第4話
なんてことはない。
本当になんてことないのだ。
ほんの少しだけ寂しくて。
ほんの少しだけ辛くて。
ほんの少しだけ苦しくて。
そして
そしてほんの少しだけ死にたくなっただけだったのだ。
父がいなくなって、友達がいなくなって、自分の部屋がなくなって、居場所がなくなって、言葉が出なくなって、そしてどうしようもなく、自分の人生から何もなくなって――なんて、そんな勘違いをしてしまっただけなのだ。
間違えてしまっただけなのだ。
自殺というのは愚かだと思う。
死んでなおも思う。
――自殺者とは完全な精神異常者だ。
生物学的にも経済学的にも自分を自らの手で死に追いやる、というものはありえないことなのだ。
飛び降り、飛び込み、リストカット、首吊り、溺死、薬物、一酸化炭素中毒。
種類はそれぞれたくさんあるけれど、そこに差異はなく、漏れなく頭がおかしくなったものにしかできないことだ。
――自殺は精神の苦痛が身体の苦痛を超えた際に、誰しもが犯してしまうものである。
こんな風に偉そうぶった専門家が語っていたのを見たことがあったけれど、しかし、そんなの実際に死んだことのない人間が語る幻想で、妄想で、もっと直球で言うならば嘘である。
自殺をする人間が精神的に追い詰められているから、そんなことをしてしまうのではない。そもそも追い詰められた程度で人が死ぬわけないだろう。アホなのか。
この現代社会に追い詰められていない人間などいない。
みんな一様に精神的苦痛を強いられていて、漏れなくみんな死にたいほどに苦しめられている。
そしてその苦痛が身体的なそれを超えることだって、それほどの痛みを受けているときだって、そしてそれ以上のことさえ、相当にあるのだ。
でも、事実死んでいない。
多くの人は死んでいない。
自殺者は三万人で済んでいる。
そう。
全員、精神的に追い込まれた経験などあるにも関わらず、
たったの――三万人である。
つまり、自殺をする人というのはそもそもが精神異常をきたしている人間なのだ。
少数派、マイノリティ。
誰でもできることなどでは、ない。
自分のことがどうでもよくて、自分のことが嫌いで、自分のことが憎くて、それでいて周りの言葉なんかに耳を傾けることなんてなくて、自分のことが殺したいほど殺したい人のみが、自らに手をかけることができるのだ。
自分のことが、何もかものことが嫌いで、
嫌いで
嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで
憎くて
憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて
嫌いで、憎くい。
そんな気持ちを高めてしまった、本来生物が到達しては行けないレベルまで高めることができてしまった人だけが、自殺をすることができるのだ。
初めてナイフを自分に突き立てられるのだ。
そんな人間、全人口の一パーセントも当然いないだろう。だから私は言っている。
自殺をするなんていうのは、精神異常者の末路に過ぎない。
社会が悪いわけでもない。
人が悪いわけでもない。
それを止めることのできなかった家族や友人、その知人諸々が悪いわけでももちろんない。
誰も悪くないのだ。
そういうものなのだ。
そういう風にできているのだ。
自殺というものは、
もともと、精神異常者が持ち合わせている『性格』なのだ。
過労もために自殺する人はもともと、別の場面になってもきっと死んでいっただろうし、いじめで死んでいった人だって、おそらく今後の人生のうちに遅かれ早かれ飛び降りていただろう。
自らに手をかけるという形で。
それが最善の手であるという錯覚のまま。
逃げる手段なんてそれしかないなんて思い込んで、
そしてあっけなく死んでいくだろう。
私のように。
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