緒方早苗の職務

 正月でもニュースはある。

 人が生きている限り、事件や事故は起きるのだから当然だ。昨今はネットの発達、そして既存メディアの信用低下によりテレビ報道の需要は減っているが、それでもお年寄りなどは未だテレビのニュースが大事な情報源。正月だから休みますとは言えない。需要があるのならば応える。

 故にテレビ局は正月でも休みなく報道を行う。報道を行うためには、読み上げる人員が必要だ。

 緒方早苗はそうしたニュースを読み上げる、アナウンサーの一人であった。

「(さてと、もう一度読んでおくかな……)」

 控え室にて、早苗はスタッフから渡されていた原稿を読んでいた。

 早苗がニュースを読み上げる番組が始まるまであと三十分。朝七時きっかりに放送される番組で、取り上げるニュースは昨晩から明朝に掛けての事件や事故が主なもの。原稿に書かれているニュースの多くは、今初めて目にするものだ。

 勿論原稿はあるのだから、それを読み上げれば視聴者には伝えられる。しかしただ原稿を読むだけなら、アナウンサーという職務は必要ない。丁寧に、分かりやすく、言い間違いもなく……それが出来なければ価値がないのだ。

 或いは若くて美人ならば多少拙くても良いかも知れないが、生憎早苗は自分の顔立ちがごく一般的なレベルであり、尚且つさして若くない事も自覚していた。アナウンサーとしての実力をキッチリ見せ付けなければ、『卒業』という事もあり得る。そんなのはご免だ。

「緒方さん、そろそろお願いします」

「――――ん。分かりました」

 しばし原稿を読んでいると、半開きにした扉から女性スタッフが声を掛けてきた。早苗は原稿を持ち、控え部屋を出る。早苗を呼んだスタッフは案内するように前を歩く。今更案内してもらわずとも行けるが、断る理由もない。

 早苗はスタジオに入り、自分の席へと向かう。この場を誰かに譲る気はない。堂々と座り、ニュース原稿を広げ、頭の中で今日の流れをイメージする。

 ある程度イメージした辺りで、正面を見据える。放送開始まであと二分。カメラの後ろにあるモニターを見て、自分の身形におかしなところがないかチェック。記憶を辿り原稿を余さず頭に叩き込んだ事も確かめる。全てが完璧であり、

「緒方さん、すみません! あの、これ今朝最初のニュースとして読んでくださいっ!」

 その完璧が、横からやってきた女性スタッフの一言で崩れ去った。

 とはいえこの程度で眉を顰めはしない。生放送は常に変化を起こすもの。機材の不備、自分の原稿読み上げが遅かった、ゲストの話が長い、ゲストの話が短い……様々な想定外により予定していた枠からはみ出す。

 臨時ニュースもまた、よくある『想定外』の一つだ。むしろこうしたニュースをあたかも前以て打ち合わせていたかのように読み上げる。それが一番カッコいい・・・・・アナウンサーの姿だ。

 早苗はスタッフから原稿を受け取り、ざっと目を通す。臨時ニュース時は、原稿を書くスタッフだって慌てている。誤字や脱字、変な言い回しが含まれている、同じ言葉が二回入っている……どれもよくある間違いだ。そうしたものを頭の中で組み替えようとする。

「……は?」

 その最中に、早苗は声を漏らした。今まで動かさなかった眉を顰め、この原稿と関係ありそうなスタッフ達を見遣る。

 誰もが苦笑いをしたり、困惑した様子だった。

 イタズラの類いではない。いや、生放送のニュース番組でイタズラなどするものか。ドッキリだとしても、そういうのは事前の打ち合わせがある。それがなかったのだから、これは『本物』のニュースだ。

 だが、だとしても、これは――――

「間もなく始まります。五、四、三……」

 戸惑う早苗だったが、問い詰める時間はなかった。残り二秒の間に引き攣っていた顔を真剣なものに変える。この臨時ニュースに相応しいのは、笑顔ではなく真面目な表情だと即座に判断した。

 無言の二秒が過ぎると、撮影機材の奥にあるモニターにテロップが表示され、早苗の顔が映し出される。生放送が始まった。

「おはようございます。今朝のニュースをいち早く、新年最初の朝イチチェックの時間です。それでは今年最初のニュースは……」

 朝の挨拶、番組コンセプト、番組名……何時も語っている文章を淡々と言い終えた早苗は、口籠もる。

 本当にこれを読んで良いのか。

 一瞬の躊躇いがあった。しかしほんの一瞬だ。仮にこれがイタズラの類いだとしても、責められるのは自分ではなく、原稿を用意したスタッフである。自分は何も悪くない。

 何より『本当』ならば、伝えない訳にはいかない大ニュースである。

「富士山で起きた、異変についてです」

 早苗は、臆さず原稿に書かれている内容を読み上げた。

「本日午前六時五十分頃、富士山で大規模な噴火が発生しました。噴煙は推定で高さ六百メートルほどまで上がり、今も噴火は続いている模様です」

 早苗がある程度読み上げると、撮影機材の奥にあるモニターの画面が切り替わる。噴煙を上げる火山の映像だ。画面の右端に「LIVE」の文字があるため、なんらかの方法で現地の映像を届けているのだろう。

「未だ政府からの発表はなく、詳しい噴火の規模や被害状況は不明です。番組中に新情報が入り次第、速報としてお伝えしていきたいと思います」

 原稿に書かれているのは、たったこれだけ。生放送の十分前に起きた事なのだ。確実な情報なんて『富士山が噴火した』ぐらいなものである。

 しかし富士山から初日の出を拝むというのは、昔からテレビでやっていた事だ。この報道局でも、何人かスタッフを派遣していてもおかしくない。そうしたメンバーから詳細は聞けないのだろうか。聞けないのだとすると、もしかするとメンバーと連絡が取れないのか。それはつまり……

 脳裏を過ぎる不穏な可能性。早苗の知り合いの中に、富士山に登ると語っていた者はいない。しかし語らなかっただけかも知れない。そう思うと無性に気になり、無意識にモニターをちらりと見た。

 途端、早苗はその目を大きく見開く事となる。

 遠目に見ているモニターだが、それでもハッキリと確認出来る。富士山から噴き上がる黒煙……その中で、巨大な影・・・・が蠢いていた。

 正確なサイズなど分からない。だが黒煙の大きさと比較するに、恐らく数百メートルはあるだろう。巨大な岩盤が火山の勢いで押し出されたのか? 一瞬そう思うが、しかし影の動きは明らかに岩盤では出来ない『細かさ』があったように感じる。

 なんだ今のは――――確かめようとしてモニターを凝視する早苗だったが、映像はパッと切り替わる。映し出されたのは、スタジオに居る自分の間抜け面だった。

 我に返り前を見れば、カンペを出しているスタッフが『次のニュース』と指示を出していた。富士山噴火に関する情報はこれだけだから新情報が出るまで他のニュースをやれ、という事だ。

 それは正しい判断に思える。ほんの一瞬、モニターに僅かながら映し出された『影』に気付いていなければ。

 早苗はあくまでアナウンサーだ。原稿を読み上げ、情報を視聴者に届ける。番組内容の構成はディレクター達スタッフの領分であり、自分が口出しするところではない。

 その上で一報道関係者として思う。

 あの映像の先にあるものは『特ダネ』であると。

「ごめんなさい、富士山の映像をもう一度映して!」

 早苗はハッキリとした声で、スタッフ達に頼んだ。

 生放送中の、予定にない発言。スタッフ達も戸惑い、責任者であるディレクターの顔色を窺う。ディレクターは一瞬渋い顔をしたが、生放送での発言だけに無視も出来ないと思ったのか。小声で隣のスタッフに指示を出し、すぐにモニターの映像がスタジオから富士山の様子へと切り替わる。

 スタッフ達全員が呆けた顔となるのに、それから数秒と掛からなかった。

 噴き上がる黒煙、それと共に飛び散るマグマや岩石。破滅的な光景は、しかし『それ』と比べれば遙かに地味な代物だ。

 黒煙を切り裂くように現れる、赤色の甲殻。

 背中にマグマを乗せながら、されど『それ』は平然としていた。前に付いている二本の巨大なハサミが大地を掴み、圧倒的な巨体を動かす。胴体の下には他に何本もの足が生え、忙しなく動いていた。

 『それ』の頭には四本の触覚が生え、子供の目のようにあちらこちらへと向けられる。頭に嵌まった二つの目は複眼か。平べったい身体はザリガニやイセエビに似ているが、背中に生えている背ビレ状の突起がそれらとは違う凶悪さを見せ付ける。

 ハッキリ言えば、巨大なエビ。

 爆発的噴火を起こしている富士山の中から現れたのは、そんな巨大エビだった。

「皆様、ご覧ください! 富士山の火口から何か、エビのようなものが現れました!」

 誰よりも早くその姿を理解した早苗は、大きな声で目の前の情報を語る。

「正確な大きさは不明ですが、数百メートルはあるでしょうか? これはSF映画のプロモーションビデオではありません! 現実に起きている光景です!」

 興奮混じりの声で早苗は喋り続ける。止める者はいない。いや、止められてもきっと止まらない。

 溜まらなく不安だった。

 早苗は生物学に詳しくない。エビの種類なんて好物である甘エビとクルマエビぐらいしか知らない程度だ。だが、あのエビが異常な存在なのは誰に教わらずとも分かる。マグマが身体に付いているのに平然としてるなんて、普通の生物じゃない。

 アレは一体なんなのか。どうして富士山から現れたのか。何故今現れたのか。

 これから、何が起きようとしているのか。

「巨大なエビが山を下り始めました! 何処へ向かっているのでしょうか? このカメラがあるのは、山梨県側との事です。これが現在の富士山です! これが、これが――――」

 今にも胸を破裂させそうな不安を誤魔化すように、早苗は番組が終わるまで話し続けるのだった。

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