[5-15] 布津野だ

 ロクは足元に転がった大きな男に視線を落とした。

 シャンマオはこの男をガン型だといった。不自然なまでに隆起した筋肉に、2mを超えるほどの大柄な男だ。筋力強化型の個体だと聞いてはいたが、実際に目の前にするとその歪な体躯に息をのんでしまう。


「どうした?」

「いや、なるほどな。これは……」


 寿命が短くなるわけだ、と内心では考えていた。

 シャンマオの白眼もそうだが、肉体強化型の鯀と驩兜ファンドウは明らかに人間の規格から外れている。鯀型に近い体格のほ乳類としてゴリラが存在するが、それよりもさらに一回りほど巨大だ。


「……シャンマオ、」

「なんだ?」

「もしかして、お前はどちらかというと小柄なのか?」

「ああ、」


 シャンマオは肩をすくめて見せた。


「私は雑種ザージャンだからな。三苗は小柄な女性しか生まれないし、鯀は男性型しか生まれぬように処理を施すと聞いている。他に成功した雑種の個体も見たことがない。実際のところ、どうなんだろうな」


 シャンマオは、両手を腰にあてて自分の体を観察する。


「比べるのもおかしいだろうが、普通の女にしては随分と大柄だと思うぞ」


 ロクは「まぁ、いいか」と呟いて握っていたナイフ型のスタンガンに視線を落とした。「お前がいうように、スタンガンを改造しておいて良かった」


 手にしたそのスタンガンは、大ぶりのナイフの形をしていた。

 その刃はギザギザに切り込まれており、その隙間に高圧電流を流して、切り込んだ相手の肉と血に直接電流を流す仕組みになっている。

 非致死性の武器であるスタンガンの通常の用途から考えれば、それはあまりにも攻撃性が過剰だ。バッテリーなどの機構を組み込むために重くなっているし、頑丈には作ることもできない。

 それでも、シャンマオが鯀型と戦うなら必要になる、と言っていた代物だ。


「鯀の筋肉は分厚いからな。斬っても骨まで届かぬし、痛覚も鈍感に出来ている。隠密戦闘なら高電圧のスタンガンが良い。完全な防弾装甲を着られると刃も通らぬゆえ、そうもいかないが」

「まぁ、お前の言うとおりだったよ」


 足元に転がる鯀型も装甲を着込んでいたが、後ろから隙間にナイフを滑り込まして感電させたのだ。


「お二人とも凄いです。あの恐ろしい鯀をあっという間に」


 そう声を上げたのは、屋上で監視していた三苗の女だった。

 ロクはナイフスタンガンを脇下のホルスターにしまい込んで、連れてきた三苗のほうを振り向いた。


「ここが、反骨たちの居場所か」

「はい。危覧様はシャンマオさんとお会いできることを大変心待ちにしていました」

「……みたいだぞ、シャンマオ」


 ロクはシャンマオのほうに視線を投げかける。


「知らんよ。娘ならクローンがいっぱいいるだろう」

「それは違います。危覧様がお腹を痛めたのはシャンマオさんだけですから」

「そうは言われてもな」


 シャンマオは所在なさげに首の横を掻いて口元を歪めた。その様子に三苗の女は眉をしかめて問い詰める。


「シャンマオさんは、私達のことを助けてくれた」

「そうだったか?」

「三苗は虐げられていました。暴虐をふるった他の個体をちゅうしていたのはシャンマオさんでしょう? あれは母である危覧様と、同じ三苗である私たちを助けるためではなかったのですか」

「まぁ」と、女に詰め寄られたシャンマオは一歩引く。「あれは危覧の指示に従っただけだよ。私はどの反骨にも属さぬ独立だったゆえ、そういう仕事も多かった」

「そうところです。それが、どれほど私達の支えになっていたか」

「はぁ、……そういうものか」

「はい」と女は力強く頷いた。


 ロクは両手を組んで、それを興味深く観察していた。

 シャンマオと打ち解けてそれなりの時間が経ったつもりだが、彼女はあまり過去を話すことはなかった。それでも、かつては四罪で、最強の暗殺者と呼ばれていた事は知っている。どうやら、組織内部の治安を統制する特権警察のような役割も担っていたようだ。

 どの反骨にも属さない雑種ザージャンで、優れた戦闘能力を有していた彼女は組織でも特殊な存在だったに違いない。


「さて、」とロクはその興味深い会話を中断させて「反骨たちはこの奥だったか」とロクは振り向いて、室内を見渡す。

 女に案内されたのは村の中で一番大きな建物で、先ほどの家の質素な内装とは違い、壁に派手な刺繍を施した布をカーテンのように垂れかけて華やかに装っていた。


「チベット仏教の寺院だな。おそらく奥は石窟せっくつだろう。村の規模にしては大きいな」

「ええ、危覧様は他の反骨たちとここに逗留とうりゅうされています」

「それにしては静かだな。もういないのかも知れない」


 ロクは耳を澄ませた。

 外からは銃声と怒号に悲鳴が混じり始めている。ニィに任せたドローン部隊が攻撃を始めたのだろう。だとすれば、すでに反骨たちはここから逃げ出した可能性はある。

 今度はシャンマオが女に問いかける。


「危覧は死にかけだそうだな。移動くらいはできるのか」

「死にかけ……。いいえ、移動されたという報告は私にも来ていません」

「確かめるしかない、か」


 ロクが探査デバイスを取り出して、奥の石窟につづく扉の横に背中をつけた。

 扉をわずかに開けて、その隙間にデバイスを転がして中に入れる。


「それは?」と女が近づいて聞いてくる。

「それには答えられない」


 この手の索敵デバイスはオートキリングの機密技術の一つだ。

 ドローンや無人戦闘機などに比べて地味ではあるが、AIによる戦術制御はデータリンクこそがかなめだ。そうやすやすと教えるわけには行かない。


「ふーん、別のことを聞いてもいいかしら?」

「今は作戦中だ」


 どうやら自分はこの三苗の女から軽く見られているらしい事を、ロクはなんとなく察していた。

 おそらく、組み伏せた際に色を見られたせいだろう。

 シャンマオやナナにしても同様だが、色の見える女に自分は侮られる傾向にある。しかし、父さんならこうはならない。一体、何が違うというのだろうか……。


「ロクさんとシャンマオさんは、その、どういった関係なんですか?」


 女はもはや慣れたらしく、ずけずけと聞いてくる。


「……関係があるのか」

「ありませんけど。どうなんですか?」


 はぁ、とため息をつく。


「恋仲だ」


 ロクは正直に答えることにした。

 どうやら父さんにもすでに漏れ伝わってしまったようだし、いつの間にか結婚まで約束したことになってしまっていた。経験上、下手に否定すれば何やらと悪く評されることになるだろう。手早く認めてしまうほうが被害は少ない。

 それを聞いた三苗の女の頬が染まった。

 今更だが、彼女はまだ若いことに気がついた。ナナと同じくらいだろうか。この女も恋愛や同性愛が好きなたぐいなのだろうか。


「素敵」と女は両手を握りしめた。「シャンマオお姉さまに、こんな素敵な人ができていたなんて」


 ……お姉さま?


 ロクは肩をすくめるしかなかった。

 なんか、色々ともうどうでも良くなった。勝手に妄想して勘違い拡大していくのは人の常なのだろう。

 ふぅ、とため息をまた一つ。

 ロクは内部を確認するために携帯端末を取り出して、それに視線を落とした。放りこんだデバイスから内部の映像が転送されてくるはず……。


 その時、


 ロクはヒリつくような殺意が迫ってくるのを感じた。悪寒が全身を駆け巡り、凄まじい吐き気に顔が歪んだ時、


「ロクさん!」と同時に、背後から女が覆い被さってきた。


 この殺線は、銃撃だ。


 ロクは女に覆い被されるままに伏せた。

 予感した轟音が連続した、空気を引き裂き、火薬が爆ぜる連続音。まるで世界をドラムに見立てて叩き壊すような音。少しでも鮮やか布に覆われた寺院の内装をめちゃくちゃに引き裂いて、弾丸が暴れ回る。

 ミキサーの内部のようなその状況は、やがて止んだ。


「さて、死んだのは……。なんだ、一人だけか」


 野太い男の声が滅茶苦茶になった扉の向こうから投げ込まれた。

 しかし、それよりもロクは自分に覆い被さった女の姿に眼を奪われていた。

 先ほどまで、他愛もない勘違いをしていた馬鹿な娘。

 その白い両目を宿した頭部は、すでに無い。

 まるでザクロの実がはじけたように、その首下の服には赤い肉片が飛び散っていた。ごぼごぼ、と首の断面から吹き上がる血潮は女の心臓がまだ動いていることを物語っている。


「ロク! そいつは黄豪ファンハオだ」


 後ろからシャンマオの声がする。

 黄豪、鯀型の反骨。シャンマオの遺伝子的父親。


 父親?


 頭を失った女の体がぐらりと崩れてすぐ側に横たわる。さっきまで笑っていたのに。楽しそうに馬鹿馬鹿しい事ばかりを問いかけていたのに。

 その首の断面にてらりと光る肉と血がのぞく。その臭いにむせかえりそうになる。

 ロクは石窟の奥へと視線を上げると、そこには巨体が立っていた。その手には、本来であれば車両に搭載して使う大きさの機関砲が握られている。


 あれが父親? 本当に?


 ロクはのそりと立ち上がった。


「ほう、もしやニィか? それに後ろのは……山猫かよ」


 黄豪と呼ばれた男は荒々しく鼻息を吐いて、ロクとシャンマオのほうを見てにやりと笑った。


「なんだ、噂の没色メイスェが来たのかと思ったんだがな……。まっ、しかし、これで危覧の裏切りは確定だな。女どもは色男にすぐ騙されやがる。えぇ、どうよ。ニィ」


 ロクの呼吸は急速に落ちて、意識を下に下に押し込んでいた。

 気が細って、呼吸は落ち、感覚は尖っていく。

 黄豪の粗野な大声よりも、足元の女の遺体から聞こえる、ぴちゃ、ぴちゃ、という血の流れる音のほうがはるかに鮮明に聞こえていた。

 黄豪の不快な声などどうでも良かった。

 大切なのは死んだ娘のリアリティ。

 本当に大切なものだけに集中すること。

 それと、一つになること。


 この在り方を、父さんは和合と呼ぶ。


「どうした、ニィよ。危覧のババァをたらし込んで、こんなところまでわざわざ来たんだろう? まさか、莫煌ムーファンのことが恋しくなったわけじゃあるまい。昔はあんなに可愛がってもらったじゃねぇか。あ? 男同士で夜伽よとぎなんざ、俺には気が知れんがな」


 深く深く、自分の奥底で、

 チクリ、と沸き立つ泡がある。

 この世の中は、悲しいことが溢れている。

 ここで血だまりになった女にも、何かと嫌味を吐いてくる放蕩癖の男にも、片腕を失ってなお強くある女にも、悪意を見抜く短命の女にも。

 皆、悲しみにまみれて生きてきたのに。


「ロク!」


 背後から聞こえる声と前から圧迫してくる殺意の狭間で、何かが定まっていく気がした。答えを求めた手が腰裏に差した小太刀の柄にたどりつき、それを掴み込んだ。

 この刀は複製に過ぎない。

 父さんもかつて、救おうとした女に庇われて死なせてしまった事があった。

 その時の感情、怒り、後悔、絶望、

 ……殺意。


「後ろを頼んだ」


 ロクは振り返らず、シャンマオに言い放った。


「しかし、」

「大丈夫だ」


 これは慢心ではない。

 ニィは僕のこと揶揄して真似事に過ぎないと言う。確かに、この刀と同じで僕のは父さんの模倣に過ぎない。

 でも、父さんの模倣がこんな奴に負ける訳がない。


「一つ、お前にいっておく」


 ロクは一歩踏み込んで、石窟の中に入った。

 重心をわずかに落としたその抜き足と拍子を合わせて、腰裏の小太刀を引き抜く。


「僕はニィじゃない」

「はっ、じゃあ、お前は誰だよ」

「僕は……」


 抜き身の反射が手元に煌めき、自分の中心にそれを据える。

 いつの間にか雑念は断ち切られていた。

 ただやるべき事だけをが、この手にある。


「布津野だ」

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