第二章 第三話 規格外の下僕


「………」

「………」

「………何か言って下さい、ご主人様」

「ぐはぁ!」


 巨大魚の中から少女が現れた──ライがそのショックから立ち直るまで少し時間を要した。


 何とか会話が出来るまでに落ち着いたのは爽やかな朝日が大地を照らし始めた時刻……。


 ライと少女は向かい合う形で畔の草むらに座っている。少女は一糸纏わぬ姿だった為ライの荷物から予備のマントと長めのシャツを着せその場を凌いだ。


「まず自己紹介を。私はフェルミナと申します。【命を司る大聖霊】です」

「……はい?」

「ですから【命】を司る大……」

「はい!ストォ~ップ!」


 早速、会話が頓挫した。フェルミナと名乗った少女の発言に追いていけなかったのが原因だ。


「な……何ですか?」

「何ですか?じゃない!こっちが『何ですか?』だよ!【命を司るの大聖霊】って何?聞いたこと無いんだけど?」

「えぇ~っ!そこからですか?」


 この世界の【精霊】は『火、土、木、水、雪、風、雷、聖、光、闇』等の様々ものが存在する。【聖霊】という言葉自体は『聖』の精霊を指す際に使われることはあるが、【大聖霊】等という存在は周知されていない。当然、『命を司る』というのもライには初耳だった。

 そのことをフェルミナに説明すると……。


「うぅ。そんなぁ……」

「いや、本当に知らないんだよ。俺の母親は元・魔術師でその手の本が家にあったけど、見たことも聞いたことも無いよ?」


 困った顔をしているフェルミナを見たライは思わず溜め息を吐いた。


「……まず、君は何で魚なんかやってたの?」

「封印されたんです」

「誰に?」

「勇者に……」

「何で?」

「……わかりません」


 首を傾げたライに合わせて首を傾げたフェルミナ。要領を得ないので次の質問に移る。


何時いつから封印されてたの?」

「三百年前です。正確には明日で三百と一年になるところでした。危なかったです」

「……危なかった?」

「はい。三百年経つと、封印魔法が変化して消滅結界に変わる仕組みになると言われました。それが発動するのに一年……危うく消えちゃうところを助けて頂きました。残り二日で助かるなんて奇跡です!」


 そう言うとフェルミナは尊敬の眼差しでライを見つめている。


 フェルミナはやや幼めだが物凄い美少女である。輝く光そのものの様な白金の髪は腰の辺りまで伸び、垂れ気味の大きな目は若草の様な翠を宿している。

 しかし、発言は分からないことだらけ……ライは外見に惑わされない様注意しながら会話を続けた。


「命の大聖霊って何?」

「この世界の命を司る存在です。私が消えたら命の概念が変化しちゃいます」

「例えば?」

「え~……断言は出来ませんが、寿命とかが変わったり……あっさり絶滅する種も出たと思います。死者が蘇るかもしれません。もしかすると生物は全て魔物化したかもしれませんし、半精神存在になったかもしれません」

「……さっぱり分からん。けど、世界がヤバかったってこと?」

「はい……あ、もしかすると大丈夫だった可能性も……」

「……………」


 何か神経を尖らせていることに疲れを感じ始めたライ。肉体のダメージがまだ回復していないので尚更だ。

 改めて考えてみれば湖の水は『回復する命の水』である。邪悪な存在がそんな場所に居るとは思えない。


 やかて考えるのが面倒になったライは『別に人に迷惑を掛けないなら何でも良いんじゃないか?』……そんな結論に至った。そして結局、投げっぱなしを選択する。


「取り敢えず、全部分かりやすく纏めてくれる?五十字以内で」

「えぇ~っ?……えぇと……ですね……」


 しばらく考え込んだフェルミナ。出した結論はと言うと……。


「……ごめんなさい。無理です」

「いや、俺も無茶言った。ごめん」

「いえ……私もまだこの世界を把握してないものですから……何せ三百年、ここで魚をしてましたし」


 三百年……たった一人でこんな場所にいた、そのことは同情に値する。そう思うとフェルミナに色々聞くのは少し時間を掛けた方が良さそうだとライは判断した。


「まあ、今の世界に慣れたら少しづつ聞かせてくれ。それよりフェルミナ……」

「はい?」

「フェルミナは何が出来るんだ?大聖霊とやらなら色々出来るんだろ?」

「はい。命に関わることは大概出来ますね。出来ない、と言うよりやってはいけないのは死者を生き返らせることです。神様に釘を刺されましたから」


(神様……ね)


 その言葉で一番最初に浮かんだのは『神聖機構』である。天の御使いが中枢にいると言われる組織であり、ライの鎧を創造した機関。

 しかし、今は思考の奥に置いておくことにした。


「じゃあさ?身体の異常って治せる?杭……じゃなくて杖を抜く時に無理したから、全身がキツくて……」

「わかりした。御安いご用です」


 フェルミナはライが引き抜いた杖を手にしている。それをライに向けて一言何かを囁いた。すると瞬時に体調が全快……先程までの痛みが嘘の様に消え去った……。


「凄ぇ!前より調子良い位だ!」

「お役に立てて光栄です、ご主人様!」

「ぐぼぁっ!」


 ライはすっかり油断していた。見た目いたいけな少女に『ご主人様』と呼ばれるのは、中々に後ろめたい……。


「あ……あのさ?ご主人様っての無しにしない?」

「無理です。もう契約してしまいましたから。ご主人様の左胸を見て下さい」


 フェルミナの指摘に鎧を緩め恐る恐る胸元を開く。そこには紋章印が浮かび上がっていた。


「契約により私は一生あなたの下僕です。ご主人様」

「うっ!わ、わかったからせめて呼び方変えようよ。ご主人様以外に」

「?わかりました。ご要望ならば……では何とお呼びしたら良いですか?」

「ライで良いよ」

「ライ様で良いですか?」

「う~ん……せめて『さん』にして欲しいかな?」

「わかりました、ライさん」


 呼び方一つで大変な精神ダメージを受けたライだが、一つ肝心なことを忘れていた。腹の虫が鳴きまくりなのだ。実質、丸二日食事をしていない。


「ライさん。もしかしてお腹が空いてますか?」

「ハハハ……ほぼ水しか飲んでないからなぁ」

「果物でも良いですか?」

「え?用意出来るの?」

「はい。少し待って下さいね」


 フェルミナは杖を地面に向ける。途端にリンゴの木が生え出してみるみる生い茂り、終いには真っ赤な実を付けた。


「……凄ぇ!!大聖霊と言うだけはあるな!」


 凄いなんて話ではない。フェルミナの力は『神の宝具』と言っても良い程に異常なのだ。種も何もない場所に果樹を発生させるなど奇跡の類いである。しかし、空腹のお漏らし勇者には餓えを癒す方が重要なのでその超常さに気付かない。 

 さっそくリンゴの実を一つもぎ取り頬張ると今まで食べたことのない最高の味だった。ライは夢中になって食べ続けた。


「ありがとう、フェルミナ。助かったよ」

「ライさんのお役に立てて良かったです」


 満面の笑顔のフェルミナ……その顔には鼻血が垂れていた。美少女台無しである。途端にライはリンゴを吹き出した。


「ブハッ!……ちょ、ちょっと!どうした、フェルミナさん?」


 ライは慌ててフェルミナの鼻を自分の袖で拭いた。血は既に止まっている。


「あ、あれ?お、おかしいですね……。多分、封印されていたから力が弱っているのかな?身体も子供になってるし」

「そうか……三百年だもんな。フェルミナ……無茶は駄目だ。頼むから自分を削るの止めて?辛かったら言ってね?」

「はい。ありがとうございます」


 再び満面の笑みで答えるフェルミナ。その顔には鼻血の跡がある。ライは一抹の不安を覚えた。


(無茶させない様にしよう……)


 その後、フェルミナに顔を洗わせている間に腹を満たしたライ。今は離れた場所で身体を洗い服を着替えている。股間の恥辱は早急に濯がねばならない……勿論、フェルミナへの口止めも忘れない。


 因みにお漏らしした服は嘆きを込めて火炎魔法で消炭にした。さらば、旅人の服その一。


 それが終わるとライは元の場所に戻り水筒に湖水を満たす。持てるだけ用意して旅の準備を始めた。


「そういやフェルミナ。杖はどうしたんだ?」


 いつの間にか無くなった杖が気になる。あれは『神の宝具』だろうと半ば確信していたのだが……。


「ここに有りますよ?」


 フェルミナの腹部から杖がニュッと飛び出してきた。しかも杖は服を透過している。意表を突かれたライは、思わず飛び退いた。


「ど、どうなってんの、ソレ?」

「えへへ。これは私の魂の半分なんですよ?杖として使ってますけど」

「へ、へぇ~……」


 フェルミナの話では、自分の魂の力を分けて杖にしているらしい。それをかつての勇者に奪われ封印された為に弱体化し、身体も封印されてしまったのだという。


「じゃあ俺に語り掛けてきたのは魚じゃなく杖だったの?」

「はい。身体は完全に封印されてしまってましたので。ライさんが私の魂……杖を解放したので薄かった意識が完全に戻ったんです」


 もはや何でもありだなとライは思った。大聖霊、恐るべし……しかし、その認識はまだ甘かった。


 フェルミナに湖水を飲ませたところ衰弱は幾分回復したらしい。元々フェルミナの力が洩れて命の水と化していた湖水なので当然といえば当然なのだろう。

 しかし……回復したフェルミナ、なんと浮くのだ。移動する際、歩く必要がない。


「……俺以外の人がいる時は、フリで良いから歩いてね?」

「?……わかりました」


 彼女が今の世界に順応するのはまだまだ先の様である。


 それにしても、とんだ道草を食ったものだとライは思った。先はまだ長いのに既に四分の一程の日数が経過してしまった。それでもフェルミナに時間を確認した際、二日程で済んでいたのは寧ろ幸いだと感じていた。


「これはマズいな……ちょっと急ぐかな」

「急ぎのご用が?」

「あと十日くらいで目的地に着きたいんだ」

「転移しますか?少し無理すれば出来ると思いますけど……」


 転移魔法。今はその術は世間に存在しない筈。魔王により失われた術と言われている。


「………駄目」

「な、何でですか?」

「言ったでしょ!無茶すんなって!」

「……ごめんなさいです」


 たまにおかしな言葉遣いになるフェルミナは妙にしょんぼりしている。ライはフェルミナの頭を撫でながら優しく説明した。


「あのね?フェルミナが凄いのはわかったけど、まだ回復していないだろ?心配なんだよ」

「心配……」


 何かフェルミナの表情が明るくなった気がした。それを見たライは少しテレている。


「そ、それに修行の旅でもあるんだ。ギリギリでも到着すれば良いんだよ。本当に困ったら頼りにするから……だから、ね?」

「はい!頑張りますです!」

「だから頑張っちゃ駄目だって……」

「はい!」


 どうも話を聞いていない気もするがライはとにかく先を急ぐことにした。いい加減に布団で眠りたいしフェルミナの服も用意せねばならない。


 テキパキと準備を整え、いざ出発。


「フェルミナ。マントに掴まってて」

「?わかりました」


 ライは魔力を満タンまで溜めた鎧の魔法を発動する。


「身体強化!」


 そしてライは駆け出した。始めはゆっくりと、徐々に加速して行く。フェルミナは浮いているので滑るように引っ張られる。


「イヤッホ~ゥ!!」

「アハハハハ、面白いです~!!」


 それは新種の魔物に見えたかも知れない。高速で走る人影に引っ張られる少女……端から見れば怪しさ全開だ!


 こうしてライとフェルミナは、ものの一刻も掛からず『セト』の街に到着を果たすのだった……。



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