甲殻大怪獣デボラ
彼岸花
2019年
浜田太一の末路
富士山のてっぺんで初日の出を見てみたい。
十二月三十日、漫然と抱いたその欲求に大学生である浜田太一は抗う事をしなかった。幸いにして凡そ一年前に登山道具を一式購入しており、埃を被ってる以外装備に問題はなかった。両親も彼の突発的な行動には慣れたもので、快く送り出し、彼は富士山を登り始めた。
勿論富士山登頂は楽な道のりではない。初日の出を拝むためとなれば、前日である大晦日の明るい内に登頂し、極寒の中一晩過ごさねばならないのだから。しかし太一はそれを可能とする体力があり、そして志を同じくする登山客の応援が気力を与えてくれた。
彼はなんとか大晦日の日没前に富士山の頂上に辿り着いた。その後予約していた山小屋で一晩を過ごし、日も昇らぬうちに ― 初日の出を拝むためなのだから当然だが ― 起きて外に出た。身を刺すような寒さは下手な目覚ましより強力で、ぱちりと目が覚める。外ではたくさんの人々が山頂の東側を目指して歩いていたので、太一も彼等の後を追うように進んだ。
かくして辿り着いた富士山東側の斜面。太一は適当に開いてるスペースに座った。体育座りでじっとする事になったが、眠気はやってこない。むしろ段々と胸の中のわくわくが大きくなり、頭が冴えてくる。空は満天の星空が広がっていて、朝日を遮るものは何もない。曇り空で初日の出が拝めないという心配はなく、太一はなんの不安もなくその瞬間を待った。
やがて、段々と東の空が明るくなってきた。
「お、おお……」
ざわざわと、周りから歓声のような声が聞こえてくる。太一も立ち上がりたくなる衝動を覚え、後ろに居る人の事を考えてどうにか抑えて前を見続けた。
そしてついに太陽がその輪郭を露わにした――――その時だった。
巨大な爆音が、太一の背後から聞こえてきたのは。
「きゃあっ!?」
何処からか悲鳴が上がった。太一もまた悲鳴を上げそうになったが、大の男としてのプライドが、その悲鳴を無理矢理飲み込ませた。
それでも心の動揺は収まらず、太一は音が聞こえてきた背後へと振り返る。
見えたのは、朦々と立ち上る黒煙だった。
うっすらと辺りを照らす朝日が、黒煙の黒さをより際立たせる。黒煙は太一達朝日を拝みに来た登山客から百数十メートルは離れている位置で上がっているが、視界全てを覆うほど広がっていた。その勢いは正しく爆炎のようであり、万一巻き込まれれば人間なんて簡単に吹き飛ばされてしまう事が容易に想像出来る。
逃げなければ命が危ない。
太一を含めた登山客の誰もが思っただろう。しかし誰一人としてこの場から逃げようとしない、否、逃げられない。大地が激しく揺れていて、歩く事はおろか立つ事すら儘ならないのだから。
何が起きているのか? 答えは明白だ。地質学的な知識がない太一にも分かる。
火山噴火だ。
富士山は活火山であり、何時か大噴火を起こす……信じるかどうかは別にしても、日本国民ならば多くが知っている事。太一もまた聞いた事のある話だった。まさかそれが自分が登頂した日に起こるとは予想もしなかったが、起きてしまった事を否定してもただの現実逃避にしかならない。大事なのは事実を受け入れ、適切に対処する事。
そう、これは火山噴火だ。火山が、噴火しただけの事である。
ならば。
【ギギギギギギギギキイイィィィィ!】
この、金切り声のような地鳴りはなんなのだろうか。
唖然とする太一だったが、すぐに我に返る事となった。
黒煙の一部が、自分達の方へと流れてきたからだ。本だかテレビだかで見た覚えがある。火山から噴き出た煙は、それ自体が何百度もの熱がある。もしも飲まれようものなら一瞬にしてその身は焼かれてしまい、苦しむ暇すらないと。
逃げなければ死んでしまう。しかし地面の揺れは未だ収まらず、太一達登山客はただただ煙がやってくるのを見ている事しか出来ず……
黒煙は、太一の横十数メートルの位置を駆けるように流れていった。
若い人も、老いた人も、女も、男も……関係なく、何十人もの人々が太一の視界から消えた。黒煙がやってくる間際には悲鳴が響いたが、黒煙に飲まれた途端に消えている。それがあまりにも呆気なくて、太一は恐怖から腰が抜けてしまう。全身が震えてまともに動けない。
唯一自由が利くのは、涙で視界がぐにゃぐにゃに歪んでいる目玉だけ。太一の目は、ぐるりと噴き上がる黒煙の方へと向く。
故に彼は目の当たりにした。
黒煙に混ざり、飛び散る紅蓮の光。その地獄のような景色の中で、蠢く巨大な影を。
太一は目を見開いた。先程まで心を満たしていた恐怖心はすっかり失せ、代わりに驚愕と興味の念が沸き立つ。
一体富士山に何が起きたのか。
これから何が起きるのか。
それを知ろうとしたのは本能からか、人としての矜恃からか――――されど彼の願いが叶う事はない。
真実に辿り着く前に、太一の下に火山の黒煙が流れ込んできたのだから。
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