李 正の不安

「いい加減、白状してはどうですかな?」

 しわがれた老人の声が、会議室に響いた。

 国連本部の一室……各国の代表数人が集まり、非公開・・・のやり取りを行う一室。この部屋に居るのは数人の国家的代表者と、彼等の通訳のみ。

 しわがれた声の痩せた老人――――現日本国首相である新田にった文彦ふみひこの言葉も即座に通訳が英語に換え、他の通訳がその英語から各国代表者の母国語へと翻訳する。

 部屋に居たのは文彦以外に、アメリカ大統領グラヴィス・カーター、イギリス首相ブリジット・キャメロン、インドネシア大統領バハルディン・ウィラハディクスマ……そして中華人民共和国最高指導者であるセイの五人。

 そして正以外の四人は、文彦の言葉を通訳により伝えられるや正の方を見る。

 正は、訳が分からないと言うように肩を竦めた。言葉を返すよりも早く、故に強い感情を感じさせる返答方法だ。

「白状と言われましても、なんの事ですかな?」

「単刀直入に言いましょう。デボラの事ですよ。アレ、作ったのはおたくじゃないので?」

 ハッキリと、臆面もなく文彦は己の考えを明かす。正はわざとらしく目を見開き、「はっはっはっ!」と豪快に笑う。

 正以外、誰も笑わなかった。

「おっと、失礼……あまりにも突拍子のない話で、つい笑いが……日本人はジョークが下手だと思っていたのですがね」

「生憎、ジョークではありません」

「今日、皆に集まってもらったのはあなたを問い詰めるためですよ」

 文彦をフォローするように、ブリジットが話に入る。彼女が浮かべる笑みは嫋やかで、齢六十を超えるというのに女性的な魅力に満ちている……目が、笑ってさえいれば。

「デボラ……我々は、あの生物が天然のものだとは思っていません。そして出現当時、あのような生物を作り出すほどの遺伝子工学技術を持ち合わせていたのは、アメリカと中国だけでした」

「お褒めいただき光栄です。当時を知る身としては、まだまだ我が国はアメリカを追う側だと思っていたのですがね」

「ですが今では名実共に頂点です。我らが合衆国がデボラにより衰退した事で」

 ブリジットの言葉を引き継ぐように、今度はグラヴィスが正に話し掛ける。

 元陸軍所属の兵士だというグラヴィスは、正よりも遙かに恰幅が良く、間違いなく腕力ではこの中の誰よりも強い。そのグラヴィスの発言を聞いた正は、表情を強張らせた。不愉快だ、と言わんばかりに。

「……それだけで、我が国を犯人扱いとは。法と正義と公平を愛していたのは昔の事という訳ですか」

「生憎、無法者に語る愛はありません」

「キリスト教国とは思えぬ発言ですな」

「今ではキリスト教などすっかり廃れましたよ。審判の日に現れたのがイナゴではなくエビでしたから。今では新興宗教であるデボラ教が我が国最大の宗派と言われる有り様です」

 選挙対策として改宗する議員も多いのですよ、と最後に付け加えて、楽しげに笑う米国大統領。宗教弾圧を繰り返す中国共産党の代表は、彼の言葉になんの返事も返さない。

 やがて訪れた沈黙。

「……此処での話を公表するつもりはありません。記録も何もなければ、ただの頭のイカれた人物ですからね。それでも、本当の事は話してくれないと? 真実を教えてはくれないのですか?」

 これを破ったのは、バハルディン。この中では誰よりも若く、六十四になった正からすれば息子ぐらいの歳である彼の視線と声は、故に誰よりも情熱に満ちたものだった。

 正は、口をへの字に曲げたまま。やがて小さく鼻を鳴らすと、席から立ち上がる。

「もっと有益な会話が出来ると思っていたのだがな。時間の無駄だった。私はこれで失礼させてもらう」

 正はそう言うと、すたすたと部屋の扉まで歩く。通訳は慌てて後を追うが、国家の代表者達はそれを引き留めない。

 正は扉を開け、振り返る事もなく外に出て、扉を閉める。

 五人から四人に減った国家の代表達は、同時にため息を吐いた。

「やはり、そう簡単には白状せんか」

「物証があれば容易いのですが……」

「今じゃ世界中、どの組織にもかの国の手が入っている。デボラが現れる前からそうやって不都合な情報を抹消してきた奴等だ。日本も我が国も衰退した今、十年前以上に好き勝手やっている」

「だが、状況証拠は着実に積み上がっている。半年前、ついにロシアにもデボラが襲撃し、原発を破壊した。軍も壊滅したと聞く」

「東南アジアはデボラにより崩壊。米国と日本の後ろ盾を失った朝鮮半島は言いなりの植民地状態。中東は工業が中華系企業に乗っ取られて経済支配されたも同然」

「アフリカでも幾らかの企業が進出し、それなりの影響力を与えている。しかも先進各国の支援が途絶えた影響で経済が悪化し、内乱が頻発して最早国家としての体すら成していない。あれは頭数にすらならん」

「残るはヨーロッパ諸国だけ、という訳だ」

 通訳を介し、それぞれの意見と考えを伝え合う指導者達。

 デボラの出現は中国にとってあまりにも露骨な追い風だった。

 かつて中国とやり合えるほどの経済力や軍事力を誇った国は、デボラにより壊滅している。そうした国々が影響力を及ぼしていた中東やアフリカ、朝鮮半島や東南アジアの一部を中国は貪欲に確保。日本にもデボラ対策の名目で軍が駐屯し、不穏因子と呼んで反中思想を取り締まっている。今や世界の六割は中国の言いなりだ。曲がり形にも現代の国際社会は多数決民主主義を採択しており、故に今の国際社会は中国の意向を全面的に受け入れる独裁状態にあるといっても過言ではない。

 中国は更に、国際的機関に莫大な援助を行っている。デボラ研究機関への出資は特に旺盛だ……果たして研究所は、スポンサーにとって不利益な発表が出来るのか? 答えはNoだ。掴んだ真実は握り潰され、偽りが世界に発信されるだろう。

 世界は、着実に中国に蝕まれている。

 その事に対し、この場に居た誰もが危機感を覚えていた。彼等は政治家であり、正義の味方ではない。腹芸もするし、綺麗事だけ語るつもりもない。しかし多少の愛国心を持ち、国家を任された者というプライドがある。

 中国の好きにさせるつもりはない。国も年齢も性別も、信仰する宗教も価値観も異なる彼等だが……この一点については、揺るぎないほど共通していた。故に彼等は団結し、中国を追い詰める決意をする。

「アフリカ諸国への根回しをしましょう。あれを纏めるなら私達イギリスの右に出る者はいないですから」

「こちらは国内世論の形成を急ごう。反中思想を維持出来なければ、いよいよ属国化もあり得る」

「我々の間で経済的結び付きを強め、プレッシャーを与える必要がありますね」

「軍事的な協力も必要だ。近い日に演習を行うのはどうだろうか」

 会議室の中で、愛国者達が言葉を交わす。

 自らの国を、国民を守るために……

 ……………

 ………

 …

「……はぁぁ……」

 会議室を出て公用車に乗り込んだ正は、大きなため息を吐いた。

 車はドイツの高速道を走り、空港へと向かっている。夜分遅い時間というのもあってか道は空いており、これならすぐ空港に着けるだろう。

 彼の隣では、秘書である若い女性が座っている。ノートパソコンを開き、カタカタと何かを打ち込んでいた。今後の予定か、或いは報告書か。なんにせよ彼女を信頼している正としては、何をしていると訊くつもりはない。

 むしろ、向こうからこちらの事を訊いてほしいぐらいだ。

「李主席。どうやら先の会議、上手くいかなかったようですね」

 そしてその気持ちを、秘書はしかと汲んでくれた。正は俯いたまま、こくりと頷く。

「ああ。彼等、こちらの話を全然信じてくれなかったよ……」

「状況証拠的には甚だしく怪しいのは確かですからね」

「全くだ。こっちだって、こんなに状況が『好転』すると分かっていたら、もっと色々手を打てたのに……」

 ぶつぶつと愚痴る正の言葉を、秘書は黙して聞き入れる。

 正は、デボラの正体を知らない。

 本当に知らない・・・・・・・。十年前初めてテレビ報道でその姿を見た時、呆気に取られたものだ。そして日本の自衛隊の攻撃をものともしない姿にも恐怖した。

 当時の人民解放軍は確かに人員や装備数こそ自衛隊を大きく上回っていたが、技術面では劣る部分が多かった。自衛隊は『敵』として相手にしたくない存在であり、口では威嚇しても本当にぶつかり合う事態は避けたいのが本心だった。

 そんな自衛隊にすら倒せない怪物が中国に上陸したら……町は滅茶苦茶になるだろう。社会不満が蓄積している中大量の被災者なんて出たら、本当にクーデターが起きたかも知れない。

 しかしデボラは中国に来なかった。太平洋から見て日本が防衛線となってくれたからか、大気汚染を嫌ってか、それともただの気紛れか……理由は分からない。

 それ自体は喜ばしい事なのだが、デボラによりアメリカと日本が没落してしまった。

 当時の中国の戦略 ― 経済的・領土的支配の拡張 ― は、アメリカや日本から数多の妨害を受けた上で進める前提だったのだが、その妨害がパタリと消えたのだ。現地も現地で、経済大国二つの崩壊により中国依存が加速する有り様。結果、枷を外したかのように中国の支配は広まった。

 これに一番困ったのが、計画を立てた当人達だ。正直、十年で世界の六割を支配するなんて性急過ぎる。人員が全然足りないしノウハウもない。しかし支配してしまった手前手放す事も……長年の教育政策で国民に熱狂的な『愛国心』を植え付けてなければ適時出来ただろうに……出来ない。デボラ出現初期では行政がパンクし、書類不備やら紛失やら粉飾やらが溢れた。今でも、あまり状態は変わっていない。

 そんな中で真面目に仕事をしていたら功績が山ほど積まれていて、なんか最高指導者になっちゃっていたのが正だったりする。

「本当に、なんなんだあのデボラという生物は……」

「我が国が開発した生物兵器と聞いています」

「もし本当にそうなら、もうそっちの方がマシだよ……」

 秘書からの皮肉さえ、今の正にとっては『ありがたい話』だ。コントロールしているのが陰謀論通り自分達なら、少なくともデボラが中国を襲う事は絶対にない。内々の危機を誤魔化しながら、少しずつ立て直しを図れば済む話となる。

 されど現実には、中国はデボラを制御などしていない。少なくとも正が知る範囲では絶対に。つまり、何時デボラに襲われてもおかしくないという事だ。

 だからこそ中国は様々な研究機関に資金を渡し、研究を促してきた。彼等の報告内容に圧力など加えた事がない。真実を知りたいのは正も同じなのだから。けれどもそうした動きすら、世界は中国の暗躍だと決め付ける。

 国内世論から突き上げられ、世界の反感を買ってまで支配を広げるしかなく、結果行政機能は破綻。なのに恐ろしいデボラの止め方は全く分からない。

 冗談抜きに最悪だ。どんなきっかけで国家が崩壊してもおかしくない。今の中国は、何時破裂するか分からない風船も同然だ。

 そして民主国家ではない国が崩壊したなら、その時トップに居た指導者は……

「李主席。空港に着きました」

 頭を抱える正に、秘書が淡々と状況を伝える。正はハッとして顔を上げると、そこには自分がこの国に降り立つため使った空港が見えた。

 正は咳払いをして、背筋を伸ばす。車内 ― この車の窓ガラスは特殊な加工がされていて、外から中の様子は見えない作りだ ― や自室で頭を抱えるならまだしも、外でこんな姿をしたら一瞬で世界中に報道されてしまうだろ。

 米国大統領は自身の健康ぶりを示すため、多少無理にでも大食らいを演出するという。ロシアの大統領も寒中水泳やクマへの騎乗などで、己の強さを見せていた。

 『世界の支配者』である中国共産党最高指導者が、頭を抱えている姿を市民に見せる訳にはいかない。

 それに、デボラへの『対抗策』は既に打っている。不安はあっても、怯え続ける理由はない。

「……分かった」

 正は己の気持ちを切り替えるためにも、秘書の言葉に力強い返事をする。

 彼は扉を開け、真っ直ぐ空港目指して歩く。と、そんな正の前に一台の黒塗りの車が現れ、止まった。

 車のドアが開き、中から一人の青年……いや、少年が現れる。

 正は彼の事を知っている。国連の天才科学者である霧島セロンだ。尤も、正確に言うならば『元』科学者であるが。

「……来てくれたかね、霧島セロンくん」

「ええ、李主席。今後はボクがあなた方のプロジェクトに参加します……まぁ、実際には五年以上前から接触している訳ですが」

「確かに。今更他人行儀だったかな?」

 セロンの意見に、顎を触りながら正は答える。

 セロンが言うように、セロンと中国政府は五年以上前から関係を持っている。国連で好きなように研究が出来なかったセロンと、優れた技術者を欲していた中国との思惑が一致したからだ。国連には秘密で両者は交流を重ね、とある『計画』を進めてきた。

 そして秘密裏に進められていた計画は、間もなく実現しようとしている。

国連側で・・・・テストした・・・・・データも持ち出しています。解析途中ですが、大凡予想通りの結果です。もしかするとプロトタイプでも成果を上げられるかも知れませんね」

「では……」

「人民解放軍と太平洋防衛連合軍から、良い人材を持ってきてください。それで計画は始動出来ます」

 セロンの言葉に、正は本心からの笑みを浮かべた。

 長年推し進めていた計画がいよいよ始動する。この時を、今か今かと待ち侘びていたのだ。それが実現すると聞かされて、どうして喜びを隠せるのか。

 いよいよ始まるのだ。デボラを倒し、中国が『本当』に世界を支配するための計画。



















 『メカデボラ建造計画』を。

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