霧島セロンの勝負

 緊張などした事がない、と言えば嘘になる。

 セロンとて人の子なのだ。初めての実証実験を行う時は、それなりに緊張する。しかしながら天才である彼は、少し考えれば『世界』の事を大体理解出来てしまう。「これをああすればこうなる」というのがしっかりとイメージ出来るのだ。だから緊張はするが、失敗したらどうしようという不安までは抱いた事がない。失敗する筈がないと、論理的に分かるのだから。

 つまりは、セロンにとって産まれて初めての経験だった。

 自分の作り上げたものが、負けたらどうしようと思う感覚は。

「……忌々しい」

 ぽつりと、セロンは独りごちる。

 セロンは今、研究所のとある一室に居た。とても広い一室で、何十台ものパソコンと、何台もの巨大な機械が設置されている。部屋の奥の壁にはとびきり大きな、横十メートル縦四メートルはあろうかというモニターも設置されていた。モニターには複数の映像が分割して表示され、様々な……例えば外の様子や海の画像など……景色を写している。

 無論部屋には機械だけではなく人も大勢居て、作業服姿の者や白衣姿の者、更には迷彩服姿の者が忙しなく行き来していた。会話も頻繁に交わされ、ざわざわとした喧騒が部屋を満たしている。

 彼等は『一式』起動のための作業、そして日本海や太平洋沖の監視を行っている人員だ。この部屋は彼等が作業を行い、その結果を『一式』へと送信可能な部屋……所謂司令室である。

 彼等の誰もが表情を硬くし、苛立ちを見せている。当然だろう。彼等の誰もが『一式』の起動がデボラを引き寄せる事を知っているのだ。加えてデボラが、試作機であった『四型』を一撃で粉砕している事も知っている。

 一部機能が上手く動かなければどうなるか、画面に映ったデボラをうっかり見落として奇襲を受けたらどうなるか、そもそも『一式』はデボラに勝てるのか、負けたなら人類は――――

 彼等の不安は、セロンにも理解出来た。セロンもまた同じ不安を抱いていたから。そして凡夫共と同じ気持ちを抱いているという事実が、セロンをますます苛立たせる。

「セロン、調子はどうだい?」

 その苛立ちから爪を噛んでいたセロンに、正面から声を掛ける者が居た。

 ワルドだ。凛々しい顔に爽やかな笑みを浮かべており、緊張とはまるで無縁なように見える。

 セロンは苛立ちを隠さない鼻息を吐き、ワルドに鋭い眼差しを向けた。

「最悪だよ。人生で今より不快な想いをした事はない」

「成程、天才である君でもデボラと本格的に戦うとなれば、幾らか緊張もするのか。人間らしい一面が見られて、私としては非常に面白い」

「ふん。君は相変わらず能天気だな。なんの心配もないのか?」

「ある訳がない」

 セロンの問いに、ワルドはなんの迷いもなく答える。眉一つ動かさないその笑みは、酷く人間味が欠けているようにセロンには見えた。

「我々が負けようと、勝とうと、私としてはどちらでも構わないからね。現時点での計算では、『一式』が勝てる可能性は七十四パーセントと出ている。実際に戦い、そして勝ったならば、我々の計算が正しかったという裏付けになるだろう。しかしもしもデボラが逆転勝利を収めたなら、それも易々と成し遂げた時には……新たな形態的機能を見せてくれるかも知れない。実にワクワクする話だとは思わないかね?」

「……前々から思っていたけど、君、割とマッドな考えしてるよね」

「研究者など程度の差はあれども、この考えの持ち主だと思うがね。むしろ持たない者は『凡夫』の域を出ない。そうだろう?」

 ワルドからの問いに、セロンは口を噤む。彼の意見に、少なからず同意してしまったがために。

 セロンもまた科学者の一人なのだ。知識の探求に喜びを見出さない訳ではない。敗北は求めていないが、それが未知への扉だと思えば……ほんの少し、気が楽になったようにセロンは感じた。

「……ふん。ボクの事を凡夫呼ばわりするなんて、君じゃなかったら降格処分しているところだよ」

「そんなつもりもないのだがね……おっと、そろそろ始まるようだ。私も自席に戻ろう。では、共に頑張ろうか」

 ワルドはそう言うと、そそくさと自席に戻っていった。励ましに来たのか、茶化しに来たのか、ただの気紛れか。どれもあり得そうだと、セロンは笑う。

「間もなく『一式』の起動時間となります!」

 その笑みは、職員の一人が告げた言葉により強張ったものへと変わった。

 セロンは顔を上げ、モニターに視線を向ける。モニター画面に表示されたのは現在時刻と……巨大な格納庫。そしてそこに佇む『一式』の姿だ。

「十、九、八、七」

 職員の一人が、正確にカウントを進めていく。場に緊張が広がり、ゴクリと、息を飲む音が聞こえてくる。

 ここでセロンが一言中断を宣言すれば、恐らく止められるだろう。しかしそれをする合理的理由はない。だからセロンは黙する。

 セロンが口を閉ざせば、最早誰にもカウントは止められない。

「三、二、一、〇!」

 カウントがゼロになった、瞬間、作業員と研究者が一斉に動く。

 『一式』に電力供給開始。一千万キロワット相当の電力を投じると、『一式』内部にて強力な磁場が形成される。更には加熱が始まり、内部の燃料をプラズマ化。そのプラズマを磁場によって閉じ込め、拡散していくのを防ぐ。

 冷める事を許されない原子達は、やがて互いに反発する力を超えて融合。新たな一つの原子へと変化し、その際に余剰質量がエネルギーへと転化していく。このエネルギーを用いて新たなエネルギー生産と、活動に必要な電力を確保する。

 これが核融合炉。一度動けば莫大なエネルギーを生み出す機関に火が灯ったのだ。しかし人類の夜明けを意味するこの火に、無邪気な喜びを示す科学者はこの場には居ない。

 核融合炉の熱は、デボラを招き寄せるのだ。もしも核融合炉は動いても、他の機関に異常が起きていれば……

「エネルギー生産既定値に到達! 『一式』進行開始!」

 あらかじめ予定されていたスケジュール通り、『一式』を前へと動かすための指示が飛ばされる。

 司令室から飛ばされた指示は、『一式』に搭乗している機長が受け取り、その機長から各部担当に指示が送られる。だから指示が反映されるまで、僅かながらタイムラグがあった。

 命令が出されて十数秒後。普段ならどうという事もない時間にセロンが僅かな焦れったさを覚えた直後、モニターに映る『一式』の足が動いた。

 『一式』は無事歩き出したのだ。

「『一式』、機体に異常はないか」

 司令室から確認の指示が飛ばされる。飛ばしたのはこの場に居る軍人達の中で、最も地位の高い男だ。数秒後、返ってきた答えは【異常なし】の一言のみ。

「外部モニタリングにも異常はありません」

「異音、異臭などの反応なし」

「エンジン出力安定。データリンク問題なし」

 司令室にてパソコンを叩いていた研究者や軍人からも、正常を知らせる返答が得られる。間違いなく『一式』は無事に稼働していると分かり、現場にようやく安堵が広がった。

 しかし喜んでばかりもいられない。

「デボラの活動は確認出来たかい?」

「いえ、まだです。現在索敵範囲を広げています」

 セロンが尋ねると、衛星画像を監視していた軍人は現状について正確に報告する。

 かつて、アメリカはデボラに発信器を埋め込んだ。その発信器は現在では破損し、もう使えないが……発信器という発想自体は現在も有効な代物だ。あまりに小さく、それでいて無害だからか、デボラは発信器を意図的に取り外そうとはしないからである。そのため各国がデボラに発信器を打ち込み、その動向を辿っていた。中国でも独自に発信器を打ち込み、その行動の監視は行っている。

 だが、一度打ち込めばもう安心という訳にもいかない。

 まず、破損の可能性がある。上陸したデボラには、市民の避難を行うため苛烈な攻撃が行われるのが常だ。発信器といえどもただの機械であり、爆風の直撃を受ければ簡単に壊れる。デボラが身体を地面や高層ビルなどに擦り付ければ、やはりそれでも壊れてしまう。防御反応である熱放射を行えば、金属で出来た機械など溶けて完全にお終いだ。

 また、何かの拍子に取れてしまう事も多い。何しろデボラは時速数百キロで泳ぎ、走り、暴れるのだ。その滅茶苦茶なパワーを受ければ、どれだけ強固な接着方式を採ろうとも、何時までも着いていてくれるものではない。デボラが一ヶ所に留まっていると思ったら、外れた発信器が延々と信号を発していただけ……そんな誤認から壊滅した都市もあるという。

 最後に、それなりの頻度でデボラは発信器が届かない場所に行ってしまう。海底数千メートルまで潜られると、小さな発信器では電波の出力が足りず、信号が途絶えてしまうのだ。反応が現れたのが上陸一時間前の地点でした、なんて事例も報告されている。

 発信器は有効だ。けれども過信すれば痛い目に遭う。そしてデボラが今何処に居るのか、少なくとも中国は把握していない。

 何処に現れるのか、現れた事を察知出来るのか……司令室に緊迫が広がる。

「発信器に反応あり! 太平洋沖にデボラが浮上しました!」

 その緊迫を破る、若い軍人の声。

 どうやらデボラは海中深くに潜んでいたらしい。上陸間際まで居場所が分からないという、最悪の事態は避けられた格好だ。

 しかし最大の問題は、デボラが何時上陸するか、だ。

「推定到着時間は?」

「……四時間八分後です!」

「お昼ご飯を食べる時間はあると。優しい事だね全く」

 セロンのジョークに、笑うものは居ない。笑える筈がない。

 四時間八分後。

 そこで、人類の命運が決まろうとしているのだから――――

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