[5-12] チベットにて

 バンガロールの最適化センター襲撃から、数日が経過していた。


 ここはバンガロールから北の中国との国境に差し掛かったあたりで、草原となだらかな丘が連なるチベット地域だった。

 その広大な草原は、秋を迎えて地面に広がる草は枯れを含んで全体的にくすんで見えた。

 遠くにはなだらかな山が連なっているのが見える。背の高い山のいくつかはその頭を白く染めている。空気を吸い込むと、枯れゆく草の匂いが張り詰めた冷気と一緒に鼻を刺激した。


「ニィ隊長、来たようです」

「ようやく、か」


 ニィは草原の地べたに寝転んで、雲のすくない空の青を見上げていたところだ。榊の呼び声を聞いて目を閉じて、耳を澄ませる。

 馬の蹄が跳ねる音が、遠くからこちらに近づいてくる。交互に重なる足音からそれが二体であることが分かる。


「ニィ、」と呼びかけられても、ニィは寝転んだままだ。

「シャンマオも連れてきたのか?」


 馬に乗ってきたロクに、ニィはいきなり質問をした。


「ああ」


 そうか、連れてきたのか。


「四罪の本拠地を突き止めた、と聞いた」とロクが馬から降りる。

「ああ、正確には羌莫煌チャンムーファンの居場所だ」

「シャンマオ、」とロクは後ろの馬にまたがる女の方を振り向いた。「ここ周辺には四罪の施設があるのか?」

「分からないな」


 シャンマオは馬の腹を軽く蹴って、前に出る。


「いくつは知っているが、全ては知らない。莫煌らの幹部たちは居場所を転々としていたし、特に莫煌の居場所は常に明かされなかった。それに、」


 シャンマオは上半身をひねって、広大な草原に目を細めた。


「チベットか……。このような国境地帯に隠れ家があることなど、聞いた事はない」

「だからこそ、」


 ニィはようやく上半身だけ起こした。


「身を隠すには最適な場所だ。……ここには、中国政府に反抗する勢力が多くいる。クーデター成功のあかつきにはチベット独立を保証する、なんて安い口約束で命を捨てるバカも多いだろう」

「根拠はなんだ?」

「二つほどある。一つは、親父にビビって逃げ出した山猫のクローンがいただろう」

「ここに逃げ込んだ、か」

「まぁ、な。相手は白眼もちだ。追跡は距離をおいての曖昧なものだったが、ここらに逃げ込んだのは間違いないな」


 ニィは立ち上がると、衣服にからみついた草を手で払った。そのまま親指を立てて、背後の雄大な山脈を指し示す。

 ロクがその方向に目を細めると、その中腹あたりに、ぽつん、と土色の素朴な建造物がまとまっているのが見えた。茶けた壁にくすんだ赤い屋根の民家が、山肌にしがみつくように点在している。


「あの村か?」


 ニィは黙って頷いた。


「ごく普通の村のように見えるが、」

「二つ目の理由は、あの村は反骨の危覧ウェイランから入手した四罪の施設リストの一つだということだ。そして、ここらにはあれ以外にない」

「危覧、だと」


 ロクはニィに向き直って眉をしかめた。


「四罪の幹部に通じていたのか」

「話せば長くなるし、話すつもりもない。ロク、お前はシャンマオを連れて危覧を助けにいくがいい」

「どういうことだ?」

「危覧からの連絡が途絶えた。バンガロールの最適化センター襲撃から程なくしてな。おそらく内通がばれたのだろう。あの襲撃情報だって、危覧のリークだった」

「……」

「強要はしない。決めるのはお前だ。俺は……羌莫煌を殺しにいく」


 ニィは手をあげて、榊に合図を送るとその場を立ち去ろうと歩き始めた。それが数歩だけ進んだところで、「ニィ!」とロクがそれを呼び止める。


「なんだ」

「その戦力でやるつもりか?」


 ニィが使えるのは連れてきた元鬼子部隊のメンバーだけだ。精鋭中の精鋭ではあることは認めるが、人数は明らかに不足している。


「いつだって、劣勢だったさ。それに、相手も大した数ではないだろうよ。あの村の規模では限界もある」

「それでも、三苗型の監視網に、戦闘型の強化個体もいるだろう。逃げ込んだクローンもだ」

「……そうだな」


 ニィは、首だけで振り返ってロクを見る。


「親父は?」

「日本に帰った。ナナと一緒にだ」

「そうか。もし、親父がここにいればいくらでもやりようがあったが……。まぁ、それは甘えすぎだな。これは俺たちの戦いだ」

「ニィ、」

「勝率が低いのは」と、ニィはロクを遮った。「お前に言われなくても分かっている。しかし、俺たちの戦いに、分の良いものはなかった。これは千載一遇のチャンスだ。あいつを殺せるのは、今しかない」


 ニィのその断言は力強かった。

 それを目を閉じて反芻する。その中で、一瞬だけ聞こえてきたニィらしからぬ弱音、いや、ニィらしい弱音なのかもしれない。それが脳裏にこびりついていた。

 こいつは、まず初めに「親父は?」と聞いたのだ。


「どうしても、やるつもりなんだな」

「当たり前だ」

「だったら、渡すものがある」


 ロクは自分の携帯端末を取り出して口元にあてる。

 状況から判断するに、これが最も合理的な判断なのだろう。ここには、父さんがいないのは自分の判断だ。僕がナナをつれて日本に帰るように父さんを説得した。

 しかし、ニィは止まるつもりもない。事実、このようなチャンスは二度とあるまい。


「こちら、ロクだ。ここにあれを配備しろ。今、すぐにだ」


 ニィの目が細まって、怪訝けげんな顔色をつくる。


「同時に指揮権の移行だ。ドローン部隊の全指揮権を僕からニィへ移管する。繰り返す。全指揮権をニィへ。コードネームは、そうだな、『放蕩』がいいだろう」


 通信を終えたロクが、手にした通信端末をニィにむかって放り投げた。

 それは青々とした大草原の空で、くるり、と回って太陽の光をはじいて飛んでいく。

 ニィの手がそれをつかみ取る。


「……どういうことだ」

「お前なら、使いこなせるだろう」


 草原の向こうから何かが押し寄せてくる。

 四方から小さな影が出現して、この場所を目がけて異常な速さだった。……四つ足の獣だ。遠目でそれを見分けた瞬間に、ニィはすべてを理解した。


「いいのか」

「オートキリングを戦術運用できる指揮官はまだ少ない。僕には他にやることも出来た」

「……危覧のところに行くのか」

「それだけが目的じゃない」


 すでに、辺りには数匹の四つ足ドローンが集まりはじめていた。

 ニィはそちらに視線を流して、つぶやいた。


「なんだ、ちゃんと頭があるじゃないか」


 先日の実戦テストで相手にした時とは違い、ドローンの胴体は水平の板ではなかった。本物の犬のような頭をもち、全身も毛で覆われている。


「擬態用のギミックだ」とロクは言って、近くに寄ってきたドローンの頭を掴むとそれを上に引き上げた。

 すると、頭部と一緒に毛皮がめくれて機械と人工筋肉によって作られたドローンの体躯が姿を現した。その真っ平らな胴体の腕には、アタッシュケースが二つ据え置かれていた。


「あの村には民間人がいるだろう」とロクはケースを掴む。

「当然。協力的な民間人に紛れ込むのはテロリズムの基本戦術だ」

「ドローンで市街戦を行う場合、戦闘員と民間人の識別が最大の課題になる。オートキリングは皆殺しは出来ても、殺すべき相手の選択にはまだ課題が多い」

「人間だって、変わらん。人道的な殺人行為という矛盾は常に達成困難で、狂気に駆られて虐殺に走る」

「……そうか」


 ロクは取り上げた一つのアタッシュケースをシャンマオに渡して、もう一つを自分の足元に置いて開いた。そこには、ナイフや拳銃などの武器類とピンボールくらいの球型の索敵デバイスが大量に並んでいた。


「ドローンには、相手が武装しているかの映像識別機能が搭載されているが、絶対的な精度でもない。子どもがオモチャの銃を持っていた、という誤射事例もある」


 ニィはロクがつまみ上げた球型のデバイスを見て、目を細めた。

 そのデバイスはGOAの諜報班がよく使用するもので、360度カメラに赤外線などのセンサー類を集積したものだった。


「それで?」

「よって、オートキリングによる市街地戦では、内部の状況をセンサー類であらかじめ把握した上で、敵性のある殺害対象を遠隔から目視設定することが好ましい。加えて、あらかじめ索敵センサーを配置しておくことで、戦術効率は飛躍的に向上する。ここまで持ち込めたドローンの数にも限りがあるしな」


 ロクはケースからホルスター付きのポーチを取り出すと、それを体に巻き始めた。複製させた小太刀は腰裏に、ナイフ類は脇下に差し込んで、全身のあらゆる収納口に球型の索敵デバイスを取り付け始めた。


「……らしくないな。逆だろう」とニィが口をゆがめる。「そういうのは、俺のほうが適任だ。引きこもりが慣れないことはよせ」

「シャンマオが言うには、お前の色は特徴的らしいな」


 ゆえに、白眼で周辺警戒されているあの村にニィが近づいた瞬間にばれてしまうだろう。

 ロクは、シャンマオのほうに視線をやった。

 彼女もすでに準備を終えている。武器類を全身にとりつけて、頭を多い隠すように布を巻き付けていた。その服装を見て、ニィは始めて気がついた。


「なるほど、クローン兵に変装するのか」

「父さんが倒したクローンの戦闘服を拝借してきた。もともと、オリジナルは彼女だ」

「しかし、お前はどうやって白眼の監視網を突破する」

「僕は、」と、ロクは深呼吸をした。「ある程度なら色を消せる」

「ほう」


 ニィの口が歪むのを、ロクはにらみつけた。


「疑うな。……父さんのように、とは言ってない。戦闘中に色を消すのは出来ないが、潜入ならなんとかなる」

「ニィ、」とシャンマオの声が割って入る。「私が保証するよ、ロクなら出来るさ」

「……なるほど、ね」


 ニィは両腕を組んで片目を閉じる。「親父と比べたら、不安でしかたないが」と、ため息をついてロクから渡された端末に視線を落とす。

 それを何気なく起動すると、指揮に必要な通信や戦況確認のための各種モジュールらしきものが一通りそろっていた。


「まぁ、やれなくはないだろうよ」


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