どこかへ行きたい

@arakiinari

第1話どこかへ行きたい

なにか今日は機嫌が悪い。

すれ違った援交女学生が可愛かったとか決してそんな事が理由ではないが。

良い気分ではない。

悪い気分でもない。

退屈に神経が苛立ってエネルギーが湧いてくるような。

道端の看板を踏み抜いたり、家屋のガラスを割りたい衝動に駆られる。

ふう、と。

息を吐いて、頭上を過ぎる昼間の街灯の白い頭とやけに澄んだ空を見ていたら遠く、此処じゃない何処かへ行きたくなった。


「――の裏にある丸九パンのシナモンスティックがめっちゃ美味しくてさ」

「へえ、食べた事ないな」

「えめっちゃ美味しかったよ、今度買ってくるね――」

こんな寒さでも人通りが多いのは単に今日が12月31日だから、各々大晦日の準備や何かで出回っいるからなんだろう。さて俺は特に予定も無く、駅前まで来たので少しうろついて飽きたら帰る散歩のつもりでいる。退屈だなあ。

「――はアレ顔で補正かけてるよマジで」

「ああー、え?」

「あいつは顔が高級そうだからそれで補正されてるけど実際服とかは多分それほどでもないよ」

「あーそれはあるわ、顔が高級そうだもんね」

「そうそう――」

「――れユイカ見なかった?さっきまでそこ座ってたんだけど」

「えー見てないよ、早くしないと電車きちゃうよー」

「うーん、ちょっとあっちの本屋探してく――」

「――るの番組見たんだけどさあシェリルがやっぱめっちゃ可愛――」

人の話声は鬱陶しいが退屈な陰気にはいい風になる。たまにはね。


なんだ折角ここまで来たんだしちょっと離れた公園まで行こうか、家の近所は自然が乏しいからよく草木に触れるために行くんだ。人は自然に触れないとバカになるからね。

駅前の大通りを南下して、西に入る小さな通り。右に大きなレンガ造りの建物があり、それを過ぎたらすぐ丸九パンがあって、その左が公園だ。

ここは頻繁に芝が刈られて大変つまらない景色になってしまうのだが、幸い今は枯れ葉がふかふかに積もっていて良い。


――「私達、花火みたいだね」――

入口すぐの所に低木があった。こんな所にあっただろうか。淡い赤の花が沢山咲いている。丈は俺と同じくらいだ。近づくとすぐ下で何かを啄んでいたスズメ達が一斉に飛び立っていった。二歩寄って、なるほどどうやらこの木の物かは分からないが実のようなものが散らばっている。日が公園の奥の方から照って、その花のほとんどが萎れたり散ったり腐ったりしているのに気が付いた。下を見れば実のある辺りのすぐ前に花弁が派手に散っている。

日は木の葉の緑、ボロボロになった花弁の淡い赤、花糸花柱の眩い黄色を照り上げる。この光で乾燥して徐々に死んでいくような色に演出する。この世の殺伐とした美しさが香る。こんな景色が俺は好きだ。現実と幻想が混じり合って本当に要る事が何であったか、他のほとんど全ての事がどれほど気に掛ける必要のない事か思い出させてくれる。

散った花弁を踏みながら立ち、そんなのをしばらく眺めていた。


さて、帰るか。

少し歩いた所で、ついでにパン屋で何か買っていこうと考えた。

「いらっしゃいませ」

ここは若干高いが美味しいのだ。クロワッサンと小さいフランスパン、シナモンスティックを買う事にした。レジ打ちの人、発音からしてネイティブ話者じゃないようで見た目から考えると欧州か米国からの留学生だろう。

「お願いします」

「えー、クロワッサンが1つ、シナモンスティックが...――で536円になります――」


パンの入った袋をリュックサックに押し入れた所で、いよいよ帰った後の事を考え少し憂鬱な気分になった。卒業論文の研究をやらねばならんのだ。何せ進捗が芳しくない。大体は当初考えた手法での成果が良くなく、これからまた何らかの変更を加えて試行する必要があるせいだ。全くめんどうくさい。退屈と退屈に押されてどこか遠くに行きたい気持ちが高まってきた。


駅まで歩いて改札に財布を押し付けた。時刻表は知らない。線路は3方向に走ってるんだからどれかはすぐに来るだろう。頭上の電光掲示板を見ると西北方向行きの便が5分後に出発するとなっていた。これにしよう。

故郷に比べればここは遥かに温暖な気候だがやはり冬は寒いものだ。ホームに降りてすぐ温かい飲み物を買う事にした。ペットボトルのお茶がいい。電車はこの駅が始発駅なので既に待機していた。ちょうど目の前の車両は席がボックス席になっていたのでこれに乗り込んだ。西側の山脈を見たいのでそちら側の席に座り、荷物を下ろした。

なんだそうか、電車内は暖房がついているからだいぶ温かいんだ、これなら選択肢が多い冷たい方の飲み物を選んでもよかったな。

しばらくして発車が近づくと周りの席もほとんど埋まってきた。と言ってもそれぞれ4人用の1区画に2人位ずつであるが。

通路挟んで斜め前方には2つ、3つ上くらいの年の男女が座っている。いかにも年相応な服装で、派手過ぎず地味過ぎず、恐らく恋人同士か夫婦だろう。

「――から聞いたんだけど、昭和町に新しくナインコーヒーが出来るらしいよ、クッキーとかお菓子が美味しいってテレビでやってたやつ」

「へー、いいね、開店したら行こうか」

「うん絶対行こう、あたしカフェ好きだから」

「うん知ってるよ、めっちゃ好きだもんな――」

などと聞こえてきた。カフェか。あまり行かないが嫌いじゃない。でもああいった所に行くには話し相手が欲しくなる。だからしばらく行っていないな。

――「それはきっと君が、本当は知っているんじゃないかな」――

やめよう、こんな何かしようって時に感傷的な気持ちになれば足元が覚束なくなる。

発車アナウンスが流れ、誰かが最後、開けっ放しにしていたドアが閉まった。車体の動き始めるを体で感じる。日は天辺を超えかけて、出かけるのにはいい雰囲気だ。何の当てもないがとりあえず気が済むまで窓の外を眺めていよう。それがいい。


西に向かって走る線路はやがて北に迂回する。真西には非常に高い山脈地帯があるからだ。麓じゃ全く雪なんて降らないが山頂の方は11月くらいから白くなる。そして何よりこれはとても急で、麓の街から大して遠退かず山頂までがある様に見える。日暮れに近くまで行って眺めると、山々の向こうに日が行って、空は水色に明るいがこの巨大な山たちは全ての光を吸い込むように真っ黒でその境界が神々しく輝いているのだ。その黒い影の根元の少し傾斜のある部分には町があり、灯りが煌く。昼と夜が混在したような、そんな幻のような景色になる。俺はそれをとても美しいと思うんだ。

今少し距離も遠くこの時間に眺めると、青く霞んで遥かなり。これに沿って北上するのだ。


人は中々、誰かが面白いと示したもの以外のものに面白さを感じる事が出来るようにはならないようである。ここでもまた、天気の良い日に綺麗な景色が窓の外にあれど、ほとんどは手元のスマートフォンか何かそういったものに目を向け俯いている。特に通路挟んで隣の席、内気そうな高校生くらいの女の子とその母親らしき人達などは乗車時からほとんど会話すら無しにそれぞれ画面に夢中である。

「――ねえあんたセンター試験は大丈夫そうなの?」

不意に母親の方が口を開いた。娘は受験生なようだ。

「うーん、まあ多分大丈夫だとは思うけど...結果見てダメだったらは神戸諦めてどっか適当に富山とかそういう所にしようかなと思ってる」

「あんたそんなんでいいの?大学で結構人生変わるんじゃないの?」

「えー、いいんじゃないかな別に。あたし北陸も住んでみたいんだよね」

「いやー、あんたがいいならいいんだけどさ。でももう少し真面目に勉強してよ、ほら試験もうすぐなんだし」

「わかってるよ~――」

どうやら俺より勉強ができる子のようだ。それになんだか適当な感じも全く健康で良い事だ。

「――...ところでね、お父さんがね、あんたともう少し、ちょっとだけでも会話したいって言ってたんだけど、少しだけでもそういう風に出来ない?いやね、あんたもうすぐ家を出る事になりそうでしょ?お父さんも今のうちに少しは...」

「あいつの話はやめろっつってんだろ!!!!――」

あまりにも急に怒鳴ったので驚いてしまった。視界の端に彼女の母親がビクッと身震いするのが見えた。

「――あたしはもうあいつと関わりたくないんだ!!親だからって知らねえよ!こっちは自分で選んで生まれてきたんじゃないんだ!!関わりたい?少しは人間としてまともになってから言えよ!!」

「あ、...あんた、ちょっと、わかったから少し、ほら、周りに迷惑だから少し静かに、」

「うるせえよ!」

「わかった、ごめんなさい。もうこの話はしないから」

「うん――」

そっちを向いていたので母親が気付いて申し訳なさそうに会釈した。いえいえ気にしませんよの意でこちらも返す。しかし驚いたな。でもまあ彼女の言う通り、子は親を選べないからな。それほどにクソな父親だったのだろう。それならむしろ全く健康なくらいだ。ふと思い出して、そういえば俺も身に覚えがあった事に気付いた。進学で引っ越す時、二度と帰らないつもりで荷物を纏めていたな、そういえば、だ。まあ結局その年の夏に帰省したが。


列車は盆地の端に達し、徐々に左右から山が迫ってきた。渓谷である。地元にいた時は谷っていうのが一体どんなものなのか、現実のものとしてわからなかったが、こっちに来て初めて理解した。この細い山の隙間が長く続く。

やや進んで県境を越えてから、谷が少し開けて平らな土地が広がってくると、それまで降りる一方だった乗客が徐々に増え始めた。なんだかここらの人は賑やかで活気がある。こんなちょっと移動するだけでも人々の雰囲気というのは随分変わるものなんだな。

「――さんの奥さんがさ、またこれが――」

「――でよ、おめえアレ買ったって言ってたけど――」

「――そう、超イケメンなの、もうめっちゃカッコよくてさあ――」

そうやっている内に湖が近づいてきた。やや疲れてきたしここらで降りようかな。


降りてすぐ地図を確認した。湖はどちらか。まずは見たいだろ?

歩いて5分ほど、土産屋の並ぶ通りの向こうに見えた。湖、思ったより大きいな。さっぱりしていていい。寄ってみると対岸に街が、その後ろにまた小さく山がある。しばらく浜を歩いていた。足元には大量に菱の実が落ちていた。拾って触って棘を試したりしている内にふと思い出した。今日これからどうしようか。日も随分山に近づいてきた。今から帰る気にはならなかった。

座り込んでスマホで調べるとどうやらこの辺りは温泉が有名らしく、宿泊施設も豊富だ。安い所はないか。財布は割とカツカツなんだ。

とりあえず腹が減ったので一旦中断し、近くの観光船発着所の横の食事スペースに入った。なんだか大したものは無いようだがとりあえず腹に溜まればいいか。

「すみません注文良いですか?鹿肉おにぎり2つお願いします」

「はいよ、鹿肉おにぎり、2つね...あい、540円ね...はい毎度」

「この近くに安くて温泉の付いた宿を知りませんか?」

「うーん、温泉は沢山あるけど、安いってなるとね」

「難しいですか?」

「ちょっとあんまり綺麗な所じゃないかもしれないけど、森永ホテルっていう所が安いって聞くね」

「なるほど、森永ホテルですね、ありがとうございます、探してみます」

「あいよ、ありがとね」

「こちらこそ」

そして浜の少し後ろの土手に腰かけた。鹿肉おにぎりを食べる。うん、鹿肉ってこんな感じだったな。美味くもなければ不味いという訳でもないような味。変な味だがたまに食べたくなる。

そうそう森永ホテルか、調べよう、とスマホで検索したらすぐに見つかった。評判はまあまあ良くはない。値段は1泊4500円と安い。ここにするか、空いてそうだし。


よしと立ち上がり、いよいよ日が暮れそうな事に気が付いた。冬は暮れが早い。目的のホテルは歩いて15分ほどのようなのでとりあえず行ってから泊まれるか聞いてみよう。

着いてみれば意外としっかりしている様に見えた。受付の人の対応も普通だ。

「こんばんは。予約していないんですけど今晩泊まれませんか?」

「はい、ご予約なしはですね、はい、大丈夫ですよ。お1人様のご宿泊でよろしいですか?」

「はい」

「それではこちらにご住所とお名前、それからお電話番号をご記入下さい」

「...これでお願いします」

「はい、それではお部屋の方、504号室となります。5階にございますので右手のエレベーターからお進みください」

「ありがとうございます」

「それではごゆっくり」


入ってみればなんだまあまあ悪くはないじゃないか。とても綺麗とは言わないがこれで一晩過ごすだけの事に云々言うのは何だ随分神経質なように思える。とりあえず風呂に入りたい。風呂だ。俺は疲れたんだ。

そう言って荷物を下ろし、道中で買ったペットボトルのお茶を冷蔵庫に入れた後、部屋の中心のテーブルに置いてある案内を開いて大浴場の位置を調べた。8階だそうだ。

そうしてすぐに部屋を出て大浴場へ向かった。やはり空いているようだな。それとも時間が早いからか。大浴場前の休憩スペースに人影は無く、なんだか少し寂しささえあった。

脱衣所に入っても同様でぱっと見た限り全てのロッカーに鍵が刺さっている。なんだ貸し切りなんてそれは結構な事じゃないか。嬉しいね。と、サッと服を脱ぎ温泉を楽しんだ。

さて上がってみると、先ほどの無人休憩スペースに人が居た。20前半、同じくらいの年齢の女性が浴衣でマッサージチェアに座っている。どうにも、見覚えのある顔だった。参ったな。

「おいなんでこんな所にいるんだよ?あたしのストーカーか?」

「いや違うさ、まさか、適当に電車に乗って適当に降りて適当な宿に泊まってるだけだよ。そっちこそなんでこんな所にいるのさ?」

「退屈だったからね、大晦日に家にいるといかにも演技腐った顔や喋りを見なきゃいけないし。そんな人間の真似事を見たくないから適当な宿で年を越そうと思ってね」

「そうなのか」

そういう奴だもんな。いい意味で。

「なんでかね、今会うなんてね」

「うん、そうだね」

本当に間が悪い事だ。

「何なんだろうね、嫌だなあ」

「...そう?」

「うん?...ああ、まあそういうのもありか、まあ、そうだね、悪くないかもしれない」

「うん、」


さて、明日はどこか遠くへ行く事ができるだろうか?

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