第4話 虚、一路②
最近よく眠れていない人間はここにもいた。ただしどこかの鬼導部隊員のように、テンションが行方不明になることはないが。
自由が制限されるのにはまあ……心当たりがあるので仕方ないとは思っている。
耀宗の憂鬱な気分の多くは、夢から来ていた。内容はよく覚えていないが、重力が倍になったように自由の利かない手足や、水中にいるのかと思わせるほどのはっきりとしない五感がもどかしい、じとじとと苦しい夢だ。目覚めると決まって嫌な汗をかいていた。
毎日すっきりとしない頭、ストレスのたまる軟禁生活。
耀宗は学校帰り、一定の距離を置いてついてくる護衛の視線を背中で受け止め、さらに重くなる足取りで家路に着いていた。護衛は屋敷の敷地内までは入ってこないが、彼らの視線はいつまでも耀宗にまとわりつき、家に入っても耀宗の足は重いままだった。
「何……?」
使用人がきょとんとした目でこちらを見ている。
「いえ……おかえりなさいませ、と……」
「ああ……」
上の空だった耀宗は、使用人の言葉に立ち止まっていた。普段は何気無しに通り過ぎてしまうところなので、彼女も一瞬驚いたのだろう。
それでも結局ただいまを言うことはなく、耀宗は自分の部屋へ向かった。
体が、重い。
耀宗は、カリバネを使った時のことを妄想したら少しでも軽くなるのではないかと思ったが、毎日こうして部屋でぼーっとしているだけでは妄想もはかどらない。
耀宗は鉛のような体を無理やり動かし、部屋を出た。少し、外の空気を吸いたかった。
廊下に出ると使用人がまた何か言ってきたが、聞き返すことはなくそのまま横切る。通用口を出たところで、慌てた様子で駆け寄ってきた護衛も無視し、宮嶋家の裏門をくぐった。
いつものように、別邸の二階へと上がる。窓から鷹司家と宮嶋家の間を通る道を見下ろすと、護衛たちが、いくらか軽蔑を含んだ目線を投げてきた。
ちくちくと刺すような嫌な視線だったが、
部屋の真ん中あたりにちょこんと座る氷瀧は、相変わらずぼーっとどこかを眺めている。耀宗が部屋に入っても何の反応も返さなかったが、そんな氷瀧の横顔をただ見つめているだけで、心の湿度が下がって行くような気分になれた。
もっと早く、護衛を振り切ってここへ来ればよかった、と耀宗は思った。隣へ腰を下ろす耀宗に、氷瀧はほんの少し目線を寄せてくる。
その目には以前よりも若干光が差しているようにも感じた。
「お前は自由でいいよな……」
手を伸ばし、色素の薄い灰色の柔らかい髪質を感じながら、氷瀧の頭をなでる。猫の背を撫でている時のような癒しを覚えた。
「外出、してもいいのですか?」
意識が遠くへ行きかけた耀宗を、現実へ引き戻す声がする。
「
耀宗は、美涼の鬼導部隊の黒い制服ですら眩しく感じて、目をしかめた。実際、何かが部屋の電気に反射して、何度か強い光を発している。
美涼は、武装していた。
実用性に重きを置いているせいか、若い女性には似合わない無骨なデザインの制服。それがかえって華奢な体を強調してスリムな印象を与えていたのだが、腰と太ももには太いベルトが巻かれ、およそ戦闘時に役立つと思われる武器や道具類が装着されている。
美涼が武装しているところを、耀宗は初めて見た。鬼導部隊員が武装して高級住宅街を歩かなければならないほど、昨今の事件は深刻なのだろうか。
「向こうからも見えているので、平気ですよ」
まあ、もう夕方なので、これから任務に出かけるところなのかもしれない。あまりじろじろ見るわけにもいかないので、耀宗は窓の外へ視線を落とした。
「顔色が優れないようですが……」
耀宗の顔を覗き込んで、美涼が心配そうに言った。そんなにひどい顔をしていたのだろうか。
「……最近、よく眠れないんです」
美涼も忙しそうなので、自分勝手な話題を持ち込むのも失礼かと思ったのだが、耀宗は最近のことを手短に話した。美涼が来なくても、氷瀧に向かって一方的に話すつもりだった内容だ。制限されて窮屈な生活や、陰鬱な夢──
「──そのせいか、ちょっとしたことでイライラしてしまって……」
「お疲れなのですね」
余計な心配をかけたくなかったので、
「話を聞いてくれて、ありがとうございます」
耀宗は、話題を打ち切るようにお礼を言った。
「今日はもう、お休みになった方が……」
美涼が不安げな声を上げる。
ストレスは人と話すことで解消されることもあると思うが、それでもやはり体の不調自体はどうにもならない。立ち上がろうとしたところで、体ががくりと前に傾いた。美涼は急いで耀宗の元へ駆け寄る。
「ご自宅までお送りします」
普段の機械的な声とも、耀宗や氷瀧の前で見せる柔らかな雰囲気とも対照的な、力強い言葉だった。美涼は耀宗の体を支えながら、カリバネを呼び出して滑るように別邸を出た。
その後のことは、遠い夢の世界の出来事のようにうっすらとしか記憶していない。耀宗はどこからともなく近づいてきた護衛たちに抱えられ、家へ戻った。
心配そうに見つめてくる美涼の顔が、いつまでも耀宗の目に焼き付いていた。
ひんやりとしたものを額の上に感じ、耀宗は目を開ける。
額の感覚は頭の重苦しさを幾分か和らげてくれてはいたが、それでも息をするのがまだ辛かった。
「耀宗……?」
耳の奥で声がする。それは、耀宗が大好きな声。
「……母さん」
息苦しいほどに湿気を含んだ、はっきりしない音が口から放出された。
芳哉は涙ぐんだ目で耀宗を見つめている。それでいて笑顔で、その表情はとても悲痛だった。
ああ、やはり心配をかけてしまった。
ごめんなさい……そう言おうとして耀宗は口を開くが、音となるものは何も出ない。
「……いいの。いいのよ」
伝わったのだろうか? 悲痛な笑顔はそのままに、今度は涙を流しながら、芳哉は嗚咽にも似た相槌を打つ。耀宗はそれもまた苦しかった。
母に心配を掛けたくない。しかし、その気持ちはほとんどが裏目に出てしまう。耀宗の目からも自然と、涙がこぼれた。
芳哉はそっと耀宗の目元をぬぐい、額に敷かれたタオルを取って手を乗せる。耀宗は、母の手のひらからぬくもりを分け与えられているような気がした。やがてそれは全身に及んでいく。あれほどの重苦しさがうそのように、体が軽くなっていった。
「疲れたのね……。ゆっくり、お休み……」
まるで子守唄のように、芳哉の言葉は耀宗の全身をふんわりと包んでいく。最近感じ得なかった安らぎだった。
何もかも忘れ、暖の施しを受けた体はいとも簡単に夢の世界へと沈んでいった。
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