[5-10] 襲撃者

 ニィは片手を上げ、指で左右を指し示してから握り拳をつくった。


 すると、彼の背後にいた数名が無言で散開していく。

 その前方のはるか遠くには四罪の強化個体が身を潜めているのがかろうじて見える。この距離だ、流石に背後にせまるニィたちには気がついていない。


 強行偵察は小さな部隊で戦闘を仕掛けて相手の戦力を探る戦術で、ニィはこれを好んで用いた。

 彼の場合は、偵察の範囲を超えてこれを運用することが多い。奇襲的に仕掛けて、相手を混乱させ、そこを広げるように攻撃を加えて布陣を崩す。その直後に、本隊が火力を整えて敵を圧倒する。

 この強行偵察を担当する部隊を彼は自らが率いた。それは、獣が急所であるはずの頭を晒して、最大の攻撃手段である牙で相手を噛み殺すのと同じなのかもしれない。


 戦況の判断起点である指揮官が常に最大のリスクポイントに身をさらし、リアルな情報を大量にあび続けて瞬時に判断すべし。


 ニィのその姿勢はロクの戦略的視点と背反することが多い。それは二人の性格の違いによるものでもあるが、任されてきた責任の質の違いによるものでもあるだろう。


 ニィは、自分の部下たちの命をその責任としてきた。

 ロクは、日本国という概念に責任を問われ続けてきた。


 一方は顔の見える人間に対して、もう一方は巨大で抽象化された集団に対して、そこには大きな違いがある。似た遺伝子を持つはずの二人の思考の差異は、問われ続けてきた責任の質的な違いによるものだ。


「準備、整いました」


 背後から榊の声がした。

 数名からなる分隊規模の強行偵察の場合、榊はニィの背後に位置して直接援護する事が多い。


「相手は一人、か」

「すでに敵はセンターの包囲を完了しつつあります。おそらく、数分後には侵入を開始するかと」

「つまり、やぶをつつくには絶好のタイミングだな」


 さて、とニィが背に隠したサブマシンガンに手をかけた。

 その瞬間。

 はるか遠くにいた敵がニィのほうを振り向く気配がする。


 ——気づかれた!? 馬鹿な、この距離だぞ。


「榊、逃げるぞ」

「総員待避、ポイントE0まで」

「「了解」」


 耳にねじ込んだ通信イヤホンの応答を聞き流しながら、ニィは前を睨みつける。

 咄嗟に撤退を判断してしまった。

 嫌な感じがするのだ。なぜ、この距離で気がついた?

 奇襲に失敗したから撤退する。と言うのは後付けの理由でしかない。なぜ、やつらは三苗型もいないのに、こちらの奇襲ポイントに気がついた? 三苗型をさらに外周に配置しているのか?

 不可解だ。仕掛けるべきではない。


 前方の敵がニィたちに向かって走り出す。


 速い。しかし、正面から突撃だと。ふざけているのか?

 ニィは抜きざまのサブマシンガンの照準を引き寄せるなり、相手に向かって引き金を引いた。

 その銃口から火がふく直前で、敵は横っ飛びになって銃撃をかわす。

 まるで、撃つ瞬間をあらかじめ知っていたかのような挙動。


 ——チッ、そういうことかよ。


 ニィは、胸元の通信端末を指で叩いてオンラインにし、ピンマイクを襟元によせる。片手で、サブマシンガンを撃ちばらまきながら、声を張り上げた。


「おい! 引きこもり!」


 撃ちつくしたサブマシンガンを地面に投げ捨てて、腰から拳銃を引き抜く。

 敵は榊たちの援護射撃を避けながら、単身でこちらに迫ってくる。

 顔は覆われているが目抜きから見える瞳は片目だけ白い。体格はガン型にしては小柄で細身だが、もしあれが女型なら納得だ。しかも、遠距離からでも銃撃を察知して銃弾すら避けてみせる。こんなやつには覚えがある。数年前の脱出戦で何度も煮え湯を飲まされた。

 くそっ、これだけ揃えばもう確定だ。


「敵の個体はシャンマオと同じハイブリッドだ」

「放蕩、どういうッ」


 ロクの返答が終える前に、目前まで迫った敵が飛びついてきた。


「ちぃ」と奥歯を食いしばって、ニィは前に出た。

 敵の跳び蹴りを、脇を引き締めて肩の裏側で受け止める。

 ほぼ同時に、至近距離で拳銃を放つ。が、すでに身をひねっていた敵にかわされた。

 ちくしょうが、銃の重さで反応が遅れる。

 銃を放して、両手で構えをとる。

 左右から連撃が、ちらつく。

 咄嗟にニィは左を躱して、右の打撃は受けた。

 受け手の骨がきしむ。女のくせに、体重がのってやがる。


「ニィ隊長!」

「榊は、出てくるな!」


 ニィは受け止めた敵の腕を掴んだ。

 もう、あの時の自分じゃないんだ。榊の腕を犠牲にして、何とか生き延びた自分とは断じて違う。

 敵を掴んで固定した至近距離。色が見えたとしても、この距離なら。

 相手が膝蹴りを繰り出す。

 それを空いた腕の肘で打ち落として、その拳をそのまま相手の腹部に添えた。


 ——これなら、見えていても


「よけられねぇだろ!」


 後ろ足を前に寄せ、その重心移動を敵に添えた拳に爆発させる。

 寸勁。

 腕を掴まれ体を固定された敵はこの威力を逃す術はない。色が見えていようが、すでに当たっている拳をかわすことなど不可能だ。

 直撃を受けた敵は、その衝撃で頭を前後に激しく振った。やがて、そのままガクン、とうなだれて動かなくなる。

 ニィはその体を地面に転がして、顔を覆っていた布をひきはがした。露わになった女の顔を覗き込んで「やはりか」と、こぼす。

 彼は、肩口にとめたピンマイクを口元に引き寄せた。


「おい、引きこもり……」

「何があった?」

「相手の正体が分かったぞ」


 ニィが足元に転がしたその女の顔はまだ十代の幼さが残っている。しかし、それはニィのよく知っている顔と同じ造形をしていた。


「シャンマオの、クローンだ」



 ◇


 ニィからのシャンマオのクローンと交戦した、という報告は最適化センターのモニタールームに響き渡った。


 別室にいた布津野とナナも移動して、そこに詰めていた。

 ニィの報告を聞いて「……そうか」とロクは応答した。そのまま、腕を組んで目を閉じると、小さく唸り声を漏らした。


「私のクローンか、」とシャンマオは薄く笑って、モニタを覗き込む。「莫煌ムーファンはそんなものまで確保していたのか」


 モニタの上では、センターを包囲していたクローン達が一斉に施設に侵入を開始する様子が見えた。ニィの襲撃につつかれた形で決行をはやめたのだろう。到着次第の侵入になっているため、まだ施設内には数名がバラバラと入り込んでいる。

 シャンマオはその襲撃者の様子を見て、腕を組んだ。


「体格はすでに成長期は過ぎているな。動きにも十分な鍛錬が窺える。……おそらく、老人たちの遺物だろうよ」


 シャンマオは、ロクの肩に手をおいて顔を寄せた。


「問題ない。私のクローンではお前の機械兵器は止められんよ」

「……」

「施設内の配備はすでに終えているのだろ? 後は起動するだけだ。ものの数分で全滅だ」


 ロクは横目を細めてシャンマオを見た。

 ゆっくりと自分の携帯端末を取り直した。パスワードを入力して、起動コマンドの入力コンソールを立ち上げる。

 そのコンソールに「>auto-killing」と入力して、ピタリ、と指を止めた。そのまま、コマンドの文字列を眺めたまま、ゆっくりと深呼吸をした。

 妙な寒気がする、とロクは不思議に思った。

 我ながら、馬鹿馬鹿しい。あれはシャンマオじゃない。あれは同じ遺伝子を持った、完全に別の個体だ。


「どうした」とシャンマオが問いかけてくる。

「……いいのか?」

「何がだ?」

「あれは、お前のクローンだ」

「一体、何を言っている?」


 二人のやり取りは中国語で行われていた。

 やり取りの内容を理解できない布津野は横で何かあったのかと不思議に思った。喧嘩しているように見えたからだ。ニィ君の報告は聞いている。シャンマオさんのクローンがいたらしい。それが何か関係しているのだろうか?

 二人の喧嘩は、徐々にヒートアップしはじめた。


「どうした? さっさとやれ」

「まて、今、考えている。これは、……罠、かもしれないだろ」

「はぁ、分からんな。らしくないぞ。あれは恐らく莫煌の奥の手だ。ここで十分に殺しておけば、奴の戦術を制限することもできる」

「それは、そうだが」


 二人の頭上に並んだモニタには、施設に侵入したシャンマオのクローンたちの姿が増え始めていた。足音を忍ばせて廊下を駆け抜けていく。


「時間がないぞ、もう随分と中に入られた。各個撃破は戦術の基本だろう。ニィの誘導が無駄になるぞ」

「分かっている……。奴らの目的くらいは確認したい」

「本気で言ってるのか? 最適化センターの隠密侵入をしている時点で、目的は受精配合施設の可能性が高い、とお前が言ったぞ」

「それを、確かめるんだ」

「もう確定だろ。奴らは明らかに施設の地下へと向かっている」


 布津野はその様子を見ていられなくなってきた。

 せっかく結婚を前提にしたお付き合いを報告してもらったばかりだというのに、もう喧嘩している。しかも中国語だ。二人きりの時は中国語を使うんだね。


「ねぇ、ナナ」と布津野はたまらず横に目をむけた。


 そこには、満面の笑みを浮かべて二人の喧嘩を眺めているナナがいた。


「ん、なぁに?」

「二人は何を喧嘩しているのか、分かる?」

「ん、大体はね。ヤエちゃんみたいに中国語は得意じゃないけど、色で大体は分かるかな」


 ナナはうっとりと目を細めた。


「ロクはね、殺したくないの」

「ん?」

「シャンマオさんのクローン、だからボタンを押したくない」

「……」

「でも、シャンマオさんにはそれがちょっと分からない」

「なるほど、ね」


 ——つまり、完全な痴話喧嘩じゃないか!


 布津野の頬がゆるむ。

 そうか、そうか。ロクはもう、めろめろなんだなぁ。


「ねぇ、ナナ」

「なに?」

「ちょっと、二人の喧嘩をとめてみたい」

「お、いいねぇ〜」とナナは親指を立ててみせた。


 布津野は立ち上がって、「ロク」と声をかけてみた。

 シャンマオに追い込まれていたロクは、さっと布津野に視線を逃がした。シャンマオも、布津野が声をかけてきた瞬間に口を閉じて大人しく引き下がる。

 本当にいい娘さんだよ。僕が出てきたらすぐにかしこまってしまう。


「なんですか、父さん」

「シャンマオさんに、ちゃんと言ったほうがいいよ」


 布津野はゆっくりとロクに語りかけた。それは、完全には日本語に慣れていないシャンマオへの配慮もあった。


「……何をですか」

「結婚を前提に付き合っているんでしょ?」

「はぁ!? おい、ナナだな」

「違うよ〜。ロクがバレバレだっただけだよ〜」

「ナナ!」


 布津野は、ナナを追いかけようとしたロクの肩を両手で掴んで正面を向かせる。

 本当に大きくなった。とってもイケメン。しかも、立派なお嫁さんまでつれてきて、本当に誇らしい。


「だから、ちゃんと言いなさい。じゃないと、シャンマオさんが困ってしまうだろ」

「……なにをですか」

「女の人には、ちゃんと言わないと伝わらないこともあるんだ」

「父さんがそれを言いますか」

「何度だって言うさ」と布津野はそこで声をひそめた。「僕だって、冴子さんにいつも言っているよ。愛してるって」

「……なんなんですか、それ」

「好きなんだろ?」


 ロクは、ぐっ、と言葉につまって、シャンマオのほうをチラリと見た。

 事の経緯を十分に把握しきれていないシャンマオは、少しだけ首を傾げて表情をしかめていた。ロクはため息を吐きながら、頭を左右に振る。なんなんだ。ナナは余計な事ばかり告げ口するし、父さんはいつも勘違いばかり。

 それに……、彼女もかなりの鈍感だ。


「シャンマオ、」と、彼女を正面からみる。


 胸のモヤモヤを深呼吸で飲み込む。


「クローンとはいえ、お前を殺したくない。……なんか嫌だ」


 そう言い切ると、シャンマオの表情がくずれた。

 広がって、もどって、下に垂れて、曖昧な形になっていく。こういう、予期しがたい彼女の曖昧な反応を楽しんでいる自分に気がついたのは、確か、稽古で始めて彼女に勝てた時だったような気がする。


「でも、お前の言うとおりだよ。あそこには、数万以上の新生児がいる。それに、あれはお前じゃない」


 あのクローンは、今のお前みたいな面白い反応はしないだろう。

 携帯端末の起動コマンドをみる。後は実行キーを押すだけだ。もう、十分に内部に引き込んでいる。恐らく一瞬で終わるだろう。襲撃者が殺されて、数万人の新生児は何事もなく明日を迎える。それだけだ。

 後は、本当に、このキーを押すだけ。

 ロクの指が動いて、端末のキーを押そうとした瞬間。


 ひょい、と端末が布津野に取り上げられてしまった。


「……父さん?」

「人数はたしか、10人くらいだっけ? シャンマオさんのクローンさん」

「返してください」

「ロクは、ここでナナとシャンマオさんをお願い。僕はちょっと行ってくるよ」

「父さん!」


 布津野は背を向けて、取り上げた端末を横に立っていたシャンマオに押しつけた。そのまま、ドアノブに手をかけて扉を開く。


「大丈夫だよ。ロク」


 顔だけ振り向いて、布津野はおだやかに微笑んだ。


「殺さないから」


 扉が閉じて、布津野の姿を隠した。


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