第一章 第十五話 鬼軍曹、降臨
「オラッ!どうした、ライ!」
「まだまだ!これならどうだ!」
「甘い甘い!」
ノルグー騎士団の訓練所。その一角で木刀を交えるライとフリオの姿があった。
フリオの家に厄介になって九日目。今日は朝からぶっ通しでフリオと手合わせしている。訓練なので、当然『魔導装甲』は脱いでの手合わせだ。
「はい、終了~!また俺の勝ちだな」
「ハァハァ……フリオさん強すぎですよ。流石は騎士団長……」
「ヘッヘー、見直した?」
「本当にカジノの時と同一人物ですか?実は双子とか……」
「そうそう。俺はフリオの兄でマリオ……じゃねーよ!」
見学していた他の騎士から失笑が漏れる。勇者マーナの兄と騎士団長が手合わせすると聞いて、皆が見学していたのだ。
「筋は悪く無い。だが明らかに経験が足りんな。そういやお前、魔法は使えないのか?」
木刀を肩にトントンと当て涼しげに聞いてくるフリオだが、対するライは汗だくだ。
「一応使えますけど、問題が……」
「何だ、問題って?」
「その……命中率がちょっと……」
魔法は一通り使えるのだが、目標に当たらないのだ。ライの秀でない面、全開である。
「よし!試しにアレ、狙ってみ?」
「えぇ~……怪我しても知りませんよ?」
「良いから良いから。皆、離れてろ」
フリオが指したのは打ち込み用の丸太である。ライは詠唱を唱え、雷撃魔法を放った。すると……。
「がびびびびびぴ!!!」
かなり離れていた見学していた騎士シュレイドに直撃。加減したので命に別状はないが、倒れてピクピクとしている。
「うん!なかなかポンコツだな!」
「ポンコツって言わないで下さいよ~。確実に生物に当たるんです。ちょーっと指定が効かないだけで」
「ちょーっと、じゃないわ!仲間に当ててどうすんだよ!そんなんじゃドラゴンの相手なんてとても無理だぞ?」
今朝方早く、フリオはノルグー卿の元に赴きドラゴン調査の件を嘆願した。結果、条件付きで許可が降りたのだ。
フリオを含めた騎士は人数を絞り少数精鋭で行くこと。飽くまで交渉目的であること。緊急時には必ずディコンズの民を守ること。以上を踏まえ許可が下りたのだ。
実はまだタルローの様な存在を疑う声がある。混乱を避ける為調査が終わるまで大規模に兵を動かすのは避けたい、というのがノルグー卿の本音らしい。
「で、鎧の魔法は試したのか?」
「はい。あれを着れば魔法はちゃんと命中します」
フリオがノルグー卿の元に向かっていた間、ライは街から出て少し魔導装甲を試していた。鎧を着れば魔法は百発百中だった。
「なら良いか……。そういや、あれ着て本格的に戦ったか?」
「いえ……そこで提案なんですが……」
提案内容はノルグーからディコンズまで徒歩で向かうという話だった。その間に鎧の性能に慣れ剣の腕も上げるつもりらしい。
「大丈夫か?いくら鎧が強力でも一人は危険じゃねぇのか?」
「それが、そうでもしないと修行にならなそうなんですよ。あの鎧、おかしいですから」
「………」
昨日の鎧の鑑定もフリオには話してある。あの道具屋はかなり優秀なので性能を間違えることは有り得ないだろうとフリオは言っていた。
「……わかった。じゃあディコンズで待ち合わせにするか。ここから徒歩で十日は掛かるぜ?戦いながらだとその倍だな」
「明後日の朝にノルグーの街を出ます。ですから、それに合わせて貰えれば」
「わかったよ。じゃあ明日の昼まで訓練だな。鬼軍曹方式と虎の穴方式、どっちが良い?」
「な、何ですか?その不穏な響きの特訓方式は?出来れば穏便に……」
「よし!野郎ども!まずは虎の穴からだ!」
第三師団の騎士達から『ヒャッハー!』という奇声が聞こえた様だが、きっと気のせいだろう 。ライが無事に旅立てるのを祈るばかりである。
その日のライは別人の様な食欲と泥の様な睡眠だったことは言うまでもない。
「ライさん?」
ノルグーの市街を歩くレイチェルとライ。様子がおかしいことに気付いたレイチェルは、不安げにライの顔を覗き込んだ。
ノルグー滞在十日目のその日も朝から『鬼軍曹』と化したフリオに鍛えられた。明日の旅立ちに備え昼には開放されたのだが、目を瞑ればまだ鬼軍曹の声が聞こえる。
『いいか!貴様は【ピー】だ!人ですらない【ピー】野郎だ!だが俺がお前を叩き直し【ピー】から立派な人間にしてやる。人間になりたいか!!!ならば逆らうな!俺は神だ!!お前を人間にする神だ!!』
「はうぁっ!」
「キャッ!だ、大丈夫ですか?」
突然、ビクッとなったライにレイチェルは驚いた。至極当然の反応である。
「だ、大丈夫です。ちょっと鬼軍曹が……」
「鬼?少し休みますか?」
「ダイジョブ……チョトマテテ」
ライは一応着てきた鎧の左胸部にある魔石に触れ神聖魔法を発動。じんわりとした温かさが精神疲労と共に体力も幾分回復する。
「スミマセンでした。もう大丈夫です」
「良かった。どうしちゃったのかと……」
明日にはこの街と一旦お別れである。
レイチェルは結局、ライの説得を諦めた。昨日は口をきいてくれなかったのだが、今日になって何事も無い様に明るい笑顔で接してきたのだ。夕食はご馳走にすると言って聞かず、その買出しと旅の準備を兼ねて街を散策中である。
ノルグーは新旧の文化のバランスが取れた街だと改めてライは思う。街並みは昔からの風情を残し、新しい魔導科学の技術も生活に織り込まれている。
生活区域と観光区域は造りの違いに違和感を感じさせない様、配置にも気を配られている。伝統に拘るストラトとは随分と勝手が違うようだ。
「ライさん。食べたいものありませんか?」
「う~ん。好き嫌い無いんで……レイチェルさんの料理はどれも美味いからお任せ出来れば」
「わかりました。気合いを入れて作りますね」
その後もどこか嬉しそうなレイチェルと街を歩きながら買い出しを続けた。
そして夜……しばしの別れを惜しみつつささやかな宴が開かれた。騎士団も招いたので小さめのフリオ宅はかなり賑やかだった。
「うん!美味いです。流石レイチェルさん」
「随分気合い入れたな、レイチェル。俺、こんなご馳走食ったことねぇぞ?」
「もうっ!兄さんたら!」
冷やかしている実の兄の背にレイチェルは平手でかなり強めの打撃を与えた。お兄さん、涙目で噎せている。
「上手くいったら領主から報酬が出るだろうからまたご馳走だぞ、ライ?」
「やったー!じゃあ益々気合いが入りますね!」
肩を組む男二人を楽しそうに見つめるレイチェル。ライが十日しか滞在していないことが嘘の様な打ち解けぶりだ。
結局、最後はフリオや騎士達が酔い潰れ宴はお開きになった。ライはレイチェルの片付けを手伝っている最中である。
「すみません、手伝っていただいて……」
「いえ……俺こそスミマセン。……その……ご心配お掛けして……」
「……きっとライさんは根っからの勇者なんですよ。だから……許してあげます。でも必ず無事で……」
「はい……」
「……それにゲントさんも『少しは慣れろ』って言ってましたし……」
「へ?何をですか?」
「な、何でもありません!あ、明日お弁当用意しますね!」
レイチェルの顔が赤いことには気付かないライ。その後片付けを終えたライは部屋で旅立ちの準備を整える。
明日からは『温かい寝床』も『美味い食事』も無い。嫌でもサバイバルが待っている。
(アレ?ドウシテ コウナッタ?)
いざ旅立つとなると色々不安になってきたヘタレ勇者。フリオが言っていた様に目標など【ドラゴン】でなくても良いのだ。暴れないなら放って置けば良い話である。
(そう言えば『次の目的はそこにするか……』とか言っちゃったよ。分不相応だろ?カッコつけちゃったよ……恥ずかしい)
温かい布団の中で悶々と考えると、益々不安が増えていく。しかし、時既に遅し。今更やめることなど『こっ恥ずかしくて』出来ないのだ。
(止められないよなぁ……フリオさんなんてわざわざノルグー卿に掛け合っちゃったし。騎士団巻き込んだから逃げられないし……どうしよ?)
『構わねぇから、逃げちまえよ』
その時突然、ライの頭の中で何かが囁く。これはまさか……。
『俺はお前の中の悪い心さ。逃げたいなら逃げちまえば良いのさ』
中々にベタな展開が来た。ライの脳内に小さな悪魔の姿が現れたのだ。ということは当然……。
『逃げては駄目です。あなたは勇者なのですよ?』
やはり来た!後の流れは想像が付くだろう。
『私は貴方の中の欲です。他人を利用するのです。危険なら盾代りにして手柄は自分のもの。楽勝よ?』
ん?……話がおかしな方向に……。語り掛けてきたのは宝石で着飾った女悪魔だ。そして……。
『いい加減にせんか!』
今度こそ大丈夫だろう……多分。
『我は殺意。いざとなれば皆殺しにすれば済む話であろう?……鎧の力と不意打ちならばイチコロだ。ドラゴンを使って始末する手もある』
……とんでもないヤツが登場した。その姿は悪魔なのか死神なのか判りづらい。
(なんで天使がいないんだぁ━━━っ!!)
布団の中で身悶えるライの心の叫びは尤もである。しかし、原因はライ自身だと言うしかない。
『逃げるんだよ!』
『利用するのよ!』
『皆殺しなり!』
脳内の悪魔達は終いには殴り合いを始めた。その自由さはとても想像の産物とは思えない程で、鼻血や腫れまで発生している。
(ちょっと、ちょっとぉ!お前ら何なんだ!)
その問い掛けに反応し殴いを止めた悪魔達。そして、まるで打ち合わせしていたかの様に大げさな動きを始めた。
『俺の名はアク!』
『私の名はギョ!』
『我が名はウザンマイ!』
(語呂悪いな……オイ)
『三人揃って!……【アクギョさん】だ!』
誇らしげに妙なポーズを取ったが、それすら揃っていない。しかも名前には一人足りていない。
(俺は寝るんだから消えろよ!せめて静かにしろ!)
『うるさい!ヘタレは黙ってろ!』
『そうだ!そうだ!』
『その通りなり!』
悪魔達は肩を組みすっかり結託している。あろうことか主人格のライに食って掛かった。
『大体、レイチェルに手も出せねぇヘタレの癖に』
『そうそう。何度も風呂覗くのを躊躇ったのよね?ヘタレ』
『……やっちゃえ、なり』
(ぐはっ!お前ら……!)
ライは精神に10のダメージを受けた!悪魔達はいやらしく笑っている。何故か死神風の悪魔だけは赤面していた。
(知り合って十日で手を出すとかどんな節操なしだよ……)
『何言ってやがる。【絶倫勇者】の子孫の分際で』
『自分の股間もお盛んな癖に』
『盛りのついたエテ公め!なり!』
(グフッ!コイツら……)
『さあ……欲望のままに!』
『やりたいように!』
『やるがいい!』
悪魔の囁きとはまさにこのことだろう。ライの頭の中で様々な感情が走馬燈となり廻った。危うく精神が飲まれかける。しかし……。
(全員正座!!)
ライは見事に欲を振り払った。いや、実はまだ微妙に振り切れていないのだが……。ライも青い春の時期なのだからそれも仕方ないこと。
それでも悪魔達は、ブチブチ文句を言いながらライに従い正座した。ここで本日訓練で目撃した『鬼軍曹』のご降臨である。脳内の悪魔達の前に降臨を果たすそれは、背中の翼が真っ黒だった……。
『いいか、悪魔共!貴様らは【ピー】だ!悪魔ですらない汚物だ!今から鍛え直して雑巾程度には成長させてやる!』
『ウルセェよ、ヘタレ……ゲベェ!!』
『汚物の分際で口応えするな!【ピー】が!』
鬼軍曹の木刀が容赦なく降り下ろされた。悪魔の頭からは鮮血が流れ痙攣している。悪魔達は怯えた視線を軍曹に向けて震えていた。
『貴様らの道は俺の命令に従うことのみ!拒否権などない!俺が歌えと言えば止めるまで血反吐を吐いてでも歌い続けろ!俺が跳べと言ったら許可するまで着地は許さん! わかったか、汚物ども!!』
それから脳内の悪魔達は地獄のしごきを受け続け夜が白む頃にはすっかり軍曹の下僕となったのである。ライの脳内に於ける戦い。その奮闘を知るのは当事者であるライと、魔石が輝く赤い鎧のみ。
そして朝まで悶え続けたライは……当然、寝不足になるに至る。
「何だ、ライ?緊張で眠れなかったのか?目の下に隈があるぞ?」
早朝──。ライを見送る為フリオとレイチェルは街の入り口まで同行している。
一方、見送られるライは昨日の訓練の疲れも完全には癒えず睡眠も足りない。旅立つには最悪の体調である。
「大丈夫か?今更退けねぇぞ……?」
「大丈夫ですよ。今朝までそれで戦ってたんですから」
「?」
怪訝な顔をしているフリオ。ライの苦悩など想像もつかないだろう。ライ自身ですら自分の精神を疑う、そんな激しい脳内戦だったのだ。
「ともかく二十日後、ディコンズで落ち合おう。場所は長の家だ。つっても俺達は先に行って情報収集と街の守りをすることになってる。二十日後も何日か滞在はするが、お前が間に合わなければ俺達で交渉始めちまうからな?」
「わかりました。でも必ず行きますよ」
「ああ、わかってるよ。気を付けて行けよ」
フリオと腕を交差させたライはヤル気に満ちた顔だった。隈さえなければ凛々しかった筈である。
「ライさん。これ、お弁当です。気を付けて……」
少し寂しげなレイチェルから弁当を受け取ると、代わりに懐から紫穏石のネックレスを取り出しレイチェルの首にかけた。
昨日、レイチェルと出掛けた際に道具屋から納品しておいた物だ。
「これは……?」
「紫穏石だそうです。魔除けの御守りになるらしいので受け取って下さい。この位しか御礼が出来なくて」
「御礼なんて……。ありがとうございます。大事にします」
紫穏石を触りながら嬉しそうに微笑むレイチェル。
妹がほのかな好意を持っていることをフリオは気付いていたが、悔しいのでライには黙っていた。兄とはそういうものである。
「また来ますから……」
「はい。お待ちしています。次はもっと……ゆっくりしていって下さいね」
レイチェルの笑顔を確認してライは気を引き締める。フリオも力強く頷いていた。
「行ってきます!」
そしてライは歩み出した。思えばこれが目的ある本当の旅立ちかもしれない。その身体は疲労が残り頭は寝不足でフワフワとしている。しかし、不思議と不快感はなかった。
その後、ライは一度も振り返らずに歩いて行く。フリオとレイチェルは、その姿が見えなくなるまで手を振っていた……。
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