李 正の応援
「デボラ、都市部に侵入。間もなく『一式』の交戦エリアに入ります!」
役人の一人からの報告に、正はごくりと息を飲む。四時間以上前から伝え聞いていた、その時が来たのだと、今になって強く感じた。
正は今、人民大会堂の一室に居る。
この部屋には正以外にも大勢の役人、そして十数人の共産党幹部が居た。全員が大きな長机に着き、壁にあるモニターを見つめる。目的は勿論、デボラと『一式』の戦いを見守るためだ。
部屋に置かれたモニターは三つ。一つは『一式』を近くで捉えたもの。こちらには町中に佇む『一式』が映っており、その堂々たる姿を正に見せている。足下にある家々はまるでミニチュアのようで、『一式』の巨大さを物語っていた。
もう一つのモニターは、遠くから『一式』を映していた。巨大な一式がオモチャのように小さく、周辺の様子がよく見える。夏晴れの空が広がり、住人が避難しているため車からの排ガスも殆どない。とてもクリアな映像だった。
最後の一つに映るのは――――デボラ。
海を渡り、陸へと上がり……大地を揺らしながら疾走するデボラが映し出されていた。役人曰く、航空機からの映像らしい。
デボラ。
その圧倒的力により人類を苦しめ、地球環境を激変させた元凶。
モニター越しからも伝わる存在感に、正は思わず仰け反る。本当にデボラがこの国に来たのだと、モニターに映る海沿いの町並みが伝えていた。モニターは役人と共産党幹部達も見ているが、彼等もデボラの『映像』に慄いている様子だ。
やがてデボラは、遠くから『一式』を映しているモニターに入り込む。
即ち、交戦圏内に入ったという事だった。
役人達からの話によれば、デボラ達は此処から八百キロほど離れた場所にいるらしい。それは肉弾戦を眺める位置という意味では、デボラの大きさを考えても十分過ぎる距離である。しかし放射大気圧の射程は優に何十キロもあるのだ。立ち位置や撃ち方次第では、更に遠くまで届く可能性がある。このぐらい遠くでなければ安全とはいえない。
いや、もしも『一式』が負け、デボラがこちらに駆け寄ってくれば……八百キロという距離すら、安全とは言えない。勝率は七割超えと聞いているが、四回に一回は負ける計算ではないか。命を賭けるには分が悪過ぎる。
怖い。今すぐ逃げ出して、安全な……ヨーロッパとかに避難したい。それが正の正直な想いだ。実際党幹部の中には共産党員を辞任し、中国から逃げ出した者が大勢居る。家族については大半の者は逃がし、正自身も妻と息子と孫はヨーロッパに向かわせた。
けれども正自身は首席だった。トップが逃げる訳にはいかないし、周りが逃げさせてくれない。彼の周りに立つ党幹部や役人は、正を守る護衛であるのと同時に、正を見張る者達でもあった。
正の命運は、正が納める国が作り上げた兵器――――『一式』に委ねられたのだ。
「李首席、作戦開始が司令部より告げられました」
室内の役人の一人がそう報告する。
まるでそれをゴングとするかのように、デボラと『一式』は同時に動き出した。
速いのはデボラの方だった。『一式』がゆっくりと加速していくのに対し、デボラはまるで跳ぶように一気にスピードを上げる。『一式』の半分以下とはいえ、デボラの推定重量は百五十万トン。その重さを瞬時に加速させる馬力が如何ほどのものか、正には想像も付かない。
家々を木の葉か小石のように吹き飛ばしながら接近するデボラに『一式』は反撃しようとしてかハサミを振り上げるが、デボラの方が速い。デボラは頭から『一式』に突っ込み、体当たりをお見舞いした。『一式』の巨体が浮かび、よろける。
だが、『一式』は転ばない。
どうにか踏ん張るや、今度こそハサミを振り上げ、デボラの頭部を殴り付けた! 数万トンの質量を有する一撃。旧式である『四型』時点ではろくなダメージにもならなかった打撃だ。
果たして今度は――――デボラを、大きくよろめかせる事に成功した。
「お、おお……!」
「効いてるぞ!」
役員達や党幹部達が歓声を上げ、正も握り拳を思わず作る。
怯んだデボラの隙を突き、『一式』は次の手を用意する。頭部付近の装甲が開き、中から銃口のような……とはいえ長さ二十メートルはある代物なのだが……ものが四本ほど生えてきた。
そしてその銃口から、弾丸が放たれる。
弾丸はデボラの甲殻に命中するや、爆発を起こした。けれどもそれは炎ではなく、砕けた自らが舞い上がらせた粉塵によるもの。即ちこれは物理的打撃による攻撃である。
科学者曰く、あの巨大銃口はレールガンと呼ばれる兵器らしい。音速を超える速さで弾を撃ち込む……原理にすれば極めて単純な、故に火薬などを使わない、デボラにとって最も有効な兵器の一つとの事だ。
それが一門秒間一発もの速さで、四つの砲門から放たれる!
【ギ、ギギィ……!】
猛攻を受け、デボラは呻いた。カタログスペックでは秒速二千五百メートルの速さで、重量百キロの合金弾を撃てるという。人間ならば余波だけで粉微塵に吹き飛ぶだろう攻撃は、それでもデボラ相手には威力が足りないのか苦しませるには至らない。しかしそれでも着実なダメージは与えているらしい。でなければ、後退りなどする筈もない。
そこに追い打ちを掛けるように、今度は『一式』の背中が開く。
放たれるのは無数のミサイル。けれども一般的なものではない。
かつてセロンが開発し、デボラ相手に効果を上げたもの……大型装甲貫通弾、それの改良型だ。一度に十発と放たれたそれは、余さずデボラを直撃。デボラは苦悶の鳴き声を上げながら、大きくその身を捩らせた。
【ギギイイイイッ!】
そして怒りを露わとするかのように、デボラは頭部前方より放射大気圧を放つ。
人類側の兵器を幾度となく吹き飛ばし、数多の都市を更地に変えた攻撃だ。モニターからその攻撃を目の当たりにした党幹部達の顔に、恐怖と絶望が浮かぶ。
されど放射大気圧は、『一式』が最も警戒していた攻撃だった。
放射大気圧は、超高温に加熱された大気があたかもビームのように飛んでくる攻撃だ。ならば大気そのものをぶつければ、放射大気圧の威力を減衰させられる。
戦車の複合装甲技術を応用し、放射大気圧の直撃を受けた『一式』の装甲からは空気が噴出する仕組みとなっていた。それも放射大気圧によって装甲が
今まで机上の空論でしかない装甲原理だったが、放射大気圧が直撃し、殆ど損傷が見られない『一式』がその正しさを証明した。人民大会堂の一室に笑顔が広がる。正も満面の笑みが浮かんだ。
自慢の攻撃が防がれたデボラは、されど驚き怯む事もなく、今度は一気に接近してきた。遠距離戦は無意味と判断したのか。『一式』が放つレールガンとミサイルをものともせず、勇猛果敢に突進する。
生憎、人間はデボラの土俵に素直に乗るつもりはない。
突撃するデボラに、側面から迫る無数のミサイルが直撃した! 突然の痛みに驚いたのか、デボラは大きく身を仰け反らせた。
これは人類の存亡を賭けた戦いだ。一対一で戦うつもりなど毛頭ない。
交戦エリアと設定された地域の外に、ミサイル車両部隊が展開していた。彼等は『一式』の援護が目的。遠距離より、デボラに大型装甲貫通弾による攻撃が行う。
更には高高度に展開した航空機が、地中貫通弾を投下。
デボラの背面に、強力な『打撃』が突き刺さる!
【ギッ!? ギギィイイイイッ!】
人類側の連係攻撃に怒りを露わにし、デボラは空を見上げた。哀れ航空機は放射大気圧で撃ち落とされる……のが今までの人類。だが此度の人類側にとってこれはチャンス。
正面に陣取る『一式』が、好きなように攻撃出来るのだから。
『一式』はこの隙を突きデボラに接近。ハサミのパンチをお見舞いする! 一発だけではない。二発、三発と絶え間なく喰らわせてやる。デボラにとっては予期せぬ連携だったのか、守りを固められずに殴られ続けた。
そしてついにデボラの甲殻の一部が砕け散った。
砕けた甲殻の中身である、柔らかな肉がモニター越しに居る正達の目にも映る。血などは出てないので深手とはいえないが……明らかな怪我だ。そして再生は、少なくとも目に見える速さでは起きていない。
初めて、人類がデボラに有効な傷を与えた瞬間だった。
歓声に湧く人類側に対し、デボラは怒りを覚えたに違いない。激怒するかの如くデボラは咆哮を上げ、ぐるんと横に回転。反撃とばかりに尾による攻撃を仕掛けてくる。旧式である『四型』を一撃で粉砕した、正しく必殺技。胸部にこれを受けた『一式』は大きく吹き飛ばされ、こちらも装甲を砕かれた。
傷の程度は、デボラよりも『一式』の方が大きくなった。十メートルはあろうかという大穴が開き、中身が露出している。放射大気圧は装甲の機能を利用して防いでいるため、この穴に向けて撃たれれば致命傷となるだろう。
ならば撃たれなければ良い。
そう、この状況もまた人類にとっては想定内。本来援護の部隊はこの時のために展開しているのだ。
側面から撃たれる大型装甲貫通弾。『一式』に打撃を与えたデボラに、小さいながらもダメージを伝える。怒り狂ったデボラは放射大気圧でこれを吹き飛ばそうとするが、『一式』がそれを許さない。デボラ由来の技術により十分なエネルギーを貯め込んだ『一式』は、デボラに超高速で体当たり! 二倍以上の体重差で、デボラを突き飛ばす!
デボラは大きく後退し、放射大気圧を『一式』目掛け撃ってきた。装甲の大穴を狙っており、黙って受ければここで『一式』は破壊される。
だが、その攻撃は読めるもの。
如何に知性があるとはいえ、所詮はただの哺乳類程度のものだ。人間に値する訳ではない。予測された攻撃を『一式』はハサミを構えて受け止め、これを無力化する。【ギギギィ……!】という歯ぎしりのようなデボラの鳴き声が響いた。
『一式』は攻撃の手を緩めない。放射大気圧を防ぎきると、今度は構えていたハサミを振るい、デボラへと打ち付ける! デボラが大きく後退すれば、『一式』に搭載されている数々の砲台とミサイルが火を噴き、展開している地上部隊からも苛烈な支援砲火が行われた。航空支援も続き、デボラに傷を与える。
デボラは悲鳴染みた声を上げ、更に後退る。
形勢は、人類側有利に傾いていた。
「……これは、もしかしたら」
「いや、もしかせずとも、これなら……!」
デボラを押していく『一式』の姿に、モニターを見ていた党幹部達から勝利を確信した声が漏れ出る。
正もまた、これならばいけると考えた。無論まだ勝負の真っ最中である。『一式』には大きな傷があり、ここに一撃もらえば逆転もあり得る。どちらに勝利の女神が微笑むかは分からない。
だが、人類の勝利は確定だ。
負けたなら、『一式』以上の性能を持った『二式』を作れば良い。或いは『一式』を量産するのも手だ。確かに勝利したデボラは中国を滅茶苦茶にし、生産力は衰えるが……そうなれば世界に支援を求めれば良い。『一式』の有効性さえ示せれば、世界も『一式』に縋る事となるのだから。
デボラは強い。間違いなく、この地球で最強の生命体だ。
だが、人類には知恵があった。大勢の力を集め、敵を分析し、立ち向かうための知恵が。デボラにも多少の頭はあるようだが、所詮はケダモノの域。人間に比類するものではない。
どれだけ強かろうとも、どれほど非常識でも……叡智の力を用いれば、人は困難を乗り越えられる。
正は、そしてこの場の誰もが、思った。
モニターの映像は、彼等の考えを裏付けた。大きく怯んだデボラの前で『一式』がぐるんと横回転したのである。
それは『四型』を屠ったデボラの一撃と同じもの。
デボラ最大の物理攻撃を、倍以上ある質量によって真似した事で、デボラの身体は大きく吹き飛ばされた。デボラの体長を考えれば一千メートル近く後退し、デボラはそこで蹲る。
デボラが膝を付いた。全盛期の日本とアメリカによる大攻勢以来、初めての姿だ。
当時と違うのは、ここでデボラが発熱し、大気による防御と回復力強化を図ったところで、『一式』には無意味という事だ。動かなくなったデボラを存分に殴るのみ。
勝敗は、ここに決した。
――――今の人類の『叡智』から考えれば。
だが、
「あ、あれ?」
「どうしましたか?」
「いや、なんか……」
ざわざわと、室内に喧騒が広がる。正もごくりと息を飲み、モニターを注視する。
このまま行けば、『一式』はデボラを倒せる。これまでに得られた知識がそれを物語っていた。そう、このまま、今まで通りに進めば。
正は知らない。
この場に居る誰も知らない。
地球上の誰もが知らない。
デボラの甲殻が、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます