足立哲也の恐怖

 哲也は幼少期、特撮番組に出てくる防衛軍に憧れていた。

 同年代の子がヒーローに憧れ、ヒーローの人形を買ってもらう中、哲也は一人防衛軍の乗る戦闘機や戦車ばかり買ってもらっていた。勿論ヒーローも好きだが、それ以上に防衛軍が好きだった。

 或いは、ヒーローが好きになりきれなかった、と言うべきかも知れない。

 ヒーローは強い。どんな怪獣や怪人相手でも臆さず、そして必ず倒す。大人になった今では必ずしもそうとは限らないお話も知っているが、少なくとも幼少期の哲也にとってヒーローとはそんな存在だった。

 対して防衛軍は、ヒーローと比べるとかなり弱い。全くダメージを与えられない事もよくある。だけど彼等は決して怯まない。やられたら自分が死んでしまうかも知れないのに、それでも彼等は戦う。戦う力を持たぬ人々を助けるために。

 必ず勝てるヒーロー。そうとは限らない防衛軍。

 勝てる勝負ばかりするヒーロー。例え勝てなくても信念で悪に挑む防衛軍。

 より勇敢でカッコいいなのは、きっと後者の方だ――――哲也は幼い頃からそう感じていた。そんな大人になりたいと幼子の頃から思っていた。だから彼は抱いた夢を叶えるために努力し……そして自衛官となった。

 無論、だから怪獣と戦いたいなんて考えた事は、幼少期を除けば一度もない。勝てる勝てないに関係なく、戦いが起きるという事は悲しむ誰かがいるのだ。なら、戦いなんて起きない方が良いに決まっている。大体怪獣との戦いなんてある訳がないのだから、望んだところで叶わないもの。叶わぬ夢を見るのは子供まで。大人は現実を見て、子供達を守らねばならない。

 この日までは、そう信じていた。

「……まさか本当にこんな日が来るとはな。イメージトレーニングをしておくべきだったか」

 哲也はぽつりと、独りごちた。

 哲也は今、自衛隊が誇る最新鋭の戦車・一〇式戦車に乗っている。彼は砲手であり、目標に砲弾をお見舞いするのが役目だ。

 砲手はその立ち位置の都合、照準越しの視界しかない。しかし事前に聞かされた作戦の情報と併せて考えれば、今、自分の乗る戦車が何処を走っているかは分かる。

 戦車が走るのは、深い森の中。自殺の名所として有名な青木ヶ原樹海だ。葉が落ちている木々は朝日を遮る事もなく、お陰で森の中はかなり明るい。しかしながら大地に張られた無数の根は真冬でも健在。如何に悪路を走破する事に適した戦車とはいえ、木の根を踏み越えながら進むのは中々大変である。無論早々簡単に壊れるものではないが、万一にでも肝心な時に動かないなんて事になっては大変だ。だからこそこの戦車はそこそこの、安全運転で走っている。

 とはいえ、のんびりしていられる状況でもないのだが。

「足立、私語は慎め」

「はっ。申し訳ありません」

 この戦車の人員を統括する車長に注意され、哲也は任務中の私語を反省。謝罪する。

「……まぁ、気持ちは分かるがな」

 すると車長は少し笑ったような口調で、哲也の気持ちに同意した。口には出していないが、戦車を動かしている操縦手も同じ気持ちだろう。

 よもや自分達が『怪獣退治』に出向くなんて。

 哲也達は今、富士山から現れた巨大生物の下へと向かっている。目的は勿論、巨大生物の撃破……ではなく、巨大生物が動き出した時、市街地に向かうのを阻むため。殺傷までいかずとも動きを止める、或いは巨大生物が富士山火口内に戻れば作戦成功だ。勿論殺してしまっても ― 世論のバッシングは別にして ― お咎めなしとは事前に上から言われている。

 政府から正式な命令が下されており、現在二十両の戦車が『足止め作戦』のため巨大生物の下へと集結している。既に機動力に優れる戦闘ヘリが巨大生物の周囲を警戒している筈だ。航空機も近くの基地でスクランブルを維持しており、『万が一』の時は直ちに援護に迎える体制にある。

 自衛隊の戦力が集結しつつある。

 しかしこの行動を起こせたのは、件の巨大生物が出現してから十九時間も経ってからだったが。

 自衛隊嫌いの野党がかなりの猛反発を示したらしい。「自衛隊の火器で巨大生物を刺激する方が危険だ」と。しかしながら推定三百メートルを超える生物相手に、警察や猟友会が立ち向かえるかという与党側の質問に肯定出来る訳もなし。なのに反対だけは続けたというのだから筋金入りだ。

 与党内部でも反対意見があり、そうした意見を纏めるのに時間が掛かり……自衛隊が動けたのは翌日の深夜だった。

「全く、今回の相手が巨大怪獣で良かったな。外国相手だったら、今頃上陸どころか都市部に前線基地が建てられてるぞ」

「……車長。あまり不用意な発言は」

「おっと、そうだな。今のは忘れてくれ」

 操縦手から窘められ、車長は軽い口調で謝罪する。哲也の上官である車長は、他の上官と比べ少しおちゃらけて見える。平時はその気さくさが心地良いが、今のような非常時には少し軽薄に見えてしまう。

 とはいえ本当に気を引き締めねばならない時は、車長がとても頼りになる事を達也は知っている。操縦手も同じ筈だ。

「さて、そろそろ見えてくる頃だが……っ、見えたな」

 外の様子を警戒していた車長が、『目標』の発見を伝える。

 巨大生物。

 告げられたその存在に、哲也は思わず息を飲んだ。事前の作戦で聞かされていた内容曰く、体長三百五十メートル近くある巨大な甲殻類……もっと言うならエビだ。本当に甲殻類の一種なのかは分からないが、その身体は立派な甲殻で覆われているという。どの程度の強度があるかは分からないが、果たして戦車砲が通じるのか、もし倒せなければ市街地の国民は……

 不安を振り払うように、哲也は首を左右に振った。特撮映画やSF小説ではなく、これは現実だ。戦車の徹甲弾はビルをも容易く貫通し、戦闘機のミサイルは爆風と高熱で敵を粉砕する。確かに三百五十メートルの巨体からすれば百二十ミリの徹甲弾でも針みたいなものだが、その針は深々と身体に突き刺さる危険な代物なのだ。目や肺を狙えば、当然致命傷を与えられる。

 それに、そもそも戦う必要すらないかも知れない。

 巨大生物は富士山火口から這い出した後、五合目付近で静止している。それもまるで倒れるように横になったまま。そこまで移動したのは出現から僅か十数分足らず。つまり政治家がぐだぐだと時間を潰し、ようやく出動した自衛隊が富士山の麓近くに辿り着くまでの丸一日近い間、巨大生物は全く動いていないのである。

 もしかすると死んでいるのかも知れない。生物学にはあまり明るくない哲也であるが、それは大いにあり得ると考える。なんらかの突然変異で生まれ、ここまで奇跡的に大きくなれたが、やはり無理な身体の大きさに耐えられず、此処で死んだ……些か拍子抜けする展開ではあるが、穏便に事が済むならそれに越した事はない。

「照準用意。射撃は待て」

 車長の指示を受け、哲也は戦車の照準を合わせる。現代の戦車はハイテクだ。タッチパネルなど多様な電子機器を用い、目標に狙いを付ける。電子妨害などを行われない限り、時速七十キロで走りながらでもほぼ百パーセント目標に命中させる事が可能だ。ましてや体長三百五十メートルの制止目標ともなれば、これはもう外す方が難しい。

 動かした照準の先に、赤い甲殻を纏った生物が見える。確かにエビだ。エビ以外の何物でもない。されど辺りに転がる大岩が砂粒に見えるほどの巨体は、間違いなく脅威だ。さっさとこの場から退かすべきであろう。

 しかしながら撃つ事は出来ない。自衛隊嫌いの野党議員ではないが、不用意な攻撃が巨大生物を刺激し、活性化させる可能性はあるのだ。慎重な対応が求められる。

 何分も、何十分も、何時間も……哲也達の乗る戦車は動かない巨大生物を見張る。集結した他の戦車も同様だ。勿論ローテーションで休憩を挟み、コンディションは万全に整えているが、何時までやれば良いのか分からない待機ほど辛いものもない。

 ついには夜が明け、一月三日になってしまう。

「……やっぱり、死んでるんじゃないっすかねぇ」

「かもなぁ」

 休憩中の哲也の言葉に、車長は同意の言葉を返した。

「一応明日には専門家チームが巨大生物に接近し、生命活動の有無を調べるそうだ」

「やっとですか」

「何分正月の真っ只中だからな。政治家の先生達も休みたいんだろ」

「発言を政治に向けるのは止めましょうよ」

「自衛官とて国民なんだから、政治に一言ぐらい言わせてほしいものだがね」

 他愛ない話を交わしながら、哲也はレーションをぱくりと口に放り込む。自分の休憩はこれで終わりだ。次は操縦手の番である。

「良し、足立は休憩終わり。新田、休憩入れ」

「了解」

 車長の指示を受け、操縦手こと新田が戦車から出ようと、ハッチから顔を出した。

 その時だった。

【ギギギギギギギギギギギイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィ】

 錆び付いた扉をこじ開けるような、歪な音が辺りに響いたのは。

 新田も哲也も固まってしまう。が、顔は自然と戦車の砲塔が向いている先……富士山へと向けられた。何故か? 答えは明白だ。あんな音を鳴らす心当たりなんて、哲也には一つしかない。

 富士山五合目付近には、今も巨大生物が居る。

 しかしその身はもう倒れ伏し手などいない。上体を力強く起こし、触覚を忙しなく動かしている。複眼で出来た目玉をキョロキョロと動かし、頭を左右に振っていた。

 そして前足に付いている二本のハサミを持ち上げ、残りの足で大地を蹴る。

 当然ながらかの巨体は、前へと進み始めた。

「総員配置に付け!」

 車長の怒声にも似た声で我に返り、哲也と新田は車両の中へと戻る。戦車の射撃システムは正確に巨大生物を捉えたまま。ボタン一つで敵戦車をも撃破する砲弾をお見舞い出来る。

「まだ撃つな。指示を待て」

 ただしそれは、交戦の許可が下りてからだ。

 しかし哲也は左程不安に思わなかった。これが外国の軍隊やテロリスト相手なら、反自衛隊の人々が話し合いを求めて混迷もしただろう。されど此度の相手は未知の『害獣』。今正に町へと向かおうとしている化け物相手に話し合いなど、通じる訳がない。加えて言えば、灼熱の噴煙に襲われた富士山で生きた人間が歩いている事もない。

 許可が出ない筈もなかった。

「交戦許可確認! 射撃開始!」

 車長の命令を受け、哲也は射撃を開始する。やる事は至ってシンプル。タッチパネルをポチッと指先で押せば良い。

 それだけで、一〇式戦車の百二十ミリ滑腔砲は火を噴くのだ。

 車体の揺れで感じる、射撃の手応え。それだけでなく、照準越しの景色には哲也が乗る戦車が放ったもの以外の砲弾も残像の形で映す。

 青木ヶ原樹海に集結した戦車は二十両。全てが最新鋭の一〇式戦車という訳ではないが、旧式でも性能的にそこまで見劣りするものではない。単純な火力に関しては、ほぼ同等だ。更には展開している戦闘ヘリも機銃を撃ち込み始めた。

 相手は巨大だ。一斉に攻撃を仕掛け、可能な限り火力を集中させねば倒せないだろう。しかし徹甲弾は戦車の装甲をぶち抜き、戦闘ヘリの機銃だって鋼鉄ぐらいは貫通する。体格差故に即死はないまでも、巨大生物は顔面に撃ち込まれた砲撃の痛みで身を仰け反らせる

 そうに違いないと確信していたのに。

「……!?」

 哲也は声にならない呻きを漏らした。

 巨大生物は、前進を続けている。

 砲撃は巨大生物の顔に集中している。どんな生物であれ、頭部が弱点である事に変わりはない筈だからだ。なのに巨大生物は意に介した様子もなく、淡々と進んでいた。

 死なないのは百歩譲って良しとしよう。だが動きが止まらない、つまり攻撃が効いていないのは明らかにおかしい。痛みを堪えて無理矢理進んでいる? そんな希望を抱いたが、進行スピードが速まる事もないという事実が現実を突き付ける。攻撃でダメージを受けているのなら、少しでも急いでこの場を抜けようとする筈だ。変化がないという事は何も・・感じていない・・・・・・という証拠である。

 生物が、ミサイルや砲撃の直撃に耐えられる筈がない。ましてや痛みすら感じないなど、どう考えてもおかしい。

 こいつは、本当に生物なのか?

「足立! 砲撃の手を緩めるな!」

 恐怖に満たされ始めた哲也を正気に戻したのは、車長の檄だった。手の動きが遅くなっていたのだと、今になって気付く。

 そうだ。怯んでいる暇なんてないし、ましてや慄くなんてあり得ない。

 自分達が戦わねば、この巨大生物は自由に全てを蹂躙していく。富士山を下り、麓の樹海を抜けたなら、奴が辿り着く場所は一ヶ所のみ。

 市街地だ。

 巨大生物が出現してから、近隣の町には厳戒態勢が敷かれている。巨大生物が動き出した事で避難指示に変わり、避難は始まっている筈だが……相手は兎に角巨大だ。アリが全力疾走しても人間の徒歩には追い付けないように、巨大生物の歩みは人間と比べ遙かに速い筈。全員の避難が間に合うとは限らない。仮に避難が終わっていても、壊された家や、そこでの思い出は壊されてしまう。

 そんな事は許さない。此処であの生物を倒さねばならない。

 哲也は照準を覗き、巨大生物の頭を、特に目玉を正確に狙う。目はどんな生物であろうと左程頑丈ではない筈。仮に内部まで到達出来なくても、目を潰せば活動を停滞させられる……哲也はそう考えた。他の戦車の砲手も同じ考えなのだろう。砲弾は次々巨大生物の眼球付近を直撃する。

 だが、人間達の努力を巨大生物は嘲笑う。

 何十発、何百発喰らおうと、巨大生物の歩みが止まる事はなかった。爆炎が晴れた時に見える頭には傷一つ付いていない。複眼はキョロキョロと激しく動き、なんら機能を失っていない事を物語る。

 ついに巨大生物は麓に達し、森の横断を始めた。頭部で起きる爆発の頻度が落ちてくる。空を飛ぶ都合身軽でないといけない戦闘機やヘリと比べれば遙かに潤沢とはいえ、戦車に積んである砲弾も無限ではない。この場に集結した戦車達の多くで残弾が尽き始めたのだ。

「……残弾なし!」

 哲也達の戦車もまた、間もなく弾が切れた。

 こうなれば、戦車といえども鉄の車でしかない。無論相手が人間なら、機銃を使ったり、車体そのもので轢き潰すなど手はあるが……体長三百五十メートルの怪物相手では、突撃したところで戦車の浪費にしかならない。それで勝てるなら挑む価値もあるだろうが、勝機は見えてこなかった。

「……了解。退却指示が出た、基地に戻れ」

「了解」

 帰投命令が出て、操縦手である新田が答える。哲也は照準から目を離さなかったが、車体が反転するのと共に巨大生物の姿が視界から外れた。

 もう、出来る事はない。

 自分がやれる事は全てやった。最善は尽くした。これで駄目なら、きっと何をしても駄目だったに違いない。哲也はそう思った。

 そう思わなければ、自分が何をしでかすか、分かったものじゃなかった……

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