[5-09] 本当にダメダメだよね

 その深夜。


 まるで黒いネズミが這い回るように、人気のなくなった街を移動する影が最適化センターの周囲に集まっていた。

 最適化センターの敷地は広いがそれほど高くない建物だ。

 最適化の悪いイメージを払拭するために、外からも内部の様子が良く見えるように全面がガラス張りの設計になっている。実のところ、施術に関わるような施設は地下にあるため、地上部の露出は大した意味がない。

 このような構造は、襲撃する側にとっては非常に都合がよい。

 突入する前に施設内の状況が見て取れるために、状況判断がしやすいのだ。襲撃者である影たちは、施設内がよく見える位置まで近づくとそこで待機して状況をうかがっていた。

 そんな襲撃者の様子を、モニタ越しに確認していたロクはため息をついていた。


「周辺警備を委託していたインド警察は、全員やられたみたいだな」


 地下にあるモニタルームだ、施設のあらゆる監視映像を集約している。

 ロクのため息に、シャンマオが答える。


「ここの警察は戦意が低い。あれでは烏合の衆だ」


 シャンマオの断言をロクは横目で流した。

 インドの社会インフラには一長一短がある。世界的に見て品質の高い日本の警察に比べて、インドの警察機能は質が低いといえるだろう。しかし、現地に最適化センターを誘致するにあたって、インド政府の警察組織を無視するわけにもいかないのだ。

 その時、胸元の携帯端末が振動した。

 呼び出しを確認すると、すぐに耳によせる。奇妙なものだと思う。まさか、ニィとこれほど頻繁に連携をとることになるとは。


「よう、引きこもり」

「なんだ、放蕩」


 『引きこもり』と『放蕩』は自然と出来上がった互いのコードネームだ。いつの間にか、通信ではもっぱらこの呼称を使うことになってしまった。


「監視映像を見ているか?」

「ああ」


 最適化センターの周辺に張り巡らされた監視映像網は、榊たちによって構築されたものだ。

 ニィはこの作戦に十数名ほどの孤児院の生徒を連れてきた。

 元鬼子部隊である彼らも、日本の平和になじんできてそれぞれの将来に歩み出している。その中でも、あえて軍属になることを望んでニィの直属になった精鋭たちだ。

 彼らは今、最適化センターの外に待機して周辺警戒を担当している。


「おかしいと思わないか? 引きこもり」

「どこがだ?」

「どこだと思う?」


 こういった通常の作戦では絶対にあり得ない冗長な通信を、ニィは好んで使う。


「テロにしては静か過ぎるな」

「それもあるな。インドの警察も情けないことだ。この寝静まる闇夜に発砲音ひとつも上げられずに制圧されてしまった」

「もとからアテにはしていない。そのためにオートキリングを展開したんだ。なまじ、地上で騒がれても不都合だしな」

「妙なのはそこだ。目的がテロリズムだとしたらドンパチやってるだろう。目立たなければテロじゃない。そもそも、人目のない深夜に仕掛けてくるのがおかしい」

「つまり、やつらの狙いは内部侵入だ。おそらく、最適化の施術ルームが目的だな」


 ロクにはすでに相手の目的が見えはじめていた。

 相手はすでにニィと父さんがこの現場に来ていることを知っている。それなのに、この強襲作戦を予定通りに強行しようとしている。

 よほどの重大な目的があるのか、現状の戦力で十分な勝算があるのか……。いずれにせよ単なる世論扇動のための破壊工作ではない。

 加えて、わざわざ困難な隠密潜入を試みようとしている。で、あれば目的は施設の奥底だろう。だとすれば、最適化希望者の遺伝子を保管し、その複合生殖を管理している配合施設と考えるのが合理的だ。


「……数は10体程度か。少ないが、強化個体のはずだ」


 ロクの耳元で、独り言のようなニィの呟きがきこえる。


「しかし、型がわからない。ガン型にしてはやや小柄で細身だが、少なくとも驩兜ファンドウではないな。……妙だな」

「なにか気づいたか?」

「三苗型が見当たらない。この手の作戦には索敵として分隊に配属されるのが常だが……そもそも、分隊編成なしの単独行動が多い。多すぎるな」


 確かにそれは妙なのかもしれない。

 こういった内容の任務であれば、四罪としては三苗を同伴した数名単位での分隊編成がセオリーだろう。隠密潜入に三苗の目は必要不可欠だ。それを敢えて外してきている。


「……ふむ、こちらから仕掛けてみるべきだな」

「おい、ニィ」


 ロクは携帯に向かって思わず叫んだ。


「勝手な行動は、」

「敵は東側の配備を厚くしているが、反対側の西の密度が薄い。おそらく、襲撃後の退路を東に確保しているのだろう。それを待ってやる必要はない。戦場では主導権を奪い合うものだ」

「ニィ、やめろ」

「おい、榊。手薄の西側からちょっかいをかける。強行偵察だ」

「「了解」」


 榊たちの唱和を最後に、プツリ、と通信が切れる。

 ロクは唸り声を噛み殺し切れずに端末を握りしめた。モニタに映している俯瞰の周辺地図をみる。

 さっ、と確認すれば、確かにニィの言うとおりだった。西側の包囲が薄く、東側に配備が偏っている。東は都心から離れていくので、退路をそちらに確保しているというニィの読みは合理的だ。こちらから仕掛けて状況を動かすという判断も間違ってはいない。

 しかし、どうにも命令なしに勝手に動かれるのには慣れてはいない。


「苦労しているみたいだな」

「父さんは……ナナと一緒だったな」


 一瞬、ニィの援護に父さんに行ってもらう事を考えるが、すぐに考えを改めた。ナナの安全確保は常に最優先だ。ここで二人を離すわけにはいかない。


「ああ、隣の部屋で一緒だ」

「……お前ならどう思う?」

「何がだ」

「相手は三苗型を随伴していないようだ」

「確かに、それは妙だ。三苗型は常に前線で偵察に使われる。四罪の部隊戦術はそれを基軸にしたものばかりだ」


 シャンマオもモニタに向かって目を細めた。


「それに、単独行動が多いな。……あの莫煌ムーファンの考えることは私には分からんよ」

「敵の出方を待っていては後手に回る、その可能性は否定は出来ないか」


 ロクはモニタの地図の西側を睨む。


「……父さんとナナを、ここに呼んできてくれないか?」

「ああ、それが良かろう」

「西側をニィに刺激された敵の行動は予測しがたい。ここに一気に突入してくる可能性もある。万が一に備えたい」

「分かった。呼んでこよう」


 シャンマオはわずかに微笑んで、モニタールームの外に出た。



 ◇


「ねぇ、お父さん、知ってる?」

「多分知らないよ。何だい」


 上目遣いのナナが何やらもったいぶっているのを感じて、布津野は小太刀の手入れを早めに切り上げることにした。


「ふふーん。でも、もしかしたら気づいているかも」

「さて、どうかな」


 刀身に塗った油を布で軽く拭き取って、柄にはめて目釘で固定する。

 どうやら今は敵が周りを囲んでいるらしい。もしかしたら、この刀を使うことになるかも知れない。五百万円もするらしいから、あんまり汚したくないのだけど……。

 最後にカチリと鞘に納めた。


「実はね〜、なんとね〜」

「さて、何かな」


 この小太刀の刃渡りは短いので、斜めに差し込めば運足の邪魔にはならない。

 鞘を掴んでまま、腰裏のベルトを探る。まっ、ここら辺に入れておけば何とかなるでしょ。


「パンパカパーン! ロクに彼女ができたみたいです」

「ほぅ……。うほぅ! マジですか!」

「マジです!」

「やった!!」


 思わずガッツポーズを決めたら、ガシャ、と音をたてて小太刀が床に投げ出されてしまった。

 ああっ! 五百万円が! でも、嬉しい!


「誰? 誰ですか? カナちゃんって人?」


 カナちゃんとは、かつてロクにラブレターあげたらしい人だ。

 ナナから詳しく聞き出したから、実際に会った事はないけれどよく知っている。気立ての良い美人のお姉さんタイプだ。多分、きっと。


「ううん、それはナナ的にもとても残念なことなんだけどね。カナちゃんじゃないんだ」

「そっか……、残念だね」


 しゅん、と落ち込むナナを見て、布津野も一緒になって落ち込んだ。

 実のところ布津野の気持ち的には、すでに七割方はカナちゃんがロクの彼女になるのだと準備していたのだ。彼女の想いが実らなかったのは、まるで自分のことのように悲しかった。

 カナちゃん、あんなに良い娘なのに……。会った事ないけど。


「それで誰?」


 布津野は気を取りなおして、ナナに迫った。


「誰だと思う?」

「ということは、僕が知ってる人だね」

「うん。鋭い」


 ……ほう。

 ほうほう、知ってる人か〜。えっ、知ってる人!? あんまり、いないよ。


「え、もしかして……榊さんなの!?」


 あちゃー、そっちがくっついちゃったの? 

 実際それってどうなんだろう。ニィ君的にはどうなの。ドキドキするけど、それ以上にハラハラでお腹がキリキリなんだけど。

 ところが、ナナが失望したように顔をげんなりとさせた。


「え〜、全然ちがうよ」

「あっ、違うんだ」ほっ、胸をなで下ろす。「え、じゃあ誰だろ。知ってる人だよね」

「まったく、お父さんは……。ヤエちゃんのはずないじゃん」

「ちなみになんだけど、榊さんはやっぱりニィ君と?」

「おっと」


 ナナは両手を突き出して、頭を左右に振る。


「そこはデリケートだから、お父さんは触っちゃダメです。絶対にダメ」

「えぇ、どうして。そっちも気になるんだけど、すごく」

「あれには時間が必要だから、じっくりとナナが仕込んでいるんだから、邪魔したら本気で怒るよ」

「そうなの?」

「恋愛はいつくしんで育むものなのです。……お父さんが出てくると、ニィが誤魔化して逃げちゃうからダメ」


 どゆこと? と納得はいかないが、ナナの表情は真剣そのものだ。これに食い下がる気にはなれない。


「でっ、誰だと思う? ロクの彼女」

「え〜、他の孤児院の子じゃ……」ちらりとナナの反応を窺うと、呆れた顔をしていた。「無さそうだね」

「お父さんって、本当にお父さんだよね」

「ひどいな〜」


 布津野はナナを拝んで、頭を下げることにした。


「降参です。そろそろ教えてください」

「もう、だったら驚くよ。準備はいい?」

「はい!」


 ナナが腕組みをして、じとり、とこちらに視線をむける。


「……シャンマオさんだよ」

「シャンマオ、さん?」


 誰だっけ?


「……もしかして、」とナナの目が細くなった。「お父さん、忘れてるでしょ。シャンマオさん。片目が白い、背の高い人」

「あっ」と布津野は手を叩く。「あー、はいはい。あの人ね」


 やべぇ、その人って僕が昔に殺しかけた人じゃないですか……。確か、横隔膜を突き上げて心肺停止まで追い込んだはずだ。

 ……えっ、あの人なの? そんなフラグありました!? お父さんセンサーには何も反応なかったんですけどぉ!


「いやね。それが、かなり深い仲らしいんですよ。お父さん」

「ほう」


 思い返してみれば、ロクがシャンマオさんからも稽古をつけてもらっているのは聞いた気がする。なるほど、最近のロクがめきめきと実力をつけてきたのには、そういう裏があったのだ。

 いいね。若いっていいね。愛を知って、強くなるってやつだよ。うん、よく知らんけど。多分、愛は強いよ。少なくとも弱くはない。


「それでね。あくまでぇ、噂なんだけどね〜。二人は夜な夜な、ね。稽古と称して、いたしているみたいなんですよ」


 ほほぅ。

 ロクは稽古熱心だからな〜。それに付き合ってあげているのなら、シャンマオさんも大変だろう。今度、見かけたらちゃんと御礼を言わないと。……彼女、あんまり僕の前に姿を見せないけど。


 ちょうどその時、トントン、とノックの音が響いた。


「ロクは大人の階段をね、」と言いかけたナナをとりあえず置いて、扉に近寄って開けた。そこには、シャンマオが立っていた。


「あっ、シャンマオさん」

「……あの、おひさし、です。あ〜、布津野、さん」


 シャンマオさんの日本語はカタコトだ。

 なんと、さっそくのチャンス到来だ。

 ロクの稽古相手をしてくれていることも御礼を申しあげなければッ! 後、昔に殺しかけてしまった事も謝らなければ。


「ロクと仲良くしていただいてるみたいですね。ナナから聞きました。最近は夜遅くまで」

「えっ、夜、ですか? ……ええ。こちら、こそ、です」


 シャンマオさんの顔がなぜか真っ赤になる。

 ん、なんか反応がぎこちない。


「ロクは熱心だし、あれで結構、気性が激しいところがありますから、あいつの相手をするのは大変でしょう」

「え、ええ……。そうですね。こんな女で、どこがいいのか、分からない、ですけど」


 シャンマオさんは背が高くて筋肉質だ。女性とはいえ稽古相手に不足はないだろう。彼女はそんな立派な体を縮こませて、もじもじ、と何やら言いにくそうだ。

 日本語、難しいからね。しょうがないね。


「そんな事ないですよ。ロクも言ってましたよ。あなたは随分とお上手だって、色々と教えられるって」

「えっ……。あの、ロク、そんな事まで、教えますか?」

「はい」


 笑って頷き、安心させてあげる。

 だけど、逆効果だったらしい。シャンマオさんはますます顔を上気させて目をふせた。


「驚き、ました。とても、とても仲のよいお父さん、と、思いました。しかし、ロクはそんな事、も、教えるのですね」

「ええ、それだけ感謝してるのでしょう」

「そうですか……。そういうもの、なんですね」


 シャンマオさんは消え去らんばかりに小さくなってしまった。

 彼女は指を唇にあてて、声を震わせてこちらを見る。


「あの……、質問、いいです?」

「ええ、どうぞ」

「ロクは、私に、満足ですか?」

「え?」

「私、年齢、彼よりも多いし。普通よりも、大きいですし。女、みたくない、ですし……」

「はぁ、そんな事、まったく関係ないでしょう。少なくともロクは、気にしませんよ。そんな事を考える子じゃありません」


 それは断言できる。

 確かにロクは相手が強いほどに燃える子だ。シャンマオさんが女の人だからという理由で不満に感じるわけがない。彼女は十分に強いし、だからこそ、ロクは彼女を稽古相手に選んだのだ。


「そう、……ですか」


 シャンマオさんの頬がゆるんで、目元がとろけて笑顔になった。

 素直な娘じゃないか。ロクにはこんな年上の女性がちょうどいいのかもしれない。こんな素敵な人を殺してしまいそうになるなんて、ああ、なんて事だ。


「あっ、こちらも謝らないといけないことがあるんです」

「なんです」

「何年か前になりますが、そのぉ……。私は貴方にひどい事をしました」

「はぁ」


 シャンマオさんは頭を傾けて、不思議な顔をゆがめた。


「ほら、始めて会った時、私は貴方を倒してしまいました」


 ついでに、みぞおち腹パンで心肺機能も止めてしまいました。本当にごめんなさい。床に額を押しつけんばかりの勢いで、頭をさげる。


「いえ、あれは。戦い、でしたから、しょうがない、です」


 ……なんて優しい人なんだ。

 冴子さん、ロクは良い人を見つけたようです。なかなか出来ないことだよ。自分を殺しかけた人を許すなんてさ。


「シャンマオさん」

「はい」

「ロクをよろしくお願いします」

「はい! こちらこそ、よろしくお願いです。……お父さん」


 ん〜、息子の彼女にお父さんと呼ばれるとむず痒い。


「私、がんばります。こんな体だから、子どもはむずかしいかも。でも、がんばります」

「ええ、がんばっ」


 子ども! えっ、子ども?


「あ、忘れてた、です。ロクが、部屋に来てくれ、と言ってたです。ナナさんも一緒に。それでは、私は先に」


 何度も何度もお辞儀を繰り返しつつ、シャンマオさんは遠ざかっていく。


「ねぇ、ナナ」

「なに、お父さん」

「子どもって、言ってたよね? シャンマオさん」


 はぁ、とナナは深いため息をつく。


「ねぇ、ナナはね。お父さんのこと大好きだよ。世界で一番好き。……だから、これから言うことは、悪口じゃなくてね。何と言うか、単なる事実なんだけど」

「うん?」

「お父さんって、本当にダメダメだよね」

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