山下蓮司の宿命
一月四日を迎え、世間的には年末年始が終わり仕事始めを迎えたが、山下蓮司は未だ休みを謳歌していた。
何分彼は高校生。始業式は一月七日からである。それまでの三日間はまだ冬休み。自宅でごろごろしていても誰に怒られる事もない。
「蓮司! 何で
……母に怒られてしまった。
自宅の和室にて、炬燵を自ら出して入っていた蓮司は、ムスッと唇を尖らせる。一層炬燵の中へと入り、彼は抗議の意志を示した。
「なんだよー、一昨日も掃除してただろ。今日ぐらいしなくても良いじゃないか」
「昨日はしてないから今日するんだよ。ほら、片付けるからとっとと出なっ!」
「……ちぇー」
最後に不満の意志を言葉にしてみるも、母の不屈の決心は揺らがない。渋々蓮司は炬燵を出て、伝統ある暖房器具を片付ける。折角暖まった身体は、部屋の寒さで一気に冷えてしまった。
「はい、ご苦労さん。掃除機掛け終わったら炬燵やって良いからね」
「へーい」
ついには追い出され、蓮司は和室からとぼとぼと出る。
「兄さんったら、ほんと空気読めないんだから」
そうして隣の部屋であるリビングに入ると、今度はソファーでスマホを弄っていた中学生の妹に小馬鹿にされた。学校ではそこそこ男子にモテるらしい、昔から一緒に暮らしている身としてはちんちくりんな小娘にしか見えない妹を、蓮司は鋭く睨む。
「うっせぇ。今日はめっちゃ寒いから早く暖まりたかったんだよ」
「そーいうのが空気読めないって言ってんの。うちのお母さん、二日に一回は必ず掃除機掛けるのぐらい覚えときなよ」
「……ちっ」
妹からの指摘に、蓮司は舌打ちを返す。舌打ちしか返せるものがなかった。昔はぴーぴー五月蝿いだけだった妹だが、中学生になってから急に弁が立つようになった。今では口ゲンカをしても簡単に負かされる。
いや、実際その事を失念していた自分が悪いのは確かだ。そう、自分が悪いのは分かっているし、こんなちっぽけな事で激昂するなんてアホらしいとも思うが……それをすんなりと受け入れるのは癪である。妹に当たろうとは思わないが、むしゃくしゃした気持ちが胸の奥底で燻っていた。
どうしたものかと考えていると、自分のスマホから音が鳴った。SNSの着信音だ。蓮司はすぐにスマホをズボンのポケットから取り出し、着信を確認する。
学校でよくつるんでる友達からだった。用件は極めて短く「暇だからゲーセンいかね?」との事。
用件があるかといえば、そんなものはない。そして今胸の中で渦巻くむしゃくしゃを、レースゲームや格闘ゲームで発散するのも悪くない。
少なくとも、このまま家の中に居るよりは余程マシだろう。
「……良いぜっと」
衝動のまま至った答えを、友達に返信する。送信相手以外の友人からも行くというメッセージが来て、あっという間に三人で出掛ける事が決まった。
「母さん、友達に誘われたから、ちょっと遊びに出るわ」
「はいよ。お昼はどうすんの?」
「あー、多分外で食べるかな」
「そうかい。家で食べるなら早めに連絡しなよ」
「いってらー」
外出を伝えれば、母も妹も特段引き留めもしない。
蓮司は財布とスマホだけを持ち、友人達が待つゲームセンターへと向かった。
……………
………
…
「あー、遊んだ遊んだぁ」
蓮司は大きく背伸びをしながら、ゲームセンターの外へと出た。
ぴゅうっと吹いてくる風が、暖房の効いていた部屋でぬくぬくしていた蓮司の身体に突き刺さる。燦々と降り注ぐ日差しがなければ、このままゲームセンターに戻ってしまうかも知れないぐらい寒い。
蓮司が遊んでいたゲームセンター、そのゲームセンターが建つ駅前は小高い丘の上に存在し、かなり見晴らしの良い地形をしている。西の方を見れば、蓮司達が暮らす住宅地と、そこに隣接する東京湾が一望出来た。風を遮るものがないため、暖かな……いや、やっぱり寒い海風が蓮司の身体を撫でていく。蓮司は自分の身体を抱き寄せるように、腕を回した。
蓮司に続いてゲームセンターから外に出てきたのは、二人の男子。一人はこの冬なのに頭を丸刈りにし、もう一人は眼鏡を掛けた優男である。
二人は蓮司の友達で、ゲームセンターで遊んでいた面子だった。
「お前、連敗記録更新してたけどな」
「うっせぇ」
ゲームセンターでひとしきり楽しんだ蓮司の言葉を、丸刈り頭の友人・芥川が茶化す。明るくて気の良い奴だが、どうにも一言余計な事を言ってくる。一応愛嬌と受け止められる程度の悪癖であるが。
「それで、この後はどうする?」
「あー、腹減ったから飯でも食おうぜ。お年玉あんだろ? ちょっと豪勢に行こうか」
「……いきなり浪費というのは、褒められた趣味じゃないな」
「じゃあ安いところで済ますか?」
「まさか。ファーストフードに百円支払うより、美味なレストランに千円支払う方がずっと有意義だよ」
眼鏡を掛けた友人である三原は、こんな感じにちょっと嫌味な言い回しが多い。しかし愚痴りながらも毎回賛同する辺り、なんやかんや人懐っこい奴だと蓮司は思っていた。
仲良し三人組、とまでは言わないが、それなりに付き合いは長くて深い。彼等と蓮司はそんな間柄だ。
「俺も良いぜー」
「良し、じゃあ決まりだな。さぁて、それじゃあ何処にしようかな」
芥川も賛成し、蓮司はスマホを取り出して近場のレストランでも探そうとした。
刹那、蓮司のスマホから激しいアラート音が鳴り響く。
突然の警報に驚く蓮司。動揺から辺りを見渡せば、そこかしこからアラート音が聞こえてきた。芥川と三原のスマホからも鳴っているようで、二人も自分のスマホの画面を見る。
蓮司もスマホを見てみれば、そこにはJアラートの文字が。
確か地震とかどこぞの国がミサイルを撃った時に出る奴だ、と蓮司は自分の記憶からほじくり出す。一体何が起きたのかと書かれている文書を読んだ。
曰く「巨大生物が東京湾に出現」との事。
巨大生物? 特撮番組のような言葉に一瞬呆けたものの、すぐに思い出す。富士山から出てきたという生き物だ。正月番組があの生き物の報道ばかりになり、ろくに楽しめなかったのを覚えている。しかし今気にすべきは、今日のテレビがまた特番だらけになる事ではない。
この町が、東京湾に隣接している事だ。
「おい、あ、あの怪獣、東京湾に居るのかよ!?」
「い、いや、でもほら、東京湾っつっても広いし、此処に来るとは……」
「来ないとも限らないだろ。必ず何処かに上陸するとも限らないが、最悪の事態を考えた方が良い」
現実逃避しそうになる蓮司と芥川だったが、三原の意見で我に返る。そうだ、きっと大丈夫なんて言葉にはなんの根拠もない。
すぐに行動を起こさねば手遅れになるかも知れない。
「……っ! ちょ、ちょっと家に電話する!」
蓮司はすぐに家へと電話を掛けた。
【現在、回線が混み合っております。時間を空け、もう一度お掛けください】
しかしスマホから鳴ったのは、無慈悲な通告。
「な、なんで……!?」
「そりゃ、みんな家に電話を掛けてるんだろう。今の山下みたいに」
「な、なぁ。もしかして、逃げた方が良かったり、するのか?」
「……一応まだ警報ではある。けど、出来るだけ海から離れた方が良いだろう。電話は繋がらないと思うから、メールとかにした方が良い。そっちも何時届くか分からないけど、電話よりはマシな筈だ。回線が通り次第転送される筈だから、電話みたいにタイミングを待たなくて良いし」
「そ、そうか。そうだよな、うん」
「それはそれとして、自分達の安全も考えよう。出来るだけ海から離れた方が良い。テレビやネットの情報が確かなら、あの巨大生物は車より速く歩くらしいからな。走っても逃げきれない」
三原の話に、確かに、と蓮司は納得した。メールやメッセージは逃げながらでも打てる。今は兎に角遠くまで避難する方が大事だろう。
「えっと、避難所って何処だ?」
「いや、静岡では避難所に逃げた人の被害が多かったらしい。情報を集めながら逃げた方が……」
蓮司は三原と相談し、何処に逃げるかを考える。三原はガリ勉というタイプではないが、ネットの情報に詳しい。こういう時には頼りになる奴だと蓮司は思っていた。
「お、おい……あれは、なんだ?」
そして芥川は自分達二人が見落としたものに気付いてくれる奴である――――そう思っていた蓮司は、三原との話を切って芥川の方へと振り向いた。
芥川は、じっと遠くを眺めていた。その方角は自分達の家がある住宅地が一望出来て……
ぞわりとした悪寒が、蓮司の身体に走った。
蓮司は無意識に芥川の隣までやってきて、彼と同じ方角を見ていた。芥川が見ているのは、大海原。
その大海原に、何か、変な歪みが見える。
最初は蜃気楼かと思った。夏なら珍しいものではない……今は一月の頭という真冬だが。それに蜃気楼にしては歪み方が小さい。何かがおかしい。
蓮司は更に歪みを見つめる。しばし観察したところ、歪みが段々と大きくなっていると気付いた。いや、大きくなっているのではない。
近付いているのだ。
「っ!? に、逃げろ!」
「え? え、でも」
「でもじゃない! 走れ! あっちだ!」
呆ける芥川を叱責しながら、蓮司は彼の腕を引っ張る。僅かな迷いの後、芥川は蓮司と共に走り出した。三原も走り、三人は海から離れた先……より高い丘の方へと向かう。
蓮司は時々後ろを振り返り、海の様子を目に焼き付ける。
蓮司が思った通り、歪みに見えたものは巨大な海のうねり……津波だった。しかしただの津波ではない。どんどんどんどん、底なしに高くなっている。この町には立派な、高さ十五メートルの津波も防ぐという防波堤があるのだが、津波はそれを遙かに上回る大きさだ。
いや、上回るなんてものじゃない。
五十メートル? 百メートル? まるで壁のようにどんどん大きくなっている。ゲームセンターがあった丘は町を一望出来る程度には高いのに、その丘さえちっぽけに思えるような高さだ。東日本大震災の時だって、津波の高さは十メートルかそこらだという話なのに。
訳が分からない。唯一分かるのは、あんな大津波に飲まれたら命なんてないという事だけ。
「走れ走れ走れ! もっと上がれ!」
檄を飛ばし、友人二人をどうにか走らせる。振り返れば、津波はついに町に到達した。
高さは百五十メートルはあるかも知れない。家がミニチュアにしか見えないほどの大津波は、易々と全てを飲み込んだ。一軒家は勿論、マンションも、工場も、学校も……何もかもが津波に喰われる。
膨大な水量から生み出される破壊力は、コンクリートなど砂のように粉砕した。建物は耐えるどころか跡形もなく砕け、ゴミ屑と化す。そうして土砂や瓦礫をたっぷりと含んだ海水は、そこにある全てを削り取っていく。
津波は蓮司達が遊んでいたゲームセンターを飲み込み、どんどん駆け上がってくる。人間が出せる速さなんて比にならない、とんでもない速度だ。全力疾走ですら無理なのだから、走り続けてへとへとになった蓮司達に振りきれるものではない。
最早ここまでか――――諦めかけた蓮司だったが、されど津波はぴたりと止まった。蓮司達から、ほんの二~三十メートル後ろでの事だ。
やがて津波は、猛烈な勢いで引いていく。残った家の柱なども余さず奪い取るかのように、何もかもを持ち去る。
蓮司達はその場で立ち尽くし、津波の暴虐を眺める事しか出来ない。眺めて、眺めて……ハッとなる。
町の真ん中に、佇む巨物がある。
それは途方もない大きさで町のど真ん中に陣取っていた。コンクリートの建物も易々砕く引き水を、まるでそよ風のように平然と耐えている。赤色の甲殻は瓦礫がいくらぶつかろうとも傷一つ付かない。
蓮司達三人は、それを見た事がある。テレビでやっていた。だけど誰もが思った。
テレビで見た時よりも、ずっと、ずっと、おぞましい。
「きょ、巨大生物……!」
富士山から現れた巨大生物が自分達の町に上陸したのだと、蓮司は今になって理解した。立っている事が出来なくなり、その場にへたり込んでしまう。
逃げないと、踏み潰されて殺される。
だけど身動きが取れず、蓮司はカタカタと震えた。気付けばズボンの股が濡れたが、恥ずかしいなんて思えない。友人達もその場で右往左往するばかり。
そうしていると、巨大生物はくるりと踵を返し、海の方へと向いた。
そのまま海に向かって進み、大海原に飛び込む。着水と同時に再び津波が起こったが、最早被害は起こらない。沿岸部の町は、もう何も残っていないのだから。巨大生物は海に入っても動きを止めず、どんどん沖を目指して進んでいく。海底は深みを増し、巨大生物は沈んでいく。
ものの一分も経たないうちに、巨大生物は姿を消した。
つまり惨事は終わったのだが……あまりにも呆気ない。唐突に始まった災禍が、なんの合図もなく終わってしまった。蓮司達は何があったのか、何をされたのか、それさえも分からなくて、混乱してしまう。まともな事が考えられない。
理解出来るのは、自分達が助かった事。
そして津波が襲った町に居た家族が、どうなったのかだけだ――――
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