山下蓮司の決意

 機銃担当。

 機体そのものを操る操縦手と比べれば、遙かに地味なポジション。デボラの身体能力を思えば、そもそも役に立つのかも怪しい立ち位置。

 しかしながら『一式』の正規乗組員の一人には違いなく。

「いよっし!」

 長い間補欠人員の一人であった蓮司にとっては、待ち望んでいた役目であった。

 中国人民解放軍より割り振られた ― ベッドとテレビがあるだけの、シンプルさなら監獄にすら勝りそうな ― 自室にて。ベッドに腰掛けている蓮司は一枚の紙を眺めながら、自分に告げられた報告を何度も何度も読み返す。自分の勘違いではない事を確信し、蓮司は満面の笑みを浮かべる。

 最後の人員審査。

 『一式』の正規乗組員を確定させるそれに、蓮司はとうとう選ばれた。蓮司の努力が実を結んだのか、それとも有力視されていたメンバーが辞退したのか、選考の過程に不備でもあったのか……理由は分からないが、そんなものはもう蓮司にとってはどうでも良い。そもそも補欠人員でも『一式』には乗れるのだから、正規乗組員になりたいというのは蓮司の自己満足でしかない。

 そう、自己満足だ。

 自分の好きな人と一緒に戦えるという、なんともちっぽけな自己満足。

「良かったわね。正式な乗組員になれて」

 蓮司の隣に座る少女――――蓮司に呼ばれ部屋へとやってきたレベッカは、淡々とした声色で蓮司を祝福する。彼女は既に『一式』の左腕部操縦手として正式採用されている身だ。尤も、仮に落選していたとしても、その声色はちっとも変わらなかっただろうが。

 愛しい少女の言葉に、蓮司は頬が弛みそうになる。どうにか気合いを入れて表情の『真面目さ』を保とうとするが、嬉しさからとろんとしてくるのを止められない。

 蓮司が表情の張りを取り戻したのは……当初の、自分の原点を思い起こしてからだ。

「これで、デボラと戦える……今度こそ、本当に……!」

 無意識に力が入り、蓮司は自らの正式採用を伝える紙に皺を作ってしまう。

 蓮司がデボラと戦うのは、自分の家族を奪ったデボラを討ち取るため。

 悠然と全てを粉砕してきたデボラ。数多の人々の命を奪い、今や地球環境さえも破壊しようとしている怪獣。どんな兵器を用いても、何百何千という英雄が挑んでも、抗う事すら敵わない最強最悪の生命体。しかしそんなのはどうでも良い・・・・・・

 自分は、自分の手でデボラを倒したい。

 そのシンプルな目的のために、蓮司は太平洋防衛連合軍に参加したのだ。

「……レンジは」

 過去に思いを馳せていたところ、ふとレベッカが名前を呼んできた。蓮司はレベッカの方を見遣り、憎悪の顔を和らげる。

「レンジは、デボラを倒した後はどうするの?」

 今度は、投げ掛けられた問いに驚き、目を丸くした。

 デボラを倒した後の事……蓮司は、まるで考えていなかった。

 確かに、怪獣を倒してジ・エンド、というのは漫画や映画だけの話だ。デボラを倒してもこの世界は何時までも続き、エンディングなんてものは訪れない。デボラにより招かれた貧困は相変わらず残るし、世界は中国に支配されたまま。寒冷化は良くなるかも知れないが、もしかすると何かの拍子に悪くなるかも知れない。

 よく漫画などで「今は先の事なんて考えられない」と答える主人公がいる。その気持ちは蓮司にも分かる。正に今、蓮司がその状態なのだから。しかし後の事はその時になったら考える、なんて計画性皆無にもほどがあるだろう。

 デボラを倒した後にやりたい事。蓮司は腕を組み、しばし考え込む。レベッカは蓮司の答えを促したりはせず、黙ったまま待ち続ける。

 やがて蓮司は、ゆっくりと口を開き、語り始めた。

「……まず、日本に帰る。今の日本は治安や経済が最悪だけど、デボラがいなくなれば良くなる筈だ。それに故郷の復興もしたい」

「うん」

「それから、仕事を探す。デボラ退治の英雄様になれたら、まぁ、警察とか軍人にはなれるだろう、多分」

「そう」

「で、生活が安定したら、結婚する」

「成程……成程?」

 レベッカが首を傾げる。蓮司はその顔と向き合い、レベッカの手を握る。

「レベッカ。デボラとの戦いが終わったら、結婚を前提にお付き合いしてくれませんか?」

 そして蓮司はハッキリと伝えた。

 レベッカは最初、キョトンとしていた。しばらくして目をパチリと見開き、泳がせ、そわそわと身を捩らせる。何かを答えようとして口を開き、閉じ、開き……

「あ、え、えと……考えて、おく」

 返ってきたのは、とても曖昧な答えだった。

「そ、そうか」

「……あ……あの……私、もう部屋に戻って、寝るから」

 レベッカはそう言うと、足早に部屋から出ていってしまう。

 結婚に対し、肯定も否定もしなかった。

 悲観的に考えるなら、断り方が分からなかったので逃げた、とも取れる。しかしレベッカは感情が希薄であり、故に物事をハッキリと告げる。断るつもりならズバッと、こちらが再起不能になるぐらいハッキリと述べるだろう。

 それを言わなかった、という事は……

「……~~~っ!」

 ベッドの上でじたばたと、蓮司は悶える。

 デボラを倒した後、どんな日々が待っているかは分からない。思い描く未来予想図の通りになる保証は何処にもない。

 だけど、悪い事ばかりではなさそうだ。

「……絶対、終わらせる」

 強い決意を胸に刻み込む蓮司。

 憎しみだけでなく、明日への希望を掴むため、デボラを打ち倒すのだと心に誓うのだった。




 蓮司が『一式』の正規乗組員として採用されてから一月が経った。

 季節は夏真っ盛りである八月の終わり頃。しかし今年の夏も、気温は非常に低い。中国の首都北京では、十年前の平均最高気温は三十度前後だったが……今日は最高気温でも二十度を上回らない予報だ。デボラによる寒冷化は着実に世界を蝕んでおり、北京の町には長袖を着た人々の姿が目立つ有り様である。

 自然環境、そして農業的には大問題な環境変化。しかし『軍人』の健康を考えると非常に好適な気温だった。基礎体力作りとして走り込みをしても熱中症の心配がなく、長時間のトレーニングを行える。集中力も維持しやすく、非常に効率的な訓練が行えた。

 『一式』の乗組員である蓮司もまた、デボラによる寒冷化の『恩恵』を受けた。二ヶ月という短い期間で、かなり成長出来たと蓮司は手応えを感じている。

 無論デボラは恐るべき生命体だ。一人の人間が二月で遂げた成長など、奴にとってはなんの差異も見出せないだろう。しかし『一式』の乗組員は正規・補欠合わせて五百人。個々の成長は微々たるものでも、合算すればそれは大きな成長となる。

 そしてその成長を活かすための『武器』が、ついに完成した。

「……コイツが、『一式』か」

 蓮司は自分の頭上を見上げながら、独りごちた。

 目の前に佇む、全長四百メートルに迫る巨体。

 形状は、デボラと瓜二つだった『四型』よりもやや幅広になった。銀色の装甲が煌めき、赤いライトが所々で明滅している。腕部が『四型』よりも小型化しているようだが、動きを良くするための改良だろうか。内部は外見よりも更に大きく変わり、特に動力源である核融合炉は二基に増設。核融合炉そのものの性能が向上し、八千万キロワットという莫大なエネルギー量を生み出すようになっているそうだ。

 『四型』から得られた戦闘データを元に改良されたであろう姿。『四型』での戦いは惨敗に終わり、失われた命は決して少なくなかった。『一式』には、数多の命が費やされたといっても過言ではない。

 その命達に報いる術があるとすれば、この『一式』を用いてデボラを打ち倒す事だけだろう。

「やぁ、蓮司くん。『一式』の見学かい?」

 眺めていた蓮司は、背後から声を掛けられた。振り返ると、そこには正しく『一式』の開発者……霧島セロンが居た。手を振りながら、彼は蓮司の隣までやってくる。

「試験運用は十時からだけど、準備は良いかい?」

「はい。心身共に万全です」

「それは何より……念のために尋ねるけど、試験運用という事は何をすべきか、分かっているよね?」

 セロンは蓮司の目を見つめながら問う。ここで不正解を出せば、セロンは容赦なく蓮司を正規乗組員、いや、補欠からも外す……そんな気持ちがひしひしと感じられた。

 幸いにして、それはすぐに答えられる問いだった。

「はい。デボラと戦闘し、勝つ事です」

 だから蓮司は迷わずに答える。

 恐らく、デボラは熱を感知している。

 それは熱を餌とするが故の生態か、それとも別の目的があっての事か……理由はどうあれ、そのような生理的機能を有しているのは間違いないと推察された。『四型』は動力源として核融合炉を積んでおり、その膨大な熱量がデボラを引き寄せたのだと。

 ならば『四型』を遙かに超える巨大核融合炉を搭載した『一式』の稼働を、デボラが察知出来ぬ筈がない。試験運用を行えば、デボラは必ずやってくる筈だ。

 当然デボラは『一式』を破壊しようとするだろう。『四型』を葬った時のように。

「分かっているなら良いよ。君達の働きに期待している」

 セロンはそう言い残すと、この場を後にした。何しに来たのか、という疑問はあるが……天才の考える事だ。凡人である自分には分からないと蓮司は考える事を放棄する。

 それに、そんな事に頭を使う余裕はない。

 シミュレーションによる操作訓練は何度も行った。『四型』の戦闘データを元に、『四型』より遙かに実戦に則した内容のシミュレーションだ。しかしどれだけ述べたところで、『一式』そのものを動かした事がない事実は揺らがない。

 自分達が積み重ねた経験や知識が本当に正しいのか、致命的な勘違いをしていないか……それを確かめられるのは、実戦だけ。

 もしかすると、またデボラに負けるかも知れない。

 デボラによる寒冷化は留まる事を知らない。此度の『一式』開発も、中国の巨大資本とマンパワーでようやく成し遂げた。もしも敗北し、デボラが海へと帰らずに中国を蹂躙すれば……今度こそ、人類は立ち直れないだろう。

 三度目はない。全ての責任が、自分達にのし掛かる。

 負けられない。

 負ける訳にはいかない。

 だけど――――

「レンジ、どうしたの?」

 蓮司が我に返った時、正面にレベッカの顔が迫っていた。可愛らしいその顔にドキリと心臓が跳ね、蓮司は後退りしてしまう。

「あ、ああ。いや、なんでもないよ。ちょっと、緊張していただけだから」

「……そう」

 咄嗟に蓮司が誤魔化すと、レベッカも少し後ろに下がる。

 ……何故だろうか、その顔が少し不機嫌そうに蓮司には見えた。眉は下がっていないし、唇も曲がっていないが、そんな気がする。

 違和感から蓮司がレベッカの顔を見ていると、不意にレベッカは蓮司の手を握り締めた。いきなりの『スキンシップ』に、蓮司はそれこそ心臓が破れそうなぐらい胸が高鳴り、顔が赤くなる。頭の中も沸騰しそうなぐらい熱くなってきた。

「……大丈夫。きっと勝てるから」

 だけど、レベッカの透き通った声は頭の中によく響く。

 蓮司が呆けていると、レベッカは手を離した。「頑張ろうね」と言い、彼女は蓮司から離れていく。

 蓮司はしばしレベッカの背中を目で追い……その場にしゃがみ込む。

 もう、頭の中に今まであったプレッシャーは欠片たりとも残っていない。

 自分はなんと単純なのだろうか。嫌悪にも似た感情が湧いてくる。でも、そんな感情はすぐに吹き飛ばされ、跡形もなくなった。

 人間の行動なんて単純で良いのだ。世界の平和? 後がない? 人類の存続? そんな大きくて面倒な事を背負う必要はない。

 死にたくない。

 好きな子の笑顔が見たい。

 頑張る理由なんて、それだけで良いのだ。

「……うしっ!」

 己に活を入れ、蓮司は立ち上がるや『一式』目指して走り出す。

 デボラを倒し、生き残り、

 大好きなあの子と、これからも生きていくために――――

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