第一章 第九話 ファントムの呪縛


「サァラ姉ちゃん、どこ行くの?お買い物?」


 少女サァラは外出の支度をしていた。その様子を窺っていた複数の幼児は子犬の様に少女に纏わり付く。幼児達は無邪気な笑顔で甘えていた。


「そうよ?だから良い子に留守番しててね?悪い子にしてると、こうしちゃうぞぉ~?」


 サァラは慈愛の表情を浮かべ幼児達を抱き締め、その脇腹をくすぐり始めた。はしゃぎ逃げ回る子供達。サァラは笑顔でその姿を見守る。


「わかったね?おいしいご飯食べたいなら良い子にしてるんだよ?」

「はぁい。いってらっしゃ~い!」


 見送られ建物から出たサァラは、振り返り自らの住まいを一瞥する。石造りの立派な建物。身寄りを無くした子供達が暮らす救いの場にして、サァラにしてみれば囚われの牢獄とも言える場所……。



 【プリティス教・ノルグー支部教会】



 宗徒は少ないがノルグーでは市民にも認められた聖域である。



 孤児であるサァラは今年で十歳。孤児達の中では最年長で、子供ながらに下の子らの面倒を見る責任を自覚していた。率先して家事全般を熟し、子供達の相手をし、教会の評判を上げる為に街に奉仕する。自分達は生かして貰っている自覚もある。


 しかし、それらはサァラの本心から来る行動と言うには少々矛盾があるものだった。本来、遊び、学びたい盛りの年齢ならば無理からぬこと。しかし理由はそこではない。



 【盗賊・ファントム】──その正体こそがサァラなのだ。



 教会にサァラが引き取られたのは八年ほど前のこと。当時の記憶は無いが、物心付いた時には兄や姉に当たる孤児達と暮らすのが当たり前だった。サァラに纏わり付いた幼児達の様にサァラも兄や姉に甘え、親がいなくとも幸せを感じていたのだ。プリティス教会司祭・アニスティーニの【真実】を知るまでは……。


 サァラが六歳になったある日、兄の一人が姿を消した。養子として引き取られたと説明されたがサァラには納得出来なかった。何故ならば、別れも言わず去る様な兄でないことを知っていたから。そして次の年……次は親しかった姉が姿を消したのだ。兄同様に、別れも無しにである。

 勘の良いサァラは子供ながらに異常を感じ、それから兄や姉を見張ることにした。突然いなくなられることが怖く悲しかった。しかし……その行動がサァラに不幸を齎した。


 サァラが八歳になったある日、夜中に兄の一人がアニスティーニの部屋に呼ばれる。当然サァラは後を追跡し部屋に近付くが中から会話が聞こえない。コッソリ覗くとそこに人影は無かった。


 驚き部屋を探し回るサァラ。やがて壁のタペストリーの陰に小さな扉があることに気付く。扉の中は地下への階段。石のヒンヤリした長い暗闇を慎重に下りて行くと、まばゆい灯りが目に飛び込んだ。


 そこは──祭壇の様だった。礼拝堂のものとは全く別の、見たことのない文字と装飾。奇妙な六つの石像に囲まれた部屋の中央には石の台座が見える。

 そしてその上には───呼び出された兄が横たわっていた。その姿は胸を切り裂かれ既に無惨に変わり果てている……。


 ──死──。


 幼いサァラでもその意味が理解できたのは日々を懸命に生きていたからだろう。


「……っ!」


 思わず叫びそうになる声を遮ったのはいつの間にか追ってきた姉。サァラの口を押え小声で戻るよう促し、慎重に潜みながらサァラの手を取り子供部屋まで辿り着く。


「お姉ちゃん!お兄ちゃんが……」

「シッ!大声を出しちゃ駄目よ?」

「でも……」

「……サァラは勘が良いからね。お兄ちゃんはもう戻らないわ。次はわたし……サァラ、逃げて。兵隊さんにこの手紙を渡せば助けて貰える」

「で、でも……お姉ちゃんは?皆は?」


 悲痛な表情を笑顔で隠そうとする姉。サァラは子供ながらに姉から覚悟を読み取り涙が溢れた。


「このままじゃ皆死んじゃうわ。でも、あなたが逃げ切れれば下の子達は助かるかも知れない」

「嫌っ!お姉ちゃんも……!」


 その時、軋んだ音を立てゆっくりと部屋の扉が開く。そこに居たのはおぞましき笑顔の男。サァラは恐怖で固まった。


「司祭……さま……?」

「悪い子達ですねぇ?こんな夜中に覗き見なんて神様が赦しませんよ?」

「サ、サァラ!逃げてっ!早く!!」


 近くにあったホウキを握りサァラを庇う姉。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!……無駄です」


 司祭は魔法詠唱を始めると床から黒い影が現れた。二人は影に巻き付かれ身動き出来ない。


「さて…躾をしませんとね?しかし二人ですか……では、どちらかに罰を受けて頂きましょう。勿論、姉であるあなたが相応しいでしょうねぇ?では二人分……」


 司祭は広げた手を姉に向け少しづつ手を握る。呼応するように姉は苦しみ始めた。漏れた言葉をサァラは忘れられない。


「に、げて……サァラ……」


 苦悶にも関わらず笑顔をつくる姉。次の瞬間、血飛沫が飛び散り姉の頭が床に落ちた。サァラはそこで意識を失ってしまった。


 目を覚ましたサァラは弟達から数日が経っていることを聞かされた時点でまだほうけていたが、少しづつ惨劇の記憶が蘇り身震いする。夢であって欲しい……というのは儚い希望だった。


「お、お姉ちゃん達は?」

「ん~?みんな家族のところに行ったんだって。よかったね?」

「……っ!」


 サァラはそれからすぐにアニスティーニに呼び出された。何時もの様に人当たりの良い柔和な笑顔。しかし、サァラからすれば別の生き物に人の顔が貼り付けてある様にしか見えなかった。


「さて……どうしますか?」

「……え?」


 質問の意図が分からず聞き返すしかない。


「いえね?兄さん姉さんは皆、“家族の元に行った”訳ですよ。ですから今、一番歳上はあなたなのです。あなたには兄や姉の様に働いて貰わなければなりません。逃げても結構ですが、その場合は弟や妹が身代わりになりますけどどうします?」

「……悪魔!」

「選ぶのはあなたの自由ですよ?私は選択肢を提示しているだけ。お兄さん、お姉さんは皆、自ら選んだのですから」


 自分達の為に命を失った兄や姉を想う。今、兵に助けを求めればアニスティーニは躊躇無く弟や妹を惨殺するだろう。


「残る……」

「そうですか!ではまず、あなたを調べましょう。出来ること次第では長生き出来ますよ?まあ兄や姉よりは、ですがね?」

「…………」


 運命を呪う人間は世界にどのくらいいるのだろう。サァラは間違い無くその一人になった瞬間だった。


 アニスティーニがサァラを検査したところ、魔力と魔導具適性が高いことを知る。それからは【ある目的】の為、盗みを続けさせられている。皮肉にも才能がサァラの命を繋げたのだ。


「お?サァラちゃん。お買い物かい?偉いねぇ」

「はい。こんにちは、プレピオさん」

「ウチのガキどもは遊んでばかりでなぁ……よし、安くしとくから買って行きな!」

「サァラちゃん!ウチの野菜持って行きな。なぁに、少し鮮度は落ちるからタダで良いぜ?」

「弟達にお菓子はどうだい?作りすぎちゃってねぇ……」


 プリティス教会の評判のせいもあるが、街の人達は皆が孤児達に優しかった。しかし、あんな恐ろしい教会が身近にあることを誰も知らないのである。本当は今すぐ教えたかった。助けて欲しかった。


(……そういえば一回だけ私を捕まえたヤツがいたなぁ。あの時、助けを求めていればもしかして……)


 サァラの使用する魔導具に劣らない高い身体能力。あれだけの力があればアニスティーニに対抗出来るのでは……そう思うと同時に身体を触られたことを思い出す。


(……やっぱり無理。変態だったし)


「どうしたんだい、サァラちゃん。膨れっ面なんて……顔も赤いよ?」


 指摘されて初めて気付いたサァラ。今まで街の人達には一度もそんな顔を見られたことはない。


(あの変態のせいで……でも、顔に出たのなんて久しぶりだ)


 不思議と悪い気分ではないのは感情を少しだけでも表に出せたからだろう。まさかその変態と再び関り合いになるとはサァラは思いも寄らない。そしてそれが救いの光であることも……。


 厚意の戦利品を大量に抱えプリティス教会に戻るサァラの足取りは重い。弟、妹達の為に犠牲はせめて自分で最後にしたいと考えているが、今はその光明すら見えないことがもどかしい。それらはとても十歳の少女が考えることでは無い苦悩……。




 そして……その苦悩の元凶は、あの禍々しき教会地下の祭壇にいた。


「ほぅ……騎士団にそんな動きが……。丁度良いですね。ならばノルグーの街を恐怖に染めるその日を我が信仰、証明の日と致しましょうか……ククク」


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