及川蘭子の預言

「……成程ね。これがデボラの『能力』か」

 様々な数字の書かれた紙をデスク上に放り投げ、蘭子は自身が腰掛けていた椅子の背もたれに身を預けた。誰も居ない研究室の所長室で、見もしないテレビを点けっぱなしにしながら、天井を見つめて蘭子は考え込む。

 恐らく、今正に実行中である日米共同の駆除作戦は失敗する。

 力不足、というよりも相性が悪い。通常兵器でも多少のダメージは与えられるだろう。しかし計算通りにはいかない筈だ。それを裏付けるデータが、ようやく得られたのだ。

 さて、このデータは何時報告すべきだろうか。出来るだけ早い段階が良いのは勿論の事だが、作戦失敗の直前に報告しても理不尽な怒りをぶつけられそうで――――

「及川先生! 大変です!」

 考え込んでいると、室内にスーツ姿の若い男性が入ってきた。蘭子はちらりと、入ってきた男性を見遣る。

 彼は研究員ではない。デボラ研究の政府方針などを伝えてくる連絡係……というのは少々酷な言い方か。要するに官僚の一人だ。何度か打ち合わせをした事がある顔見知りで、蘭子としても信用している人物である。

 そんな彼が狼狽えた様子でやってきた。何か、大事な話でもあるのだろうか。

 例えば、今し方蘭子が辿り着いた『予想』が現実になったとか。

「どしたの? デボラ駆除作戦でも失敗したのかしら?」

「えっ……どうして、それを?」

「たった今、きっとそうなるってデータを得られたからよ。ま、後の祭ってやつだけどね」

 デスクの上に放り投げた紙を拾い、ぺらぺらと見せ付けるように蘭子は紙を揺らす。官僚の男性は一瞬戸惑った様子を見せたが、しかしすぐに緊迫した顔持ちに戻った。

「わ、分かりました。でしたら冷静に、聞いてください」

「……まぁ、聞くだけなら」

 何をそんなに話したいのだろうか。疑問に思う蘭子の前で、官僚は二度三度と深呼吸を繰り返し、自身の気持ちを鎮めようとする。

「米軍がデボラへの核攻撃を行います」

 それでも、告げた言葉には何処か怒りや悲しみが混ざっていて。

 蘭子は彼の告げた言葉で、頭の中が真っ白になった。

「……は、えっと……?」

「四国から東京までの距離でしたら、放射能による被爆などはあり得ません。ですがデボラ研究をしていた先生は、この核攻撃に対する関与が疑われる恐れがあります。マスコミなどの追求を受けた場合、回答を用意しましたので打ち合わせを……」

 若い官僚は真剣な言葉で蘭子に話す。蘭子という研究者の身を守ろうという気持ちがひしひしと感じられた。

 感じられたが、蘭子は彼の話を聞かなかった。代わりに自らの頭の中で、目まぐるしく思考を巡らせる。

 恐らく、デボラには殆ど通常攻撃が通じなかったに違いない。計算では貫通するような攻撃も、甲殻を砕く集中砲火も、全て無効化された筈だ。

 通常兵器が通じない。ならば通常ではない兵器が必要である。

 例えば生物兵器……デボラのような怪獣があるなら兎も角、細菌をばらまいてどうする。対人間用の細菌が、全く別系統の生物種に感染するとは思えない。

 ならば化学兵器……有効な量の毒ガスを散布するのも大変だ。そもそもデボラには放射大気圧という、大気を掻き乱す力がある。毒ガスなんて簡単に吹っ飛ばされてしまうだろう。

 残る兵器は、核兵器のみ。

 通常兵器とは比較にならない、出鱈目な威力。化学反応では生み出せない、物理学的事象による高熱ならば如何にデボラでも……そうした考えに米軍、いや、人々が辿り着くのは必然だろう。

 実際のところ、蘭子は核兵器にそこまでの忌諱感はなかった。やたらと使う事は賛同しないが、必要に迫られてもなお避けるべき選択肢とは思わない。核兵器により四国の大地が汚染され、何百万もの人々が住めなくなっても、何億という人々がデボラの驚異から永遠に解放されるなら、それは『合理的』な判断だ。

 だが、駄目だ。

 デボラに・・・・核兵器を・・・・使っては・・・・ならない・・・・

「……っ!」

「せ、先生? 電話を何処に掛けるつもりですか……?」

「防衛大臣、いや、総理大臣と連絡させて! 核兵器の使用を止めさせないと不味い!」

「や、止めさせるって、無理ですよ! 決定したのは米国で、こちらは一方的に通知されただけです! 作戦失敗が確定したら、核兵器による攻撃は行われます! もう止められません!」

 室内の電話から連絡を取ろうとする蘭子を、官僚は泣きそうな声で止めた。彼の言い分は尤もな話で、確かに意味はないように思える。

 だが、ならば尚更伝えねばならない。知っていたのと知らないのでは、今後の対応は別物になる。

「デボラの生理的能力について、一つの仮説がつい先程立てられたわ。恐らく奴は、熱エネルギーを吸収している」

「ね、熱エネルギー?」

「甲殻にそうした機能があるの。甲殻自体は千五百度程度の熱にしか耐えられないけど……恐らく循環している体液が、そうして得られた熱を回収しているんでしょうね。得られた熱は代謝機能に活用されると思われるわ。奴に通常兵器が殆ど通じなかったのは、甲殻が硬いからというだけじゃない。熱により活性化した代謝機能が、損傷を即座に再生させたのよ」

「ね、熱で再生力が強くなる……あっ!?」

「核兵器最大の特徴は、放射能やら広域破壊じゃない。膨大な熱量よ。熱で全てを焼き尽くすの。どれだけ威力が高くても、高熱を発する兵器ではデボラを倒せない……いえ、活性化させるだけね」

 蘭子の『預言』に、官僚は言葉を失ったように口を喘がせる。

 勿論これはあくまで実験データからの推測だ。得られたデータが示すのは、甲殻には熱を吸収する作用があるという点だけ。もしかしたら蘭子がデータを読み間違えているかも知れないし、熱を吸収するのが確かだとしても、核兵器の放つ熱波に耐えられるとは限らない。日本人は米を食うが、時速百キロで飛んできた米俵の直撃を受ければ、大体誰でも死ぬのだから。

 だが、生命は何時だって人間の予想を上回ってきた。ましてやデボラはこれまでの科学的常識の通用しない相手。何が起きるか分からない。

 永遠に中止しろとは言わない。けれどもせめて待ってほしい。本当に核兵器が通用するのか、通用するのなら必要な数は如何ほどなのか。せめてそれが分かるまでは……

 蘭子は祈った。間に合ってほしいと。

 ――――自分の祈りが届いた事など、ここ最近からっきしだったというのに。

【緊急速報です。政府は先程、米国がデボラに対し核攻撃を行った・・・との通知を受けたと発表しました】

 背を向けていたテレビから、無情な言葉が響く。

 蘭子はテレビの方へと振り返る。官僚の男も、愕然とした顔でテレビを見た。テレビの中のアナウンサーは、二人の気持ちなど露知らず、神妙な面持ちで語った。

【既に核ミサイルは発射され、デボラには十五分後に着弾するとの事。デボラ襲撃が予想された四国では既に住民の避難は行われ、市民への放射性物質による影響はないとの事です。ですがデボラの周辺には戦闘を行っていた自衛隊や米軍兵士が居り、彼等の身が危険に晒されるのではとの懸念があります】

「お、及川先生……」

 官僚が蘭子の方へと振り返り、名前を呼んでくる。なんとかしてほしい、そんな気持ちがひしひしと感じられた。

 それを言いたいのは蘭子も同じだ。けれども預言をしてしまった身として、自分の考えを否定する気になどならない。否定したところで現実は変わらない。

 出来るのは、これからを考える事ぐらいか、

「……結果を待ちましょう。私の予想が外れる事を祈って」

 普段信じてもいない神様にお願いする事ぐらいだった……

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