いたずら(三国志・曹関)

 関羽は目を丸くした。花笑うのどやかな春の都に似合わない、真っ赤な紅葉が丞相・曹操の頬にくっきりと浮かび上がっていたのである。

「おお、関羽。体の方はどうだ」

 曹操が関羽に気づき、手をひらりと上げる。体の方とは、と関羽は記憶を探って合点した。昨日の酒宴を、風邪のはじめと断ったのだった。曹操の隣にいた夏侯惇は、関羽を見るなり眉を寄せた。仮病だとでも思ったのだろう。ちっぽけな信用が知らぬ間に落ちたものだ。関羽は目を細める。ここは心遣いに応えるのが礼であるが、しかし関羽の目は依然紅葉にあった。

「丞相、その頬の痕はどうなされたか」

 夏侯惇の目が分かりやすく険しくなった。しかし曹操はどこ吹く風だ。

「はは、女というのは可憐で気難しいものだ」

 相手は側室の誰かであろうか。関羽は胸中で侮蔑の言葉を吐いた。すると、むくむくといたずら心が沸き上がってきた。ちょっと一泡吹かせてやろうと、関羽は口を開いた。

「それは災難ですな。時に丞相、沓に何か汚れが」

「む、どれどれ」

 曹操は己の沓を覗くため軽く屈んだ。夏侯惇は狼狽えた。彼の丞相は、今まさに客将へ首を差し出す形となったのだ。関羽は、その頭へぴんと伸ばした人差し指を置いた。乱れのない整えられた艶のある髪に、手綱を握るに相応しい隆々とした指が触れる。

「無様ですな。何時誰の気が変わるとも知れぬ世に、戦場をお忘れになったようだ」

 極めて冷ややかな声色。ただ、質の悪い霊薬のような、どろりとしたものが言葉端から見え隠れする。強靭な肉体の奥で燻る焦燥感を両の眼に僅かに滲ませて、彼は人差し指を見た。

 曹操は、そっと人差し指に己の指を添え、よけた。関羽はどきりとした。その指は、彼ほど隆々ではないけれども、手綱を強く、確かに握る指であった。

 曹操は顔を上げた。そして、先刻と変わらぬ目で客将を見た。

「君がそうでないことは、君が、君の兄の弟であることが、明かし顔であろう」

そうして曹操は摘まんだ指を払い、関羽を通り過ぎて行った。関羽は見逃さなかった。彼から目をそらす一瞬の、少し伏せられた曹操の眼が、酷く悲しげだったことを。

 夏侯惇は慌てて曹操の背を追う。それをぼんやりと眺めて、関羽は思う。落ちたものは何であったのか。床、壁、草葉、あらゆる隙間から兄の亡霊が己を見つめている気がして、関羽は暫く立ち尽くしていた。

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