「?どうした、サキ。今日はもう仕事ないだろ。ゆっくりしてれば良いんじゃ……」


 翌日、約束に合わせて広場から離れようとしたら休憩に入って居た兄さんに声をかけられ、思わず肩が揺れた。


「いや、ちょっと約束があって……すぐ戻ると思うから」


「ふーん」


 説明しにくい内容なだけに、なんだか悪いことを隠してるみたいになる。そんな罪悪感のなか、兄さんは一瞬訝しげな目をしたがすぐに普通に戻って頭を撫でてきた。


「なんかあったらすぐ逃げるんだぞ。助けてやっから」


「!……うんっ」


 心配、してくれてるんだな。


 そう感じると自然と頬が緩む。すると兄さんは仕方なさそうに笑った。


「全くお前は……」


 その言葉の意図が掴めず首を傾げても兄さんは何も答えてくれなかった。




 ――――――――――――――――――――――――――




 昨日の約束通りあのベンチで待つが時間になっても彼は一向にやってこない。


 すっぽかされたのだろうか、あるいはからかわれただけか。


 どちらにせよ、身分の関係で私は彼が現れるまで帰ってはいけないのだ。大商人の子息とスラム街の孤児。そんな関係間での約束は最早命令と等しいものであるからだ。


 まあ昨日の彼の発言では、彼自身はあまり身分的なものは気にしていないといった感じだが。勝手に判断するのも気が引ける。


 すぐ戻るって兄さんに伝えたのに、これじゃ日が暮れてしまう。伝える術もないし、何かあった訳でもないから逃げる理由もない。


 人目も多いこの市場の近くで、こんな薄汚い子供がいれば目立つ。人さらいの標的にはされにくいが、この視線はあまり得意ではない。


 この髪と瞳の色が貴族にもよくある色だからだろう。ヒソヒソと話す街の人たちの口からは没落だの、子爵だの、それらしい言葉が聞こえる。どうやらどこかの子爵が破産したらしい。


 そんな見当違いな探りを訂正する気にもなれずボーッとしていた。


 日頃の疲れとあとあの商人の子息に対する精神的なストレスも悪かったのだろう。私は意識を手放してしまった。




 ――――――――――――――――――――――――――




 次に目が覚めたのはすでに夜。誰かに揺すられているのに気付いた時だった。


「えっと……」


 なんでここに居たのか記憶を遡ろうとしたけれど、鮮明になった視界に映った人物のおかげでその必要は無くなった。


「や、やっと起きた……いや寝ちゃうほど待たせた俺が悪いんだけどさ」


 彼は申し訳なさそうに視線を逸らす。月が出ているのだろう、月光に照らされた彼の顔はどこか赤い。走りでもしたのだろうか、普通スラムの孤児なんて気にしないのに。本当に上に対しても下に対しても身分差別とかそういう考えが嫌いなんだな。


「本当に待たせてごめん。今日来てもらったのはこれを渡したかったから」


「これは……?」


 渡されたのは中心に南国風の花が彫られた金属製のバングル。渡された意図が掴めず首をかしげると彼は照れ臭そうに笑った。


「それ、南国で買い付けた商品なんだけど、今俺が着けているのと対になるんだ」


 彼は袖をまくって手首を見せた。そこには渡されたのと同じような模様が描かれたシルバーのバングルが着けられている。


「この中心に彫られた花、花言葉は"友情の証"なんだ。だから……」


 彼は強い意志のこもった目で私を見る。その先に続けられる言葉を、私はただただ待った。


「俺と、友達になってください!!」


 空気がしん、と静まった。目の前の彼は震えていて、目をギュッと固く閉じている。対して私はどうすればいいのか分からなかった。けれど……


「ふ、ふふっ……」


「!……えっ、なに……?」


 突然笑い出した私に困惑する彼。当然だ、急に相手が笑い出したら誰だって戸惑う。


「頼みごとなんて、私に逆らう権利もないのに。緊張してらっしゃるからっ、可愛らしくて……ふっ」


「か、かわっ……」


 私の言葉に顔を赤くする。ああ、男の子なら可愛いと言われるのは嬉しくないか。


「だって……それじゃ友達っぽくないだろ。俺は君と対等でいたいの!」


 その言葉にハッとする。なんていうか太陽みたいな子だなぁ。アーディルも太陽みたいだけど、それは私みたいな日陰者を優しく照らしてくれたような感じがしたから。それに対して彼は人の心を動かす情熱があるような感じ。皆のシンボルのような。言うならぽかぽかとメラメラ、みたいな?


「敬語は禁止!俺のこと呼び捨てでいいから!」


「……名前知りませんけど」


「あっ……そういえば俺も君の名前知らない」


 二人でキョトンと見つめあった後、どちらともなく笑い出した。こんな大笑いする日なんて滅多にないな、なんて思いながら。


「はーっ笑った。俺の名前はグスターヴォ。グスターヴォ・ゴメスだ。皆からはグスターって呼ばれてる。よろしく」


「サキだよ。こちらこそよろしく」


 お互いまだ笑いが消えぬまま、差し伸ばされた手を握る。


 初めて、私が自ら友人を作った時だった。




 ――――――――――――――――――――――――――




「サキか……変わった名前だな」


「そう?まあ確かに響きとしては珍しいかもね」


 グスターもベンチに腰掛けながら大したことのない話をする。


 この世界はヨーロッパが中心とされている。皆の髪の色が派手すぎてどこの国らへんかとかは全く分からないけど。グスターは名前的にスペインらへんかな?フラメンコ似合いそうだし。


 そんなわけでこの世界で日本人らしき見た目どころか東洋らしき人種を見たことはない。なら"サキ"なんて日本じゃ有り触れた名前も、ここじゃ珍しいのかも。


「にしてもなんで急に友達になろうなんて……」


 あーそれは……とグスターは懐かしそうに微笑みながらバングルを撫でた。


「このバングル、買ったのはもう一年も前なんだ。花言葉を聞いた時、きっと将来素敵な友達に出会えるだろうって思ってた」


「でも周りの子供って言ったら貴族様ばっかりでさ。付き合ったらうちの利益になるだろうって人ならいたんだけど。そこで父さんに聞いてみたんだ。友達ってどういう人となればいいの?って。そしたら父さん、さも当然のように言ったんだ。


 《そんなのお前が友達になりたいって思った人となればいいだろう。そこに身分も何も関係ないんだよ。きっとお前を成長させてくれる人に出会えるから》って」


 そう言ってグスターは私の手を取り、照れ臭そうに笑った。


「そして、ならスラムにも行ってみようと思った。危険だからって行ったことも無かったしね。怖かったし不安だった。けど怯えながらも歩いてたら、サキに会えたんだよ」


 ぎゅうっ、と私の手を握る力が強くなる。思わず照れてしまい目を逸らしてしまった。するとグスターはクスクスと笑う。


「君は俺にはない考えを持ってた。初めてそういう考えもできるって知った。ちょっと大人びてて俺には分からないこともあったけど。サキとなら良い友達になれるって思えた。だからこのバングルを渡したんだ。気に入ってくれた?」


「うん、でもこんな高価そうなもの貰って良かったの?私お金なんて……」


「いらないいらない!そんなつもりで渡した訳じゃないんだ。ただ……」


「ただ……?」


「証が……欲しかったんだ、友達だっていう。俺は父さんの仕事に付き添って遠くまで行くことも多いから、そう毎日毎日来れない。でもこのバングルがあれば思い出せるかなって」


「証……」


 それが分かるとこのバングルが余計に特別なものに見えた。一人じゃないって教えてくれるものだって。


 前世の時も彼みたいな友達がいたなら、何か変わってたのかな。もう、そんなこと考えても遅いけど。それにもしそうだったらアーディルにもエディ兄さんにも、リリィにもクレトにも、それにグスターにも会えなかった。そっちの方がずっと嫌だ。


「大切に……するよ。ありがとう、グスター」


 声が震えているのが分かる。少し泣きそうだってことも。でも涙は堪えて、精一杯微笑んだ。


「どういたしまして!」


 白い歯を見せて、グスターは笑った。

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