霧島セロンの目的
「今回の件、どのように落とし前を付けるつもりだ?」
身長百八十センチ、体重九十キロはあるだろう屈強な大男が、威圧的な声でそう尋ねた。
常人ならば、彼の放つ威圧感に潰され、目に涙を浮かべてしまうだろう。訓練された兵士でも、手がぶるぶる震えてしまうかも知れない。何しろ彼の纏う雰囲気を例えるならば、怒り狂った猛獣のようなものなのだから。彼が居る小さな事務室の中は今、ピリピリとした空気に満たされている。
だがそんな彼――――国連所属『デボラ対策軍』司令官ヴィスコム・グローリーの重圧を受けても、霧島セロンは眉一つ動かさなかった。
「なんの話だい?」
「惚けるな! 先日のオーストラリアでのデボラ襲撃時、国連で開発した最新鋭兵器を無断で非公認の武装組織に提供しただろう!?」
首を傾げるセロンに、ヴィスコムは強い口調で問い詰める。
『天才』と呼ばれるセロンには、ヴィスコムの言いたい事はすぐに理解出来た。要するに、何処の国にも属していない『武装組織』に国連の武器を渡した事が気に入らないらしい。
ヴィスコムの怒りの原因は分かった。分かった上で、セロンは小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「ふん、その件か……それの何が問題なんだい?」
「何が、だと……!?」
「太平洋防衛連合軍は、数多の国の人間が所属する組織だ。何処かの国の軍隊より、余程中立的な組織だと思うよ? 少なくとも彼等は、デボラ以外に提供した武器は使わない。そうだろう?」
「……っ!」
セロンの意見に、ヴィスコムは口を閉ざしてしまう。
難しい話ではない。デボラはどの国にとっても脅威だが、全ての国にとって最優先事項ではないという事だ。
デボラ出現初期、途上国ではデボラへの対抗手段などないも同然だった。上陸すれば撃退はおろか、足止めすら出来ない有り様。そこで国連が新設した対デボラ対策部隊は、途上国への武器提供を行ったのだが……その武器をデボラ以外の『敵対勢力』に使う国家が出たのである。
それは決して多くの国で起きた出来事ではなく、むしろ様々な不運が重なった希有な事象であったが……国際的な ― 国家ではなく市民側の ― 不信感が噴出。対デボラ兵器のより慎重な運用が求められるようになったのである。
勿論対デボラとして開発された兵器が人間へと向けられるのは、ヴィスコム達デボラ対策軍の面々にとって最も忌むべき事態だ。しかしデボラ被害から治安や情勢が悪化する昨今、世界中で軍事政権や独裁政権の樹立が相次いでいるのも事実。彼等に武器を渡せばどうなるかは、人類の歴史が教えてくれる。
デボラによる民間人への被害を防ぐためにも、兵器の供給は行わねばならない。けれどもその兵器が無辜の市民に向けられる事も警戒せねばならない。
太平洋防衛連合軍は、その意味では間違いなく最適な組織である。彼等はデボラ打倒というシンプルな目的のために集い、結束している。そこに人種も性別も宗教も関係ない。デボラという『人類共通の敵』のみを見据える彼等は、決して銃口を人間には向けないのだ。
「……お前の言う事は、確かにその通りだ。彼等が、提供した兵器を市民に向けるとは私も思わない」
「なら良いじゃないか」
「規則があると言っているんだ! 規則というのはただの面倒な約束事じゃない! 経験から培われた安全のためのルールであって」
「ルール、ルールねぇ」
ヴィスコムの叱責を受けても、セロンは何処吹く風。まるで堪えない。
セロンからすれば、ルールという『思考停止』の方法に則ってる時点で二流の考えだと思っていた。一流は状況を的確に理解し、その都度最適の答えを導き出す。ルールなんてもので選択肢の幅を狭めるなど愚の骨頂である。
勿論一般人……セロンから見た『二流』の連中がルールを守るのは良い事だ。二流の連中では、都度都度正しい答えを出せはしないからである。だが、一流の人間に二流のルールを当て嵌めてくるのは我慢ならない。
無論この考えは既にヴィスコム含め、国連の上層部にセロンは伝えている。それでもルールを守らせようとするのは、組織というのは統率が取れていなければならないからだ。ましてやそれが、実際はどうあれ、『公平』を謳う組織ならば尚更である。
国連とセロンの考えが合う事はない。
――――そろそろ引き時だろう。
「OK、あなたの言いたい事は理解した。つまり、国連の仲間でいたいならルールを遵守しろという訳だね?」
「……そうだ。ルールさえ守ってくれるなら、こちらとしても最大限君の研究と開発を援助し」
「じゃあ、ボク達の関係はここで破綻だ。今日までありがとう」
ヴィスコムの話を遮り、セロンは己の言いたい事を歯に衣着せずに語る。
最初、ヴィスコムは呆けたように固まっていた。それからしばらくして口をパクパクと動かし……ギョッとしたように目を見開く。
その間にセロンは事務室の扉の前まで移動しており、ヴィスコムは慌ただしい足取りで彼の後を追った。
「ま、待て!? それはどういう……」
「皮肉でもなんでもない言葉を理解出来ないのは、四流以下だよ。君、そこまでお馬鹿だったのかい?」
「そうじゃない! こちらはただ、ルールを守ってほしいだけで……」
「そのルールを守るという行為が鬱陶しいんだ。だからボクはここではもう働かない。シンプルだろう?」
淡々と、思った事を答えるセロン。ヴィスコムは最初ただただ戸惑うばかりだったが、やがてその顔には憤怒の色が浮かんでくる。
「き、貴様のように身勝手な輩を、誰が雇うというんだ! 研究が続けられなくなるぞ!」
ついには脅しの言葉を発し……セロンはくるりと振り返る。
そして、ニタニタとした笑みをヴィスコムに見せ付けた。
ヴィスコムは後退りし、口を閉ざす。嘲笑うような表情。天才が向けた感情に、『凡夫』である彼は怯んでしまった。
「生憎、ボクの頭脳を欲しがる人は多いんだ。ま、君達にとっては些か都合の悪い相手かも知れないけどね」
セロンはそんなヴィスコムに、意地悪く告げる。
ヴィスコムはごくりと息を飲み、立ち止まってしまう。セロンはそんな彼には目もくれず、踵を返すと彼を置いて歩みを再開してしまう。
やがてセロンは国連本部……かつてニューヨークにあったその建物は、今ではドイツに移転されている……の玄関口に辿り着き、外へと出る。と、まるで彼を待っていたかのように一台の黒塗りの車がやってきた。博識なセロンはその車が所謂高級車であり、今は一般市民では手の届かない代物である事を知っている。
車は窓を開け、乗員が顔を見せる。セロンにとってそれは見覚えのある『アジア人』の顔。想定外の人員でない事を確かめたセロンは、自動的に開かれたドアをくぐって車内へと入る。
「穏便に『退社』出来ましたか」
「ああ、とても穏便にいったよ。想定通りだ」
訛りのある英語で尋ねてくる運転手に、セロンは饒舌な英語で答える。ドアが閉まった車は走り出し、異国への玄関口である空港目指して走り出した。
もう、セロンは此処に戻ってくるつもりはない。
此処よりももっと良い場所を、彼は五年以上前から見付けていたのだから……
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