第一章 第六話 盗賊ファントム
フリオに盗賊捜しの許可を貰った翌日。ライは早朝から街を見渡せる鐘楼に陣取っていた。
鐘楼は緊急事態時の警戒伝達用で、ノルグーの各区域ごとに三ヶ所づつ配置されているものだ。
ライが今いるのは居住区域……特に貴族の屋敷が近い地域である。
魔導装甲を着込み、腰に剣を携え、レイチェル特製弁当を入れたバッグを脇に抱えているライは、まさに万全の体制を調えていた。
「クックック……いつでも来るが良い。盗賊め」
ライの狙いは何ということはない運任せ。見晴らしの良い鐘楼から見張り、事件が起きれば駆け付ける。只それだけの、策とも言えぬものだ。
そしてライはある問題を理解していなかった。それは……。
「………暇」
そう。見張りとは何か起こらぬ限り総じて暇なものである。フリオの言葉通りそうそう事に出会す訳もなく、昼前にして早くも呆然と街を見下ろしている苦行と相成った。
しかし人間は、暇なら暇で時間の潰し方というものを見つける生き物である。ライは街を見下ろしながら人間観察を始めた。
「ほへぇ~……やっぱり貴族がいる場所は華やかだねぇ。着ている服に街並みさえも格が違う……。クソッ!上流階級共め!俺より金のある奴は皆、シヌヨロシ!」
とても勇者と思えぬ言動。それだと世界の殆どか死滅することになるのだが、ルサンチマンと化した勇者の妬みは止まらない。顔つきは盗賊より先に逮捕されそうな悪い顔になっている。
と、その時……遠くで鳴る鐘の音に気付きライは我に返った。警戒の鐘と違いゆったりとした音は、どうやら教会のものらしい。
「おっと……。フッ、俺もまだまだ若いな。この程度で取り乱すとは」
誰もいない場所にも関わらず、さも大人びた態度で誤魔化す漢……。
「あれは、教会か……随分立派な鐘の音だったけど何処の宗派だろ?」
ノルグーには三つの教会が存在する。大国・神聖国家エクレトルの国教『神聖教』の教会。小国・トゥルクの布教する『プリティス教』。同じく小国・タンルーラの『ルクレシオン教』。
基本的にシウト国は邪教とみなされなければ布教に縛りを設けていない。その為、幾つもの宗派が容認されている。といっても国内は『神聖教』信者が殆どで、それ以外の宗派は名前すら知らない者の方が多い。
ライは再び鐘楼から周辺を見回すと、割りと近場に別の教会があることに気付く。地図を確認するとプリティス教会と記されていた。
「プリティス教?聞いたこと無いな……。さては黒幕か!」
突然言い掛りを始める残念勇者。たまたま目についた相手に「お前黒幕だな?」と因縁を付けるレベルである。
しかしそこは勇者たる者。いきなり乗り込む程の短絡ではない。後でフリオに確認を取ることにしたのだ。決して『鐘楼から下りて確認してくるのが面倒だ』とか『間違いだったらヤベェ』とか思ってなどいない……筈である。
そうしてライは見張りを続けた……のかと言うと甚だ疑問の結果となった。昼にはレイチェルの弁当にご満悦になり、満腹感と穏やかな陽気でうっかり居眠りを始め、目が覚めた時は既に夕焼け空が目に染みる時刻。本当に何をしたかったのか理解不能である。
「へへっ……お天道様が笑ってらぁ」
もし太陽が笑うなら、間違いなくライが笑われているだろうこと請け合いだ。結局、高い場所で弁当を食い居眠りしただけ。
だが、ライはそこで終わる器ではない。脂汗を
しかし幸運にも……そう、幸運にもその少し涙目の視線は街に違和感を捉えた。警備兵が朝に比べるとやけに集中している。場所によっては兵が集り情報交換を行っている様にも見える。
(よ、よし!!)
正義の為ではない。体面の為とアリバイ作り……もとい成果を上げたい。残念さは加速して行く。
更に必死に視線による捜索を続け、痴れ者は遂に……建物の上に揺らめく影を捉えたのだ。
「さすが俺!見たか俺の底力!!」
この場合の『底力』はイコール『運』である。決して努力の結果ではない。ともかくこの場合、ライの運の良さに期待したフリオの勝ちと言うべきだろう。
屋根で揺らめく影は朧気で容姿の特定が出来ない。だが、それこそが【盗賊ファントム】の特徴。ライは視線に捉えた影は盗賊と確信した。後は追跡するのみだ。
そして早速、ライは鐘楼から下りる準備を始めた。時間短縮の為に旅道具の一つ『ティム謹製・フック付きロープ』を建物の縁にかけ、颯爽とロープを滑り下りる。しかし……。
「短い……短いぞぉ、ティム~!!」
嗚呼、何ということか。ライはロープの長さが足りず鐘楼の途中で宙ぶらりんになっているのだ。
丁度中間程の位置である為、下りることも登ることも容易ではない。ロープの長さを確認しなかったのは自業自得である。
だが、折角見つけた盗賊……この期を逃す訳にもいかない。飛び降りるにしてもかなりの高さだが、意を決してロープを離すことにした。念の為、魔導装甲を着込んできたのは幸いだった。
「身体強化!」
落下しなから魔導装甲の機能 《身体強化》 を発動する。初めて使う機能の為、効果の程は分からない。
もし落下にも耐えられなくとも身体は鎧で護られる筈。即死さえしなければ傷は回復魔法で癒せるだろう。何せ値段が分からない程の価値ある鎧……期待してしまうのは仕方無い。
それでも、落下途中で外壁を軽く蹴り勢いを落とすつもりでいたライ。が、そこで誤算が生じる。加減して蹴ったつもりが、強化された脚力により勢い余って大跳躍となったのだ。蹴った鐘楼の壁は砕け崩れている。
「うおぉぉぉぉ~っ!」
弧を描くように空を舞う姿はまるで踊り子の如し。優雅な音楽まで聞こえそうな、それはそれは美しい跳躍だった……。
途中で建物から覗く子供の驚愕の顔が見えたが、ライは高所を跳ぶ恐怖を笑顔で隠し爽やかに手を振って誤魔化した。これが後に【ノルグー七不思議】の一つ『空飛ぶ男』として伝えられることになるのは余談である。
そうして跳躍した先は貴族向け百貨店の屋上。軽やかに着地……と行く訳もなく、派手に足を挫き
「グエェッ!!」
潰された蛙の様な声を上げたライ……。取り敢えず鎧のお陰で身体に致命傷は負っていない。但し、手は打撲とスリ傷、足は捻挫もしている。
プルプルと震える手で鎧の左胸部にある魔石に触れ回復魔法を発動すると、瞬く間に傷が癒された。
「し、死ぬかと思った~!それにしても凄いな、この鎧……」
ゆっくり立ち上り鐘楼の方向に振り返る。鐘楼より低い位置とはいえ、道を挟んだ反対側の建物を二つ飛び越えその隣の百貨店屋上にいるのだ。その距離にライはまだ興奮を隠せない。
更に傷を一瞬で癒した回復魔法はライにはまだ使えない『中級魔法』以上。魔法詠唱を必要とせず即座に使えるのは緊急時には非常に有用だった。
もっとも、今
「行き当たりばったりで使ったけど、一回試して慣れないとヤバイなコレ……。ま、まあ良い。今は盗賊を……」
急いで盗賊を探すが既に影はない。逃げられた……そう思った視線の先に黒いマントを纏った人物が建物の屋根を移動をしていることに気付く。
「あれ……ファントムか?」
一瞬躊躇したが、ライは再び《身体強化》を発動すると近くの建物の屋根に跳び移る。屋根を走り跳躍を繰り返す内に徐々に感覚を掴み始め、着地の衝撃を上手く殺せる様になった。
その頃には、盗賊のかなり近くまで距離を詰めることが出来ていた。盗賊は追跡されるとは思っていなかった様で、未だライには気付いていない。
(さて……どうするかな。このまま一気に詰め寄って捕まえるべきか。でもアジト探せって言われてるしなぁ)
ある程度の距離を空け、隠れながら尾行を続け様子を見る。その時、ふとライの頭に父・ロイの言葉が浮かんだ。
『良いか、ライ。捕縛するという行為はかなり危険で、倒すより難し……』
(よし!捕縛だ!!)
父の言葉を全て思い出す前に結論に至ったライ。丁度その頃、父は遠く離れた地で何故か涙が溢れたという。
ともかくライは短絡……もとい英断で捕縛に踏み切ることにした。危険とは理解している。だが鎧の性能を試す機会と浮かれていたのだ。
念の為、それからは更に慎重に距離を詰めて行く。気が付けばいつの間にか先程確認した『プリティス教会』の近くまで移動していた。
《身体強化》は効果時間に制限がある。一旦効果の切れるのを待ち再発動と同時にライは一気に勝負に出た。朧気な姿目掛けて突進……そして見事、油断した盗賊を背後から羽交い締めすることに成功したのである。
「!」
突然のことに抵抗する【ファントム】。しかし完全に捕えらえた為に逃げ出せない。
「ヒッヒッヒ。逃がさねぇぜぇ?」
勇者の癖に小物臭く下卑た笑い。今更ながら本当に主人公か疑わしい……実に残念な男なり。
そんな『残念な勇者』。ふと違和感に気付く。【ファントム】の身体がやけに細いのだ。女性にしても細すぎるその身体は殆ど凹凸がない寸胴。それはまるで……。
「まさか子供?そんな馬鹿な……」
羽交い締めのまま【ファントム】の身体を確認するようにまさぐる。やはり子供で間違いない。そんな混乱の中、ついに【ファントム】が口を開いた。
「どこ触ってんだ、このエロ野郎!」
「……へ?」
「女の子の身体をベタベタ触りやがって!……兵隊さんに言い付けてやる!」
女の子……その言葉で思わず手を弛めてしまった『小心者勇者』。その隙を【ファントム】は逃さなかった。
ライの視界が突然真っ暗になり衝撃が襲った。後頭部による頭突き……鼻が折れ大量の鼻血が吹き出す。更に……。
「ぐぴょっ!!!」
手を完全に離した瞬間、全身を貫くような激痛が
フォォッ、ハォォッ!と切なげな表情を浮かべプルプル震えるライ。必死に顔を上げ【ファントム】を睨んだが夕日の逆光で顔は見えない。
「ぐ、ぐぞぉ……」
「へへ~ん!じゃあな変態野郎!」
「ま、待でぇ……」
不屈の闘志で立ち上がろうとするが、如何せん下腹部への痛みで腰が引けている状態。しかも足場が不安定な屋根の上。案の定、ライは足を滑らせ落下した。
悲鳴を上げながら屋根を転げ落ち、建物のベランダの手摺に激突。弾き飛ばされ跳ね上がると、通り沿いにある街灯の柱に直撃。更に落下し背中から石畳の地面に落ちることとなった。
その際に後頭部を打ち、まるで陸に上がった魚の如くビッタンビッタンとのたうち回るライ……。周辺の人達もドン引きな光景だった。
「か、かか、回復魔法!!」
一刻も早い回復のため詠唱の不要な鎧の機能を使うと、傷は瞬く間に癒えてゆく。そしてライはヌルりと立ち上がった。
傷は完全に癒えた。しかしマントと顔には大量の鼻血の跡が…。更に上空からの落下と先程の奇っ怪な動きを目撃していた街の人々は、関り合いにならぬ様に視線を逸らしている。
「くっ……【ファントム】め!何て恐ろしい真似を……危うく『性別不明勇者』になるところだったじゃないか!」
マントを脱ぎ鼻血を拭うライは人々から奇異の目を向けられていることなど気付きもしない。それはそうだろう。危うく大切なモノを失うところだったのだ……その恐怖は計り知れない。思い出してもヒュンと縮み上がる思いだろう。何が?そんなもの決まっている。ポコニャーだ!
怒り、哀しみ、恐怖を綯交ぜにした感情を胸に、深呼吸を吐き上空を見上げる。既に【ファントム】の姿はどこにも見当たらない。当然と言えば当然だが……。
「ちくしょう!油断した!」
後悔しても後の祭りである。盗賊【ファントム】との対決はライの惨敗と相成った。残ったのは鼻血の跡と、ここに到るまでの器物破損。そして鐘楼への荷物回収の労力。
こうしてライの待ち伏せ計画は失敗に終わった。フリオの家に戻った際、その男が実に挙動不審だったのは言うまでもない。
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