[2-13]トラウマ

 宮本十蔵は、携帯端末のディスプレイを睨んで頭をクシャクシャと掻いた。

 先ほどから何度かロクに連絡を取ろうとしていたが、いずれも繋がらない。

 どうやら、二ィの出現はロクにとっても相当なショックだったらしい。あのロクが、という気もしたが、同時に納得しないでもない。宮本自身も白弐参号奪還作戦のことは忘れられないトラウマだ。


 宮本は携帯を机に置き、そのトラウマを自傷行為のように抉ってみる。


 昔といっても、それは三年前で、目を閉じれば当時の光景が鮮明に浮かび上がる。

 宮本は一人の少女を、アサルトライフルで撃ち殺した。

 コンクリート壁を余裕で貫通するフルメタルジャケット弾は、ターゲットの小さく柔らかい少女の体を吹き飛ばすように撃ち抜いた。

 はじけ飛ぶ肉片は、かつてサンと呼ばれていた。


 当時の自分は、白弐参号奪還作戦の突入部隊で直接、指揮を執っていた。

 日本海域沿岸部まで侵入してきた中国軍の偽装タンカーに精鋭四人で潜入し、誘拐された第七世代品種改良素体02・03を奪還する。

 対処的に発動されたその作戦の成功率は低く、誘拐された素体の生死は問わないと明記されていて、可能であれば素体の死体は焼却せよと奨励事項オプションに補足されていた。支給された装備に、通常では見かけない焼夷手りゅう弾と可燃性液体である酸化プロピレンとガソリンのビンがあったことが、妙に記憶に残っている。

 日本のヒトゲノム技術の結晶である改良素体の遺伝情報を秘匿するためのその作戦は、想定された成功率の低さ通りに失敗し、二名の隊員が戦死、サンプル02は中国政府に奪われた。

 ただサンの殺害だけが、この作戦の戦果だった。


 作戦中、サンを見つけた時のことを宮本は忘れたことがない。

 サンはこちらを見て、泣きはらした顔に安堵の笑みを浮かべてこちらに駆け寄ってきた。

 そして、その笑みのまま俺に撃ち抜かれた。

 俺はそのサンの姿から目を背けるように、アサルトの自動連射フルオートに任せて、彼女の苦しみを最短で終わらせた。


「宮本隊長、拘束したマフィアの尋問結果が出ました」


 宮本が顔をあげると、そこにはGOAの部隊長を務めている千葉特務中尉がファイルを抱えて立っている。


「……何か、気になることがあったか?」

「さて、なんとも言えないところですが、奴らについての大まかな状況は分かりました」

「そうか、少しそのまま待て、俺たちのボスにも聞いてもらおう」


 宮本が手元のデスクトップ端末を操作しているのを横目にしながら、千葉が言う。


「それにしても、信じられませんね。あの最適解が、その、なんですか、家出したって本当なんですか?」

「本当だ、何だ、信じてないのか?」

にわかには信じられませんよ。ましてや、隊長の言う事でしょう? また、面白おかしく大げさに言っているんじゃないですか?」

「大げさじゃないさ。ロクは家から飛び出して、連絡がとれなくなった。立派な家出だ」

「最適解の家出は、骨が折れそうですね」

「最適な家出だとしたら、夕飯前に帰って来るもんだがなぁ」


 宮本は、よし、と声を出しながら端末のEnterキーを勢いよく叩いた。

 モニターに冴子の顔が映し出されて、スピーカーから声が漏れる。


「宮本、何用ですか」


 モニターに映る冴子が問いかけてくる。


「例の捕まえた中国マフィアの構成員の尋問が終わった。これから報告を聞くところだ、せっかくなら一緒に、と思ったんだが、どうだ」

「ええ、聞きましょう」


 冴子は頷くと、手元にペンと紙を取り出した。彼女は昔から打ち合わせの際に、入念にメモをとる癖がある。

 宮本はまた昔を思い出した。それは、ロクがまだ本当に小さいころで、冴子が政府の意思決定顧問としてGOAを直接指揮していたころのことだ。

 あの頃の冴子は氷のような女で、氷鉄のなんとか、なんてあだ名をつけられていたりもした。

 布津野の旦那と結婚してから随分としおらしくなったが、ロクの代わりに指揮をとることになり、どうやら昔のスタイルに戻ったらしい。

 なんだか良くねぇなぁ。と宮本は口をへの字にゆがめる。


「千葉、頼む」

「了解」


 宮本は千葉の映像を冴子に見せるために、デスクトップ端末の小型カメラとマイクを千葉の方にむけた。


「グランドマザー、報告いたします」

「はい」

「先日の、一三日、二一時頃に拘束いたしました中国系マフィアの構成員二名について尋問いたしました。結果、彼らの自供により青蛇団チンシャトゥンの構成員と判明、神奈川県横浜市を拠点に活動している団体です。想定される構成員数は約50名。

 この青蛇団は黒条会系列の二次団体である藤倉組を襲撃しています。これにより現在、黒条会と対立関係にあり、今をなお事態は鎮静しておりません。構成員の供述によれば、この襲撃事件は青蛇団の内部に白髪の少年が出入りするようになった時期と重なります。

 彼らによると、白髪の少年を組織内で目撃したのは二週間前から、中国共産党の関係者であるらしいと組織内で噂になっているとのこと。他にも数名の日本人らしき少年少女を目撃したと言っています」

「他の日本人が? それも少年少女の」

「はい」


 冴子に問いただされた千葉は、姿勢を改めた。


「供述によると、十五歳前後の男女です。彼らの詳細については組織内の構成員にすら明らかにされておらず、一部の上層部しか分からないだろうとのことです。しかし、先ほどの黒条会の藤倉組襲撃については、この少年少女たちも参加し大きく貢献したと見られます。供述内容をそのまま引用すれば、その少年少女たちは『まるで、軍隊のような動きでヤクザを制圧した』とのことです」


 宮本は、ふむ、と息をつくと、チラリとモニターに映る冴子を見た。

 氷鉄の女がそこには映っている。


「軍隊のような、か……千葉、お前はどう思う」

「おそらく、人民解放軍に所属している誘拐被害者かと」

「根拠はなんだ?」

「供述では彼らのことを日本人と断言しており、聞き出した身体的な特徴から最適化個体だと考えられます。年齢的も誘拐事件が激化した時期にちょうど重なります。加えて、彼らは藤倉組襲撃の際に、自分達を数名ずつの3つのバンに分け、それを一つのパイと呼称して作戦行動に参加したそうです」

バンに、パイか……、中国軍独自の隊呼称だな。確か、班が分隊、排が小隊だったか。突撃編成で3つの班てぇことは、ざっと見積もって4人組の3つで12人って、ところか」

「おそらく」

「装備は?」

「使用されたものは拳銃が中心だったようですが、スタングレネードにスモークグレネード、暗視ゴーグルの使用も確認されています。おそらく、自動小銃アサルトや散弾の類も持っている可能性は十分あります」

「さて、厄介だな」


 宮本はモニタ越しに冴子の様子を覗った。

 冴子は、表情を全く変えていない。

 冴子の唇だけが動いて、「宮本」と呼びかけてくる。


「彼らを制圧するのに必要な戦力は十分ですか?」

「仮に訓練された少年少女が20人で強襲装備一式を揃えているとしても、現在の待機部隊でも十分だろう。まぁ制圧の内容によるがな」

「少なくとも、数名は生きた状態で拘束してほしいです。ただし、一名たりとも現場から逃がすわけにはいきません」


 突然、宮本の脳裏に撃ち抜かれたサンの顔がフラッシュバックした。

 やれやれ、救い難い。撃ち抜かれた、じゃない。俺が撃ち抜いた、だ。

 殺すのは難しくない。助けるのは難しい。今回だってそうだ。俺は今回も、簡単なほうを選ぶのだろうか。


「冴子、もう少し教えてくれないか。作戦の内容と背景ってやつを」


 できれば、教えて欲しい。整えてお膳立てしてくれ。

 俺に子供を殺す理由を。


「現状において最も避けるべきは中国と日本の戦争です。中国でのGDP《国内総生産》はこの十年間継続的に下降し続けている一方で、軍事費は増加を続けています。中国政府の公表数値で、現状の軍事費は対GDPベースで10%を超えました。これは戦時中の軍事費と同じ水準です。明らかに、中国は臨戦態勢に入っていると見なして対処すべき状況です」


 宮本は目を閉じた。

 戦争か、殺す理由としては一番簡単で多様されている。とても簡単で、空っぽだ。


「費やした予算には、必ず使用計画というものがあります。ここ数年に急増した中国人民解放軍の予算は海軍・空軍を中心としたものであり、明らかに日本を仮想敵国としたものです。この緊張状態において、中国政府は二ィと訓練された誘拐被害者を派遣し、彼らは中国マフィアに参加し日本国内で戦闘行為を実施しました。ヤクザ者とはいえ、これにより日本国民に死者がすでに出ている状況です。加えて、我が国の意思決定顧問であるロクと接触しました。中国への交渉の余地を見出すのは困難です」


 モニタ越しの冴子の声は、どこか機械的だ。もしかしたら、通信の途中で機械音声に変換でもされているのじゃあないだろうか。


「ロクが主導していたゲーミング・ウォー構想は運用可能なまでに進捗していますが、それを他国に見せびらかす必要はありません。国内外の世論を鑑みて、我が国の軍事費はGDP比の1%以下に制約されています。現時点での戦争の勃発は、恒久平和を実現する無色化計画における致命的な事態に発展します」


 無色化計画か、と宮本は片手で頭を支えた。

 それは子供たちを殺してまで実現すべき計画なのだろうか。

 現内閣総理大臣、実質的独裁者と悪名高い宇津々右京うつつうきょうが唱えたこの計画は、遺伝子最適化の合法化、品種改良素体の性能追求、改良素体への積極的な権限移譲を推し進めてきた。

 俺だって、この計画に基づいて産み出された存在だ。

 第三世代戦闘特化調整、ミヤモト型のサンプル10番、宮本十蔵は、品種改良素体の歴代最適解の判断を武力実現するために産み出された。


「いずれにせよ、戦争は避けるべきです」


 唯一の納得できる着地点は、やはりそこだけだった。


「誘拐被害者の存在が世間に大体的に公表されるのは、避けなければなりません。彼らの国内での活動も許すわけにはいきません。可及的すみやかに制圧し、情報のために数名は生きて拘束すべきです」

「それが子供を殺すことになっても、か」

「戦争になった場合、最低でも数百万人は死にます。当然、その中には子供も当然含まれているでしょう」


 だろうなぁ、と宮本は溜息をついてモニタをじっと見る。

 冴子の美しい顔は、相変わらず無表情のままだった。いつもなら、そこにはロクが映っているはずだった。例えロクだったとしても、冴子と同じこと命令するだろう。

 ふと、宮本は気がついた。

 作戦場所には布津野が捕まっている。この作戦における旦那の生死について、目の前の氷鉄はどう考えているのだろうか。


「冴子」

「なんですか?」

「……いや、なんでもない」


 宮本は頭をふった。

 やれ、自分も意地が悪い。そんなものを聞いて何になる。

 冴子の立場では、旦那の生死については優先度が低いと答えるしかないだろう。そう言った残酷な判断を冴子にさせてどうするってんだ。

 旦那は俺たちがちゃんと救出する。それだけでいい。


「具体的な作戦と、状況に応じた対応パターンは後ほど整理して送ります。事態は一刻を争う状況です。宮本、GOAの臨戦待機を、数日以内には出動があると思ってください」

「ああ、了解した」


 回線を切って、宮本は幾度目かの溜息をついた。

 少年兵の問題は彼にとって珍しい問題ではない。PMC《民間軍事会社》を通じたアフリカの紛争地域での実戦経験で、彼はその実態については十分に把握しているつもりだった。

 紛争地域での少年兵と相対する時は、敵であることが多かった。彼らの多くは武装組織に襲撃された村から誘拐されたか、生活苦からの志願兵であることが多い。

 こういった少年兵は、前線に立たされ無謀な突撃の口火を切らされることが多い。

 軽量化された粗悪なAKライフルをオモチャのように大切に抱えて、安全確認もなしに地雷原をテケテケと突っ切る。遠目には、それはまるで横断歩道で信号を無視してボールを追いかける日本の子供のようにも見えた。

 しかし、狙撃スコープ越しにそれを捉えた時、彼らの引き結ばれた小さな口が万力で歯を食いしばらせたようなひずみが見えた。それは彼らが抱える絶望の重さを表していた。

 スコープのが捉えた少年兵の背後には、大人の兵士が安全な塹壕から銃を構えている。その銃口は敵である自分たちではなく、前をひた走る少年兵の背中に狙いつけられている。恐怖に駆られて逃げ出す少年兵をその大人が撃ち殺すのを何度も見たことがある。


「隊長……」


 千葉が苦味ばしった表情で、こちらを見ている。


「千葉ぁ、お前、子供を撃った経験は?」

「ありませんよ。幸いに」

「そうか、俺も数回だけだな」


 宮本は天井を見上げた。

 少年兵とはいえ、彼らが装備しているのは十分に人を殺せるアサルトライフルだ。

 少年の戦意を操る方法なんていくらでもある。麻薬漬けにしたり、無理やりに火薬の食べさせる例もある。火薬に含まれるトルエンは中毒性と依存性が非常に強く、何よりそこら辺にいくらでも転がっている。

 時には、少年兵に自分の生まれた村を襲撃させて住民を殺させる訓練が行われることがある。殺すことを拒否すれば、その少年が見せしめに殺される。

 そうやって、少年は殺しに慣れ、やがて兵士となる。

 人民解放軍がどういった訓練を彼らに施したのかは分からない。なんにせよ少年兵だからといって、相手の殺意がないと思うわけにはいかない。

 状況から見て、彼らはすでに『兵士』となっていると見なすべきだ。


やれ、普段は吸わないが、煙草か酒が欲しくなる。こういった時は、素面しらふじゃいけない。本当の自分ではいけない。慣れてはいけない。

麻薬と同じだ。酒くらいがちょうどいい。


「今回は俺が直接指揮をとる」


 隊長になって、分かったことが一つだけある。

 リーダーの仕事ってのはドブ攫いに似ている。誰もがやりたくない仕事を率先してやるのが俺の仕事だ。


「千葉、すまねぇが今日中にメンバーに作戦内容を説明してくれ、子供を殺す可能性があるってな。手分けしてやろう。今回はあいつらに拒否権やる。辞退者についての上への報告は、そうだな集団インフルエンザにかかったとか、そんな感じで適当でいい」

「……了解」

「千葉、すまねぇな」


 宮本は千葉に深く頭を下げた。

 これで、必然的に千葉には拒否権がなくなった。それに千葉には副隊長として自分の傍にいてもらう必要がある。

こういった時の隊の指揮系統上位の仕事は、その部隊で初めに子供を撃つことだ。


「隊長、終わったら酒、奢ってくださいよ」

「ああ、きついヤツをかっくらおうぜ」


 宮本は無理矢理、大きく笑って見せた。

 千葉は敬礼をして「俺は自分の部隊の奴らから説明してきますね」と残して部屋を出た。

 宮本も重い腰をあげる。

 自分はさて、どの部隊から始めようかと悩みながら携帯端末を見た。

 端末のディスプレイを切り変えて、電話とメールの履歴を確認した。

 ロクからの反応はやはり、なかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る