緒方早苗の放送

 死者三千人以上。

 行方不明者一万人以上。

 自衛隊が攻撃を仕掛けるも効果なし。

 たった三時間で静岡県を横断し、太平洋側の海へと姿を消す。

「これが、一月一日から一月三日までに起きた巨大生物による被害状況と経緯です」

 カンペに書かれていた情報を読み上げ、纏め終えた早苗は、視聴者に気付かれないよう小さく息を吐いた。

 夕方の生放送番組。早苗が司会を担当している番組の一つが、今収録されている。今日は一月四日を迎え、三が日ほど視聴者はいないだろうが、それでも大勢の人々の目がこの瞬間向けられている筈だ。スタジオに居るのはゲストとして招かれた学者が一人。六十代の男性で、真剣な面持ちをしている。

 早苗も強張った表情を浮かべていたが、これは演技などではない。割と素の表情だ。男性の方も恐らく同じだろう。

 正直なところ、ここまで酷い事になるなんて早苗は思っていなかった。

 元日の番組で巨大生物について取り上げた時、勿論驚きはしたし、あの巨体が暴れる事の恐ろしさは考えた。しかしながら相手は生物。ましてやエビだ。大きさが大きさだけに猟銃や拳銃は流石に効かないとしても、自衛隊のミサイルなんかで簡単に倒せると思っていた。

 結果は、大惨敗だ。

 自衛隊は巨大生物の足止めどころか、その歩みを鈍らせる事すら出来ていなかった。もしも巨大生物の移動速度を半分ほどまで落とせたなら、死者と行方不明者の数は激減したに違いない。口には決して出さないが、今行方不明者として扱われている者は恐らく大半は死んでいると早苗は考える。最終的な死者は一万人を超えるだろう。

 何より恐ろしいのは、巨大生物は海に姿を消した点だ。

 つまり、まだ生きているという事。何処かの町に再上陸する可能性は、既にネット上では盛んに議論が交わされている。悪質なデマも飛び交い、それによる事件も発生しているという。

 報道番組としては、視聴者に『正しい』情報を可能な限り多く伝えなければならない。

 そのために番組に招いた専門家が、ゲストの男性なのだが――――

「本日は那由多大学より、生物学教授の澤口先生をゲストとして迎えています。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「早速ですが、今回出現した巨大生物とは、一体なんだったのでしょうか?」

「……ハッキリと申しますが、分かりません」

 早苗の問いに、専門家である澤口は顰め面を浮かべながら答えた。

 基本的に、どんな番組でも事前の打ち合わせというのを行う。どれだけの時間を確保しているとか、どんな質問をするのかとか、知らなければスムーズに話を進められないからだ。

 澤口の回答は打ち合わせ通りのもの。早苗は少し困惑したような表情を作り、事前に決めていた言葉で澤口に話の続きを促す。

「それは、あの巨大生物があまりにも既知の生物とは異なるから、でしょうか?」

「はい。確かに人類が知る生物の中には、人間から見ればあまりにも過酷な環境で生きている種もいます。ですがどの生物にも一つ、超えられない壁があるのです」

「超えられない壁?」

「水です。どの生物も、なんらかの形で液体の水が確保出来る環境に生息しています。これを地球外にまで広められるかは議論の余地がありますが、少なくとも地球生命に関して言えば、生存には液体の水が必要なのです。マグマ内部には液体の水はないため、生物の生息には適さないと考えられます。もし生息しているとしたら、既知の生物とは全く異なる生理学を有している可能性が高い。そのためマグマから出てくる生物がどんな存在なのかという疑問に、現代の生物学では想定はおろか推測も出せないのです」

「クマムシなど、一部の生物は宇宙空間でも生きられる、という話もあります。そうした生物との共通点もないのでしょうか?」

「恐らくないでしょう。クマムシなどは、ある特殊な体質に変化する事で、厳しい環境をやり過ごしています。ですがこの状態は生命活動がほぼ停止しています。彼等は宇宙空間で繁殖はしませんし、成長もしない。暮らしやすい環境が戻ってくるのを待っているだけなのです。クマムシから巨大生物の生態を推測するのは、素潜りが出来る人間から一生水中で暮らす魚の生態を推測するのと、同じようなものであると私は考えます」

 澤口の話に、成程、と早苗は相槌を打つ。少々難しい話だ。日本人の理科離れが叫ばれる昨今、更に言えばこの番組の視聴者の多くは高齢者である事を考えると、この話にどれだけの視聴者が付いてきているのだろうか。小難しい話はあまり好ましくない……勿論簡単にし過ぎて意味が変わってしまっては元も子もないので、中々難しい事ではあるが。

「では、そもそもの疑問なのですが、何故生命には水が必要なのでしょうか?」

「端的に言えば、栄養や老廃物を運ぶためです。生命が生きていくためには、身体の隅々に栄養を届け、老廃物を回収して排泄する必要があります。気体では物質を運ぶのにかなりの圧が必要ですし、固体だと血管などで詰まりがちになる。液体にはこうした問題がなく、スムーズに生命活動を行えるのです」

「では、液体ならばなんでも良いのでは? 水にこだわる必要はあるのでしょうか」

「理論上はありません。だからこそ、地球外生命体に水は必要か、という事が議論になります。ただ、私個人の意見では、やはり水は必須と思われます」

「それは何故?」

「実は水というのは有り触れたものでありながら、極めて特殊な物質でして。タンパク質を変性させない温度で液体であり、その状態が百度という広い範囲で保たれている、というのは、実はとても珍しい事なのです。他にも様々な物質を溶かす、極めて軽量、軽い元素で出来ているため殆ど崩壊しない……利点は挙げきれません。少なくとも今の人類は、水の代用品を見付けられていませんし、恐らく今後も発見出来ないでしょう」

 言いたい事をひとしきり語り、澤口は満足したのだろう。集音マイクでも拾えない、早苗にしか聞こえないような小さな鼻息を吐く。

 ディレクターが少し顔を顰めている事には、恐らく澤口は気付いていないだろう。メインの視聴者高齢者は今頃テレビの前でぽかんとしているに違いない。ここまでの話は、生物学に明るくないものには少々小難しい話だった筈だ。クレーム……は来ないにしても、情報番組として首を傾げられては今後に関わる。

「成程。やはり生物には水が必要であるという事ですね……そうなると、ますますあの生物の異常性が際立ちます。マグマの中に、水はないですから」

 早苗はどうにか短い言葉で纏め、視聴者に分かりやすく伝えようとした。そろそろ別の専門家のインタビューと巨大生物の解説映像を流す時間でもある。一度話を切ろうと考えた

「とはいえ、あの生物の事を予言していた人もいたみたいですが」

 丁度そんな時に、澤口はぼそりと答えた。

 ――――現場のスタッフが、一斉に凍り付いた。

 早苗も同じだ。先程の澤口の発言は、事前の打ち合わせにはなかったもの。隠していた、という可能性は低いだろう。恐らく今になって思い出したか、はたまた大した情報ではないと思ったのか。いずれにせよ、まるで子供のように惚けた面をしている澤口に自分の言葉の重みは分かっていない。

 だが、これはあまりにも重大な話だ。

 ちらりと早苗はスタッフ達の方を見遣る。と、ディレクターがスタッフからカンペを奪い取り、素早く書き込んで、早苗に見せてきた。

 曰く『もっとつっこめ』。

 詳細を聞き出せという指示だった。

「……すみません。予言していた人がいたのですか?」

「ん? ええ、まぁ。昔読んだ論文でして。あの時は突拍子もない説だとは思いましたし、最近まで当時はあの人も若かったのだなと言われていましたが、こうして現実になるとあの論文は正しかったのかと」

「その論文を読んだのは、何時の事でしょうか?」

「三年か四年前ですね」

 ごくりと、早苗は息を飲む。

 三年以上前に巨大生物の存在を予言していた?

 そんな話、番組スタッフはおろかネット上でも見た覚えがない。澤口が知っていたので生物学の関係者では有名な話かも知れないが、恐らく日本の、いや世界の報道番組としては初めて取り上げる話の筈だ。

「論文の詳細は分かりますか?」

「うーん、お話するにはちょっと。流石に三年前に流し読みした程度ですから……でも書いた人の名前は覚えています。今、彼女の事を知らない海洋学者はいませんよ」

「彼女?」

 論文を書いたのは女性なのか。それに三年前で「当時は若かった」と言われる辺り、あまり高齢の人物ではなさそうである。

 考えを巡らせる早苗だったが、澤口は特段思い詰めた様子もなかった。研究一筋で、世間に対する関心が薄いのか。もしくはテレビの影響力を甘く見ているのかも知れない。

「及川蘭子。海洋生物学の若き天才です」

 だからこそハッキリと、彼はその名を日本中に伝えるのだった。

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