第4話 虚、一路①

 廉次れんじの勘は当たった。

 約ひと月の間に、不審な死を遂げた人間は七人にものぼった。四日に一人のペースで、事件は起こっている。

 廉次をはじめとする鬼導部隊の事務方は皆、匣舟との交渉に難儀していた。

 細かな裏付け調査を行う廉次でも勘に頼って動く千住でも、鬼導部隊の見解としては、すべての事件に何らかの関連性があると踏んでいた。しかし多くの情報を握りながら匣舟は、一向に考えを改めるつもりはないらしい。事件はどれも突発的なもので、捜査は匣舟内で完結しているからそれ以上は無意味だとか、故人の名誉に関わる問題だから情報は渡せないとか、あの手この手の屁理屈を並べ立てるだけだった。

 匣舟との交渉は全くもって時間の無駄。そうして滞っているうちに、また事件が起きた。

「一体何人死ねば事の重大さに気づくのかね?」

 情報交渉に行っていた千住が、やる気に満ち溢れたテンションで廃寺に帰ってきた。

 最近昼も夜もなく活動しているので、隊員たちの寝不足が深刻な問題になりつつあった。不審事件の調査だけでなく、もちろん普段の鬼導部隊としての任務もある。

 いつもめんどくせえめんどくせえとだらだらしている千住が、匣舟の姿勢にもっともな文句をつけながら廃寺を闊歩するのも、深刻な問題だった。

「おい……お前少し寝たらどうだ」

 目をギラギラさせながら報告書を凝視する千住に、廉次が声をかける。

「なんと。今こうしている間にも被害者が増えているかもしれないという現状で、どうして地に体を横たえていられようか!」

「お、おう」

 完全に徹夜明けを通り越したハイテンションをくらい、廉次はたじろいだ。

「さあ。報告を聞こうかね廉次君?」

「……」


 廉次がまとめた報告書に目を通し、話をする間、千住はいちいち大げさな相槌を打った。調子が狂うと思いつつ、廉次は話を進める。

 まず、不審事件の被害者は総じて、最近生活が潤っていた。博打で大当たりして金銭面が潤う者、彼女いない歴ウン十年の男に突然ロマンスが訪れてリアルが充実する者、人助けをしたらわらしべ長者的に様々な恩恵を受ける者――潤う過程も方法も多岐に渡った。匣舟が「それぞれの事件に関連性は見られず、突発的なもの」という理由もわからなくはない。

 だが、共通点がないこともなかった。

 被害者は全員特徴的な傷口を残しており、鋭利な刃物で刺殺されていたことがわかっている……と、数少ない匣舟から受け取った資料の中にある(一応、ある程度の情報提供に協力しているということもあって、最低限の資料は鬼導部隊にも届いていた)。検死報告書や付属された写真を見る限り、それは間違いないようだ。

 最初の(と思われる)事件の被害者、大谷おおやも背中から心臓を一突きにされている。おそらく悲鳴を上げる間もなく絶命しただろう。

「今回も、同じ武器か?」

 最初の事件ではどーでもいいと言って興味すら示さなかった態度が、この変わり様。ハイテンションは鬱陶しいが、やる気だけはこのまま継続してほしいと、廉次は思った。

「ああ。今度は後頭部をズガンと」

 廉次は右手を振り上げ、空気の剣を千住の頭に突き刺した。若干、テンションが落ち着いてくれますようにとも願って。

「頭にも刺さるのかよ」

 風圧を感じた後頭部をさすりながら、千住は報告書の紙をめくる。

 そこに描かれた簡単なイラストは、「三角尖器」と呼ばれる種類の短剣だった。刃は特徴的な三角錐の形をしており、刺された傷は通常の短剣よりもふさがりにくい。そのためたとえ急所を外しても、出血多量で死に至る。加えて、少ない力でも深く突けるので、女性や子供でも容易く人の命を奪うことができるだろう。刺殺に特化した、殺傷能力の非常に高い武器。イラストは、それまでの情報を元に絵の得意な隊員に描いてもらったものだ。

 しかし今のところ、事件の関連性を示す唯一の物証になるかもしれない凶器も、現場周辺からは発見されていない。もしかすると――

「──もしかすると、ではない可能性もあるな。そういう爪でも持った、とか」

 自分から話を展開させてくる千住。

「あ、ああ。隊長にも言われたよ」

 普段とのテンションの差に若干作為的気配すら覚えつつ、未だ慣れない廉次は怯みながら見解を述べた。

「犯人が同じだとしたら、重要な証拠になる凶器は持ち帰っている可能性が高い。だが今有力なのは、お前の言った通り『犯人は鬼』って説だ」

 犯行が鬼によるものという説には、いくつかの複雑な問題点がある。人間に危害を加える危険な鬼が都のどこかに潜んでいるという事になるし、その鬼の侵入を許してしまったという失態により、匣舟からだけでなく市民からのアタリも強くなってしまう。

 そしてたとえその鬼の発見に至ったとしても、鬼導部隊員は、

 廉次の話が一旦途切れたのを見て、千住はシャキッと立ち上がった。

「また何かわかったら教えてくれ」

「おいおい……だから少し寝ろってば」

 てきぱきと報告書をたたんで上着のポケットにしまう千住。しかし資料はポケットをすり抜けて、足元に落ちていく。ポケットの底には、糸がほどけて大きな穴が空いていた。

「……そろそろ上着、新調したらどうだ」

 貴族の屋敷に出入りすることも多い役職柄、みてくれは重要だ。できればこれを機に、裸足にサンダルもやめてほしいと、廉次は見込みの薄い願望を抱くのだった。

 千住はバツの悪そうな顔をして、資料をズボンの方のポケットに無造作に突っ込む。ようやく徹夜明けのハイテンションから醒めたのか、多少はいつもの調子に戻ったらしい。

 蛇行しながら歩いていく千住を見送り、廉次はひとつ背伸びをした。

 窓から差し込む光が次第に明るさを増していく。光は凶器のように、弱った目を容赦無く刺した。

「千住の奴にエラそうなこと言えないな。少し休もう……」

 気休めにしかならないのは重々承知の上、廉次は火のついていない煙草を咥えながら、須弥壇裏の小部屋へ向かった。

 そこは、かつてここがまだ寺としての機能を果たしていた時、開山堂と呼ばれていた。この寺の開祖の像祀る部屋……とかなんとからしいが、そんな像は一つもない。現在は、廉次の書斎のようになっていた。

 部屋の中央に置いてあった小机や、散乱している紙類を足で脇に押しやる。そうやって無理やりできた空間に寝転がりながら、廉次は事件の記憶を反芻した。

 ふと顔の横に、手帳のようなものが転がっているのが目に入る。先ほど蹴飛ばした、今回の事件に関係のある資料の間に挟まれていたものだろうか。集めるだけ集めたもので、中身は確認していない。

「……俺様的鬼退治戦記……一巻、伝説のはじまり……」

 青春が爆発した日記のタイトルを見て、廉次は思いきり噴き出してしまう。……ついでに煙草もどこかへ吹っ飛んでしまったので、火はついていないが、不始末を疑われないように、部屋中をひっくり返す勢いで探し出した。

 煙草を探している途中で、伝説の続編、二巻と三巻も発見する。ようやく発見した煙草は、ちゃんと煙草入れに収めておいた。

 四巻以降は見つからなかったので、廉次は三冊の日記を脇に置いて再び寝転んだ。

 震える手で裏表紙をめくると、持ち主のサインがかっこいいを目指した達筆もどきの汚い字で書かれていた。とても読めたものではないサインだったが、廉次はその字の癖に見覚えがあった。

大谷おおや典雄のりお――」

 急な家探しをしてすっかり目が覚めてしまった廉次は、日記のページをめくり始めたのだった――



四月十六日

 いよいよ初任務。最初は雑用ばかりと聞いていたが、才能のある私は早くも白樹警護班の班長に任命された。

 伝説の始まりだ。


四月十七日

 初任務から、私は見事に帰還した。気づけば世界は日を跨いでいる。我々は、鬼が生命力を轟かせ、市井の人々が寝静まった静寂の夜に暗躍する、闇の組織。初任務は実に闇の組織にふさわしい出来であった。平和のゆりかごより外へと出て、白樹の高貴な光を欲さんと群がる凶悪の集団を奈落の淵へと追い返してやるのだ。命の危機とは常に隣人だが、悠久の歴史の中でも最も生えある名誉な役割のひとつである。


………………


七月七日

 ついに私の暗黒剣が黒煙のうねりを上げる日が来た。悠久の任務に精魂を燃やし、高潔なる白光の大樹を奪わんと囲む凶悪の集団と対峙していると、それはどこからともなく私の眼前に現れた。巨体を揺らし、逆立つ毛並みは剣山のように鋭く、暗闇に怪しく光を放つ両眼は見るも恐ろしく、鋭い爪は実に鋭かった。此奴の沸き立つ生命の源を断ち、都の平和を守れるのは私だけだ。私が世界を救うのだ。私は封じられし力を開放し、強大な敵に臆することなく立ち向かった。奴は畏怖の念を抱いた眼差しで私を見つめたが、断末魔の悲鳴をあげ、闇に堕ちて行く。完全なる勝利、私の大いなる力が奴に打ち勝った。世界は救われたのだ。


 ………………


四月十五日

 私が世界を救う名誉ある仕事に就いて、一年という月日が過ぎた。時が経つのは早いものだ。明日はうら若き新人が私の元に集うであろう。新たなる勇者たちよ。私は世界の残酷さを、時の非情さを教授せねばなるまい。しかし恐れるな。恐れずに立ち向かってこそ、真の勇者となれるのだ。


………………



 ごめんなさい。

 日記を読み終えた廉次は、手帳を閉じて手を合わせた。これはこのまま墓に入れてやるべきだ。

 大谷は光の途絶えた夜の白樹を警護する任務を、主に請け負っていた。都の外では、白樹のみが人々の安息の地となる。地方都市の多い東部では、夜の白樹の警護も重要な任務である。まあ、たまに子猫のような小鬼が寄ってくることがあっても、ほぼ虫退治なのだが。

 日記の内容はともかく、大谷は真面目な人間だった。よくよく話を聞くと、後輩の面倒見もよく、多くの若い隊員が慕っていた。そんな大谷がなぜ、任務もおろそかにして夜遊びに耽り、何者かに殺されるという末路を辿ることになったのか。

 原因に心当たりはある。

 真面目な人間ほど穢れやすい、と言われている。自分の理想から外れる行為や事象を嫌い、憎み、恨み、妬み、嫉み――。最初は小さな違和感だったとしても、それら負の感情はいずれ膨れ上がる。なぜ自分の思い通りに行かないのか、なぜ自分の想いをわかってくれないのか、と。大谷はおそらくそれらの感情を利用されたのだろう。

 穢れを集め鬼に加担する、によって。

 単に鬼が穢れに引き寄せられただけとは考えにくい。鬼が引き寄せられるほどの強い穢れに、鬼導部隊が長い間気づかないわけがないからだ。裏で手を引いている何者かがいると考えるのが自然の流れだった。

 そしてその何者かが存在する限り、被害者(それもごくごく真面目な、普通の人間たち)は増え続ける。廉次はそれを危惧していた。

 何者かは、なぜ真面目な人間たちの穢れを集めているのか。それが何か、大きな目的のためだったとしたら、今よりももっと人が死ぬような事態に発展してしまう可能性も、十分に考えられる。

 大谷の日記は、少なくとも三巻の時点では、特に違和感は見られなかった。青春が爆発した平和的な内容が延々と続き、最後のページの日付は一年ほど前。以降の数ページは白紙になっている。一年前、もし彼の生活になにかしら異変があったとすれば、その頃だ。

 現段階で廉次たちにできることは、これまでの事件現場や被害者の周辺を徹底的に調べ、次の被害者になり得る人間を見つけ出すことだけだ。そして、その人物の周囲をウロつく不審な影を見つけることができれば、大谷を貶めた何者かにたどり着く有力な手がかりとなる。

 そうは言っても、調査には人手も時間も手間も大いに割かれることになる。匣舟がある程度担ってくれるなら、こちらの負担も最小限で済むというのに。

 ただでさえ隊員たちは忙しい。ストレスは穢れへの一歩、なるべく負担の少ないように任務を手配する廉次だったが、このままでは気苦労祟って自分自身が穢れてしまいそうだった。

 千住のように、ほどほどに適当な人間が一番気楽だ。

 大谷の日記を枕がわりに、廉次は束の間の眠りに落ちて行った。

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