加藤光彦の目撃

 加藤光彦という人間は、一言でいえば『どうしようもない』人物である。

 小学生の頃から担任にイタズラを仕掛けるなど、ルールから逸脱する事が多かった。成人してもその性格は直らず、むしろ悪友との閉じた関係の中でどんどん歪む始末。

 そして十年前恐喝と暴行事件を起こし、勘当される形で実家を追い出された。当時付き合っていた彼女とも別れた。だがそれでも光彦は己を戒めようとはしなかった。むしろ犯罪歴は悪友達の中では武功として扱われ、一層彼を調子付かせた。

 とはいえ犯罪を威張って暮らせるほど、日本社会も甘くはない。

 犯罪歴のある彼を雇用する場所はなく、彼は生活に困窮していた。やがて悪友を通じて知り合った犯罪組織に唆され、組織的犯罪に荷担するようになった。悪友達も流石に大部分は離れていったが、一部は一緒に堕ちてきたのであまり気にしなかった。

 しかし所詮は利用される側。賃金はかなり安く、それを何処かに訴える事も出来ない。傍から見ればただの自業自得なのだが、それを反省する事すらない有り様。そして先月、属していた犯罪組織が警察により一網打尽に。

 運良く逮捕される前に逃げたものの、安月給すらなくなった。それに指名手配こそされていないが、警察は逃げた『構成員』を探している筈である。バイトなんてしたら、身分証明書の提示やらなんやらで簡単に見付かってしまう。そもそも三十代でまともな職歴がない前科者を雇う場所などあるのか。とはいえ生きていくためには金が必要だ。どうにかして金を稼がねばならない。

 そんな彼にとって、避難指示により無人と化した市街地というのは宝の山でしかなく。

「へへへ……随分貯め込んでるじゃねぇか……」

 光彦は下品な笑いを漏らしながら、他人の家に置かれていた現金を自らの懐に締まっていた。

 巨大生物がやってくるという事で、皆慌てて避難したのだろう。玄関の戸締まりぐらいはしていたが、失念しがちな勝手口や窓など、何処かしら開いている家がかなり多かった。光彦はそうした家に忍び込み、現金を漁っている。宝石などの貴金属は足が付くので狙わない。狙わずとも、財布などを残している場合が多いので『収穫』は大きかった。

 物音を警戒する必要もない。通報する人間なんていないし、居たところで警察官もみんな逃げているのだ。捕まる心配などない。正にやりたい放題。のびのびと盗める。

 勿論避難指示が解除された後、警察が調べれば光彦が犯人だという物証がたくさん見付かるだろう……捜査したなら、ば。

 光彦が空き巣を行った家は、どれも巨大生物の進行ルート上であった。あれだけの大きさなのだ。歩くだけで家なんて虫けらのように踏み潰されるに決まっている。証拠なんて何も残らないし、現金がなくなった事に気付く奴もいない。

 この家も、そんな進行ルート上にあるものの一つだ。

「さぁて、次は和室へと行くかね」

 リビングを漁り終えた光彦は、次は和室へと向かう。仏壇などがあると良い。裏にへそくりでも隠しているかも知れないからだ。

 そんな事を期待しながら和室へと足を踏み入れたところ、部屋の真ん中に布で巻かれた何かが置かれていた。

 なんだろうか? 金目のものなら持って行こうかと考え、光彦は布を解いていく。

 中から出てきたのは、すやすやと寝ている赤子だった。

 ぴきりと、光彦は固まる。ゆっくりと赤ん坊を床に置き直し、まじまじと観察。寝息を立てている辺り、人形ではない。弟妹がいた事のない光彦は赤ん坊なんてよく分からないが、生後数ヶ月も経っていないように見える。

 どう見ても、人間の赤ん坊だった。

「……………いやいやいやいや、ちょっと待て。いや、待って。うん」

 ひとしきり混乱してから、光彦は冷静に考える。

 何故赤子が此処に一人で居るのか?

 避難する際連れて行くのを忘れられた? 物じゃないのだ、そんな事ある訳ない。では親が外出中でこの子は留守番か? まだふにゃふにゃしか言えないような赤子を置いて外出なんてするものか。なら、親がなんらかの理由で死んでいる? 家の中に死体なんてなかった。

 考えられる理由はただ一つ。

 育児放棄だ。どんな親だったかは分からないが、子供を捨てたのだ。巨大生物に踏み潰されれば、全ての証拠を隠滅出来ると信じて。

「……どうすっかなぁ」

 光彦はしゃがみ込み、赤子をじっと眺める。

 ハッキリ言って、この赤子を助ける義理など光彦にはない。また、巨大生物が何もかも破壊する事で、光彦が赤子を見捨てた事実も葬り去られる。むしろ助けて注目を浴びる方が、犯罪者である光彦にとっては不利益だ。

 しかし彼の胸の奥底に渦巻く感情は、この場からそそくさと立ち去る事を良しとしない。なんというか、このまま立ち去ると延々思い出しそうな予感がする。

 悪人である光彦だが、本質的には小悪党なのだ。盗みや暴行はしても、殺人が出来るような度胸も狂気もない。人死に対する嫌悪感は、常人並とは言わないまでもさして逸脱していないのである。

「……まぁ、避難所ぐらいには連れてってやるか」

 なので光彦は、気軽にそんな決断を下した。

 育てる必要なんかない。後で避難所とかで誰かに押し付ければ良い。そうするだけで後ろ髪引かれる想いから逃れられるのなら安いものだ。

 光彦は赤子を抱き上げる。持ち上げられた瞬間赤子は顔を顰めたが、わんわんと泣き出す事もない。

 光彦は赤子と共に玄関へと向かい、堂々と外へと出る。外は一月らしい突き刺さるような寒さで、光彦はぶるりと身体を震わせ、赤子もくしゃっと顔を歪ませた。

「さて、避難所は何処かしらっと」

 スマホで場所を調べられるだろうか。光彦は懐からスマホを取り出そうとして

 ズズンッ、と身体に響くような音を聞いた。

「……おいおいマジかよ、ちょっとゆっくりし過ぎたか?」

 光彦は悪態を吐きながら、玄関から離れ、見渡しの良い市道まで出る。

 音が聞こえた方を見れば、そこに『山』があった。

 あっちの方角に山なんてあったか? 答えはNOだ。光彦は、これでもこの辺りに住んで数年は経つ。その光彦の記憶にないのだから、今見ている方角に山なんてない。

 大体、山はゆらゆらと揺れ動いたりしないだろう。

 山だと思っていたものが富士山から現れた巨大生物だと理解するのに、左程長い時間は必要なかった。

「ちょ、おいおいおい!? なんでこっちに来てる……そりゃ来るよな此処進行ルート上だもんなぁ!?」

 自分で自分の疑問にツッコミを入れるが、遊んでいる暇などない。

 巨大生物は猛然と光彦の居る場所に向かっていた。目指している訳ではなく、あくまで通過地点だろうが、踏み潰されればそれでおしまいだ。

 いや、それより前に終わりは来るかも知れない。

 巨大生物が進む度に、その周囲で様々なものが飛び交っているからだ。小石のように舞うアスファルト舗装の道路、蹴飛ばされて何百メートルと飛ぶ自動車、爆破されたかのような勢いで飛び散る家々……どれかに当たればそれだけで致命的である。

 そして今し方飛んできたトラックが、先程まで光彦の居た家に突き刺さった。

「――――う、うおああああああっ!?」

 悲鳴を上げながら、光彦は走り出した。

 避難所の場所? そんなものは後だ。今は少しでも、あの巨大生物から離れなければならない。

 光彦はがむしゃらに駆けた。巨大生物の進行方向から見て右へと曲がり、小高い山を目指す。時折飛んできた車や家が民家を粉砕し、飛び散る瓦礫が自分に襲い掛かる。

 そうして逃げている最中において、胸の中の赤子はえらく邪魔だ。

 邪魔だから、光彦はぎゅっと抱え込んだ。そうした方が持ちやすくて、落とさないで済みそうだから。

 助けてやる義理はない。しかし拾った手前、もしもうっかり落としたら……きっと自分は足を止めてしまうだろう。

「っだぁ! 畜生っ! あんな家入るんじゃなかった!」

 叫びながら、必死に光彦は走り続けるのだった。

 ……………

 ………

 …

「も、む、りだぁ……!」

 ギブアップを宣言しながら光彦は芝生の上に倒れ込む。抱えていた赤子は放り投げ、ころんころんと転がった。

 どうにか光彦は目指していた小高い丘に生きて辿り着けた。息も絶え絶え、四肢は痺れてもう動かせない。それでももぞもぞとイモムシのように身体を捻り、どうにかこうにか仰向けになって町の方を見遣る。

 そうすれば悠々と町中を歩いている巨大生物の姿が見えた。

 遠目から見たその動きはとても緩慢だったが、実態は途方もない速さである事を光彦は身を以て経験した。計算をすると頭が痛くなるのでやらないが、恐らく車が走るぐらいの速さがある。しかも相手は信号なんて無視するし、あまりに大きいから曲がり角も建物も全部乗り越えて進んでくるのだ。時速百キロで市街地を爆走しても、逃げきれないかも知れない。

 巨大生物は次々と家を踏み潰し、淡々と直進する。大きな ― 恐らく二十階建てぐらいの ― マンションを前にした時は少しだけ足を止めたが、すぐに前進。ちょっと触れただけでマンションが積み木のように崩れるのを確かめたら、もう気にせず突進していった。

 しばらく見ていると、何処からかヘリが飛んできた。そして白い煙を放ち……いや、ミサイルを撃ち込む。自衛隊が市街地で攻撃して良いのか? 疑問に思う光彦だったが、答えはすぐに分かった。

 巨大生物の行く先に、小学校があるのだ。

 小学校というのは、震災時の避難場所としてよく選ばれる。まさか進路上の建物を避難場所になんて……と思いたいが、最寄りの避難所に行こうと考え立ち寄る輩が多くても不思議はない。スマホなどに疎い老人や中年女性、彼等に連れられた幼子達は特に。そして恐らく彼等に正しい避難場所を教える者は、進路上の学校にはいなかっただろう。

 ヘリコプターは続々と集まり攻撃していくが、巨大生物は止まらない。人間の努力も虚しく小学校に巨大な身体が押し入り、校舎を粉砕した。校庭をずかずかと節足で突き刺し、左右に降られた尾が体育館を薙ぎ払う。

 もしもあの場に人間が居たなら、きっと一人も生き残っていないだろう。老いも若いも、男も女も関係なく。

「……全く、真面目な奴が馬鹿を見るってか」

 泥棒をしていて難を逃れた光彦は、ぽりぽりと頭を掻く。息が整い、気持ちも落ち着いてきた。

 余裕が出てきた光彦は、何気なく自分が放り投げた赤子に目を向ける。するとどうだ、赤子はすやすやと寝ているではないか。

 内心イラッとしたが、赤子に文句を言っても仕方ない。「大物になりそうだな」という感想だけをぽつりと呟く。

 そんな呟きをしたからか、ふと考えてしまう。

 小学校を踏み潰してもなお、巨大生物は平然と歩いている。ヘリコプターの攻撃は一層苛烈になるが、まるで効いていない様子だ。

 軍事はあまりよく知らないが、ミサイルより強いものなんて自衛隊は持っているのか? 持っていても、あの様子ではちょっと強いぐらいでは同じ結果しかもたらさないだろう。つまり自衛隊では、あの化け物は倒せない。

 どうしてあんな巨大な生き物が現れたのか。もしかすると、これから日本はずっとあんな生き物に踏み潰されるのだろうか。一生懸命働いて建てた家を蹴散らされ、ちょっと判断を間違えただけで踏み潰され、どんなに努力しても何も変えられない日々が始まるのか。

 このガキが大きくなった時、世界はどんな風になっているのだろう。

 ……一瞬考えるだけで頭が痛くなり、どうしようもなく暗い気持ちが満ちていく。柄にもない事をした自分ですらこんな有り様だ。もしも真っ当な親なら、この何倍も強く、長く、深刻に考えるのだろう。

 自分には耐えられそうにない。

「結婚してなくて、良かったなぁ」

 ぽつりと、光彦はそんな言葉を漏らすのだった。

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