[1-15]殺さずに

「突撃!」


 千葉准尉の号令に続いて「みんな、行くよ」と叫んで、安達紅葉は駆け出した。

 先頭を走るのは千葉であり、紅葉はその後ろにピタリとつける。後ろを確認すると五番隊の四人もついて来ている。新しく加わった佐伯さんも緊張した顔しているが、ちゃんとついてきている。

 ビルへの一階内部制圧は、モドキーズの一〜五番隊が担当する。この内、正面玄関からの突撃は三、四、五番隊が担当。残りは窓からの突入となる。


 突撃における先陣は、常に紅葉の五番隊が担当する役割だ。

 そこを駆け抜ける高揚を紅葉は良く知っていた。彼女はそのワントップに常に身を置いていた。敵に向かって伸びる死線の細いライン上を駆け抜け、瞬きの間に変化する状況に対応し、仲間を背に負って前線を切り開く。

 紅葉は目の前の千葉の広い背中を恨めしく見た。そこは本来であれば彼女のポジションであるからだ。

 千葉が玄関を突破し紅葉の隊は後に続いた。左右を見渡した千葉が「確保」と叫ぶと、後から付いてきた他の隊がエレベータ付近の封鎖を始める。


 紅葉たちは、布津野が侵入した赤羽ファイナンスの入り口付近に展開した。予想に反して中は静かだった。ここエレベータホールでの乱戦も想定されていたが、ここまでは全くの無抵抗だ。不安が少しだけ頭をよぎる。

 千葉の合図と同時にドアを押し開けると、すぐ前には布津野の背中が見えた。


「ああ、なんとか上手くいったよ」とこちらに気づいた布津野が振り返った。


 布津野の足元には、何人ものヤクザたちごろごろと転がり、倒れて呻き声を上げている。部屋は薄暗かったが、奥には催涙ガスらしき白煙が立ち込めていて、どうやら逃げ出そうとしたヤクザはみんな先輩に倒されてしまったらしい。


「流石ですね。噂以上です」


 千葉がそう声をかけると、インカムに向かって「こちらアルファ・ファイブ・リーダー、一階フロアの制圧を確認。各担当部隊は敵の拘束、無力化に移行」と報告する。

 ガスマスクと暗視ゴーグルを支給された別の部隊がフロアに入っていく。倒れているヤクザの首筋にスタンガンを撃ちこみ、拘束バンドで手と足を固定していった。

 紅葉は体の底から何か湧き上がるのを感じた。ゾクゾクとしたむず痒い快感に身が震える。


 ――これだ、これが先輩なんだ。


「紅葉ちゃん、それに佐伯さんも、無事でよかった」


 そう声をかけながら、布津野は足元に転がるヤクザを避けながら、事務所からエレベータホールへ出て来た。すれ違いざまの紅葉の頭に、ぽん、と触れる。

 誰よりも稽古を重ねてきた手だ。皮がぶ厚くなって硬い。


「先輩、」と呼びかけると、少し声が震えていた。

「ん?」

「やっぱり、先輩だね!」


 私がそう言うと、先輩は肩をすくめて見せた。


「なんだよ、それ」

 先輩は曖昧に笑いながら、あたりを見渡すと佐伯さんを見た。


「佐伯さんも無事でよかった」

「……はい」


 佐伯さんは、周りの仲間たちと同様に呆然として先輩を見る。どーだ、私の先輩は強いだろ、言った通りだろ。

 通信機で何かやりとりをしていた千葉さんが先輩のところにやってきた。


「布津野さん、我々はこのまま302号室の人質解放に加わります。ご協力お願いできませんか」

「え、うん。指示を頂ければ、」

「恐縮です。我々は302に移動。隊列はそのまま、布津野さんは最後尾で警戒をお願いします」

「わかりました」


 千葉はそう言って非常階段に向かって駆け出した。

 紅葉もその後についていきながら、後ろに加わった布津野の様子を目で追った。

 先輩の表情はいつも通りの平然とした様子で、いつも以上に頼もしく見えた。



 ◇

 布津野は、かなりハラハラしていた。


 つい先ほどまで、恐ろしいヤクザさん七、八人を相手に格闘した直後だから、体内を駆け回るアドレナリン的な何かが収まらない。それはまだいい、自分一人だったから、あまり責任は感じない。しかし、今度は目の前を駆ける紅葉ちゃんや佐伯さん達がいる。

 今は、人質のいる302号室に向かっている途中のことだ。

 紅葉は二番目にいた。先頭は千葉准尉が担当しているので安心ではあるが、それでも紅葉のポジションはそれなりに危険だろう。だからといって、他の子に代わってもらうわけにはいかない。

 自分が代わりたくもあったが、最後尾もそれなりに危険なポジションだ。ここでやきもきとするしかないだろう。

 結果的には、それは布津野の杞憂となった。

 302号室に到着するまでに鉢合わせたヤクザは三名だった。その内、二名は千葉が凄まじい打撃で倒し、後続のメンバーがスタンガンで処理していった。

 残る一名は、千葉が対応している最中の不意を襲ったものだったが、紅葉が流れるような身のこなしで組み伏せると、他のメンバーが首筋にスタンガンをあてて気絶させた。


 綺麗な入り身だったなぁ。


 布津野は紅葉の技を見て感心した。タイミングも力の誘導も、全てにおいて完璧といえた。おそらく紅葉は羽ほどの力も使っていないだろう。あんな入り身はおそらく自分には出来ない。


「こちらアルファ・ファイブ、302前に到着。オーバー」

 千葉准尉がインカムに向かって報告した。その応答が布津野のイヤホンにも聞こえてくる。

「こちらアサルト・リーダー、我々は屋上から302への外壁の窓から突撃する。オーバー」

「こちらモドキ・アルファ・ファイブ、了解した。タイミングはアサルト・リーダーに任せる。回線そのままで待機。オーバー」

「了解した。しばらく待て」


 応答を終えた千葉が布津野を手招きしていた。布津野は中腰になって近づく。


「突撃します。一番手は俺、二番手を布津野さん、三番手は紅葉さんです。内部の敵は四名と想定されます。同時に外窓からアサルト・チームも突撃します。狭い部屋で内部の配置は不明。人質への危険を考えスタングレネードは使いません。いいですか?」

「はい」と紅葉が答える。布津野も頷いた。


 イヤホンから「こちらアサルト・リーダー、カウントダウンを開始する。十、九、八、……」と聞こえてきた。

 千葉が手を挙げて、カウントダウンに合わせて指を折っていく。四本、三本、二本、一本、ゼロ。


 ガンッ、千葉がドアを蹴破った。


 目の前に広がるのは狭い部屋、人が何人も詰め込まれている。

 ほぼ、同時にガシャンという窓ガラスが割れる音。窓を破って乱入する黒い影。

 布津野も状況に飛び込む、眼前の刹那は複雑だった。

 右隅に少年少女たち、拘束されて固まっている。

 千葉は右側にいたヤクザを剛腕で吹き飛ばしていた。

 左に拳銃を構えた奴がいる。


 布津野は拳銃を構えた奴にすぅと近寄って、。左手刀で銃身を払う。

 敵は両手で持った銃を離さない。

 この距離ではそれは無防備と同じ。

 腕を交差させて右手で銃身を上から掴み、相手の側面に踏み込んで、顔面にひじ打ちを叩き込む。

 ひるんだ隙に足を払い、真下に押し倒した。

 どう、と倒れる拍子に拳銃をひねり上げ奪う。倒れる相手に向けて構え「動くな」と声をかけた。

 眼下には怯えた顔、そいつの肩を踏みしめて拘束し、周囲に視線を走らせる。


 あっけなくと言うべきか、拍子抜けと評すべきか、部屋の中は完全に掌握されていた。

 千葉も一人を無力化し、周囲を油断なく警戒している。

 窓ガラスから突撃した黒づくめの隊員はもう一人を組み伏せてスタンガンで無力化を完了していた。そしてもう一人は自分の足元で両手を上げて無抵抗の意思を必死に表明していた。

 佐伯さんが、素早く足元に駆け寄って足元の無抵抗なヤクザの手足を固定していく。彼女と目が合うと「ありがとう」と言われたので、「どういたしまして」と返した。

 残りは捕まった少年少女を解放したり、インカムで状況を報告している。

 一瞬だった。あっけのない成功だ。

 肩すかし……というのは少し違うのだろう。

 おそらく、作戦が成功するための環境が完璧に整っていたのだ。突撃前の状況把握、人質の位置の正確な特定、照明切断による相手の正面主戦力の無力化……。この作戦整備を担当した冴子の有能さについて、感嘆をせざるを得ない。


「……状況クリア。被害者を外に連れ出し保護します」

 そうインカムに向かって報告した千葉がこちらに向かって来た。

「布津野さん、お蔭様です。このまま彼らを保護しつつ撤収します」

「はい」

「撤収の配置は、アサルトチームが先導し、被害者を挟んで五番隊となります。申し訳ありませんが、もう一度、最後尾をお願いできませんか?」

「ええ、構いません」

「恐れ入ります」


 そう言うと、千葉は解放した人質のところに行き、誘導を始めた。

 布津野は最後尾のため、自然、最後まで部屋に残ることになる。辺りをなんとなく見渡した。何の変哲もない、物置の様な一室だった。アサルトチームとやらが突入してきた窓ガラスは砕けてしまっており、床に散らばったその破片がキラキラと差し込む夕日を反射していた。


「立てるか? このまま徒歩で離脱する。遅れるな」

 ドア付近では人質たちが連れられて部屋を出て行く。千葉もその後を追った。後から五番隊のメンバーもそれに着いて出て行く。

 そろそろ、自分もついて行くべきだろう。布津野は敵から奪った拳銃を持っていたことに気がついた。予想通りに佐伯刑事の死に顔がフラッシュバックする。後に残されたのは拘束バンドで身動きの取れないヤクザばかりだ。部屋のゴミ箱の中に拳銃をそっと入れた。

 その時、ドア付近で怒声に悲鳴が混じった。


 「モドキの餓鬼が、なめくさりやがって!」


 布津野は駆け出した。

 目の前には部屋を出ようとしていた紅葉の仲間――佐伯さんだ。彼女に向かって日本刀を振り上げているヤクザがいる。

 廊下にでも潜んでいたのだろう。振り上げた白刃がギラつく。

 布津野は反射的に手をのばした。

 その手は佐伯の襟首を掴んで引き倒す。同時に、彼女と自分の位置を入れ替えるように体を潜り込ませる。

 振り下ろされた日本刀はおそらく、自分の何処かを切りつけた。

 身体のどこかに熱線が走る。痛みは感じない。集約された感覚が痛覚を切断していた。

 目の前にヤクザの凄まじい形相。

 咄嗟に繰り出そうとした右腕は動かない。どうやら切られたのは右腕だ。

 白刃が再び振り上がるのを無視して、布津野は構わず踏み込んで左手を伸ばした。


 ――前に、闇雲なればこそ、前に。


 それは、骨身にしみこませた師の教え。体はそれに忠実に従った。

 振り上げられる二の太刀が振り下ろされる前に、布津野は左手が相手の右半分の顔面を掴んだ。そのまま握り潰すように相手の眼窩に親指を抉りこませた。


 ごり、とした眼球をこする感触が親指にまとわりつく。


 相手が絶叫する、もはやそれは雑音。

 顔面を掴んだまま、後ろ足を引き寄せて相手の懐に潜り込み、遅れて振り下ろされた日本刀をやり過ごす。

 布津野は親指を眼窩に引っかけたまま重心を一気に落とした。

 声にならない叫びをあげながら男は引き倒される。

 倒しながら引き抜いた左手で、相手の日本刀を奪い取る。

 動かない右腕が冷たく、右肩は切れたことを思い出したように熱を帯び出した。

 布津野は、奪った日本刀をのたうちまわる男の頭上に据えた。

 勝負はついた。


 ――殺していない。


 布津野は安堵していた。

 誰も殺さなかった。殺さずに守ることが出来た。自分だって、やれば出来るじゃないか。

 もしかしたら、佐伯さんのお父さんも殺さずに済んだのかもしれない。

 でも、今日の自分は殺さずに守ることが出来たのだ。

 息をついて、後ろを振り返る。


「布津野さん……」と佐伯が立ち上がりながらこちらを見る。

 彼女は無事だった。傷一つない。


 ――良かった。


 布津野は充足を噛み締めた。

 もし、彼女を死なせてしまったら、自分はどうしたらいいのか分からなくなってしまっていただろう。彼女の父親を殺したのは自分であり、彼女を複雑な悲しみに突き落としたのは自分だった。

 例え、彼女自身が父親の死を悔いていなくても、それは自分の行いとは無関係であるはずだ。


「危ない!」と佐伯は叫んだ。


 彼女は、布津野を突き飛ばした。


 パンッ


 それは、あの時と同じ、乾いた音だった。

 佐伯さんの頭がはじけた。

 彼女の後頭部から、脳片が飛び出して辺りに散らばった。

 あの時と同じ、ひどく臭い匂いが布津野の鼻についた。


 銃声の方を振り返る。


 そこは、片目を潰された男が拳銃を握りしめて立っていた。銃口からは白煙が上がっている。


「なめんじゃ、ねぇぞ! 餓鬼ど……」


 布津野の左腕がうなり、手にした日本刀がヒュンと風を切った。

 男の手首が無くなった。その先端は拳銃を握ったまま床にぽとりと転がる。

 男は絶句して立ち尽くしす。

 次の瞬間、先のない手首からは、まるで彼岸花のような血しぶきが噴き出していた。


「……ッ! あ、あ、ああ――」


 男のその呻き声が布津野のカンに触った。


 なんだ、コイツ。何を痛がっているんだ?

 まだもう片方の手首が残っているじゃないか。足だって生えてるだろ?

 耳でも、鼻でもいい、順番は重要じゃない。

 すぅと振り上げた刀の切っ先は美しい孤を描く。男を見下ろす、相手は恐怖に顔を染め上げて「止めてくれ」と懇願してきた。その歪んだ表情が、佐伯刑事のニヤついた死に顔が重なった。

 関係ないだろ。

 この男は死なずに、佐伯さんは死んだ。

 自分はこの男を殺さないようにして、この男があの娘を殺した。

 なんだこれ、気持ち悪い、吐きそうだ。訳が分からない……、全然わからないけど、とりあえずコイツは、


 ――殺しておくべきだっただろ!


 刀を振り下ろそうとした時、

 あの時の佐伯さんの泣き顔が頭をよぎった。紅葉に抱きついて、顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫ぶ彼女の声が、頭の中で残響する。

 布津野が振り下ろした刀は、男の顔面に到達する寸前で静止した。


 「佐伯さん! 佐伯さん! やだよ、ダメだよ、佐伯さん!」


 紅葉の声が後ろから聞こえてきた。

 布津野は刀を床に叩きつけた。

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