足立哲也の降伏

「……で、デボラ、発光してます……」

 戦車の照準器を覗いたまま、哲也はぽつりと呟くような声で報告する。

 日米共同デボラ駆除作戦に参加していた哲也は、放射大気圧の攻撃を幸運にも切り抜け、どうにか今も生存していた。彼は照準器越しに空軍と海軍が攻撃に成功したのも見ており、デボラが苦しんでいるところも目撃している。故に、このまま攻撃を続ければデボラに勝てると、そのような希望を抱いていた。

 だが、今は違う。

 照準器の向こうに見えるデボラは、赤く光り輝いていた。その輝きは最初ほんのりとした程度だったが、段々と強くなり……今では、降り注ぐ太陽にも負けないぐらい眩く輝いている。ずっと見ていると目が痛くなりそうで、哲也は目を細めながらの観察を余儀なくされた。

「なんだあれは……あのような変異は、報告されてないぞ」

 身体を外に出してデボラを見ている車長も、その変化に驚きを示す。自分が通達されたデボラ情報を理解しきれていなかった……そんな『暢気』な可能性が潰えて、哲也は息を飲む。

「こ、攻撃に対する、防御反応でしょうか」

「かも知れないが……嫌な予感がする」

「嫌な予感?」

「……新田、すぐに動かせるようにしておけ。後方にな」

「え? あ、はい。了解しました」

「足立は攻撃を続けろ」

「了解」

 車長の指示を受け、足立はこれまで通りの砲撃を、操縦手である新田は戦車の操作を行う。

 砲撃継続は当然として、後退の準備は上からの指示にないものだ。命令違反、ではないが、臆病風に吹かれたと言われても仕方ない。しかし車長が後方の下がるための、つまり後退の準備をさせたからには……きっと車長は今のデボラに何か、恐ろしいものを感じたのだと哲也は理解した。

 哲也達の戦車が逃げる準備を続ける中、空軍と海軍、そして戦車による砲撃は続く。赤色に発光するデボラは身動きを取らず、どの攻撃も命中。デボラに更なる損傷を与えた

「……ん……?」

 その時に、足立は違和感を覚えた。何がおかしいのかは分からなかったが、漫然とした疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡る。

 無意識に足立は光り輝くデボラのを凝視する。集中のあまり攻撃の手が緩むが、しかしその甲斐あって確認出来た事柄は、あまりにも重大な『想定外』だった。

 当たっていない・・・・・・

 砲弾やミサイルが命中する寸前に、まるで押し潰されるようにして崩壊している!

「車長! デボラへの攻撃、命中していません! デボラ表面から僅かに……恐らく数メートルほど離れた地点で、砲弾が炸裂しています!」

「何っ!?」

 足立からの報告を受け、車長はデボラを肉眼で観察。やがて舌打ちをするや戦車内に戻り、通信機に向けて叫ぶ。

「本部! 目標に攻撃が着弾していない! 目標から僅かに離れた地点で起爆している! 透明な……バリアのようなものがあるようだ!」

 車長の報告を聞き、足立は自分の見たものが間違いではなかったのだと理解した。しかし出来れば勘違いや思い違いであってほしかった足立は、悔しさから唇を噛み締める。

 バリアなんて、それこそSFの超兵器じゃないか。

 一体どんな原理で攻撃を防いでいるのだろう。それを解明しなければ、デボラに攻撃は通らない。攻撃が通らなければ、デボラを倒すなど夢物語で終わってしまう。

 足立は照準器から打開のヒントを探る。科学者でない身で解明出来る自信はないが、やらなければデボラは倒せない。現場に居る自分達でなければ気付かない事がある筈だと、哲也はデボラを注意深く観察する。

 やがて哲也は、デボラが何をしているのかに気付いた。しかしその気付きは、デボラの姿を観察して得られたものではない。

「……なんか、暑くない、ですか……?」

 戦車内にで起きた、気温の変化だ。

「……確かに、暑いな。エンジンの回転を上げたか?」

「い、いえ、上げてません。空調にも異常はないと思います」

 車長からの問いに、新田は狼狽え気味に答えた。

 哲也達が乗る一〇式戦車は、最新式の兵器だ。乗組員が暑さで倒れないよう、空調ぐらい備え付けられている。

 しかしその空調が稼働していながら、車内温度がどんどん上がっている。いや、そもそも今は二月にも入っていない、真冬の時期だ。寒くなるなら兎も角、暑くなるなんて考え難い。

 それこそ気温が大きく上昇しない限り――――

「まさか……!」

 車長は声を上げると、戦車から顔を出そうとして僅かに外につながる扉を開ける。

 瞬間、焼けるような熱風が戦車内に流れ込んできた! 車長は慌てて扉を閉じ、中へと戻る。

「な、なんだこれは……外が、とんでもない高温になってる……!?」

「が、外気温のセンサーが、急激な温度上昇を検知! 現在外は、六十度以上あります! 気温は今も上昇中です! このままでは車体のエンジンがオーバーヒートに陥り、機能が停止します!」

「不味い……こんな場所で動けなくなったら蒸し焼きだぞ」

「で、ですが、外に逃げようにも風も強くて……!」

 車長と新田のやり取りから、哲也も外の過酷さを知る。

 故に、デボラが・・・・何を・・しているのか・・・・・・、それも理解した。

 デボラは熱を放っているのだ。それも何キロも離れた位置の大気を六十度以上になるまで加熱するような、とんでもない放熱量である。デボラ本体、いや、デボラから数メートルの範囲がどれだけ高温かは想像も付かない。

 その高温により、周囲の大気を膨張させ、強烈な風を起こしているのだろう。超音速で迫る砲弾やミサイルを押し退けるほどの強風を。砲弾にしろミサイルにしろ、途中で押し退けられるような事態を想定していない。壊され、着弾の前に爆発しているのだ。

 専門家ではない哲也の推測ではあるが、現状そのように解釈するしかない。そしてこの解釈が正しければ、砲弾とミサイルをデボラに直撃させるのは実質不可能だ。

「本部! デボラは熱を放出し、砲弾を押し退けている! 着弾させる事は不可能だ! また気温が異常に上昇し、車体機能の停止が考えられる! 指示を請う!」

 車長もまた哲也と同じ結論に至ったらしく、上層部の指示を仰いだ。とはいえ哲也達の考えが正しければ、今のデボラに砲弾を幾ら撃ち込もうと通じない。撤退とまではいかずとも、作戦の練り直しが必要だと思われた。

「……了解。くそっ!」

 だが、上の考えは違っていたらしい。

「足立! 攻撃を続けろ! お上はなんとしても此処でデボラを倒す気満々だそうだ!」

「りょ、了解!」

 車長の指示を受け、哲也はデボラへの攻撃を再開する。

 一〇式戦車の照準システムは素晴らしい。砲手の動揺などお構いなしに、正確にデボラの顔面に砲弾をお見舞いする。

 しかし砲弾が炸裂するのは、デボラの顔から少し離れた位置。集中砲火を喰らわせても身を捩らせる程度なのだ。当たらなければ効果など得られない。空自や海自の攻撃も継続しているが、デボラに効果は与えられていない様子だ。

 勿論デボラとて生物なのだから、無限に体力が続く筈もない。生物学や物理学にそこまで明るくない哲也であるが、デボラの放熱に膨大なエネルギーが必要なのは分かる。あまり長時間は続けられないだろう。

 しかし人間側の兵器だって、無限に戦い続けられるものではない。容赦ない一斉攻撃は砲弾を急激に消耗する。戦闘機やヘリは燃料の問題だってあるのだ。

「……残弾なし。目標健在」

 哲也達の乗る戦車の弾が切れてから、さして時間も経たずにデボラへの攻撃は止んだ。攻撃中止の指示はまだ出ていない。一斉に攻撃を始めた結果、一斉に弾切れを起こしたのだ。

 日米共に攻撃の手が止まる。それから数十秒も経つとデボラが放つ光は急速に収まり、元の体色へと戻った。気温も一気に下降している事から、熱による防御も消えた筈だが……弾がなければ攻撃など出来ない。歩兵の対戦車攻撃などはまだ続いていたが、戦車砲などの攻撃と合わせずにやってもデボラからすれば豆鉄砲に過ぎないだろう。

 デボラは顔を上げ、無数にある足を動かす。空爆などによるダメージはもう残っていないかのように、立派に大地に立っている。

 ただし哲也は感じていた。

 デボラの胸の内にある『怒り』だけは、攻撃を受けていた時よりも更に激しく燃え上がっていると。

【ギギイイイイイイイイイイイッ!】

 デボラの怒りの咆哮が、哲也の印象が正しい事を証明した。

 デボラは再び放射大気圧を地上目掛けて照射。薙ぎ払うように、何キロにも渡って大地を吹き飛ばす。

「は、歯を食い縛って何処かに掴まれ!」

「ぐっ……!?」

 哲也達が搭乗する戦車も、放射大気圧の余波を受けた。数十メートルは離れた位置を通ったのに、重さ数十トンはある戦車が小石のように舞い上がり、大地を転がる。頑強な装甲に覆われた戦車でなければ、今頃スクラップだ。車長からの指示もなければ、舌を噛んで死んでいたに違いない。

 それでも、転がる車体の中で全身を何度も打ち付けたので、無傷とはいかなかったが。やがて車体は止まり、地獄のような時間は終わりとなったが、足立はすぐには動けなかった。

 転がった際に機材が壊れたようで、車内は真っ暗になっている。照準器から外の様子は見えない。どうやら車体を捨て、脱出しなければならないようだ。

「……大丈夫か、お前ら……」

「……じ、自分は、なんとか……」

 近くから聞こえてくる車長の声に、哲也は身体を動かしてから答える。少し痛むところはあるが、動けないほどではない。

「……すみません。足が、動かない、です」

 対する新田は、あまり良くない状態らしかった。

「足立、手伝え。新田を救助する。お前は車体のハッチを探せ」

「りょ、了解」

 車長から命令され、足立は戦車のハッチを探す。無論本来なら車体上部にあるもので、例え暗闇の中でも迷わず見付けられるものだ。

 しかし今の戦車は激しく転がり、その弾みで哲也達も座席から飛ばされている。もしかすると完全にひっくり返り、ハッチが地面で塞がってるかも知れない。その場合、救助が来るまで閉じ込められる事となる。

 幸いにしてハッチはすぐに見付かった。側面だ。どうやら戦車は横向きの状態で止まっているらしい。衝撃で歪んだのか手では開けられなかったが、思いっきり蹴飛ばしたところなんとか外れた。

 外は見晴らしの良い場所だった……否、正確には良くなった場所か。どうやらデボラの放射大気圧が抉った跡地に、戦車は嵌まったらしい。木々も草もない、剥き出しの大地が一直線に続く、おぞましい景色だった。

 こんな怪物と戦っていたのか……画面越しだけでは分からなかったデボラの力に、哲也は息を飲む。されど怯んでいる暇はない。このままひっくり返ってしまうかも知れない戦車内に、まだ仲間が居るのだ。

 車長と共に新田を引きずり出し、戦車から離れた位置に寝かせる。新田の息が荒いのは苦しさからか。不安が哲也の脳裏を過ぎる中、車長が簡易的な診断を行う。

「……どうやら足が折れてるようだ。固定するものが欲しい。足立、木でもなんでも良いから、棒を幾つか持ってきてくれ」

「了解!」

 車長からの指示を受け、哲也は駆け出す。抉られて坂道になった大地を登り、平地まで出たが、近くは放射大気圧の余波で何もかも吹き飛んでいた。遠くまで行かねば棒一本なさそうだ。

 そうして周りを見ていると、背後からぞりぞりと削るような轟音が聞こえてくる。思わず振り向いた哲也の目に映ったのは、彼方で暴れ回るデボラの姿だった。

 デボラは哲也達の戦車を吹き飛ばしただけでは飽き足らず、未だ放射大気圧をあちこちに撃ち込んでいた。放射大気圧が直撃した他の戦車は、耐える事すらなく圧壊。装甲が薄い自走迫撃砲などは掠めただけでバラバラに砕け、中身諸共消し飛んでいる。

 地上部隊を一掃したデボラは、しかしまだ怒りが治まらなかった。くるりと振り返ったデボラが見るのは海の方。人間の視覚には捉えきれない、数十キロ彼方に護衛艦と駆逐艦が浮かぶ場所。

 デボラは、放射大気圧を海に向かって撃った。

 放射大気圧は大量の海水を吹き飛ばしながら直進。五十キロは離れていた海自の護衛艦を、易々と貫いた。デボラはそのまま首を横に振り、ついでとばかりに米軍の駆逐艦も薙ぎ払う。二隻の戦闘艦が、一瞬にして撃沈された。

 デボラは空中の敵も許さない。空を見上げたデボラは、頭部を激しく揺さぶりながら放射大気圧を空目掛けて撃つ。するとこれまである程度集束していた空気の歪みが、大きく広がり、扇のような形となった。

 攻撃範囲を自在に変えられたのだ。勿論拡散させればその分威力は落ちる。しかし空を飛ぶ航空機達にとって、自然の暴風すら驚異なのだ。秒速百数十メートルもの風となれば、コントロールを失うには十分。次々と航空機が錐揉み回転しながら地上に落ちていく。

【ギイイイイッ! ギィ! ギイイイィィィィッ!】

 デボラは暴れ狂う。あらゆるものを放射大気圧によって吹き飛ばし、何もかもを灰燼へと変えていく。粗方敵を吹き飛ばしても、それでもまだ暴れたりないのか。

 町を吹き飛ばす。

 山を吹き飛ばす。

 大地を吹き飛ばす。

 何もかもが破壊されていく。

 空爆をあんなに喰らわせたのに、瀕死どころか元気いっぱいではないか。戦車どころか航空機、戦闘艦まで破壊するなんて、本物の怪獣だ。あんなのに勝てる訳がない。遠くに逃げないと殺される――――

「……こんな事、考えてる場合じゃない!」

 頭の中を満たす感情を払うように、哲也は頭を力強く振った。勝てる勝てないを考えるのは、司令官や政治家の仕事だ。自分は一介の自衛官であり、国民のため現場で戦うのが役割。強大な敵を前にして、情けなく膝を付く事ではない。

 今は仲間の救助を優先しよう。負の感情を、先程受けた『命令』で押し出して、哲也は再び走り出す。百メートル以上走ったところで、地面に突き刺さった木の棒を幾つか見付けた。太さと長さが少し心許ないが、周りを見る限り他に良さそうなものもない。

 ないよりはマシだと思い、五本ほどの枝を確保し、哲也は車長と新田が待つ戦車の下へと駆け戻る。

 戦車へと続く坂道を駆け下りる中、新田が身を起こしている姿が見えた。足は怪我しているが、腰から上は無事なようだ。遠目に見える朗報に、哲也は頬を綻ばせる。

 しかし近付くほど、彼の顔は強張っていった。

 車長と新田が、言い争っているような様子なのだ。最初はまさかと思ったが、距離が縮まるほどに確信が深まる。一体何があったのか。

「車長、枝を持ってきましたが……」

「足立! お前も手伝え! 新田を手当てして、急いでこの場を離れる!」

「足立、俺の事は気にするな! 早く逃げろ!」

 とりあえず声を掛けてみれば、車長と新田から別々の『命令』を出された。特に新田は基本的に指示を出す立場ではない。

 無論本来ならば新田の意見など無視し、上官である車長の命令を聞く。自衛隊……軍隊とは、上意下達を徹底しなければならない組織なのだから。しかし同僚である新田の叫びがあまりにも必死で、哲也の心に迷いを生じさせる。

 そんな哲也の状態を見抜いたのだろう。車長は捲し立てるように、哲也にこう告げたのだった。

「二十分以内にデボラへの原水爆攻撃が行われる! 早く新田の応急処置を終わらせて、少しでも遠くに逃げないと巻き込まれるぞ!」

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