[5-16] 没色の息子
白髪赤目、透き通るような肌に整いすぎた容姿。その外見は彼の知っているニィに酷似している。
その少年は短い刃物を前に構えて、こちらを睨みつけていた。
「確かに、お前はあのニィじゃねぇな」
どうやら、こいつは怒っているようだ。その原因はそこで転がっている頭のなくなった三苗の娘にあるように見える。
だとすれば、こいつは確かにニィではない。ニィであれば、糞の紙にもならない同情や正義感を持ち込んで、鼻息あらく気張るようなことはしない。
となると、ニィと同じ日本の改良素体か。
「いいねぇ」と黄豪は息を吐いた。
日本で作られた改良素体は、美しく大切に育てられた人形だと聞いた事がある。
「ぶちぶち、引き千切ってやりたくなる」と黄豪は機関砲をロクに据える。「で、どうするよ?」
黄豪は薄く笑う。
この坊主が持っているのは剣だ。それも短い。
対して、こちらの手元には長大な機関砲。大口径27mm徹甲弾を1秒間で20発撃ち放ち、コンクリート壁程度であれば一瞬で粉々にしてしまう代物だ。
それなのに、坊主は物陰に身を隠す素振りすら見せない。まぁ、コイツの前では物陰など……
「無意味だがな!」と、黄豪は引き金を引いた。
数秒の連射、ドドドン、と跳ね上がる砲身を左手で押さえ込んだ。
煙る視界を腕で払って、状況を確認する。
さて、坊主は……いない!
ガキィ、と音をたてて砲身を抑えていた左手に衝撃が走る。
鋭い痛みに左手が痺れた。
視線を落とすと、いなくなったはずの人形が剣で左手を切りつけていた。
「……防刃か」と坊主がつぶやく。
「貴様ぁ」
右足を引き、機関砲のトリガーを引きっぱなしにして砲身を横に薙いだ。まき散らされた銃弾が岩肌をくり抜いて穴だらけにしながら、坊主がいた場所を払う。
しかし、またもや奴は消えていた。
鋭い衝撃が三つ。脇下、膝裏、右手首。くそ痛ぇ。装甲プレートの隙間を斬られた。今度は反対側だ。
「がぁ!」と吠えて、もはや機関砲を棍棒のようにめちゃくちゃに振り回す。
坊主は、後ろに大きく跳んで距離を取った。
前に剣を置いて右足を前に添えた細い構えだ。ぴたりと静止の構え。動いているのは、前に構えおいた剣の反射光だけだ。
いかすけねぇ、すました面と構えをしやがって。
「てめぇ、なんなんだ」
「……装甲の隙間でも斬れないか。防刃繊維を着込んでいるな」
「なんなんだ、って言ってんだろうがよ!」
「どうする? いや、父さんなら、」
「訳の分からんことを!」
黄豪は右脇をしめて機関砲を引き上げた。
その砲身の先には、確かに奴がいる。少なくともまだいる。見えている。なんなんだ、さっきは消えやがった。どうなってやがる。
切りつけられた箇所の痛みが、じんとひりついて、イライラする。
銃口の向こうの坊主が、ふっと息を吐いた。
「あぁ!」
「……突いてみる、か」
その時、ゆらり、と坊主が一歩踏み込んだ。
反射的に引き金を引く。
坊主がわずかに身を
今度はよけやがった。
奴は止まらない。あっという間に至近距離。胸元まで引き上げた剣の切っ先をこちらの喉に向けている。
全体重を乗せた突き。
咄嗟に左の甲で刃を受け止めた。
受け止めることが出来たのは、坊主の狙いが読めたからだ。装甲に守られていないのは首から上しかない。
防刃装甲を重ねた甲は刃の貫通を防いだ。しかし、その突進力は凄まじい。万力を込めた左腕をそのまま押し込まれて体勢を崩された。
「糞が!」
機関砲を投げ捨てて、開けた右腕をなぎ払う。
手応えはない。また、すり抜けやがった。
方向を変えようとした瞬間、右脇腹の違和感。斬撃ではない。むしろ優しげな、ぴたりとした感触。視線を落とすと坊主の手の平が自分の脇腹に触れていた。
ひゅっ、と坊主の細い呼吸音。
その瞬間、黄豪の体内はぐちゃぐちゃになった。
◇
——掌底で寸勁か。
シャンマオは息を吞まざるを得なかった。
人ならぬ怪力を持ち重装甲で巨体を固めた
それを、この少年はやってのけた。
呼吸を同調し銃弾をさばき
しかも、掌底による密着打。
その内震撃は通常の寸勁とは桁違いの威力だろう。
いくら黄豪とはいえ、内臓を直接揺さぶられては防ぎようがない。おそらく奴の体内では苦痛が駆け巡っている。
黄豪は崩れ落ちて少年の足元で暴れ出した。あの巨体がうめき声をあげて足掻いている。
少年は少し距離をとって、じっとそれを眺めていた。
すでに勝負は決した。
それでも少年には油断の色はない。
「似ているな」と思わず呟いてしまった。
今、あの男と同じ黒い炎を少年はまとっている。
生殺与奪の一切を握ってなお、迷いを残しつつも決意は揺らぐことなどない。そんな超越した在り方があの黒い炎をまとわせる。
まったく、とんでもないものを育て上げたものだ。
「ロク」
と、機関砲の乱射によって穴だらけになった石窟のなかに足を踏み入れる。
「シャンマオ、下がっていろ」
「さっさと、殺せ」
「分かっている」
その時、少年の黒がゆらいだ。
何をためらっている?
……ああ、そうだったな。
私としたことが、この少年がまだまだ子どもだった事を忘れていた。
この子は、殺しについては童貞だったのだ。
「……私がやろう」
「来るな!」
その時、汚らしい色が立ち上がった。
しまった! 少年の黒に見とれて気がつかなかった。黄豪の殺意が戻っていることに。
「山猫ぉ!」
黄豪は少年を無視してこちらに突進してくる。
その巨体からの横殴りを、脇を固めて受けざるを得なかった。凄まじい膂力に全身が浮き上がる。
そのまま逆手で、首を掴まれて宙に吊された。
「はぁ、はぁ……。は、ははっ」と黄豪が笑う。
ギリギリと掴まれた首筋が軋み、脳は酸素を失い、意識が圧迫されていく。
「シャンマオ!」
「坊主が! ぐずぐずしてやがるから!」
「放せ!」
「はーぁ、ははっ! こんなのでいいのかよ」
掴まれた喉元に、黄豪の野太い親指がめり込みはじめた。
嫌だ。絶対に嫌だ。
少年の足手まといだけにはなりたくない。
それだけは絶対に嫌だ。
「構う、な」
「待ってろ。助ける」と少年の黒がひろがる。「絶対にだ」
「やめろ、構わないで」
「うるせぇぞ!」
機関砲の砲身が顔のすぐ側から伸びて、少年に狙いつけた。
「よう、坊主」
「……」
「命令だ。避けるな」
「ロク!」
「黙れつってんだよ! メス猫が」
砲身が持ち上がって、私の頭に打ち下ろされた。
頭蓋を打ち抜く衝撃に、鼓膜がキーンと鳴り響いて止まらない。
「やめろ!」少年の声だ。
痛みよりも少年のその憤りが嬉しくて、自分の不甲斐なさがやるせなくなった。
私は本当に老いた。少年を導いてやっていると思っていたのに、あっという間に追い越されて、もう単なる足手まといだ。
もう、こんなのはいらないだろう。
首を吊されて弄ばれていようが、ナイフを抜くことはできる。
こんなもので黄豪に一矢報いてやることは出来ない。
でも、自分の命を絶つことくらいは出来る。
嫌なんだ。
私のために少年が傷つくのは、絶対に嫌。
腰裏に指を回してナイフを探り当てる。
そのまま、掴んで抜き払った時、
パンッ、
と、あまりに小さな銃声が背後からした。
それは黄豪の肩の装甲に当たって頼りなく弾かれてしまった。
だが、不意をつかれた黄豪は後ろを振り返った。
そこには、壁に背を預けて立つ老いた女が両手で拳銃を構えていた。
「
砲身が旋回して、危覧にむかって火を吹く。
その銃弾は危覧の腕を吹き飛ばした。
それと同時に、
黒い殺意の炎が私を包み込んだ。
◇
ロクはすべてを置き去りにして、飛びかかった。
——殺す。
背後を撃った黄豪の背中に一気に迫る。
乱暴に扱われたシャンマオの髪がなびいている。
——殺す。
黄豪がこちらを振り向いた時にはすでに、ロクはその眼前にいた。
——絶対に殺す!
振り上げた小太刀の底柄を左手で掴み、シャンマオを拘束する手首に向かって振り下ろした。
防刃繊維を幾重にまとい防弾プレートを貼り重ねた重装甲。そんなもの関係ない。これは名刀の複製に過ぎない。しかし新作の鉄は、強靱さだけなら本物を凌ぐ。
全身の体重と筋力でそれを叩き降ろす。
ボグッ、
と鈍い音を立てて、黄豪の腕がひしゃげる。
装甲ごしに骨を砕いた。
シャンマオの拘束が緩んで下に落ちる。
「がぁっ! 貴様ぁ!」
と、咆哮をあげて黄豪のもう片方の腕がくり出される。
振り下ろした刀の切っ先を返し上げ、その拳骨に突き刺す。刃の切っ先がその巨大な拳にめり込んで柄まではまり込んだ。
声にならない激痛の叫び。
その騒音を無視して、ロクは腕にめり込んだ小太刀を
すると、パキ、と音を立てて手応えが失われた。
刃を黄豪の腕に残したまま、小太刀が根元から折れていた。
ロクは柄だけになった小太刀を捨て、呼吸を落とす。
両腕を潰された黄豪が、唾液を吐きながら丸太のような足で蹴りを放った。
ロクはふわりと飛び、やり過ごしたその蹴りを踏み台にして黄豪の頭上より高く飛び上がる。
その手には、バチチッ、と青い白く放電するナイフが握られていた。
電撃は落下線をえがいて、黄豪の眼球を貫く。
絶叫と放電の音、肉を焼き焦がす匂い。
「あ、あっ。あーーー!!」
ロクは眼球に突き立てたナイフスタンガンを握ったまま、黄豪の背後に回り込んで首を羽交い締めにしていた。
「俺はっ! 俺たちは!」
「さっさと、死ね」
ロクはナイフスタンガンのトリガーを引きっぱなしにして、黄豪の頭に電流を流し込んだ。その巨大な頭部が上下左右に痙攣し、ロクの羽交い締めの中で暴れ回る。
それが止むまでロクはトリガーを引き続けた。
やがて、その巨体は単なる質量に変わり、地面に崩れ落ちていく。
それでもロクは、しばらく、トリガーを引き続けていた。
◇
ああ、
もはや輪郭を失い始めた視界の中に、
なんて美しいのでしょう。
優しさ故にして悪意の黒をなすこともあるのだ。私は一度だけ、同じものを見たことがあった。あの
それと同じ炎に、シャンマオは愛してもらっているのね……。
「危覧!」あの子がこっちに駆け寄ってくる。
ずっと思い浮かべていた懐かしい声。
しばらく見ないうちにますます優しい色になった。この娘は仲間想いの優しい娘だった。本人には分からないだろうけど、私にはよく分かっている。
だって、この娘は綺麗な色をしているもの。
「久しぶり、ね。私の、愛おしい、娘」
「危覧。なぜ……」
「ええ……。なぜかしらね」
貴方にもいつかきっと、分かると思うわ。だって、貴方にはこんなに素敵な人がいるのだから。
「危覧か」とシャンマオの想い人もこちらに寄ってくる。
あれだけの黒をもう消し去ってしまって、実に見事な無色。
「貴方が、
「そうです」
「ねぇ、シャンマオのこと、ですが」
「幸せにします。……絶対に」
本当に、素敵な人。
ああ、もう何にもないわ。最後の最後で、娘の役に立つことができた。この娘が、私達を守ってくれたように、私も彼女を守ってやれた。
本当によかった。
「
「危覧」
「……もう……十分よ」
危覧の両眼が閉じて、その息が止まった。
そして、シャンマオの視界からも彼女の灰色が消えてしまった。
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