3.女神の天秤

 吉田は『次の被害者』という言葉に口を噤んだ。

 これで終わる可能性もあるが魔法使いの推理では少なくともあと五人は被害者が出ることになる。

 それは吉田にとっても避けたいことだが、同じくらい魔法使いを検視官に会わせることも避けたかった。


 勢いよくソファから立ち上がって部屋を出て行こうとする魔法使いに吉田も慌てて立ち上がり、部屋の入口に立ち塞がった。


「おいおい。いくら何でも急には無理だぞ」

「なぜです?」

「なぜって……きょ、今日は全員出払ってていないんだ」

 吉田の挙動に桐山も何かを察し、吉田の隣に駆け寄って加勢する。

「そうなんです、珍しく誰もいないんですっ」


 そんな二人を魔法使いは見透かすように見やり、片手で払い除ける仕草をしてみせると、途端に二人はよろけてドミノ倒しのように部屋の隅へと転がった。

 部屋を出て行く魔法使いに桐山は「魔法ですかね……今の」と声を震わせる。


「違うっ。これは気功とかの類だろ。魔法なんかあって堪るかっ」

 自分に言い聞かせるように吐き捨てる吉田に桐山は意地悪い笑みを向ける。

「今回のアドバイザー料は何ですかね?」

「今度はお前が払え」

「何でですか? 契約交わしてるの吉田さんでしょ?」

「お前は俺の何だ? 部下で後輩で今や相棒みたいなもんだろ?」

「部署が違うんで部下じゃありません」

「屁理屈言うんじゃねぇ。俺の契約はお前の契約だ」

「あ、それパワハラ……ってか、そんなことより山田を追わなくていいんですか?」

 桐山に言われて吉田は慌てて部屋を出て魔法使いの後を追った。


 が、魔法使いは二人が乗って来た覆面パトカーの後部座席できちんとシートベルトをして待っていた。

 ちゃんとロックした筈なのに、と桐山が小首を傾げ、吉田は憎らし気に魔法使いを見下ろした。


「山田って姐さんに会ったことありましたっけ?」

 桐山が声をひそめて問うと「会わせられるか」と吉田は吐き捨てた。


 二人が話す検視官というのは黙って立っていればモデルのような美女で、検視官としての腕も良く信頼も厚い。

 だが、署内では『変人』として有名で、彼女に告白しようなどと思う男はいない。

 新人の頃から誰に対しても態度がデカく、顔を背けたくなるような悲惨な遺体にも顔色一つ変えずに仕事をする。

『姐さん』や『姐御』と呼ばれることが多いが、本名を七緒ななおあきらと言い、吉田の元部下でもある。

 検視官になるには刑事としての経験または殺人事件などの捜査経験が必要となる。

 短い期間ではあったが吉田は七緒の教育係だった。

 だから誰よりも七緒のことはよく知っている。


 変人を二人も一度に相手にするのはさすがの吉田も疲れる。

 一人でも大変な相手が二人に増えるとそれはもう二倍どころか数十倍の威力になると思ったからだ。

 それは桐山も同意見で、ここは何としても魔法使いと七緒を会わせまいと二人が決意した表情で顔を見合わせた瞬間、吉田の携帯が鳴った。


「……はい」

 嫌な予感がして恐る恐る出ると、相手は七緒だった。

 だが掛かって来た番号の登録名は同僚の名前になっている。

 人の携帯で掛けて来たようだ。

「今どこにいるんですか?」

 口調は少々苛立っている。

「例の外部アドバイザーのところだ」

 魔法使いとはあえて言わなかったが「ああ、魔法使いですか」と呆れた声が返って来た。

「ちょうどいいわ。今すぐ連れて来てください。お願いしますね」

 電話はそれだけ言って無情にも一方的に切れてしまった。

 嫌な予感が的中して吉田は魔法使いを見た。

 その吉田の表情で桐山は何事か察し、観念した様子で運転席に収まり、吉田も助手席に乗り込んで仕方なく検視官の元へ向かった。


 刑事の勘などの第六感を信じず、自分の五感だけを信じ、常に科学的見地から事件を捉えるのが七緒だ。

 そんな七緒が魔法使いにどんな反応を見せるのか、正直吉田は興味があった。


「そちらが例の? 全然らしくないですね」

 七緒のところに行くと、魔法使いを見るなり挨拶もなく開口一番にそう言い、品定めをするように視線を上下させた。

 魔法使いも黙って立っていれば普通の人だ。

 割とイケメンの部類に入るのかもしれない。

 服装は英国紳士のような高そうなスーツ姿が多い。

 今日のような初夏の陽気にはさすがに上着は羽織らないが、白の長袖シャツにベストを着用している。


 対する七緒は検視官なので勤務中は白衣を着用している。

 だがその下はミントグリーンのカラーシャツにブラックの高そうなパンツ、足元はヒールの高いブラックのパンプスで検視官らしからぬ恰好だ。

 ストレートの長い黒髪を一つに束ね、表情は常に凛としているがどこか悪魔的だと吉田は思っている。

 というのも七緒が医者ではなく検視官を選んだのは「遺体を自由に切り刻みたいから」というマッドな理由だと知っているからだ。


「らしくないのはお互い様ですね」

 魔法使いはそう言って笑顔を見せ、七緒も確かにそうね、と鼻で笑った。

 そんな二人の様子に桐山は内心ハラハラし、吉田は胃がキリキリしていた。


「早速ですが、魔法使いあなたにはどうやったのか分かりますか?」

 そう言って七緒は検視台に横たわる遺体を視線で示した。

 遺体は綺麗に腹を開かれており、肋骨まで剥き出しになっている。

「幾ら調べても医学的に説明できなくて」

 魔法使いは七緒から医療用の手袋を受け取ると遺体に近づき、目を輝かせて肋骨に指を這わせた。


「古代ヘブライの文字で魔女が使う黒魔術ですね」

「魔女? 犯人は正義の女神を騙る魔女?」

 嫌悪感を示すように七緒は眉間に皺を寄せた。

「いえ。この遺体が魔女です」

「じゃあ肋骨にこんなことしたのはこの魔女自身? どんな魔術なの?」

「肋骨の文字は契約書です。死因にも犯人にも繋がるような内容ではありません。それよりもあの天秤の方が気になりますね」

 そう言って魔法使いは肋骨から手を離し、手袋を外す。

「心臓が載ってたっていう天秤?」

「そうです。片側には心臓が載せられていましたが、もう片方には何を載せたのでしょう?」

「犯人が正義の女神を気取ってるなら罪の重さを量ったって言いたいだけの、ただの演出じゃない?」

「それなら犯人は誰にそれを伝えたかったのでしょう?」


 その問いにそれまで黙っていた吉田が口を開く。

「次の犠牲者、か?」

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