幕間① 伝説の再来
吹き荒ぶ風──眼前に広がるのは戦場。
瓦礫と共に転がる
魔物と人の戦い。その惨憺たる現実がそこにはあった……。
西の国『アステ』──最も『魔族の国』に近い大国。その領地の一つが戦いの舞台だ。
三百年前……かつての魔王は勇者との戦いに破れ何処いずこかへと封印された。魔族達は主を失い、更なる西の地へと追いやられることになる。強力な魔族相手に多大な犠牲を出しながらも、人間達は西の果て『死の大地』に魔族を閉じ込めることに成功したと伝わっている。
それから現在に至るまで、各地で散発的な魔族の抵抗は続いた。だが、大事には至らず実質的に平和な時代が近年まで続いていたのだ。
しかし……平和は破られた──。
十数年前、自らを魔王と名乗り魔族を率いた者が世界に大きな混乱を齎した。その際、真っ先に襲われたのがこの要塞都市フロットである。
かつて魔族の侵入を防いだという防衛の拠点は、今や人ではなく魔物の巣窟であり『魔王領』とも言うべき場所。人が暮らす街として栄えていた活気は最早見る影もない。
そんな禍々しい光景を高台から見渡している少女がいた。
神聖機構の法衣に似た青い服を纏い、その上から純白の鎧を装備、腰にはやや細目の長剣を携えたその姿。その全てに魔石が付属し見事な装飾で飾られている。
赤い髪をポニーテールにしている少女……彼女の名はマーナ。世界で最も英雄に近いと言われている『三大勇者』の一人であり、『残念勇者』たるライの妹である。
「戦況は?」
マーナは心底興味が無いといった顔を浮かべながら側に控える騎士に視線を向け問い掛ける。
「間もなく敵軍を壊滅出来るでしょう。しかし思いの外ヤツらの居城が頑丈でして……」
騎士の報告に不満らしく、美しさに似合わない“しかめっ面”で溜め息を吐く。
「全軍一時撤退。今から大規模魔法での殲滅を行います」
「で、ですが、その様な手間は不要では……?」
「私は早く休みたいの。早くしないとみんな巻き込んじゃうわよ?」
マーナはさも当たり前の様に告げると視線を戦場に戻す。騎士は慌てて伝令を飛ばし戦場の兵を引き上げさせた。
「撤退、完了しました!」
報告を受けると、マーナは手を空に翳す。詠唱を始めたマーナを金色の光が包み、空には巨大な魔法陣が展開する。完成と同時に掲げた手は一気に降り下ろされた。
《天雷の滅光》
魔法陣から光の柱が降りる……。光は輝きを増し閃光に変わると、大気が裂かれるような嫌な振動音を響かせた。しばしの間続いたそれは、やがて収まり魔法の光も徐々に薄くなり消えてゆく。
《天雷の滅光》は敵居城を中心に放たれた。しかし今はその場所に何も存在しない。残されているのは広大な円形の塵だけである。
「………」
「………」
「うおぉぉぉ~!勇者マーナ、万歳!」
騎士の一人が上げたその声は波のように広がり大歓声へと変わる。それは、この戦いの勝利を意味していた……。
(はぁ……早くお風呂に入りたいな)
騎士達の歓喜と対照的に憂鬱な顔をしているマーナ。高台から素早く移動し討伐軍司令部の兵站に向かう。
マーナが一際大きなテントに近付くと衛兵は敬礼で出迎えた。既に勝利の報告は届いているらしく、喜びと尊敬の目差しで敬礼をとっているのだ。
マーナは表情を変えず軽く会釈しテントに入ると、アステ軍最高指令のオプト提督が大袈裟な身振りで出迎えた。
「流石は伝説の再来と言われるマーナ殿だ!本当に見事としか言いようがない。アステを代表し貴女に最大の敬意と感謝を」
「いえ……これも使命ですから。国王様からの依頼、確かに果たしました。それではこれで……」
さっさと立ち去ろうとするマーナ。オプトは慌ててそれを引き止める。
「王都では勝利の宴を準備しております。是非……」
マーナはその言葉を手で遮った。そして疲れた表情を隠しもせず首を振る。
「ご厚意、感謝致します。しかし、私は魔王討伐の天命を果たすまで宴には参加しないことにしています。申し訳ありませんが……」
「し、しかしながら、我が王も直接謝意を伝えねばマーナ殿への申し訳が立たないことでしょう。ですから、そこを何とか……」
マーナにはオプトが食い下がる理由がわかっていた……。
『勇者マーナ殿!是非、我が国に!』
それは、これまで嫌と言う程聞かされた言葉……。どの国もマーナの噂を耳にしているらしく、旅先でマーナの身元と知ると魔王軍の討伐を依頼してくるのだ。あわよくば安く使い倒す気なのは見え見えだった……。
そしてその実力を知るや否や手の平を返し、『我が国の勇者として』と口を揃え讃えるのである。
マーナはそんな政治に興味はない。政争の愚に巻き込まれるのは御免であると常々思っているのだ。
「急ぎますので、これで」
にべもなく司令部のテントを後にしたマーナは、足早に自分達に充てがわれていた小さなテントへと向かう。
中には一人の男がテーブルに水晶を乗せ呪文を呟いていた。マーナは近くにあった書類を丸めて突然男の頭をひっぱたく。
「痛いっ!……って何だ、マーナか」
「終わったわよ、イベルド。皆は?」
「無事だよ。大活躍だったね」
マーナの理不尽な行動に動じない痩せた長い黒髪の男、イベルド。魔術師の彼にとってマーナの理不尽はいつものことだ。
「で、あんたは何してたの?」
「遠見の魔術で敵の残存を確認してたんだ。でも必要なかったね。お見事だ」
「本当はあんたがやれば良かったのよ。私、面倒臭いんだから……」
「君がやるから意味があるんだよ。それが世界の人々の希望に……」
「興味ない」
言葉を遮り椅子に寄りかかるマーナ。イベルドが肩を竦めていると、テントの中に二人の人物が口論しながら入ってきた。
「あんたが前に出なければ余計な手間は掛からなかったのよ!」
「俺が前に出なきゃお前が殺られてたぜ?全くこれだから……」
言い争いは平行線の様だが、マーナの不機嫌な顔に気付きピタリと止んだ。
「なぁに?またご機嫌斜めなの?」
法衣を着て黒髪を肩で切り揃えているのは神聖教会の司祭エレナ。
「へッヘッヘ……大変だねぇ、勇者様は?」
人事だと笑っている、顔に傷の厳つい男は元・傭兵戦士アウレル。
この二人にイベルドを含めた三人がマーナの旅の仲間である。
「皆、支度して。出るわよ」
「あぁ?ちったあ休ませろよ……」
「別に良いわよ?ただ私は行くから、ここでお別れになるけど」
容赦ないマーナの言葉に全員が肩を竦めた。
「わーったよ!……ったく」
「まあ、僕にはマーナが政治に関わりたくない気持ちは分かるけどね……」
「そうね。ここにいる全員、そういうしがらみが嫌でマーナと行動している訳だし……じゃあ用意しましょうか」
マーナは仲間を見た。文句を言いながらも共に行動する頼れる仲間。彼らを嫌いな訳ではない。マーナは素直ではないのだ。
「先に貰った準備金があるでしょ?あれで酒でも何でもやっていいから早く離れるわよ」
「お?珍しい。勇者様から許可が出たぜ?」
「私、お風呂に入りた~い。マーナもでしょ?」
「僕はとにかく眠りたいよ……ずっと敵の監視なんだもん」
騒がしくもテキパキと旅の準備を進める彼等は、いつものことなので慣れたものだった。
僅かな時間で準備を済ませ、人目を避ける為にテントの裏側を切り裂きそそくさと移動を始める。全員、地味なフード付きマントを目深に被っている。イベルドの認識阻害の術も併用されており、アステ軍陣営で彼等が抜けたことに気付くものは誰もいなかった。
そしてフロットでの戦いから二日後──マーナ達はアステ国内にある小さな街の宿屋に滞在していた。
仲間達は身分を隠す為、簡単な衣装に着替え各々に休息をとっている最中である。
現在、マーナは風呂に浸かり脱力中……。
(はぁ……気持ちいい。久し振りにゆっくり出来たわ)
マーナは湯船の解放感に目を瞑っている。思えば故郷を出てから目まぐるしい日々だった。
元々高い才能を持っていたマーナは、シウト国王からの推薦で神聖機構に紹介された。そこで修行を積み最高レベルの魔法と剣術を習得し、更に惜し気もなくエルドナ社の装備を与えられた。最高の環境からの旅立ちだった。
しかし……マーナは気に入らなかった。利用できるものを利用しただけと言い聞かせ自分を納得させていたが、どうしても神聖機構の人間の目が嫌だった。視線を向けながら、まるで誰も見ていない機械的な目……。
だからマーナは旅立ち以来、神聖機構に近付いていない。唯一の例外、神聖機構の司祭であるエレナは他の神聖教徒と違い奔放で力に満ちていた。だから神聖機構抜きの仲間として、また友人として共に行動している。
(皆、元気かな……)
思いを馳せるのは遠い故郷。少しホームシック気味のマーナ。無理もない。彼女はまだ十五歳の少女なのだ。
瞼に浮かぶのは懐かしい家族の顔。あまり家にはいないが子供達にダダ甘な父、しっかり者の母、真面目な長男、そして一つ年上の優しい兄、ライ……。
マーナは特にライを思い出すことが多かった。
小さい頃のマーナは、とにかくライにベッタリだった。父は不在が多く、母は家事で忙しい。長男のシンは真面目で修行ばかりなので殆んど相手をして貰った記憶がない。そんな中、ライだけはいつも一緒に遊んでくれたのだ。
ライは面倒見が良く、嫌な顔一つせずマーナの相手をした。それを友人にからかわれても笑顔で答えたのだ。
『大事な妹と一緒にいて何が悪いの?』と。
だからライは友人が少なかった。友人と遊ぶよりマーナを優先したのだ。それを理解して友人だったのは道具屋のティムだけである。
それは兄の責任感からかもしれないが、ライがマーナを疎ましがる態度を家族ですら一度も見たことがない。そしてそれはマーナが兄を好きになるには十分な理由になった。
そう……マーナは実の兄ライを愛しているのだ。
マーナ、十一歳の春。既にその才能の片鱗が見え始め色々な魔法が使える事が嬉しくなっていた頃……。それを試す為に一人で王都ストラト近くの森に向かったのである。
ライはそんなマーナの姿に気付き慌てて後を追った。しかし運悪く、その森には狂暴な大型魔物が人間に追われ隠れていたのである。
マーナに才能があると言ってもまだ発達していない子供。魔力が高くても身体は追いついていかない。当然、魔物に出会ったマーナは命の危険に晒される。魔物に弾き飛ばされそうになった時、身を呈してマーナを庇ったのはライだった。
マーナはそこからの記憶が無い。気付いた時ライは瀕死。魔物の姿は既に無く、血塗れのライは意識朦朧としながらもマーナの無事を喜び意識を失った。ライがマーナを追う前に大人達に声を掛けていた為直ぐに救助され一命を取り留めたのだが、ライはそれから丸二日、目を覚まさなかった。
マーナは泣いた……。自分のせいで大好きな兄がいなくなってしまうと自分を責めた。その後、目を覚ましたライはマーナを責めもせずいつもの笑顔でマーナの頭を撫でてくれた。
その時、マーナの中で決意が生まれる。辿り着いた答えは、勇者らしいと言えば勇者らしいものである……。
『私が強かったらライ兄ちゃんは怪我をしなかった。私がライ兄ちゃんを守るんだ』
それからマーナは魔法を片っ端から覚えた。王都ストラトで学べるものは全て学んだ。
遊びに来た友人が、ライやシンをカッコいいと言ったので思わず嘘をついてしまった。ライに覗かれた、と。
そんな嘘でライは評判を落とし、だらしなくも破天荒な兄になってしまった。
しかし、マーナにはそれで良かったのだ。兄が優しいままであることは理解していたし、本当のライを自分だけが知っていれば満足だったから。自分だけが一生ライの側にいる、そんなことを本気で望んだのである。
だが……世界はマーナの望みを乱した。魔王を名乗る者が勢力を拡大し世界は更に不安定になる。父も兄も魔物討伐に旅立った。
このままではライも旅に出ることになる。ライを危険な目に遭わせる前に自分が終わらせる……そう勇んで旅に出た。
『すべては愛すべきライお兄ちゃんの為』
マーナの戦いは全てライの為なのである。
(ライお兄ちゃん、まだストラトにいるよね?待っててね、すぐに魔王を倒して帰るから)
まさか愛しのお兄ちゃんが『大臣から脅迫紛いの方法で旅の資金を用意した』とは露知らず、マーナは兄が旅立ったとは思いも寄らない。
因みにその頃、愛しのお兄ちゃんは……全身激痛でのたうち回り、お漏らし勇者として爆誕を果たし、マーナより年下に見える大聖霊を一生の下僕にしていた頃である。
(でも戻ったとき、もしライ兄ちゃんに女がいたら……)
マーナはそんなことを考えると邪悪な笑みを浮かべた。
(そんなもの、消しちゃえば良いよね?)
フェルミナ、大ピンチ。大聖霊のフェルミナに恋愛感情があるかはわからないが、ライと共に行動する中で触れ合う機会は発生する。マーナにとっては充分な抹殺理由になり得る。やはり危機だろう。
しかし、そんな事態になるのはまだ当分先の話。マーナはまだ帰れない。まずは魔王を捜さねばならないのだ。
「マーナ、まだお風呂にいるの?」
長風呂のマーナを心配したエレナが浴室の外から声を掛ける。どうやらかなりの時間思い出に浸っていたらしい。
「今出るわ。そういえば男達はどうしてるの?」
「アウレルは昨日から戻ってないわね。多分、酒に酔い潰れてるか女でも侍らせてんでしょ。ベリドは眠りっぱなしみたいよ?カタとも音がしないわ……ある意味、驚愕ね」
「まあ良いわ。五日間は自由にする約束だもの。私達も鋭気を養いましょう」
タオルで身体を包み浴室から出てきたマーナにいつもの厳しい顔は無い。歳相応に幼さを残す少女そのものだ。
「そういえばマーナ。美容に良いマッサージのお店があったわよ?一緒にどう」
「なに言ってんの、エレナ。行くに決まってるでしょ?」
全ては兄のため!美しくあることも必要なのだ!
そうして今後も魔族との戦いは続いて行く。理由はどうあれ、世界はそんな少女の歪な願いですら均衡を保つ為に不可欠なのだ。魔王からすれば耳を疑う理由だろう……しかし人間など大なり小なりそんな存在なのである。
マーナと魔王が初対峙し大規模な被害が発生する『超越者の傷痕』と呼ばれる事件。それが起きるのは、しばらく先のこととなる。
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