第一章 第八話 秤の塔の魔術師


 急遽外出したフリオは二日程で帰宅を果たした。かなり忙しかったらしく、早朝に戻るなり自室に直行し爆睡。目覚めたのは昼を少し回った時間である。


「起きられたの?大丈夫?」


 アクビをしながら部屋から出てきたフリオ。ライから事情を聞いていたレイチェルは心配そうな視線を向けている。


「ん~……出掛けてから殆ど寝て無かったからな。心配かけた……って、アイツは何処行った?」


 フリオの中では目を離すと何かやらかしそうな印象が固定しつつある勇者ライ。その姿が見当たらない。フリオにはさぞ悪い予感がしたことだろう。


「ライさんなら屋根の手入れしてくれてるわよ?無理しないでって言ったんだけど……」


 フリオが目を擦り改めて周囲を見回すと、屋内が見違える様に綺麗だった。何処から手に入れてきたのか、台所には見慣れない魔導具まで置いてある。


「水回りの魔導具まで……」

「凄いでしょ?街を案内してたらライさんが福引きで当てたのよ。お世話になってるから受け取ってって」

「………」


 悪いことではなかったが、やはり目を離すと何かが起こることに違いはない様だ。

 フリオが呆けていると、その胃袋が抗議の声を上げる。


「食事を用意するわね?ライさんも呼ばないと……」

「なら俺が呼んでくるから飯の準備頼む」


 外に出たフリオは家をぐるりと回り家の壁にかけられた梯子を見付ける。昇った先には、裸に赤い鎧を着込んだ捩りハチマキ姿の背中が見えた。


「………なんだ、その奇妙な姿は」


 その声でフリオに気付き振り返るライ。


「おお、フリオさん!お帰りなさい。いやぁ……また屋根から落ちても大丈夫な様に鎧着てるんですよ」

「レイチェルが飯にしようってよ。とにかく話はそん時にしようぜ」

「わかりました。おぉ~い、飯にすっぺや~!!」

「お~う!」


 ライの呼びかけで屋根の陰からヒョッコリと顔を出す男がいた。熟年でありながら筋肉質な、垂れた細目に黒く日焼けした肌の、いぶし銀の男。


「誰だよ!!!」

「大工のゲントさんです。流石に屋根の手入れは自信無いんで教えて貰いながらやってました。アレ?レイチェルさんから聞いてませんでしたか?」

「聞いてないな……ま、まあ、とにかく飯だからな?」


 驚きですっかり目が覚めたフリオ。ライの行動を深く考えるのは疲れるだけと諦めることにした。


 昼食は外で食べる事になった。大工のゲントが『俺ぁカカァの弁当があるからな。それに外で食うのが気持ちいいんだ』と発言し、どうせなら皆外で食べようと話が進んだのである。


「お茶どうぞ」

「おっ?悪いな嬢ちゃん。他に直すところがありゃあ遠慮なく言ってくれよ?」

「ありがとうございます」


 ゲントとレイチェルが世間話を始めたのを余所に、フリオは気になっていることをライに問い質す。


「俺がいない間、余計なことしてないだろうな?」

「余計なこと?やだなぁ……レイチェルさんには手を出してませんよ?」


 照れながら両手の人差指をモジモジと絡めるライ。フリオは少しイラッとした。 


「【ファントム】の件だ!……ったく……動きを読まれて対策されても困るからな」

「ああ……それなら大丈夫です。基本的に出掛けませんでした。外出はレイチェルさんと何度かした程度ですから」

「そうか。なら良い」


 ライの“俺なりに動く”とは、結局フリオ邸の手入れに終始していただけである。実に思わせぶりな男だ。


「で、あの爺さんは何だ?」

「ゲントさんですか?昨日、家の補修材料を買いにレイチェルさんと工業区域まで足を運んだんですよ。で、木材を買いに寄った場所で知り合いました。何でもゲントさんは元・旅の勇者だったそうですよ?それで話が弾んで意気投合。屋根の手入れを教えてくれることに……」

「……成る程な」

「因みに、その時の買い物で福引券を貰ってクジを当てました」


 ライの相変わらずの運の良さに呆れながらも、家屋の補修に徹していたことはフリオを感心させた。


「それで、例の件は?」


 例の件……盗賊ファントムに関する対処。たかが盗賊にかなり神経質なフリオに対して、ライは何らかの意図を感じ取っていたらしい。


「司祭には捕縛命令が下った。プリティス教の本部に確認したところ『関与しないので自由に裁いて良い』とさ。随分と冷たい対応だろ?」

「寧ろ良かったんじゃないですか?ソレ、もし冤罪だった場合でもプリティス教団とは揉めないってことでしょ?」

「そう……なるのか?だがなぁ……なんか解せねぇんだよ。普通、宗徒が疑われりゃ全力で擁護しないか?」

「宗教のことはよく分かりませんけど、そういう宗派なんじゃないですか?若しくは……教団そのものが関与していたから尻尾切り、とか?」

「それこそ流石に有り得んだろ?たかがコソ泥にプリティス教団が関与する意味が分からん」


 人的被害は無く、盗難品は骨董品が多い。他の盗難品も価値はあるものの高級品と言うほどではない。教団の資金目当てならもっと価値あるものを盗めた筈なのだ。


「……でも、フリオさんは何か引っ掛かる訳ですね?」

「………ああ」

「じゃあ行動すべきですよ。……ゲントさーん!」


 ライの呼び掛けに振り返るゲントは、既に食事を終えて茶を飲んでいた。


「何だ、ライ坊?」

「【勇者心得・その参】は何でしたっけ?」

「迷った時は動け!後悔先に立たず!だな」

「だそうですよ、フリオさん?」


 ニンマリと親指を立て笑うゲントに、同じポーズで返すライ。フリオは苦笑いしている。


「俺は勇者じゃねぇんだがなぁ……わーったよ。爺さ……ゲントさん。ライを借りてくが構わないか?」

「おう!後は任せとけ!どうせライ坊、そんなに役に立っとらんしな?」

「そんなバカな!!」


 ガックリと肩を落としたライを引き摺る様にフリオは去っていった。レイチェルは心配そうな表情を浮かべ、二人を見送る。


「心配いんめぇよ?嬢ちゃんのアニキはしっかりしてる様だからな?ああ、そうか……ライの方が心配なのか?」

「え?」

「恋人が心配なのは分かるが、ちったぁ慣れねぇとな?男ってのは大なり小なり身勝手な部分があるからなぁ……ウチのカカァなんか数日空けても平然としてらぁな。それもちっと寂しいがな?ガハハハハ!」

「ち、違いますよ?ライさんは恋人じゃありませんよ!」

「照れなくたって良いって!新居を建てるときゃ遠慮無く呼びな!」

「違いますってば!もうっ!」


 全力で否定するレイチェル。しかし話を聞きやしないゲントの高らかな笑い声が向こう三軒まで響き渡る。レイチェルはしばらく真っ赤な顔をしていたことをライ達が知ることは無い。



 一方のライとフリオ。今だ引き摺られているライはフリオにこれからのことを尋ねる。


「フリオの兄貴ィ!これからどうするんですかい?まさか、カチコミ?成る程……組のモンを集めるんですね?」

「誰が兄貴だ、誰が。カチコミってプリティス教会は真逆……それと騎士団を『組』とか言うんじゃない」

「クックック……今宵の『妖刀・ズバズバ丸』は血に飢えておるわ……」

「聞けよ……。何だ、そのダッセぇ名前の剣は?」


 旅に出て以来一度も使用されたことの無い新品のショートソード。当然血の味など知らず、不名誉な名前を付けられることとなった。


 そうして、ようやく引き摺られるのを止め立ち上がるライ。実は石畳が尻に痛かったのは内緒の話。


「で、結局何処に行くんです?」

「ノルグーの中央機関付近に在る魔術師のトコだ。あんまり期待は出来んが、やはり魔術師の力は借りたい。運が良けりゃ使えそうな魔導具を借りられるだろ」

「お抱えの魔術師が使えないとか以前言ってましたよね?」

「それとはまた別口の魔術師だ。個人的な知り合いなんだが……期待薄なのは変わらんけどな」

「期待薄って……どの程度ですか?」

「まあ……見ればわかる」



 円環状に広がる街の中央にノルグー卿の居城があり、城の麓を取り巻くように各行政執行機関の役所が存在している。

 そしてその一画……古びた小さな塔がひっそりと建っていた。昔は魔術師達が研究の場としていたそこは、今や一人きりの住居となっている。


 ライとフリオはその小さな塔『秤の塔』に足を踏み入れた。塔は四階建て。最上階以外は物置として使用されているとフリオは言った。

 内階段を登り切った最上階。その扉をフリオが無造作に開く。


「お~い。クインリー老、居るか?」


 返事は無い……。ライは外出の可能性を疑ったが、フリオは構わずズカズカと部屋を捜し回る。そして最奥の部屋に到達すると溜め息を吐いた。


「やっぱりか……クインリー老。お~い、起きてくれ!」


 物で埋め尽くされた部屋に居たのは黒いローブを纏うトンガリ帽子姿のヒゲ老人。魔法使いと言えばコレだ!と言わんばかりの姿……老人クインリーは机に肘を着き、椅子に座ったまま眠っていたらしい。


「んん………何じゃ……どちらさん?」

「俺だ。フリオだよ、フリオ!クインリー老に頼みがあって来たんだ」

「フリオ?……おお!……誰?い、いや……えぇと……ち、ちょっと待てよ?確か……」

「………」

「思い出した!確か孫娘の飼ってた犬じゃな!……いつの間に人間になったんじゃ?」

「……俺がいつ犬になったんだよ。それにクインリー老、孫娘いねぇだろ……」


 盛大な溜め息を吐いたフリオ。隣にいたライに視線を向けると、顔を逸らし震えているのが分かる。どうやら笑いを堪えている様だ。


「ホラ!良く顔を見てくれよ!俺だ、オレ!」

「………。なんじゃ、フリオか。それを早く言わんか!」

「………」


 どうやら歳のせいで少々記憶力が怪しいクインリーは、ようやくフリオを認識したらしい。そしてクインリーは今、視線を移しライを見つめている。


「この痴れ者めがっ!!」

「ボベッ!!」


 クインリーは突然近くにあった杖を掴み振り回した。突然のことに対応出来なかったライは、杖が右頬にクリーンヒットし綺麗なスピンをしながら倒れる。

 頬を押さえながらフリオを見ると、顔を逸らして震えていた。


「ぐぅ……な、何故に殴る……」

「ん?お主、何で倒れておるんじゃ?」

「爺さんに殴られたんだよ!」

「そんなことしとらんわ!けが!」

「………えぇ~っ…」


 まさかの逆ギレ。殴られた理由も完全に不明。しかもけた相手からけ呼ばわり。流石のライもこれには度肝を抜かれた。


「とまぁ、こんな感じだ」


 事も無げに告げ肩を竦めるフリオ。成る程……なかなか使えない。というよりお話にならない。


「使えねぇ!……よし、帰りましょう」

「いや、ちょっと待て。コツがあるんだ」


 フリオは自分の道具袋から小さな包みを取り出すとクインリーの前に置いた。中身は小さな燭台。赤い蝋燭を燭台に乗せると火を着けず放置した。するとクインリーはブツブツと呪文を唱え始める。生活魔法の《着火》でも戦闘魔法系でも無い、聞いたことの無い詠唱だった。

 詠唱を終えると、蝋燭は芸術的彫像の如き細微な【鳥】を造型した。


「何ですか、この魔法!」

「さてな。子供の頃に良く見せて貰ったんだが……恐らくクインリー老の考えた【創作魔法】だろう」

「オリジナル魔法……」

「これでもクインリー老は昔、シウト国屈指の魔術師だったそうだぜ?この魔法も子供達を楽しませるだけに編み出したものだ」


 少し寂しそうに語るフリオ。その時、クインリーは深呼吸を一つ吐き目を閉じた。


「フリオか……。ワシはまたしばらく“潜っていた”らしいな」

「仕方ないさ、クインリー老。それより……そろそろ一人で暮らすのは止めないか?」

「今まで研究にのみ明け暮れたんじゃ。誰かと暮らす気にはならんさ。それより何か用があったんじゃろ?」

「盗賊を捕まえるのに力を借りたいんだが……無理なら何か魔導具を頼む」

「ワシはこんな状態じゃからの……魔導具はその辺のものを好きに持っていけ。魔導具の資料は……はて、何処じゃったかの?……ん?お主ら誰じゃ?」


 再び“潜って”しまったクインリー。怪訝な表情でライとフリオを見ているが、そのまま椅子に座るとあっさり睡魔に飲まれてしまった。


「今日は起きている時間が短かったか……。まあ許可は貰ったから魔導具を借りていくぞ」

「……どれが何の魔導具か分からないんですが?」

「さっき資料があるとか言ってたから、まずそれを探そうぜ」


 棚を物色し資料を探すが見付からない。部屋は様々な物で溢れ返っている為、面倒になったライの興味は周囲に置かれた魔導具に移り物色を始める。見兼ねたフリオが声を掛けた。


「お~い。ちゃんと探せよ、ライ」

「いやぁ、物珍しくてつい……」


 振り返りフリオに謝罪した拍子に腰のショートソードに軽い衝撃が伝わる。立て掛けられていた鎧の台座に鞘が当たってしまったらしく、バランスを崩し倒れる全身鎧。その手にはやや大振りの槍が……。


「あ……」

「あ……」


 槍はそのまま座って眠るクインリーの頭に直撃。トンガリ帽子はひしゃげ、クインリーは机に突っ伏しピクリともしない。

 只のショートソード、もとい【妖刀・ズバズバ丸】。未だ一滴の血も吸っていないのだが犠牲者発生……。


「うおぉぉぉ!クインリー老!!」


 駆け寄るフリオ。ライの頭は真っ白になり、その空白に文字が浮かぶ。


【秤の塔殺人事件 キラー勇者、旅立ちの手始めに】


 明日の朝刊の見出しが過る。ゆっくりフリオに近付くライは両手首をフリオに差し出した。『どうぞお縄に』という潔い姿勢である。


「馬鹿たれ!まだ息はある!手当を……そうだ!お前回復魔法使えるだろ?俺は回復系は使えん!」

「わ、わかりました!ど、どうせなら鎧の機能の方が良いですね」


 右手で鎧の左胸部にある魔石に触れ、左手をクインリーの頭に翳す。詠唱は不要なのでライは魔法名だけを唱えた。


 《再生の繭》


 神聖魔法の中位に当たる回復魔法。回復対象の魔力そのものが再生の力に変わる。魔力の多い者ほど効果が高い。初心者のライには本来使えない魔法の光は、繭の様にクインリーを包み込んだ。聞こえる呼吸が安定したことから回復は成功しているのだろう……やがて魔法の光は弱まって消えた。


「クインリー老!おい、しっかりしてくれ!」

「……うぅ」

「良かった!ったくヒヤヒヤさせやがる」


 ジト目をライに向けるフリオ。しかし今回は素直に反省している様子のライ。命に関わることなので真摯に受け止めたのだろう。


「まあ、こんな不安定な鎧を飾っとく方も悪いが、お前も不注意だぜ?」

「スミマセンでした……以後、気を付けます」


 急なしおらしい態度に調子を狂わされたフリオは、ライの頭をガシガシと撫でた。


 その時、クインリーがムクリと起き上がる。喜ぶフリオ。しかし、どうも様子がおかしい。クイリーンの目には力が宿り、動きも心なしか軽く感じられる。


「クインリー老?」

「おぉ、フリオ君ですか?何か頭がスッキリしているんですが、何があったのですか?」

「………」


 フリオは確信した。フリオを『君』付けで呼んでいたのはもうずっと前のこと。以前のクインリーは素晴らしく聡明な人間だったのだ。


「さ、さぁ……。そ、それよりクインリー老、現状はわかってるか?」

「ん?ああ。先程君達が魔導具を借りに来たのは覚えていますよ。書類はここに」


 机の引き出しを開け書類を取り出すクインリー。ソコかよ!とツッコミたい気持ちを抑え、先程と余りに違うクインリーの姿にライとフリオは相談を始めた。


(何ですかアレ!まるで別人じゃないですか!)

(俺が知るかよ!打ち所が悪……いや、良かったのか?)

(もしかして頭の悪い部分にダメージを受けて回復したから悪かった部分も治った、とかですかね?)

(そんな話聞いたこと無いぜ?だが可能性としたら……むむむ)


 コソコソと話す二人を不思議そうに見ているクインリー。倒れている全身鎧に気付いたらしく、立ち上り元の位置に戻し始めた。やはり淀みなく動いている。


「何だ……留め具が壊れていますね。だから倒れたのでしょう」


(ともかくフリオさん。今なら……)

(ああ。聞いてみよう)


 もし本当にクインリーの意識が以前の様に聡明ならば非常に頼りになる存在。一時的なものかも知れないが、せめて数日持続してくれれば良い。

 フリオは意を決し切り出すことにした。


「クインリー老。相談があるんだ。力を貸して欲しい」

「ふむ。そう言えば先程、盗賊がどうとか言ってましたね。詳しく話して下さい」


 不安は残るものの期待出来る味方が増えた。特にフリオは在りし日のクインリーと語れることが嬉しい様で、かなり弾んだ声だと分かる。


 この出来事はシウト国に大きな影響を与えるのだが、それに気付く者はまだ居ない。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る