どこかのバーにて

 傘を閉じる。目の前の扉を開ける。チリンチリンと、ドアチャイムの快い音色が響く。

 しかしこれは妙だ。普段なら中の騒ぎで、大きくもない鈴の音など聞こえない。考えても見れば、ドアの前に立っているときに、雨音以外の音が聞こえなかったのに何故気づかなかったのだろう。と、ふいに

 「こんばんは。こんな日に珍しいですね。」

 聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。暗めの雰囲気に似つかわしくない、可愛らしい声。けれど、とても聴きご心地のいい、落ち着く声。

 「あら、あなたでしたか。いつもどおりウィスキー?」

 私は頷き、半ば指定席となったいつもの席に腰掛ける。

 ここは行きつけのバー。仕事が終わればいつも訪れる、とは言っても仕事は数週間に渡ることもあるから、そう頻度が高いわけでもないが。

 「はい、いつもの。ほんとウィスキー好きよね」

 頷いて、一口呷る。そういえば、と先ほどから思っていた疑問を尋ねる。

 「あー、大体3日前ぐらいかな。襲撃受けちゃってね。皆修理とかで忙しいんだ」

 道理で。昨日帰ってきたところだから、それは知る由もないや。

 「そういうこと」

 煙草を一本摘む。


 しばしの沈黙。

 その沈黙を壊るように、火打ち石の音が響く。

 吸って、吐く。ぼーっと、灰に変わりゆく煙草の火を……

 「どうかしたの? 表情が暗いけど」

 不意に彼女の言葉が響く。

 「……話でも、聞いたげよっか? 折角だから、一番いい酒を出してあげる」

 私の吐き出す紫煙を気にも留めず、さも当然のことのように彼女は続ける。

 「私の奢りよ。というか私の酒だし。今日はお客も来ないだろうし、存分に付き合ってあげる。でも、今度私の話も聞いてくれるよね?」

 雨が窓を叩く音が、微かに聞こえた。

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