[5-08] バンガロール

 南アジアの最適化センターは、インドのバンガロールに建設されていた。

 バンガロールは巨大なビルが並び立ち、ハイテク企業が集まる世界有数の大都市でもある。標高が高いため、インドでも比較的涼しい地区で住みやすく、空港、鉄道、高速道路と交通の便も申し分ない。

 まさに南アジアの最適化拠点として最適な都市だった。


「ここバンガロールに最適化センターを建設することは、大きな意味があるんです」


 ニィはバンガロールの雑然とした路地に椅子や机を並べた屋台に腰を下ろして、店主から受け取ったミールスの盆を置いた。

 ミールスというのは、いわゆる日本でいうところの定食みたいなものだ。南インドの一般的な食事形式で、パサパサした軽い舌触りのインディカ米を複数のカリーで食べる料理だ。カリーには無数の種類があるが、ベジタリアンの多い地域ということもあり、豆やココナッツを使った優しいカリーが多く、他にはヨーグルトや漬け物も副菜として添えられていた。


「へぇ」

「ふっふーん。私は揚げパンをつけてもらったよ」


 布津野のとなりに座り込んだのは、ナナだった。

 ナナの持って来たお盆の中央には、黄金色の丸いパンがのせられている。


「プーリだな」とニィは片目を閉じた。「小麦をそのままいた全粒粉でつくる揚げパンだ。一口分けてくれよ」

「いいよ〜。ほれ。ほら、お父さんにも分けてあげる」

「ありがとう」


 布津野はちぎった揚げパンを手で受け取ると、あちち、と口にこぼしながらそのまま食べてみた。うん、思った以上に油っぽくなくて、甘味がある。


「美味しい」

「焼きたてだね」

「やはりここの屋台のはひと味違うな。前から来てみたかったんだ」


 満足げに咀嚼しているニィは、そう言って目を輝かせながら目の前の盆に視線を落とした。

 彼のお盆の中央にはお米が山盛りでぽろぽろと崩れそうなほど、その周囲を色とりどりのカリーの小鉢が囲っている。布津野の盆と比較しても三倍くらいは量も種類も多い。

 布津野はニィと暮らすようになって気がついた事がたくさんあるのだが、その一つは彼が非常な食いしん坊であるということだ。


「親父、せっかくインドまで来たんだ。もっと食べないともったいないですよ」

「ちょっと分けてよ。僕も色々つまんでみたい」

「良いですよ。ここの屋台はおかわり自由ですからね。勝手にとってください」

「よっ」


 と、身を乗り出して、布津野は白っぽいカレーが珍しかったので、スプーンですくい取って口に入れる。


「あっ、甘い」

「オーラン、っていうんですよ。カボチャをココナッツミルクで煮たやつです」

「これもカレーなの?」

「さぁ、カリーなんて言葉はインドでは存在しない造語ですからね。植民地時代にイギリス人が勝手につけた乱暴な言葉ですよ。多彩なインド料理を一つにまとめて英語に押し込んでしまったのです」


 そう言ってスプーンを振り回して憤慨してみせるニィを眺めながら、布津野は「ふ〜ん」と目を丸くした。


「それに本来なら、こんなスプーンなんて使わずに手で直接食べるんですよ。まぁ、バンガロールは大都会ですから、スプーンは常備されてますがね。俺はやっぱり手づかみがいい」


 布津野はニィが指を米に差し入れるニィの様子を眺めながら、この子は妙に食べることに執着があるな、と思った。幼いころに軍隊にいたから美味しい物がたくさん食べられなかった恨みなのかもしれない。


「ねぇ」と聞いてみる。

「ん? なんですか」

「ほら、なんの話だっけ? え〜と、ここに最適化センターをつくる意味だっけ」

「ああ、つまらない話を蒸し返してきましたね」


 ……ニィ君からふった話なんだけどなぁ。


「ま、簡単なことですよ。ここインドは人口爆発地帯です。そこに、最適化センターを誘致できれば、一気に最適化個体の外国人が増えるでしょう?」

「ああ、なるほど」

「念願のこの場所に複合生殖が可能な最適化センターの誘致。これは無色化計画の到達点、ということです」


 がつがつ、と食べながらもしゃべりを止めることのないニィを眺めながら、布津野はミールスの米をカリーに浸して口に運んだ。

 流石に本場のカレーは香辛料が強い。しかし、舌にころがして味わえば深みがある。ホテルからニィ君に引っ張られて来た屋台だ。流石に旨い。


「そういえば、意外でしたね」とニィ君は手をとめて顔を上げる。

「何が?」

「ロクのやつ。反対しなかったでしょ。父さんとナナをここに連れてくること。アメリカの時は大反対だったんですよ」

「あっ、そうなんだ」


 またニィ君が無理矢理に連れてきてくれたのかと思ってました。


「でも、お陰でナナも海外旅行できて満足。サリーも着れたしね」


 ナナはそう言って椅子から立ち上がると、身にまとったインドの民族衣装であるサリーの薄布をつまんで、くるり、とまわってみせた。サリーには頭から被るベールがあるので、顔を隠すのにちょうどいい。

 ちなみに、ニィもサリーで女装している。もう年齢は17歳で身長は185cmにもなるが、それでも長年培ってきた女装の技術は流石だ。すらりとした体に見事に着こなしていた。


「我ながら完璧な変装、そう思いませんか?」

「逆に、目立っている気もするんだけど」

「まるで浮ついた外国人観光客みたいでしょ?」


 と言うよりも、まさに浮ついた観光客そのものです。

 布津野も、二人にシャルワニという男性用の民族衣装を着させられそうになったが、必死の抵抗でなんとか免れることができた。三人はまさに観光を楽しむ美人姉妹とさえないお父さん、といった風体でインドの街に浮き上がっていた。

 今だって、サリーを着た美人姉妹を一目見ようと道行く人がチラチラこちらを見てくる。

 ん? さっきの人、僕に手を振ってる? え、僕? なんだろう。試しに手を振り返してみたら、ものすごい勢いで写真を撮られてしまった。

 美人姉妹のお姉さんであるニィが腕を組んで、鼻をならした。


「ふふ、親父の人気はインドにも伝わっているようですね」

「へっ、なんだいそれ」

「ニンジャマスター布津野ですよ。ジェダイですよ」

「あ、ああ……。えっ、マジで?」

「俺の諜報活動は、着実に成果を上げつつあるようですね」


 やめてくんない、いや本当に。

 布津野の辟易した様子を横目に、ニィは両手を腰にあてて詰め物らしき胸を大きく揺らしながらため息をついた。


「それにしてもですよ、ロクのやつ。あっさりしたものでね、四罪が出てくるなら親父が必要だと言ったら『そうだな』だけだったんですよ。いつもなら、最もらしい理由をならべてギャーギャーとわめきやがるのに」

「確かに……。でも僕にはロクも一緒に来た事が不思議だなぁ。ほら、とっても忙しいのに。宇津々首相が大変なんでしょう?」

「ああ、それね。でも、あのグランマが復帰して仕切り直しましたからね。随分と状況は落ち着きました。それよりも、四罪のテロ対策のほうが急務だ」

「でも、ニィ君に任せておけばいいのに」

「どうやら例のドローンをセンターに防衛配備して、実戦稼働させるつもりらしい……。だけどね、俺から言わせればそれは言い訳だ」


 ニィは鼻をならして腕を組んだ。「陰湿なあいつの魂胆こんたん、わかりますか?」

「……全然、わからないよ」

「ロクの野郎は、親父を日本に置いておきたくないんだ。どうやら、絶対に次期首相にしたくないらしい」


 ……僕もなりたくありません。


「まぁ、とにかく、奴はセンターに引きこもってドローンのプログラミング、俺たちは外で情報収集です」

「情報、収集?」

「そうですよ。例えば……ナナ、どうだ?」

「いるよ。二人だね」


 ナナは、すとん、と席にもどって声をひそめた。


「この完璧な変装を見破ってきたか……、おそらくは三苗サンミャオ型を展開しているな」


 完璧、なんだろうか? さっきから滅茶苦茶目立っているのだけど……。

 ニィ君の冗談は本気との区別がつきにくい事が多い。


「三苗型って、たしか」

「ええ、シャンマオと同じ能力をもった強化個体です。あれは俺の色を見分ける。あるいは、色のない親父を逆に見分けてしまう」


 ふふっ、とニィが美しく化粧をしたその顔を艶やかにゆがめた。


「さて、この状況。羌莫煌チャンムーファンはどの手を打ってくるのか」

「チャン、ムーファン?」

共工ゴンゴン型の反骨ですよ。頭脳特化の」


 そんなのもいるんだ、と布津野はため息をつきながら体の底が冷えるのを感じた。つまり、この屋台の周囲に二人も四罪がいるということじゃないか。

 咄嗟に気を張り巡らしてみた。

 殺気のせんは感じない。雑踏で人混みのせいでノイズに紛れているのか、まだ仕掛けるつもりがないのか……。どっちだ。

 ニィ君が声をひそめる。


「さて、やつらからすれば襲撃予定だった最適化センターの近くに、俺とナナ、それに伝説の没色メイスェを見つけたんだ。下っ端は混乱しているでしょう」


 そう言った、ニィは携帯端末を取り出してそれを耳元にあてた。


「……よう。ひきこもり。見つけたし、見つけられたぞ」


 布津野は気の張り巡らしをゆるめて、おやっと思った。

 その電話の先はもしかしてロク?


「おそらく三苗型だ。仕掛けてくる気配はなし。……後はお前の仕事だ。切るぞ」


 端末をポケットにしまって、ニィは米を指でつまんで真っ赤なカレーにそのまま浸して口に運ぶ。


「ロク?」

「そうですが、何か?」と、しかめっ面になる。

「いや」


 布津野は言葉を切って、カレーを口に運ぶ。意外に辛くはないコクのある本場のカレーをゆっくりと噛みしめる。


「……しょうがないんですよ。ロクと協力するのは今回だけです」

「そうなの」

「ええ、莫煌の頭はキレる。しかし、その手足になって動いている奴らは違う。なのに現場であり得ない状況に出くわした。当然、上の指示を仰ぐ。上も判断できない。さらに上に指示を仰ぐ。襲撃決行はすぐだ。やるのかやらないのか? 自分だけでは判断できない。だって、ここには反骨の朱烈すら倒した没色がいたんだ」


 ニィの指先がミールスの上で踊って、色とりどりのカレーをすくい上げて口に運んでいく。


「この状況に対する裁量権は、おそらく現場には与えられていない。なんたって、ここには没色だけじゃない。人類の可能性だって、鬼子の隊長もいたんだ。完全な想定外。

 そうなると、当然、反骨のかしらである莫煌に通信がいく。すでにバンガロールの全域に通信盗聴網が張り巡らされているとは知らずにね。根暗のひきこもりが張り巡らした嫌らしい盗聴網だ。

 ……これを抜けられる現場エンジニアは四罪にはいない」


 ニィの指がピタリと止まって、米を突き刺した。


「つまり、これでやつらの情報がつつ抜けになる」




 自分には、こういう作戦は思いつかないな。

 ロクはPCモニタの前で腕を組みながら、そんなことを思った。


 そのモニタの上には、リアルタイムでやり取りされている通信ログが流れている。

 バンガロール全体でやり取りされているあらゆる通信ログをハックしたもので、布津野たちが発見された瞬間に発生した通信だけを抽出し追跡したものだ。

 おそらく四罪の通信と思われるものはあったが、当然だが暗号化されている。秘密鍵形式の暗号化であろうが、解読には膨大な計算量が必要で現実的には不可能だとされている。しかし、日本の研究所にある量子コンピュータに転送すれば解読は不可能ではない。

 ロクはハッキングした暗号化データを、量子コンピュータに転送して解読させた結果を眺めていた。すでに暗号化されたデータが中国語にエンコードされていた。


『抓到、没色、第二和第七、了』

『我们今天应该决定吗』

『我想再次做出、紅白策略的决定』


 ロクの視線が、ぴたり、と止まる。


紅白策略ホンバイツェルーェ?」


 日本語に訳せば『紅白作戦』となるだろう。

 それが、この襲撃作戦の通称であることは容易に想像がつくが、妙な名前をつけたものだと不思議に思う。とはいえ、情報を秘匿するために作戦名などは無意味な呼称を用いることも多い。

 そこに悩んでも無駄だろう、と頭を切り換えてロクは四罪本部からの返信を待ち受ける。


 ——それにしても、ニィはリスクの取り方が巧妙だ。


 やつは自分自身とナナを街中に晒して敵を混乱させた。しかも、父さんを同伴させて、容易に手が出せない状況を作り出した上でだ。

 敵は統制を取り戻すために本部に連絡する。通信が渦巻くインターネットの世界からそれを特定するのは困難だが、通信の発生タイミングを特定出来ているのであれば不可能ではない。

 四罪の上層部は頭脳特化型の反骨に統制されているため隙が少ないらしいが、現場にあらを作り出してそこを広げていく。

 これが自分なら、思いついたとしても実行に難があるとして、採用はしないだろう。失敗した時のリスクも大きい。

 それをニィは事も無げにやってのける。


「上手くいっているようだな」


 背後からシャンマオが近寄ってきた。


「襲撃の規模やルートが分かれば楽になる」


 ロクはシャンマオに見えやすいように、中国語のログだけを表示するようにコマンドを叩いた。


「襲撃の規模はそれほど多くはないだろう。中国本土では法強たちが四罪に攻勢をしかけているからな。莫煌ムーファンでも、容易には対処できないだろうよ」

「その羌莫煌というのは、どんな奴だ」

「ニィに似ているよ」

「……色が、か?」

「昔のニィに、だがな。あれも世を恨むように産まれついている」


 であれば強敵だな。と、ロクは目を閉じた。


「例えば、そうだな。莫煌は生まれた時に左目と右耳が潰されている」

「……」

「他にも、味覚も嗅覚もない。共工ゴンゴン型は希少個体だが、あれほどの過酷な目にあってきた強化個体も珍しい」

「なぜ、そんな事を?」


 希少な個体であれば、傷をつけるような事はするまい。


「思考に使う脳の使用領域を広げるためだと聞いたことがある。他の五感に使う領域を潰せば、空いた脳領域を思考のために使うことができるらしい」


 ロクは息をのんで「そうか」とつぶやいた。

 脳とは柔軟なもので、使わなくなった領域を他の用途に代替することが出来る。例えば、事故などで目が見えなくなった人が聴覚のための脳領域を視野部まで拡大して聴力を高めていたなどの報告があったりする。

 四罪の研究者たちは頭脳強化の個体を作り上げるために、色々な試行錯誤をしてきた。その一つが、生まれたばかりの幼児に目的外の五感を潰すことだったのだろう。


「莫煌は怒りを研いできた。そして、ついに反骨を組織して四罪を乗っ取った。十年以上も前のことだ。彼はまだ15歳だった。虐げられた強化個体の悪意をまとめ上げて、四罪の老人どもを殺した」

「詳しいな」

「莫煌と私はいわゆる同期だ。私もクーデターには参加したよ。やつの尖兵として、な」


 シャンマオは、ぽん、とロクの肩に手を置いた。

 ロクはその手を握り返した。昔を語る彼女の声に湿しめりがあるのが妙に気にかかった。ただ懐かしんでいるだけなのかもしれない。そのクーデターでは色々とあっただろう。

 ただ、随分と呼び慣れていたのだろう。彼女は、四罪のトップである男のことを莫煌ムーファンと名前だけで呼んでいる……。


「あいつはな。人間を誰より憎んでいる」

「だろう、な」

「悲しい男だよ」


 シャンマオが背中にもたれかかった時に、モニタに中国語が流れ始めた。


『让我们按时完成。目的没有改变』


 目的に変更なし、そのまま予定通りに決行せよ。それが羌莫煌とやらの応答のようだ。端的なその指令に対して、返答が流れる。


『好的,我今晚会做出决定』


 ……さて、襲撃の決行は今夜か。

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