」

「まあ、王都に立入禁止にされたけどね……は、はは」


 つまりマリアンヌは生命を持ち自我が芽生え、『加減』や『心情』を理解した可能性が高い。ライは後にマリアンヌに聞いてみたのだが……。


『あの兵士達は動けない私を普段から蹴ったり叩いたりしました。しかしライ様は私を対等以上に扱います。それに……私の存在理由はあなたへの献身ですので』


 と返された。その際、マリアンヌはやはりモジモジしていた……。


 シウトで起こった問題はどうやら兵士側の態度の問題の様だ。

 というか、それでは記憶はともかく感情も当時からあったことになるのだが……。


 ともかく、ライにとっては最高の師を得たことだけは確かだ。細かいことは気にしても仕方ない、とライはいつもの如くお気楽思考に到達した。


 休息や栄養も含め、精神と肉体を効率良く育てる為に陰で試行錯誤を繰り返しているだろうマリアンヌ。今や間違いなく心ある生物。寧ろ恐るべきはライへの献身っぷりである。



 そんなマリアンヌの食事を堪能している夕食時。昼間から本を読み漁っていたフェルミナは、ほぼ全ての本を読み終えたらしい。


「どう?何かわかった、フェルミナ?」

「はい。どうやらこの世界……と言うよりこの時代は、私の居た時代と別の法則が加わっているみたいです。魔法が特に顕著な例ですが、歴史認識や自然法則も幾分歪められているみたいですね」

「法則が違う?世界が違うってこと?」

「いえ……世界が違うというより法則が上書きされている感じですね。もとの法則はしっかり残っていますが、その上に細かい新しい法則が加わっている感じです」


 今一つ理解しがたい説明である。一体何が起こればそうなるのだろうか?


「結論から言えば、恐らく神様が消えたのかも知れません」

「神様が……消えた?」

「はい。世界構築を変更出来るのは神の立場に在る者だけですから。当時の神様は悪神と戦っていました。しかし破れたならもっと醜悪な世界になっている筈です。だから恐らく相討ちか、もしくは別の何者かに倒されたか、私同様封印された可能性も否定出来ません」

「じゃあ今、神様はいないの?」

「いいえ。上書きをした何者かが神、もしくは神の代行者なのでしょう」


 神の代行者……真っ先に浮かぶのはやはり神聖機構である。神の不在、世界の法則、そういえばラジックが何か言っていたことを思い出した……。


『これは世界に於ける法則に絡む魔法』


 神聖機構に対する疑念がライの中で芽吹く。神の代執行を掲げる彼らだ。必ず何かを知っている筈である。しかし、一体何がしたいのだろうか?安易に決め付けは出来ない。


「フェルミナ……辛くないか?」

「大丈夫です。神様がいないのは驚きましたが、ライさんがいますから。それに……」

「それに?何?」

「多分、他の大聖霊も無事存在しているみたいですから」


 【命を司る】のがフェルミナである。ならば他にも大聖霊が存在していても何ら不思議では無い。


「他の大聖霊って何人いるんだ?」

「あと四……いえ、三体存在します。『熱を司る大聖霊メトラペトラ』『時空間を司る大聖霊オズ・エン』『物質を司る大聖霊アムルテリア』……」

「おぉ……聞くからに凄そうだ」

「彼らも消えた訳ではないみたいです。もしかすると私の様に封印されているかも知れませんね」


 世界の法則を司る大聖霊。もしフェルミナの様に協力してくれるならば魔王討伐も楽になるだろう。しかし、そうなると疑念も残る。


「フェルミナの場合、封印が変化して消滅の危機だったんだよね?他の大聖霊もヤバイんじゃ……」

「それも考えたんですが、他の大聖霊は私と違って一筋縄にはいかないと思うので多分大丈夫かと……。それに彼らが消えれば、やはり世界はもっと混乱してる筈です」

「それはフェルミナが消えても同じじゃないのか?消そうとしたのは何故なんだろ?」

「わかりません……。もしかすると死者を生き返らせたかったのかも知れません。私が消えれば誰かが法則を決めるまで生命には何でも起こり得ました。神様が消えたのと私の消滅を狙ったのは関わりがあるのかも知れませんが……現状、何とも」


 どの道、悩んでも何も変わらない。情報も足りないし現状も判らない。ならば勇者の決断力、炸裂である。


「よし!保留!」

「保留……ですか?」

「だって考えても無駄だろ?なら美味い飯食って良く寝る。まずはそれで良いさ。俺にとっちゃフェルミナが消滅せず済んだ現実と今の平和があるならそれで良いよ」

「ライさん……」

「旅する内に情報も集まるだろう。誰かが魔王を倒したら、平和な世界を旅して他の大聖霊を探すのも良いさ。気長にいこう」

「はい!」


 本当は……早くフェルミナを仲間に逢わせたい。しかし、今のライには明らかに力が足りない。焦ってもロクな結果にはならないだろうことだけは分かる。


 そこで一つ、思い当たることがあった。


 それはディコンズの森のドラゴンである。ドラゴンはかなりの長命。フェルミナがいた時代から生きていれば何かを知っているかも知れない。ならば、やはりやることは変わらない。


(強くなる理由が出来ちゃったよ、父さん)


 ライが思い出すのは父・ロイの言葉である。強さも功績もそこそこの父。そんな父の言葉は深い。


『ライ……男には強くならねばならぬ理由があるんだ。父さん、昔ある領主の娘に恋をしてな?領主は結婚の条件にドラゴンの守る宝を持ち帰ることを指定した。希望者は皆、必死になって戦った。でもドラゴンは強かった。結局誰も領主の娘と結婚出来なかったんだが、そのドラゴンが人に襲われた理由を知って怒ってな?領主の街を襲ったんだよ。うん?ドラゴンに密告チクったのは父さんじゃないぞ?いや、本当に。な、何だ?疑うのか!コノヤロウ!』


(………)


 父はライの疑いの視線で話を切ってしまった。


 しかし、この話には続きがある。実は話の続きは母から聞いたライ。再び遠い記憶に思いを馳せる。


『領主が危機になった時、颯爽と現れたのは勇者ロイだった。ドラゴンの注意を引き、必死に領主とその娘を逃がす。火炎で火傷を負い、尻尾で強打されながらも必死に耐え抜いた。そしてロイは賭けに出た。持てるだけ持っていた煙玉を使いドラゴンの視界を塞いだのだ。ドラゴンの羽ばたきで直ぐに煙幕は散ってしまったが、十分な隙を作ることが出来た。ロイは自身の最大の技を用い竜の目を切り裂く。結局……竜を倒すことは出来なかったが、街と領主、そしてその娘を救うことが出来た。しかし、ロイは満身創痍ながらも何も言わず立ち去って行く。その姿に領主の娘は己の傲慢を恥じた。家を出奔し勇者ロイを追う娘。幸い娘は魔法の才があり旅を続けることが出来た。そしてとうとう、大恩ある勇者を探し出したのである。それから二人は人生という長い旅を共に続けました』


 そして母は、最後にこう締め括った。


『勇者は信念を曲げない。一度守ると決めた相手は、見返りなど無くても救う。父さんの言葉よ?』


 それはライが父を初めて尊敬した話。最近、髪の生え際が少し後退したことにショックを受けていた父の姿からは想像も付かない話である。ドラゴンを倒せない辺りが父らしいが、それでも尊敬に値した。


(ま、俺も父さんの子だから倒せなくても良いさ。ただ、話くらいはしたい。先ずはそのくらいは強くならないと)


 そしてライはその日もイメージトレーニングを繰り返し次の日の訓練に備えるのであった……。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る