第一章 ベンシブル追撃戦

第一話 猟犬と老王

「司令官殿、王城の制圧はほぼ完了しました。しかし、玉座の間のみが未だ制圧できておりません」

足早に歩く俺の歩調に合わせ、部下が報告する。

「玉座の間か。すると国王が抵抗しているということか」

「はっ! 左様であります」

「『武勇並ぶ者なき』と謳われた男だ。老齢とは言え、そう簡単にくたばるまいとは思っていたが……」

光が当たれば輝くほどに手入れされていたであろう長い廊下はあちこちに傷や汚れができている。

 激しい戦闘だった。城に追い込まれ、兵糧ひょうろう攻めにあってなお降伏する者はおらず、勇猛果敢に立ち向かってきた。アメルセア騎士団のモットーは「忠誠と精強」。その言葉を胸に、誇りを抱いて国のために散っていった勇士達には、敵ながら畏敬いけいの念を禁じ得ない。


「ここか……」

玉座の間に通じる扉の前は、負傷兵で埋め尽くされていた。室内ということも相まって濃い血の臭いがあたりに充満する。ここまで酷いのは初めてだ。

「コッポラ! 負傷兵は中庭へ連れ出せ。ここでは治る者も治らん。じきにチェンダー司令の援軍が着くはずだ。彼女にも手伝って貰え」

後ろから追いついてきた副将に指示を出し、俺自身は槍を正眼に構える。


「承知いたしました。しかし、将軍はいかがなさるおつもりで。」

コッポラが尋ねてくる。これは質問ではなく確認だ。聡明な彼女でなくとも俺が何をする気なのかはわかるであろうからだ。

「見ればわかるだろう。老王に引導を渡しに行く」

「そんな! 将軍ご自身が行かれる必要は・・・」

「では聞くが、俺以上の適任がいると思うか」

「……それは……その……」

「身を案じてくれるのは嬉しいが、他に方法がないんだから仕方がない。強敵に怖じ気づいて部下を殺したとあっちゃ帝国軍の面汚しだ。面汚しになるのは構わんが、俺をここまで引き立てて下さったのは他ならぬ皇帝陛下だ。その陛下の信頼を裏切るような真似をするわけにはいかん」

「……承知いたしました。ご武運を」

そう言って彼女は引き下がる。理解のある部下を持ててよかった。彼女らを守るために、皇帝陛下は俺にこの槍をくださったのだ。

 行くぞミカエル。二人でご恩に報いるんだ。

 俺は愛槍あいそうに語りかけ、玉座の間の扉を開いた。


 玉座の前で、帝国兵の屍山血河しざんけつがと共に剣を構えて立っていたのは白髪の老人であった。国王セミリオン。若かりし頃は最強の名を欲しいままにしていた男だ。体は老いて衰えているが、その威風は未だ衰えを知らないようだ。

 「帝国の将よ! 名のある者と見受けられる! 名をなんという!」

威厳に満ちた声が場を揺るがす。それを全身で感じ取りながら名乗り返す。

「我こそは熾天使してんし一翼いちよく! ロナルド・ダートン! セミリオン王! 若輩ながらお相手つかまつる!」

それを聞くや老王はふっと口角をあげた。


「よかろう! 『猟犬』ダートンよ! 我が首取ってみせよ!」

堂々と言い放った老王は満面の笑みを浮かべていた。

 いや、彼は今や王ではない。一人の戦士だ。あの顔は、血をたぎらせた戦士の顔だ。


 そう思いながら己の口角がつり上がっていることにいまさら気がつく。心臓はとっくに早鐘はやがねを打ち鳴らしているし、緊張にも興奮にも似た快感が全身を打ち振るわせている。


 立場は対等ということか。

「セミリオン殿! 御首級みしるし貰い受ける!」

俺はそう叫んで上座へ駆け出した。



 「うおあああ!」

獣を思わせる咆哮と共に切っ先が交差する。かに見えた。

 老王は左胸への刺突を受け流すかに見せてかわし、空いた俺の左脇腹目がけて振りかぶった。それを防ごうとするや否や今度は首筋めがけて切り上げてくる。

 なんとか間一髪で防ぎ、一度距離を取る。


 斬撃が特別重いわけではない。油断をしなければ十分対処できる。もっとも、彼が既に六十歳を過ぎていることを考えればこれは驚くべき事だ。だが肝心なのはそこではない。

 問題は、俺の次の手を悉く読み常に先手を打つ事を可能にしている驚くべき勝負勘だ。今でこそ歳の差からくる運動神経の違いで対処できているものの、綻びができれば最後、アメルセア王城のつゆと消えるだろう。

 だがそれは相手も同じ事。仮に隙が出来れば、運動神経で劣るあちらは立て直すのは難しいだろう。この老獪ろうかいな男が隙なんて作ってくれればの話だが。


 これは不本意ながら危ない橋を渡らざるを得ないようだ。

「くらえ!」

俺は大きく振りかぶり、袈裟けさ懸けに叩きつける構えを取った。決まったときの威力は大きなものだが、反対に打ち込まれたときに防御するのは難しい。相手もそれを悟って俺の左へ回り込む構えを見せる。


 今だ!


 俺はすかさず石突きでカウンターを繰り出す。左ではなく正面に。


 確かな手応えと共に石突きが老戦士の脇腹に食い込む。態勢を崩したところを一気呵成いっきかせいに攻めたてる。三発目の鎧の隙間を狙った腹への刺突で、彼は崩れ落ちた。

 どうやら俺が上回ったようだ。


 相手とて、俺が考えなしに隙の大きい技を繰り出すなど思ってはいなかっただろう。隙を突きにかかったのをカウンターで仕留めるつもりだということぐらい、彼ほどの者になれば一目でわかったはずだ。

 彼の作戦は、左を突きにかかったと見せ、カウンターで手薄になる首を突くというものだった。それを読んでいた俺は正面へ向け石突きを突き出したというわけだ。

 もし戦っていたのが十年ほど前の彼ならば、それを察知して無傷で俺の頸動脈を断ち切れていただろう。だが今の彼には出来なかった。俺の狙いを知ることは出来ただろうが、体がそれに応えられなかったのだ。

 だが俺にも誤算があった。首への刺突を躱せたと思っていたが、躱しきれず一撃顔に受けてしまったようだ。伝説の戦士の最期の意地といったところか。


「見事だったぞ。帝国の将、ダートンよ」

今にも息絶えんとしていながらも、彼の目は未だ確かな輝きを持っていた。

「わしも歳を取ったものだ……死神が隠居先に案内してくれるようだし、お主や、我が子セリティアの様な若者たちの活躍を見物させて貰うとしよう」

セリティア王子。国王の一人息子だ。王城を逃れたのか、現状捕らえられたとか討ち取られたとか言う話は聞かない。


「やはり王子がご心配ですか。」

「心配?」

老王がふっと笑って問い返す。とても死にゆく人間の声音とは思えない。

「心配などしておらんわ。わしがあれを心配する必要などない。お主らもじきにわかるだろう。その日をゆっくり待つがいい。さて、ちと喋りすぎたかな」


「……介錯かいしゃくをいたしましょうか」

「無用無用。アメルセア国王セミリオンともあろう者が、若者に話し相手をさせた挙げ句、介錯までやらせたとあっては我が名がすたる。稀代の英傑の父となれて、当代の名将と刃を交えられたのだ。これ以上何を望もう」


 俺の申し出をそう断って、彼はまぶたを閉じた。享年六十三。最強を誇った老戦士の気高い最期だった。

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