その4 裕子という女 2

 彼女は『血』という意味で語るならば、日本人とは違う。


 しかし祖父や父たちの世代と違って、言葉は殆ど日本語しか喋れない。


 ものの考え方、価値観なども、外国人的というより、日本人のそれに近い。


 親からは『民族の誇り』という話を時折聞かされたが、裕子には今一つぴんとこなかった。


 故郷を離れ、東京で一人暮らしをしてみると、益々その感情は強くなった。


(民族も、国も関係ない。自分にとっては自分が今住んでいるところが最も大切だ)そう思ったらしいと、彼女の親しい友人が話してくれた。


 東京で暮らし始めて間もなく、彼女は戸籍も履歴書も必要のない仕事に就いた。


 つまりは風俗、である。


 あの業界は容姿がそれなりに整っていさえすれば、そんなものは殆ど問題にされない。


 そうして『原田裕子』という名を手に入れた。


 以後はずっとそれで通した。


 勿論、合法的な方法に寄ったものではない。


 俺だって一応、社会の掟くらいは分かっているつもりだが、それも場合によりけりだ。


 彼女の生き方を容認するつもりはないが、世の中を渡って行くためには、そうするしかなかったんだろう。


そのくらいの察しはつく。


俺は東京中を歩き回って、彼女のことを調べるうちに、そう思った。



そのバァは、新橋の、かの有名なガード下を避けた路地の奥に、ひっそりとあった。


 小さな看板に『ピアフ』とあるだけの、素っ気ない構え、

 

 扉を押して中に入ると、店名と同じく、物憂げなシャンソンのメロディが流れ、薄暗い間接照明の下では数名の男と女が押し黙ってグラスを舐めていた。


 俺が店に一歩踏み込むと、店内の視線が一斉にこちらに集中する。


 それも『好意的なもの』でもない。

 

『敵意』といったものでもない。


冷淡で、何の感情もなく、ガラスのような視線。

 

 そう言った方が一番適切だろう。


 しかし、こうした店にはありがちなことで、俺はさして気にもせずに、カウンターの端に腰を下ろした。


『彼女』は俺とは反対の方におり、別の客と小声で何か話をしていたが、暫く経ってやっと俺の方に歩み寄ってくると、


『ご注文は?』と、素っ気ない声で訊ねた。


『バーボン、ロックで』

 俺が答えると、周囲の視線が集まり、

(田舎者め)という蔑みが聞こえた。


 彼女は何も答えず、俺の前にグラスを置いた。


『マダム、あんた、原田裕子さんだろ?』


『だったらどうしたっていうの?』


『どうもせんよ。あんたを探しててね』


『おい、兄ちゃん。』

 

 背後から怒気を含んだ声が耳を打った。


『ここはデカのくるところなんかじゃねえんだ。とっとと帰りな。ママだけじゃねぇ。ここにいる全員は、警察が大っ嫌いなんだ!』


『俺もお巡りなんか嫌いだ。だが、仕事なんでね』


『てめぇ、俺をからかうつもりか?!』


 振り返る必要もなかった。


 声の主・・・・片目の潰れたヒゲ男が拳銃を抜いている。


 だが、俺の動きはそれより早かった。








 





 

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