佐倉清司郎の目撃

 佐倉清司郎は若手自衛官の中で、最も優秀なパイロットと称される。

 当人にそのような自覚はないが、しかし空を駆けるのは好きだった。領空侵犯してきた『所属不明機』とやらを追い払いに出る時さえ、戦闘機に乗ると笑みが零れてしまう。勿論所属不明機との戦闘……つまり命のやり取りをする可能性は常に脳裏を過ぎるが、それにも増して空を飛ぶのが好きなのだ。飛行中毒者ジャンキーと呼ぶべきかも知れない。

 そんな清司郎でも、『そいつ』の姿を見た時には表情を引き攣らせた。

 デボラ。

 体長三百五十メートルもの巨大生物は、悠々と日本の海を泳いでいた。清司郎が乗る戦闘機は、デボラの上空二千メートルほどの高さを飛んでいる。デボラはとても巨大なため、この高さからでも十分に目視で確認出来た。

 自衛隊の護衛艦と米軍の駆逐艦がデボラを追っていたが、上空からその様を眺めている清司郎の目には、彼等がどんどん引き離されているように見える。デボラの最大潜水速度は明らかとなっていないが、ざっと時速百八十キロ……百ノットは出しているらしい。日本の護衛艦でも、その速度は精々三十ノット程度だというのに。一体どんな原理で泳いでいるのか、そもそもどうやって浮いているのか。ただ泳ぐだけでも謎ばかりだ。

 そしてデボラが向かう先にあるのは、四国の沖。

 突き進む先にあるのは、発展した都市部。日本とアメリカ上陸時はどちらも『港町』だったが、此度はビルなどが並ぶ主要都市だ。上陸時の津波でどれほどの被害が出るか、想像も付かない。

 無理矢理にでも幸いな点を探すなら、その都市の人々はとうに逃げ果せている点か。

 日米共同作戦が決まってから、最初の都市が戦場となる事は決まっていた。避難は迅速に行われ、もう人は残っていない……残っていない事となっている。本当にそうなのかを確かめる時間はない。確かめるために、デボラへの攻撃が遅れれば次の被害が生じるかも知れない。

 何がなんでも、この地で敵を討つのだ。

 護衛艦と駆逐艦は沖が近くなると追跡を止め、近海で待機。デボラは軍艦の意図に気付いていないのか、それとも無視しているのか。速度を落とす事なく……いや、むしろ加速させて沖へと迫る。

 海面が大きくうねる。莫大な量の海水が押され、デボラより一足先に沖を目指す。

 そして海面のうなりは津波となって、都市を襲った。

 膨大な量の海水が都市に流れ込み、小さな建物を飲み込み、大きなビルは土台を砕いて薙ぎ倒す。大地震による津波でも、こんな馬鹿げた被害は考えられない。高さ百メートルという、自然すらも超えたスケールがもたらす破壊だった。

 海水は十数キロ先の地点まで押し出され、今度は引き波となって何もかもを持ち去る。一度目の衝突をボロボロになりながらも耐えた建物さえ、逆方向からの削り取るような力で跡形もなく破壊された。

 跡に残るのは、真っ平らになった土砂塗れの平地。

 そして津波を運び、津波の中でも平然としている、デボラだけだった。

【……ギイイィイィィ……】

 デボラは金属がひしゃげるような、背筋の凍る声を鳴らす。それから辺りを見渡すと、のしり、のしりと前に進み始めた。

 『作戦第二段階』の成功だ。デボラは上陸時、津波を伴って海岸付近を破壊し尽くす。そのため沿岸部に戦車などの地上戦力は配置出来ない。しかしデボラを誘引する方法などはなく、デボラが内陸まで進んでくれるかは一つの賭けであった。

 最初の賭けには勝った。ツキはこっちを向いていると清司郎は確信する。

 清司郎はデボラの頭上を飛び回り、奴の行動を監視する。これもまた清司郎の任務であり、指示が出れば攻撃も行う。周りには他の戦闘機も複数旋回し、デボラ攻撃の指示を待つ。

 デボラは巨体を誇るだけあり、その移動速度も速い。上陸してからほんの十分程度で、沖から二十キロ近い内陸部へと足を踏み入れた。沿岸部ほどではないがビルなどの建物が並ぶ、都市部。

 此処こそが攻撃地点。

 展開していた一〇式戦車三十両、エイブラムス三十両が、一斉に砲撃を始めた!

 攻撃するのは戦車だけではない。遠方に配置された自走砲、迫撃砲もまた雨のように撃たれる。隠れていた戦闘ヘリも何十機と集まり、一斉にミサイルを発射。

 最先端の照準により狙われた目標に、この一斉砲火を一発でも回避するなど不可能。日米が協力して放った攻撃は、デボラの頭部に集中した。

【ギィイイイイ……!】

 デボラが唸った。攻撃を不快に思ったのか、顔を大きく逸らしたのだ。富士山ではろくなダメージを与えられなかった事を思えば、多量の火砲を集中させた事の効果は明白だった。

 無論手を緩める事はしない。いや、作戦はまだまだ前半戦だ。

 折角何十機もの戦闘機が待機しているのに、活躍する前に倒れられては拍子抜けである。

【航空部隊、攻撃を開始せよ】

「了解。攻撃を開始する」

 司令部より通達された攻撃指示を受け、清司郎達航空機による爆撃も始まる。

 空爆というのは、地上からの攻撃とは比較にならない破壊力を有す。戦車砲に耐えるような装甲を、一発で簡単にぶち抜くほどだ。

 そんな爆弾を、容赦なく落としていく。空爆といっても第二次大戦時のものとは訳が違う。レーザーによる誘導が行われ、正確に目標へと着弾する代物だ。妨害でもされない限り、外す事はあり得ない。

 何十機もの戦闘機が落とした、何百もの爆弾は、余さずデボラを直撃した!

【ギィイイイイッ!】

 爆撃を受けたデボラは、少しだけだが苦しそうな声を上げる。米軍から事前に提供された情報通りだ。空軍による攻撃は多少なりと効果があった、と。デボラが纏う甲殻は確かに現代科学でも理解出来ないような強度だが、決して無敵ではないのだ。

 同時に、デボラからの『反撃』が始まったのも空爆されてから、という話もある。

【……ギ……イィッ!】

 デボラが短く吠えた

 瞬間、デボラの頭部から半透明な・・・・空気の歪み・・・・・が放たれる!

 歪みは、あたかもビームか何かのように真っ直ぐな軌道を描く。太さはざっと幅三十メートル。地上を薙ぐように放たれたそれは、接触面を粉微塵に吹き飛ばしていく。舗装された道路も、建物も、戦車も人も関係ない。当たったもの全てが破壊された。近くに居た戦闘車両も、まるで子供の玩具のように飛ばされ、ひっくり返る。中には飛ばされた先に建つビルと激突し、砲弾の火薬が引火して爆散する自走砲もあった。

 一瞬にして何十両もの戦闘車両が撃破されたが、デボラの攻撃は止まらない。その巨体を大きく仰け反らせると、デボラが放つ空気の歪みは空高く昇る。秒速何十キロ、なんて速さではない。光のように、一瞬で空の彼方まで伸びる。

「ぐぅっ!?」

 清司郎は慌てて機体を傾け、空気の歪みを回避する。しかしそれが出来たのは、清司郎が優秀なパイロットだったからではない。空気の歪みが通ったのが、清司郎の操る機体から離れていたというだけの事。

 歪みが近くを通った機体は、直撃を避けたにも拘わらず木の葉のように吹き飛ばされる。航空機は空を飛ぶという性質上、機体はかなりの軽量化を強いられる……つまり重くて丈夫な装甲は乗せられない。吹き飛ばされた機体は、悲しいほど呆気なくバラバラにされてしまう。脱出装置など意味はない。あんな衝撃を受ければ、『中身』も同じくバラバラだ。

「くそっ! 聞いてはいたが、マジで戦闘機を落とすとは……!」

 悪態を吐きながら、清司郎は仲間の敵を睨み付ける。

 放射大気圧。

 圧縮した空気を持続的に照射し、何もかも吹き飛ばすデボラの技だ。有効射程は不明だが、高度一万メートルを飛んでいた爆撃機を撃ち落とすほどなのだから、十数キロはあるだろう。生物が対空攻撃をしてくるなど非常識の極みである。

 おまけにこの技、エネルギー効率も良いらしい。

 デボラは放射空気圧を、再び放つ。地上を薙ぎ払う一撃は、無数に展開していた地上部隊を易々と粉砕していく。一撃で一体何十の車両が、何百の人員が失われているのか、想像も付かない。そんな破滅の力をデボラは二度三度と放ち、地上に飽きたら空に向かって放つ。対戦車ヘリもついでとばかりに吹き飛ばした。

 ほんの数分で人類は展開していた戦力の多くを失ったが、デボラに疲労の色はない。むしろこの程度では物足りないと言わんばかりに、あちらこちらに放射空気圧を撃ちまくる。ビルが切り裂かれ、住宅地は更地と化し、道路は全て剥がされていく。

 一体、どんな軍隊ならこんな暴虐が可能だろうか? いいや出来っこない。人間の持つ兵器では、こんな滅茶苦茶が出来るものはただ一つ・・・・のみ。そしてアレは現代では禁じ手だ。その禁じ手と同じ事をデボラは成し遂げている。

 正しく怪獣だ。強過ぎる。

 米軍がこてんぱんにやられるのも納得出来た。自衛隊が総力を結集しても勝てるとは思えない。本当に、本当にとんでもない怪物だと、清司郎はデボラを評する。

 しかし清司郎は諦めた訳ではない。

 そう、ここまでは想定通り・・・・。分かりきっていた展開に絶望などしない。吹き飛ばされた地上部隊も、薙ぎ払われた空軍も、ここまでは覚悟の上だ。

 人類の反撃はここからが本番。

「……ようやく来たな!」

 レーダーに映る反応。それを見た清司郎は勇んだ声を上げた。

 海より飛んできたのは、エイのような形をした航空機。

 Bー2爆撃機……アメリカが誇る、最強格の航空戦力だ。

 増援として駆け付けてきた彼等のために、清司郎達生き残った航空機は道を空ける。颯爽と飛行した彼等はデボラの上までやってくると、次々とその株を開き、巨大な爆弾を落としていく。

 それはただの爆弾ではない。

 核シェルターをも貫くもの――――地中貫通弾バンカーバスターだ。

【ギッ!? ギィイイッ!】

 地中貫通弾はデボラの甲殻に命中。今まで快調に歩いていたデボラは、その打撃で身を仰け反らせた。次いで怒りに満ちた声を上げ、頭上を見上げる。

 放射空気圧を放つつもりだ。しかしただでは爆撃機を落とさせない。

 デボラの顔面に無数のミサイルが飛来、直撃する! 海上に展開した護衛艦と駆逐艦からの援護攻撃だ。デボラの顔を爆炎が多い、その視界を妨げる。デボラは激しく顔を振り、ミサイルが飛んできた方を睨み付けた。

 今度は地上から飛んできたものが、デボラの足を撃つ。

 地上部隊は、まだ生き残っていた。後方に控えていた戦闘員が即座に補充され、デボラへの攻撃を再開したのだ。今度は顔面ではなく、動きを止めるために足を狙う。

 攻撃されたデボラはすぐに地上部隊を見遣り、されどそこを爆撃機の攻撃が襲う。爆撃機へと振り向けば海軍が、海軍を向けば地上部隊が……三つの軍が、一つになっていた。

 デボラは確かに強い。きっとこの星で最強の生物だろう。

 だが人間には知恵があり、デボラにはそれが足りなかった。人間には力を合わせる仲間が居て、デボラには居なかった。

 人間は一人では弱い。けれども群れになればどんな猛獣でも打ち倒し、その力によってこの星で繁栄してきた。デボラはきっと歴史上最大の脅威だが、人類ならば乗り越えられる。

「いけっ……!」

 清司郎の小さな応援。

 それに呼応するように、Bー2爆撃機達は新たな地中貫通弾を一斉に落とし……全てがデボラを直撃する。

【ギイイイイイイイイイッ!?】

 デボラは呻きを上げながら、ついに膝を付いた。

 弱っている。

 清司郎は確信した。デボラは着実にダメージを受けているのだ。もっと攻撃すれば、このまま戦い続ければ、デボラを倒せる!

 それはこの場にいる者、全員の想いだった。誰もが勝利を確信した。恐るべき怪獣の最期を予感したのだ。

 だから――――
























 赤く光り始めたデボラに、誰もが呆気に取られた。

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