生ゴミがジョブチェンジしてそこそこ幸せになる話

朝霧

蜂蜜酒

 眠りにつく直前に、よくあの日のことを思い出す。

 自分が生ゴミになった日のことだ。

 いろんな不幸と偶然が重なってボロボロになった幼いあの日の私は、周囲の大人達からもう不必要だとゴミ捨て場に投げ捨てられた。

 死にかけのクソガキは生ゴミでいいんだよな?

 誰かがそう言っていたその声が、何故か記憶に深く刻み込まれていて、いつでも思い出せてしまう。

 手足は動かず、視界は半分閉ざされていた。

 失血に痛みが和らぐこともなく、もうすぐ夏になるというのに、ひどく寒かった。

 だけど死ねなかった、楽に死ねるほどの損傷を負っていなかったからだ。

 手足が動かないのは単に骨が折れていたからで、血が足りていないのは胸から腹に負ったそれほど深くない大きな裂傷のせいで、視界が半分になっていたのは左目を潰されていたからで。

 動けないのは痛いからで、寒かったのはそこそこの量の血を失っていたせいで。

 だけど、生きていた。

 地獄だった、痛くて苦しくて、何もできずにただ灰色の狭い空を見上げていた。

 心はとうに壊れていた、終わりを願い続けることしかできず、それ以外の何かを考えることはできなかった。

 そんな時に声が聞こえた。

 自分とそう変わらない、幼い子供の声だった。

「なぁに、このゴミみたいの」

 その声をただの音でなく言葉として理解できたのは、きっと奇跡みたいなものだったのだと思う。

 だけど、それだけだった。

 理解できたところで意味はない。

 理解できたところで何もできない。

 助けを求めることも、終わりを願うこともできなかった。

 口から漏れるのは掠れた息の音だけだった。

 痛みも苦しみもとうに自分の許容範囲を超えていた。

 きっと、このまま苦しみ抜いて死ぬのだろう、直感的にそう理解した。

 心はとうの昔に折れていた、だけどさらに粉々に砕けたような気がした。

 その直後、裂けた私の腹のなかを何かがゆっくりと弄った。

「なんか入り込んでるから、とってあげるねぇ」

 そんな声が聞こえた気がしたけど、不確かだった、幻聴だったのかもしれない。

 空気の塊が口から漏れる、もう少し消耗していなければきっと耳が痛くなるような絶叫を上げていたのだろう。

 痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!

 頭の中がそれだけで埋め尽くされて、そこから先はもう何一つ覚えていない。


 絶叫が、聞こえた。

 それが自分のものであることに気付いて、すぐに歯を食いしばって声を抑える。

 全身が脂汗で湿っている、夢の痛みは嫌に現実味のあるもので、夢であるくせに本当に、本当に痛かった。

 ひゅーひゅーと喉が鳴る、喉は異様に乾いていて、痛かった。

 夢で弄られた腹に触れる、傷はない、裂けてもいないし、内臓が見えているということもない。

 うっすらと差し込む月明かりにぼんやりと見えた自らの腹に裂傷がないことを確認して、全身の力が抜けた。

「…………ぁ」

 あることに思い当たって、周囲を見渡す。

 幸い、誰もいなかった。

 自分が眠る少し前まで確かにここにいた人の姿は見えない、自分の部屋にでも戻ったのだろうか?

 なら良かったと息を漏らす、あんな酷い声で起こしてしまっていたのなら申し訳ないから。

 ひょっとしたら彼のところまで声は響いたのかも知れないけれど、どうか起こしてしまっていませんように。

 身体がなんとなく重い、あと全体的に辛い。

 ふと、数週間くらい前のあの人の言葉を思い出す。

 そのくらいの甲斐性はある、と若干不機嫌な感じに言われた。

 大きな戦いが終わった後、基本的に無能な自分はこれからどうすればいいのかと頭を抱えていた時のことだった。

 当時は失業せずに済むと安心したけど、まさかこういう意味だとは……

 専属の護衛にでもしてくれるのかと思っていたんだよなあ、その時。

 なんでこうなったのだろうか? 自分でもよくわからない。

 まあ、あの人は気まぐれなお方だし、きっと深い意味なんてないのだろう。

 生ゴミだった私を拾って繕って治してそばに置いてるのだって、全部気まぐれだと言っていたし。

 だからきっと得体の知れない会ったこともない小娘よりも、昔は生ゴミ同然だったとはいえそこそこ信頼できる……信頼されてるといいなあ……な手下の方がまだマシだと思ったのかもしれない。

 きっとその程度なんだろう。

 ……いや別にそんなこったろうとは思ってた、別に何も気にしてなんかいない。

 ごちゃごちゃと考えているうちに、思考がやけに明瞭になってきた。

 もう今夜は眠れそうにないので、身体を起こす。

 無理に眠ろうとすれば眠れはするのだろうけど、きっとまた同じ夢を見る。

 数日はきっとまともには眠れない、何日も眠れずに、限界を迎えて倒れるまでは。

 溜息を吐く、昔からこういうことはよくあったので慣れてはいるけど、その分憂鬱になった。

 もう一度溜息を吐いて、朝までどう過ごせばいいのかを考える。

 部屋に差し込む青い月の光に、いっそ外に出てみようかと思った。

 どうせ眠れないのだ、寝室にこもっているよりもまだ気がまぎれるだろう。

 今夜は満月だから星はよく見えないかもしれないけど、月が見えればきっとそれだけで十分だ。

 朝日が昇る前に戻って来ればきっと誰も気付かない、誰も気付かないのであれば心配する人も誰もいない。

 そう思って寝台から抜け出す、寝台に脱がされっぱなしになっていた服を着ようと思ったけど汚れているのを見てやめた。

 別の服を着よう、そう思ってのそのそと衣装棚まで移動して、適当なものを身に纏った。

 少し薄いかもしれないけど、別にいいか。

 風邪を引いた方が早いうちに眠れるようになるかもしれない、そんな打算も少しだけあった。

 窓掛を半分だけ引いて、窓をゆっくりと開く。

 涼やかな秋の風が部屋の中に舞い込んだ。

 汗ばんだ身体が冷えていく、やはり少し寒いかもしれない。

 だけど心地よかった。

 冷たい風が肌を撫でる、汗ばんでいた身体は一気に冷え込んだけど、少し寒いくらいがちょうどいい。

 しばらくそこに佇んでいたけど、もうそろそろ行こうか。

 そう思って窓の外に身を踊らせようとしたところで、背後から声が聞こえた。

「こんな夜更けにどこ行く気ぃ?」

「…………ぁ」

 振り返る、そこには自分が眠りにつく直前までここにいた人の姿があった。

 月明かりに照らされたその顔は少しだけ笑っていた。

 しかし、怒っている――少なくとも苛立っているのは雰囲気から察せられた。

 咄嗟に謝ろうとしたところで、長い手がこちらに伸びてくる。

 思わず身をすくめたけど、その手は自分を通り過ぎて窓枠に掛かった。

「身体に障る。閉めるよ……てゆーか、この部屋寒……」

 窓が容赦なくピシャリと閉められる、清涼な風も同時に部屋から消えた。

 窓枠から引っ込められた長い腕が、ついでに私の体を抱え込む。

 引き寄せられ、触れた身体は暖かかった。

「冷た……いつからそこに突っ立ってたわけぇ?」

 阿呆なの? 馬鹿なの? と長い指が喉に絡みついて、じわりじわりと締め付けてきた。

 苦しい、割と苦しい、夢より何倍もマシではあるのだけど……

「ごめ……んなさ……い……」

 声を絞り出して謝った、それでも彼の指先は私の喉にしっかりと絡みついている。

「本当に、反省したぁ?」

 嘘だったら殺しちゃうぞ、と軽い声で彼はそう言う。

「反省……しまし、た……」

「うんうん …………で?」

 反省したと言ったにもかかわらず、彼はまだ納得していないらしい。

 何だ、何が足りない?

 だけど考えがうまくまとまらない、どうしよう苦しい。

「……な、なんでも……しますから……ゆるし、て……くださ……」

 頭の中が白くなっていく、死ぬことはなくても意識がどこかに飛んでいきそうだった。

 すぐ近くで溜息のような音が聞こえてきた、その直後に息がしやすくなる。

「『もう二度とやらない』……本当はそう言ってほしかったんだけど……まあいいや、許してあげる」

 これ以上はちょっと危ないしねぇ、とかすかに笑う声が聞こえたけど、私は必死に酸素を吸収しなければならなかったので答える余裕はなかった。

 それにしてもなんでこの人はここに戻ってきたんだろうか?

 と言うか逆にどこに行っていたんだろうか?

 ひょっとして、さっきの無様な絶叫を聞いて戻ってきたんだろうか?

 だとしたらやっぱり申し訳ないな、と思ったところでかすかに甘い匂いを感じ取った。

「君ってば、またあの夢みてたんでしょう? 唸ってる声で目が覚めちゃったんだよねぇ」

「それ、は……もうしわけ、ございません……」

 なんと、あの絶叫の前に起こしてしまっていたのか。

 ……本当に申し訳ない。

「うっさいから叩き起こそうと思ったんだけど、何しても起きそうになかったから」

「ごめんなさい……」

 昔から、あの夢を見ている最中に外的要因で目覚められたことは一回もない。

 激しい痛みを感じる夢であるせいなのか、外部からの刺激が薄くしか伝わらないらしく、そのせいで夢が終わるまで目を覚ますことができないのだ。

「君、謝りゃいいと思ってない? ……別にいいよそのことは。怒ってないし……と言うか半分くらいは僕のせいだし……」

「そ、そんなことはありません……!」

 少なくとも絶対にこの人のせいではないのだ。

 私が生ゴミになっていたのは偶然と不幸の積み重ねで、この人はただそんな生ゴミを拾ってくれただけなのだ。

 そのまま捨て置いて当然の存在だった私を、拾うだけじゃなく、繕って、治して、綺麗にしてそばに置いてくれた。

 だから絶対に、この人は悪くなんかないのだ。

「……君はそう言うけど、もうちょっと優しく助けてあげればよかった、って後悔してるんだ……だいぶ荒療治だったし……ここに寄生してた蟲さえ殺せればどうでもいいやって思ってたから」

 と、あの日ざっくり裂けていた腹を彼はそっと撫でる。

 生ゴミになっていた私は当時世間を騒がせていた人間の死体に取り付く蟲にいつの間にか寄生されていたらしい。

 しかも私に寄生していたのは結構強い個体だったらしく、あのままの状態だったら大惨事だったそうだ。

「それでもあなたは助けてくれたじゃないですか」

「偶然だし、成り行きだよ……今でも時々ゾッとする……あの時君が死んでいたら……って」

 だから死なないでくれてありがとう、と彼は言った。

 変なの、私が感謝する理由はいくらでもあるけど、感謝されるようなことなんとほとんどできなかったのに。

 そのまま抱きしめられていたけれど、少しして彼は「あ、忘れてた」と言って私を離した。

「ほらこれ、飲みなよ。どーせそのうち起きて眠れなくなるんだろうと思ったから、作ってきてあげたんだぁ」

 と、彼はいつの間にか机に置いてあった湯呑みを差し出してきた。

 受け取ると暖かい、漂う湯気は甘い香りがして、先ほど感じた甘い匂いの正体はこれだったのかと気付く。

「あ、ありがとうございます……!!」

 だからいなかったのかと思いつつ、一口飲んでみる。

 蜂蜜と生姜と、それから少しだけお酒の味がした。

 他はよくわからないけど、甘くて美味しい。

「おいしい?」

「はい……!」

 生姜とお酒が入っているからだと思うけど、冷えきっていた身体が温まってきた。

 私は基本的にお酒は苦手なんだけど、何故かこれはすごく飲みやすくて美味しく感じた。

 多分それほど強いお酒じゃないからなんだと思う、あと甘いから。

 ああ、幸せだなぁ……

 甘いものは大好きだ、心が満たされる。

 夢中で飲んでいたらいつの間にか湯飲みの中は空っぽになっていた。

「ごちそうさまでした……すごくおいしかったです……」

 飲み終わった頃には身体は完全に温まっていた、というか若干暑い。

 お酒が入っていたせいなのか頭が少しだけぼーっとする。

「ならよかった」

 そう言って彼は機嫌良さそうに笑って私の頰を撫でた。

 優しく撫でられただけなのに、なんでか知らないけど強烈な刺激を感じた。

 くすぐったさを強めたようなその妙な感覚にとっさに大仰に身を引いてしまった。

「……っ!? え……あっ!! ごごごごめんなさい……!!」

 拒絶したみたいなことをしてしまったので、反射的に謝る。

 だけど、彼は特に気を悪くした様子ではない。

 というかむしろその反対だった。

 彼はニッコリと笑って、私の身体を抱きしめた。

「…………ひっ!!?」

 強烈な刺激の洪水に思わず悲鳴をあげる。

 なにこれなにこれ、何がどうなってるの?

 身体が震える、全身の刺激に物事がうまく考えられない。

「なんでもする、って言ったよねぇ?」

 耳元で囁かれる、吐息が耳に掛かって、耳が大変なことになった。

 なんというかぞわぞわする、何これ怖い怖い怖い……!!

 何がなんだかよくわからない、なんでこうなった私の身体どしたの??

「少し物足りなかったからもう少しだけ付き合ってもらうね? 最初だったから流石に遠慮してあげたんだけど……どっかに行こうとするくらい元気なら、別に容赦しなくてもいいよねぇ?」

 耳朶を噛まれた。

 多分悲鳴を上げていた、それもとんでもなく情けない声を。

 そこから先は、実はよく覚えていない。

 いつの間にか意識が飛んで、夢すら見ないほど深い眠りに落ちたらしいことをその日の夕方くらいに知ったけど、それ以外のことはいろんな意味で刺激が強すぎたのか記憶がほとんど飛んでいる。

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