及川蘭子の研究

「……以上の事から、約七万年前のアフリカ大陸にデボラが出現していた事は、確定的と思われます。彼はその存在感から人類に多大な影響を与え、その進化や文化の変化に大きく関与した事でしょう」

 蘭子は手にした自前のメモを一通り読み上げ、息継ぎがてらのため息を漏らした。

 真っ直ぐ立つ蘭子の前には、今、三人の男性が椅子に座った状態で向き合っている。三人とも六十代ぐらいの男性。誰もがキリスト教系の神父を彷彿とさせる、清潔感のある白い服を着ていた。その手には紋様のようにも見える複雑な形状の杖が握られており、なんとも荘厳な雰囲気がある……尤も彼等の座る椅子は質素な木製で、見た目とのチグハグさがちょっと滑稽でもあるのだが。

 勿論それを堂々と指摘するほど、蘭子は子供ではないし、彼等と親しい間柄ではない。むしろ立場的には、彼等の機嫌を損ねないよう気を付けねばならない関係だ。

 何しろ彼等こそが、今の蘭子の『スポンサー』なのだから。

「成程、よくぞ調べてくれましたね。あなたのお陰でより『神』への理解が深まりました。感謝します」

 三人組のうち、真ん中の席に座る男が蘭子を褒めてくる。蘭子は営業スマイルを浮かべ、男の褒め言葉を心から喜んでいるように『演技』した。

 蘭子の前に居る彼等は、デボラ教の『神官』達である。

 正確な役職名は大神官と言い、役割はデボラ教の戒律を管理し、信徒達の要望や疑問を汲み取り、教義の改訂・追加・解釈を行う事。即ちデボラを信仰する集団ことデボラ教徒達のまとめ役だ。

 そしてこの国こと神聖デボラ教国の統治者である。統治者といっても神事以外には関与せず、この国の内政は選挙で選ばれた政治家が行っている……というのは表向きの話。実際には財政や政策にかなり口出しをしている、というのがデボラ教徒以外の『国民』の印象だ。選挙で選ばれたとはいえ、或いはだからこそ、国民の二割を占めるデボラ教徒を政治家達は無視出来ない。あらゆる宗教や人種を集めた結果、組織票と呼べるのはこのデボラ教徒ぐらいしかいないのだから。現状汚職や失政をしていないから、大神官達の行いは見逃されているようなものである。

 蘭子は現在、彼等から仕事を貰っている立場だ。職務内容は『デボラの生態及び歴史的研究・・・・・』。

 つまり何処かの誰かが建てたという教会の下にあった壁画……アレの調査を許可し、促したのは、デボラ教のトップ三人だという事だ。

「今後も引き続き研究を続け、デボラが歴史に与えた影響等を解明していきたいと思います」

「ええ、期待しています」

「それにしても彼女の研究成果には、毎度驚かされる。どうかね? 今後の調査をより効率的に進めるため、彼女により高性能な乗り物を提供しては」

「良い考えだ。彼女の研究にはそれだけの価値があるだろうし、何より及川博士は優秀だからな。限りある資源は、優秀な人材に費やすべきだ」

「……私としては、才能に拘わらず資源はある程度公平に分配すべきだと思いますが、しかし彼女への『投資』は公的利益になるでしょう。異論はありません」

 三人の大神官は自分達の意見を語り、調整していく。彼等の議論は ― 事前に打ち合わせたものでないのなら ― 異なる意見の擦り合わせで、健全なやり取りのように見える。

「あなたにヘリコプターを一機貸し与えます。今後の調査の進展を期待していますよ」

 やがて議論の末、蘭子にヘリコプターが贈呈された。

 各国の統治機能が失われ、文明崩壊と呼んでもなんらおかしくない『現代』。一体何処でヘリコプターを手に入れたのか、どうやって維持してきたのか……気になる点は多々ある。が、追求しようと思うほど、蘭子の興味を惹く疑問でもない。藪を突いて蛇を出す、なんて可能性も思えば尚更だ。

 何よりヘリコプターを貸してもえるのなら、それは大変嬉しい話である。

「はい、ご期待に応えられるよう、鋭意努力を続けていきます」

 社交辞令の微笑みを返し、蘭子は大神官達からの『褒美』をありがたく頂戴するのだった。

 ……………

 ………

 …

「あぁぁぁぁー……づがれだぁー……」

「お疲れ様です。お茶をどうぞ」

 机に突っ伏しながら重苦しい感情を吐き出す蘭子に、彼女の助手であるアランが微笑みながらお茶を差し出した。蘭子はカップに入った茶色の液体……薄味の紅茶を一気に胃へと流し込み、中年男性よりも男らしいゲップを出す。お茶を渡したアランは、蘭子の女らしさのない姿に肩を竦めた。

 蘭子とアランが居るのは、彼女達の『研究所』だ。研究所といっても材木を組んで作ったおんぼろ小屋で、ろくな設備も置かれていない。強いて豪勢なものを挙げるとすれば、つい先程大神官達からもらったヘリコプターが庭に置かれているぐらいか。なんとも目立つ『機材』であるが、研究所が建てられているのは人里離れた土地なので、ヘリコプターを興味深そうに見る者は居ない。今はヘリコプターを運んできたパイロットが遅めの昼食を機内で楽しんでいるが、彼が帰ればヘリコプターを見張る者も居なくなるだろう。

 そして研究所の室内は資料が床に散らばり、足の踏み場もない有り様……なのは蘭子が片付けをしない所為だが。

 お茶を飲んで多少なりと精神的にリフレッシュした蘭子は顔を上げ、大きく背伸び。幾らかマシになった顔付きでアランと向き合う。

「それにしても、ヘリコプターですか。調査範囲が広げられますし、迅速に行動出来るのもありがたいですけど……そこまでしてもらえる研究ですかね、これ」

「ないわよ。やってる事は、デボラについて描かれた壁画がありましたーって報告してるだけ。別に私じゃなくても出来るでしょ、こんなもん」

 アランの疑問に、蘭子は自嘲気味に笑いながら答える。アランも苦笑いしていたが、否定しないところが彼の気持ちを物語っていた。

 確かに、蘭子はデボラに二十年もの歳月を費やしたベテラン研究者だ。今の世界で蘭子よりデボラに詳しい者はいないだろう。

 しかしその知識の大半は生物学的なもの。歴史研究など蘭子にとっては専門外の分野であり、そこまで詳しいものではない。

 なのに大神官達は、どうもデボラの生態よりも歴史的観点を気にしているようだ。生態に無関心という訳ではなく、程度の問題ではあるが。

「というか、宗教家が科学者を支援っていうのが胡散臭いですよね? 彼等はデボラを信仰していて、その信仰対象の神秘を暴く行為をどうして容認するのです?」

「別に不思議な話じゃないわ。むしろ必然の流れじゃないかしら」

「必然?」

「西洋科学の出発点は聖書、つまり宗教よ。完璧で美しい、神の愛に満たされている筈のこの世界を理解したい……その衝動が科学を生んだの。好きな人の事をもっと知りたいという意味では、恋と同じね」

「……それで思っていたのと違う姿を前にしたら、勝手に幻滅して憎さ百倍になると」

「あら、上手いわね」

 けらけらと蘭子は笑い、アランは肩を竦めた。

 そんな和やかな雰囲気の中、蘭子は考える。

 そう、デボラ教の大神官達がデボラの研究を進める事は、なんら不思議な話ではない。大神官達の信仰心が本物なら、『神』の意思を理解し、人々を導くためにも研究が必要だ。反対に彼等がなんの信仰心も持っていなかったとしても、デボラを利用するためには研究が必要だ。

 だから大神官達の行動はなんらおかしくない。おかしくないが……違和感を覚える。

 どうにも彼等は、疑念を確信に・・・・・・変えようと・・・・・している・・・・ような気がするのだ。

「(まぁ、彼等がデボラについて、何かしらの情報を掴んでいてもおかしくはないのだけれど)」

 教会の地下にあったデボラの壁画。あの情報は大神官達から渡されたものだ。蘭子は専門化の立場から壁画を解析しただけである。

 デボラ教は出自不明の宗教だが、存外このアフリカの地が発祥かも知れない。もしかすると壁画のような、なんらかの『文献』を見た者が気紛れにデボラを崇めよ云々と言い始めたのかも知れない。それがSNSなどを通じて爆発的に広がり、今に至るとすれば……デボラ教は科学者達の知らない、多くの考古学的資料を有している可能性がある。

 故に蘭子は、デボラ教徒の支配するこの国で、彼等の支援を受けながら研究を進めているのだ。彼等が持っているかも知れない、古代の文献を目にするために。

 それこそがデボラの真実を解き明かすと、確信しているからである。

「……しかしまぁ、七万年前というのも、凄い年月ですよね。そんな前からデボラが居たなんて」

「あら。アレが本当にデボラとは限らないわよ? もしかしたらエビの神様を描いただけかも。或いはエビ型宇宙怪獣が襲来してきた可能性もあるわね」

「そんな事、露ほども思ってない癖に」

「まぁね。私としては確信があるもの。多分、大神官達にも」

「……大神官達にも?」

 蘭子の言葉に、アランは眉を顰めた。

 隠していた訳ではない。ただ今の今まで確信が持てず、だからこそ話してこなかった。

 今は確信がある。壁画の存在を、大神官達から伝えられた事で。証拠はないが、蘭子の中では間違いないと思うようになった。ならば話しておくべきだろう。

 本当に正しければ、それはアランの命に関わる話なのだから。

「……そもそもの話、どうしてこの町はこの場所にあると思う?」

「? どうしてって……海沿いにあって交易上有利だから、じゃないですか? デボラ教の人達、世界中から人々を集めているみたいですし」

「ええ、そうね。世界中から人々を集めている……カメルーン山がある、この地に」

 蘭子は後半を強調するように語る、が、アランはまだまだピンと来ていないようだ。

 私の助手を名乗りながら些か不甲斐ないのではないか。蘭子はそんな気持ちのため息を吐き、アランは少し動揺する。仕方ないので説明するとしよう。

「良い? カメルーン山は――――」

 そのために蘭子は口を開いた

 直後、ズドンッ! と身体を突き上げるような振動が蘭子達に襲い掛かった。

 突然の事に蘭子は身を強張らせた……ただし一瞬の事だ。彼女はすぐに席から立ち、窓辺に向けて走る。

 尤もその後やってきた『大地震』によって、蘭子は転倒してしまったのだが。

「うわっ!? え、じ、地震!? と、兎に角今は、机の下に……」

 アランもまた戸惑い、されど彼は適切な行動を取る。机の下に逃げ込もうと、いそいそと動き

「駄目よ!」

 しかし蘭子はこれを戒めた。

 アランは呆気に取られた。何故? そう聞きたげな視線を向けてくる。

 蘭子はすぐに答えた。時間がないのだ。

カメルーン山が・・・・・・・噴火したのよ・・・・・・!」

 自分の予想が正しければ。

「ふ、ふん……!?」

「カメルーン山は活火山よ! 二十七年前の二〇一二年にも噴火しているわ!」

「で、でも、でもだから噴火とは……」

「言ったでしょ! 奴等には確信があるのよ!」

 納得してくれないアランに、蘭子は苛立ちを露わにしながらぶつける。

 そう、『奴等』は知っている。

 『奴等』の教義はなんだ? デボラの力により地上は浄化され、世界が綺麗なものへと生まれ変わるというものだ。ならば『奴等』にとっての善行とは? 簡単な話だ。生き延びた人々穢れた連中をデボラの下へと送り、綺麗な世界あの世へと吹っ飛ばしてもらう事だ。

 そして『奴等』の上層部……デボラ教の大神官達は知っていた。

 かつて、この地にデボラが現れた事を。

「急いで此処から逃げるわよ! ヘリをもらったから、そのヘリを使って……」

 蘭子はアランに逃げるよう促す。

 だが、その言葉はアランには届かない。





















【ギギィイイイイイイイイイイイイッ!】

 世界を絶望に陥れた雄叫びが、この町の全域に響き渡ったがために――――

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