[5-13] 隠密潜入

 馬が近づいてくるのを、監視役である三苗型の女はすぐに見つけ出した。


 すでに日は落ちている。雄大に広がる草原には灯りなどはない。月明かりを頼りに周辺を警戒するには無理があるが、彼女たちの白眼であれば可視光の量など関係なかった。


 高台にある民家の屋上に陣取ったその三苗の女は「村人か、商人か」と暗視ゴーグルを覗き込んだ。

 熱源が白く浮かび上がる暗緑色の映像から、馬の上に二人の人間がいることがわかる。しかし、そのうちの一人は馬上にくくりつけられるように横たわって垂れた手足をぷらぷらと揺らしていた。

 そのくくりつけられた人間の色は見えなかった。おそらく、死んでいるのか気絶しているかのだろう。

 

 その時、馬上の一人が鞍の上で背をのばしてこちらに手を振って合図をよこしてきた。


「どういうこと?」


 女は驚いた。相手はこの闇の中でこちらが見ていることに気が付いたのだ。

 そこで、ふと思い当たる節があった。

 先日、数名の雑種ザーヂョンが村に帰還した。出て行った時は10名程度だったはずなので、残りはまだ外で任務中だったのだろう。相手は新たな帰還者なのかもしれない。

 羌莫煌チャンムーファンの直轄部隊である雑種たちの任務は、危覧様の直属である自分たちにはよく知らされていない。

 女は通信機をひっぱり出して、口元に添えた。


「こちら、監視C地点。雑種らしき人影を発見した。南方向からまっすぐこちらに向かっている」

「了解。こちらで対応する」とすぐに応答がある。

「了解した」


 と返答し、通信機から手を離した。そのまま屋上の縁に肘をついて、馬にのった雑種の色をぼーと眺める。

 色まであのシャンマオさんに似ているな、と気がつく。

 危覧様はどのように思われているのだろう。シャンマオさんが四罪を抜けてから、危覧様の色はかすみ始めた。そろそろ寿命が近づいてきたのもあるだろうが、ご自分の娘の気に病んでおられることは白眼をもつ者であれば周知の事実だ。

 その娘のクローンが何体も周辺をうろついているのだ。


「一応、危覧様にもお伝えしておこう」


女は再び通信機を手にとって、回線を切り替える。


「こちら、監視C地点です。危覧様、雑種が一人こちらに向かっております」


 応答はなかった。

 すでに、ご就寝されたのかもしれない。寿命が近いと言われているお人だ。それなのに、重要作戦だと言われてこのような辺境まで呼び寄せられたのだ、それがお体に触った可能性もある。


 馬にまたがった雑種は随分と近くまできていた。

 この距離なら顔を見ることが出来る。彼女の顔を覆った布の隙間から、雑種に特有の片目だけの白眼が闇夜に浮かび上がった。純粋な三苗型であれば両目とも白眼になる。

 馬は村の中へと入っていく。

 土を踏みつぶして出来た道にはいると、その雑種は馬の足を緩めて左右を見回した。石を重ねてつくった家の、窓とも言えない小さな隙間穴から光がこぼれて、彼女の白い片目で反射した。

 夜とはいえ、村は無人のごとくひっそりとしている。

 村の者も難儀に思っているだろう。

 チベットの民と四罪は共に中国政府を敵対して同盟関係にある。

 とはいえ、今は冬を迎えるために労働に精を注がねばならない時期なのだ。それなのに、こんな小さな村で何十人もの強化個体を逗留させなければならないのだ。

 特に戦闘型の個体は非力な一般個体を侮る傾向にあるし、単純にその異様な外見は恐ろしい。表立って暴力の色などは見えないが、巨人のような体躯をしたガンや、四つ足で駆ける驩兜ファンドウなどは見るだけで恐怖を感じるようだ。三苗の白眼だって薄気味悪く思われているかもしれない。

 いずれにせよ、村の者が忙しい時期であるはずなのにあまり外に出ようとせず、たまに姿を見せても警戒と恐怖の色をまき散らして、すぐに姿を消すのは事実だ。

 

 ふぅ、とため息をつく。


 羌莫煌らと危覧様が協力し、四罪の老人たちへのクーデターを成功させてもう10年以上が経った。これで虐げられていた強化個体が人並みに暮らすことのできる、とクーデターに参加した皆はそう思っていた。しかし、実際は羌莫煌の命令に従って東奔西走し、民を怯えさせ、多くの同胞が命を散らし、なおも戦い続けている。


 今、自分たちは一体どこに向かっているのだろう。


 視線を下に向けると、すぐ下の道まであの雑種が馬を進めてきていた。ぽくぽく、と揺られる拍子に馬の背に垂れるようにくくりつけられた体の手がぶらぶらと揺れている。

 死体だろうか。白髪の長身の男だ。

 ふと、彼女の片目だけの白眼と視線が合ってしまった。驚いた。本当にあのシャンマオさんの色までそっくりだった。


「止まれ」と制する声が足元の家からした。


 他の雑種が二人出てきて、彼女を迎えた。




「そこの雑種ザージャン、所属を述べよ」


 シャンマオはその問いかけを無視して馬から飛び降りた。

 ちらり、とその片目の白眼を迎えの二人に向けて、口元を歪めた。なるほど、若い頃の私にそっくりなのが二人もいる。

 不可思議なものだ。同じ顔の同じ服がこう並んでいると、不都合なことも多いだろうに。彼女たちはどうやって個々を識別しているのだろう? 片目の雑種には、両眼の三苗サンミャオとほどの可視化能力はない。色だけで個体識別するのは難しい。


「はやく、肩の記章を見せろ」

「……ああ」


 なるほど、まぁ、そんなところだろうな。

 シャンマオは顔面の覆いが外れないように、身長に上体に巻き被せていたポンチョを脱いで、襲撃者から押収した戦闘服を露わにした。肩にある縫い付けが記章だろう。そこには『紅五ホンウー』とある。


「やはり紅部隊の帰還者か」と、記章を見たクローンは顔をしかめた。「紅白作戦は失敗したのか?」


 さて、とシャンマオは腕を組んだ。

 このような一通りの応対については、すでにロクと打ち合わせて定めているものがある。


「数名が先に帰還したはずだ。あいつらはまだなのか?」


 質問に質問で返す。

 ロクが言うには、これは誤魔化すためには有効な手段らしい。


「いや、紅のイーアーはすでに帰還している。安心しろ、紅白ホンバイは無事だ」


 紅白? さて、何のことだろう。

 気にはなるが、聞いてボロを出すわけにはいくまい。予定通りの台本を続けるべきだろう。


「……そうか。上は見誤った。没色メイスェは噂以上だったよ」

「他の姉妹たちは?」

「全員、やられたさ。落ちのびたのは私だけだ」

「没色。それほどなのか」

「ああ」


 そう言い置きながら、シャンマオは後ろを振り返って馬の首を撫でた。

 長旅をひとしきり慰めてやると、その背にくくりつけておいた白髪の少年の前にかがみ込む。

 良い子だ。息を潜めて色を隠しきっている。頑張っているな。


「そいつは? 死んでるのか」

「いや、気絶しているだけだ」


 シャンマオは馬の背からロクを降ろして、自分の背にのせかえた。よく鍛えた男の体重が自分にまとわりついてくる。


「捕虜だ。とりあえず監禁したい。とりあえず入らせてくれ」


 そう言って、そのまま二人が出てきた家の中へと歩みを進めると、彼女たちは大人しく後ろからついてきた。

 家の中は手狭な正方形で、絨毯と寝袋でつくった即席のベッドが二つある。おそらく、この二人にあてがわれた寄宿舎なのだろう。真ん中には通信機と銃やらの装備が寄せ集められていた。


「借りるぞ」と言って、シャンマオは入り口近くのベッドに腰を下ろす。


 そのまま背負ったロクをゆっくりと横たわらせて、その頬をなでてやった。夜で外は真っ暗だったが室内は明るい。少年の美しい顔を久しぶりに見ることができた。


「この、男は?」

「六番だ」


 シャンマオは振り返らずに答えた。

 顔には覆いをしているとはいえ、明るい室内では見破られる可能性がある。化粧をして若作りするにも、このような軍事施設では不自然だろうし、若作りにも限界がある。


「六番とは……まさか」

「ああ、ニィと同じ奴でその六番さ。なりゆきで遭遇してな、捉えて連れてきた。上の指示を仰ぎたい」

「分かった。羌莫煌チャンムーファン様にご連絡を」


 こいつらの上は莫煌か、予想通りだな。

 後ろの二人が通信機のほうに向かう物音がしたとき、シャンマオはロクの頬を軽く叩いた。頬を撫でる時は『待て』、叩けば『行け』。それがこの少年とあらかじめ決めていた合図だった。


 少年は跳ね起きた。


 そのまま横を駆け抜けて、後ろの二人に躍りかかる。

 無色だった少年の体から漏れ出した悪意の色が、その躍動について来れずに尾を引いているように見えた。

 色の出現に驚いた二人が、後ろを振り向く。

 既に少年は踏み込んでいた。

 垂直に打ち上げた拳で右側のクローンの顎を跳ね上げ、露わになったそののどの側面を手刀で叩いた。

 迷走神経への打撃による反射性の意識断絶。随分と手際がよくなったものだ。

 少年はそのクローンが気絶し崩れ落ちるのを確認すらせず、もう一人と対峙した。


「あっ」とクローンは絶句しながらも、とっさに構えをとった。


 ひらり

 と、少年の前手が宙を踊る。

 誘い手か、とシャンマオは息をのんだ。あれは厄介だ。殺気をゆるめた置き手を泳がせて相手の攻撃を誘い出す罠。気配見る事ができる私たちには、あれが無為の牽制であると錯覚してしまう。

 目のまえで、ひらりひらり、と踊る前手に眉をひそめたクローンは、軸足に重心をためて鋭い前蹴りを放った。

 それは少年が初めてこの戦術を披露したときの私と同じ対処だった。

 殺意の薄い虚ろを打ち破るのは、十分に踏み込んだ痛烈な直撃。それは間違ってはいない。

 しかし、とシャンマオは薄く笑う。


 その少年、消えるぞ。


 クローンのくり出した前蹴りは、空気だけを破いた。

 彼女の目の前にはもはや何もなかった。それを横で観察していたシャンマオでさえも、ロクの姿を追うことは出来なかった。かろうじて色の残像だけがそこに残っている。

 クローンの首に腕が蛇のように、するり、と巻かれた。

 驚いたクローンが背後を振り向こうとするが、絡んだ腕がその首を締め上げていく。


「あ、……あっ」


 体を痙攣させて彼女も動かなくなった。

 気絶させただけか……。優しいことだが、数分後には覚醒する可能性がある。後で、私が殺しておこうか。


「見事だな」

「不意を打てたからな」

「いやいや、」


 不意打ちとはいえ、このクローンは弱くはない。十分に鍛錬されているし、身体能力は私の全盛期と同じだ。それを二人同時に相手して、なお色に余裕がある。


「潜入は成功、か?」

「いい演技だったぞ。周囲に警戒の色はない」

「ここまでは、計画どおりだな」


 少年は身にまとった布を解いて、身に巻き付けていたピンボールみたいな索敵デバイスを取り出して、それに何かを取り付け始めた。


「何だ、それ」と覗き込む。

「小型の気球だ」

「ほう。さては索敵デバイスを飛ばす気か?」

「ああ」


 と、少年はフックで取り付けた気球らしき布の部分を軽く引っ張って、接続を確認していた。闇夜に紛れさせるためなのだろう。気球の部分は真っ黒に塗装されている。


「そいつで上空から索敵して、例のドローンたちに転送するわけか」


 少年たちの科学力は凄まじいものがある。

 あの自律型のドローンたちだけじゃない。こんな小さな玉に無数の索敵機能が詰め込まれている。使い方によっては白眼よりも圧倒的な情報量を得ることができるだろう。


「それもあるが、これは合図みたいなものだ」

「どういうことだ」

「定高度からの索敵デバイス網の構築なら、わざわざ内部に潜入しなくても可能だからな。風向きを予測して、外部からデバイスを流せばいい。事実、それはもうやっている」

「じゃあ、なぜ」

「潜入した目的はあくまでも、屋内偵察による反骨の居場所特定だ。こいつを合図にニィたちが四足ドローンを侵入させる手はずになっている。その混乱をついて、僕たちはさらに内部に潜入し映像を随時転送していく。……まぁ、ドローン突入の直前に至近距離からの俯瞰ふかん映像が欲しい、というのもある」


 腕を組んで眉をひそめた。

 単独敵地潜入による索敵情報の先導的拡大とリアルタイム更新。確かにそれが出来れば圧倒的な戦術的優位をとれるだろう。しかし、それには卓越した個の力が必要だ。ましてや、ここは四罪の拠点。白眼が四方を警戒し強化個体が防衛している。

 そんな無茶を為せるのは、この世で一人。この少年の父親くらいだろう。


「内部にデバイスを設置さえすれば、実際の戦闘はドローンに任せたら良い。まずは、反骨たちの居場所だ」


 少年は気球をとりつけたデバイスを持って、腰をあげた。そのまま扉に向かっていきそうになるのを、あわてて手を引いて止める。


「待て、この家の屋上には三苗の監視がいたぞ」

「そうか。……色は消せると思うが」

「色がないくせに歩いたら余計に怪しまれる。それに三苗は両眼だ。知覚は私よりも鋭い。私と同じとは思うな」

「ふむ……」

「騒がれては厄介だ。私も手伝おう」


 少年は顎をつまんだ。


「……そうするか。では、こいつを頼む」


 少年は気球を差し出した。


 言われるがままにそれを受け取って、気球に繋がれたボールの接続部を確かめると、そこには手榴弾のような引きピンがあった。


「こいつを引き抜いて投げるのか?」

「ああ、後は圧縮空気が注入されて上昇をはじめる。ある程度の高度になれば気圧と均衡してそこで止まる。難しく考えなくていい」

「なるほど、私でもなんとかなりそうだ」

「一応、手順を共有しておこう」


 少年は扉を指し示す。


「お前はそこから外に出て、気配を確かめてそいつを空に上げろ」

「この屋上にいる三苗は? 投げるところを見られては、流石にばれる」

「同時に僕が裏口から背後に回って、取り押さえておく」

「……わかった。いくぞ」


 そう言って、少年を押しのけて扉を開く。

 中の灯りに目が慣れたせいか、外の闇がいっそう深く感じられた。寒い。ポンチョを脱いできたのは失敗だったかもしれない。まぁ、いい。すぐに終わるだろう。

 そのまま何気ない風を装って路地を歩きながら、横目で屋上の三苗を確認する。奴はこちらを見ていた。

 三苗である彼女たちは非力だ。戦闘力はないに等しい。

 少年は父親に似て優しすぎるところがあるが、一方で父親と同じように強すぎるわけではない。弱者である三苗型を相手にして、少年の優しさが失敗の原因にならないか、妙なところに不安を感じてしまう。

 適当にぶらりと歩いたところで、壁に背を預けて左右に視線を流す。あの屋上の三苗以外に色は見えない。

 さて、三苗は……、まだこちらを気にしているようだ。まぁ、当然だ。近くに人影は私しかいないのだから。

 その時、屋上の三苗の背後にごく薄いが色が現れた。悪意をひた隠しにした少年が忍びよっているのだろう。流石の少年でも、攻撃しようとすれば悪意が漏れてしまう。あのままでは気づかれてしまうだろう。

 こちらに注意を引くために、三苗に向かって大きく手を振って見せた。

 すると、彼女はこちらに身を乗り出す。

 その瞬間、背後に迫っていた少年の色が濃くなって、三苗の色を覆い尽くした。物音はほとんどない。悲鳴のたぐいも聞こえて来なかった。

 手際よし。褒めてやろう。


 シャンマオは満足げに頷くと、手にした気球のピンを引き抜くとそれを上空に放り投げた。

 闇夜に紛れたそれは、ぽん、と小さな音を立てて空に上昇していった。


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